第一部「宝石商の商談」
夜の王都は、昼間とは別の顔をしている。
表の通りから一本入った迷路のように入り組んだ路地に、灯りの漏れる小さな酒場がある。
看板には酒壺の絵が描かれているが、店名の文字はない。
信頼できる者から信頼できる者へと情報が伝わり、常連だけが場所を知っている店だ。
そんな酒屋に大量のワインが運び込まれた。
ここは違法物を表で取引できるようにロンダリングする場所でもある。
例えばエルフが品種改良した植物は、思いもがけない成長を遂げることがあるので、園芸自体禁止されているのだが、それを新種の植物の種として流通させれば、表の市場で堂々と売れるという仕組みだ。
主に盗品や密輸品が扱われ、海賊ワインもその一つだった。
流通業者に流れ、仕入れ業者やコレクターに流れ、その都度名前が変わっていく。
そして、そのいくつかは城の倉庫に運び込まれることになる。
名前の変わったワインが取り出されたのは、城に宝石商が来た日だ。
宝石商は老婆に見える年齢のネコの獣人の女で、白髪交じりの巻き毛を丁寧に結い上げ、指に大ぶりの宝石の指輪を、短く太いネコ指に三本はめていた。
キツイお香の匂いを纏い、肩には分厚い絹のショールをかけ、持参した木箱の中には磨き上げた宝石が種類ごとに並んでいた。
如何にも一代で宝石で財を成した商人だ。城と取引する格好は申し分ない。
正体を知らない城の者の目には、どこからどう見ても本物の宝石商だった。
そんな胡散臭い宝石商がマリアに通されたのは、執務棟から離れた小さな応接室だった。
来客用の部屋で、普段は外部の業者との個人的な打ち合わせに使う場所だ。
窓の外に小さな中庭が見えるが、喧騒から離れた場所にあり、昼間でも静かだ。
商談は滞りなく進んでいた。
宝石商が木箱を開け、宝石のサンプルを並べる。
マリアが手に取り、光に透かして確認する。
品質の話をし、ネックレスにするか指輪にするかティアラにするかの話、加工職人の話や価格の話など、ごく当たり前の話題に花を咲かせる。
それを遠巻きに見ている城の者がいたとしても、何もおかしいところはない。
しかし、二人の間で実際に交わされた話は、宝石とは別のことだった。
木箱の蓋を立てて、口元の目隠しにしてから、宝石商は声のトーンを変えた。
「また来たのよ……」
「何が?」
マリアは宝石を手の中で転がしながら聞いた。
その声のトーンは、友人に話しかけるような柔らかいものだった。
「海賊ワインの暗号がよ。こっちが何日もかけて返事を準備してる横から、次の暗号が来るから返事が追いつかないのよ」
「あら、それは大変ね」
「大変なんてもんじゃないわよ。こっちはここで情報を集めて、整理して、暗号に変換して、経路を確保して送り返してるの。あの子は思いついた順番に送ってくる。優先順位も何もない」
マリアは手の中の宝石をそっと置くと、宝石商をまっすぐ見てニコっと笑った。
宝石商は変装したボンドだった。
こうして様々な行商人になりすまし、マリアと密会をしているのだ。
夫のパットンが不在なのを城の者たちは当然知っているので、その寂しさを埋めるために散財することに誰も不審に思わない。
「だから彼は魅力的なんでしょう?」
「あの子は子どもなのよ……根っこのところが。だから私みたいな大人の男……いやレディーが横にいることで、ようやく一流になれる。それが分かってないの、本人は」
「そうね。きっとグライムはたくさん助けられているのでしょうね」
「たくさんどころじゃないわ。今もこうして助けてる最中ですもの。好奇心の塊なの……あの子は。目を離したらいなくなる。面白いものを見つけたら、断りなく飛び込む。勝手に行動する」
「それはよく知っています」
マリアはドアの前で待機してる侍女に声をかけると、ワインを持ってるように言った。
それはまた辺境から新たに届いた、暗号が書かれた海賊ワインだ。
「彼に直接言ったことはあるの?」
「言っても聞かないわ……」ボンドはワインをグラスに注ぐと、ビールのように一気に煽った。「聞いたふりをして、次の瞬間には別のことを考えてる」
「もう……飲みすぎよ」
「商談中に飲むのは普通よ。場を和らげるための礼儀」
「商談じゃなく愚痴になってるわ。それで、ワインにはなんて書かれていたの?」
ボンドはワインを新たに注ぐと、ボトルをすっとマリアの前に寄せた。
「当ててみて。そろそろ暗号の一部を読み溶けるようになってるはずよ。私のスペシャルな特訓のおかげで」
「そうね……」とマリアはワインボトルを手に取った。「これは二重ラベルね。つまり暗号の上に更に目隠しがされている」
マリアの解答を聞いて、ボンドは満足げに頷いてワインを一口飲んだ。
弟子の成長を肴に傾けるワインほど、美味いものはない。
「これは名前ね……。なにかの固有名詞」
「惜しいわ。あなたの旦那の名前よ。グライムはなにか疑ってたみたいね。身辺調査の再依頼の暗号」
「グライムが疑ってたの? パットンのことを? あの人は嘘が付ける人じゃないわ」
「だからよ。第三王子一人の言葉と、第三王子の後ろに国の紋章が見える言葉じゃ、まるで中身が違うわ。グライムが疑ったのは、パットンの嘘よりも、嘘をつかざるを得ない状況。グライムの手綱を握れてない証拠ね」
「あら、あなたがいれば大丈夫なの?」
「当然よ。でも、第三王子の話なら、大丈夫かどうかじゃなくて、ましかどうかの話。あの二人は合ってるわ。グライムが思いがけない方向へ突き進む時、第三王子は追う。追いながら全体の形を整える、それが彼の役目。うまく機能していれば、表でも裏でも様々な事例を解決できると思うわ。ただ……」
「ただ?」
「あの子が勝手に潜入しかねない状況になってきたと思ってる」
マリアは表情を動かさずに聞いた。
「根拠は?」
「昔の女よ。怪盗アモーレ。一時期、グライムと組んでた女。辺境で再開したんだって」
「意外ね。いや、ロマンに流されると思ったら意外でもないのかしら。わざわざ友人に昔の恋人と会ったって暗号を送るくらいだものね」
「その昔の恋人が直々に来たのよ。あの子が、なにかやらかしそうだって」
「あなたのところに? 怪盗が? わざわざ?」
「そう、グライムに一杯食わされたお返しをしたいからって。彼の秘密を聞きに来たの。当然嘘の情報を掴ませたけど……。彼女からの情報は本物よ。昔の血が騒ぎ出してるんだって」
「じゃあグライムを助けないと」
ボンドは宝石をしまいながら、口元に人差し指をやった。
「声が大きくなってきてる。感情は変わっても声の大きさは変えちゃダメ。一番聞き耳をたてられるわ。いい? 最新の辺境からの暗号は『オルドレン王子は、敵か味方かのどっちかだ。裏を探る必要がある』と書かれていたの。つまり彼らは真実の井戸を一断層降りたのよ」
「井戸に溜まってるのは水なの?」
「グライムはそれを確かめようとしているのよ。それと――」ボンドは木箱の蓋を戻した。商談の体裁に戻す動作だ。「この指輪は本物よ。買わないかしら?」
「私で盗品をロンダリングしようとしても、そうはいかないわよ」
「第三王子より素質があるわね。国が陥落したら、一緒に泥棒やりましょう」
「物騒なこと言わないの……」
ボンドはマリアの解答がいちいちツボに入るらしく、それもう楽しそうに商談を終えて城から出ていった。
その後姿は、少し大きめな商談成立した、名を広げてる最中の宝石商としてしか見えなかった。




