第二部「女怪盗アモーレ」
王子と別れた頃には、既に夕方になっていた。
二人はそれぞれの自室にいるのではなく、グライムの部屋に集まっていた。
グライムは椅子に座り、ボーッと天井を見眺め。パットンは机の前に立ち、腕を組んでいた。
「女怪盗アモーレか……。王都にいた時には聞かない名前だな」
「女怪盗。通称シャドウレディ。誰も彼女の姿を見たことがない。影だけ残して消えることから、そう呼ばれている」
「ずいぶん詳しいな……。まさか昔の仲間か?」
パットンの探りとからかうような視線を浴びて、グライムは少し間を置いた。
「というより……元恋人だ」
その瞬間、室内の空気が変わった。
パットンは腕を組んだまま、グライムを問診するように見た。
「オマエまさか——」
「していない」グライムはパットンに指摘される前に言った。「アモーレを利用してルミナス暗号に関係する情報を探ろうとしていると思っているんだろう。していない。アモーレが辺境の城にいるとは思っていなかった……。たぶん向こうも、オレがここにいるとは知らなかった」
「過去形だな……。つまり気付かれたか」
「逆の可能性もある。彼女側が気付かせた」
「その持って回った言い回しはやめろ……。はっきり言え」
グライムが説明しようと口を開きかけた瞬間、彼は物音に気付いた。
言葉を発する前に唇に人差し指を当てた。
誰かが来るから静かに、というジェスチャーだ。
やがてドアがノックされた。三回、遠慮がちに音が響いた。
パットンがドアを開けると、オルドレン王子が立っていた。
その左右に衛兵が一人ずつ控えている。
「夜分に失礼します。先ほど申し上げ忘れたことがあって……」オルドレン王子は言った。「その……恥ずかしい話ですが……捜査に手を貸していただけないかと。当国の警備ではアモーレの動きを捉えきれていない。お力をお借りできれば」
「もちろんです」
グライムが先に言った。
パットンより先に反応し、穏やかな笑みで言うことにより、パットンが断りにくくするためだ。
「こんなにいい部屋を用意していただいた手前、落ち着かなかったんですよ。自分でよかったら、いつでも力になります」
「やはり思っていた通りの方だ。詳しい話は書類にまとめて兵士に届けさせます。それでは良い夜を」
オルドレン王子は表情を明るくして去った。衛兵も続いた。
パットンはドアを閉め、足音が遠ざかるの確認してから、グライムを見た。
「今のはなんだ?」
「交渉ってのは有利な場所でするものだろ? 夕方の現場でこちらから手伝うと言えば、向こうが主体で動く。でも、今。向こうから言わせたことで立場が逆になった。これで城内をある程度自由に動く許可を得た形になる。つまり捜査にかこつけてルミナス暗号の情報を探せる」
「オマエ……向こうの城でも同じことをやってないだろうな」
「同じことはやってない」
パットンはしばらくグライムをじっと見ると、彼は肩をすくめてドアの方向へと歩いて行った。
「待て、どこへ行く気だ」
「夜に城を出歩くんだぞ。デート以外になんかあるか?」
「もう十分自由に回っているではないか……」
パットンの言葉は閉められるドアの音によってかき消された。
城の夜は静かだった。
巡回の衛兵が通る時間帯は把握している。
彼らはグライムの存在を認知しているので心配はいらないが、今は誰にも姿を見られるわけにはいかなかった。
廊下の明かりが落ちる場所、影が濃い場所、足音が吸い込まれる場所。昼間に歩いた時から確認していた。
一見明るい場所は危険に思えるが、明るい場所ほどコントラストになり影はより濃くなる。
グライムは一番濃い柱の影を縫うようにしてに進んだ。
匂いがあった。
野薔薇に似た匂い。だが、グライムはこれが薔薇ではない事を知っていた。
様々な植物のエッセンシャルオイルをブレンドし、あえて薔薇の匂いを“作り出した”もの。
夕方の現場にいた時から断片的に感じていたが、今夜はその断片が線になっていた。
廊下に沿って続いている。
グライムは匂いの主以外にバレないように慎重に進んだ。
廊下の突き当たり。柱の影。そこに人の気配がある。
グライムは足を止め、壁に背をつけると、呼吸を整えた。
それから“彼女へ”声をかけた。
「アモーレ」
一瞬の沈黙があった。
「驚いた……。また腕を上げたのね、グライム」
「気付かせるために痕跡を残したのはキミだろう」
「変装を解く時間くらいあると思ったのよ。それとも……そんなに必死に匂いを追いかけて来るだなんて……まだそんなに恋い焦がれているの、私に?」
柱の影から、人が動いた。
服装は兵士のもの。それも見覚えがあった。
つい先程、オルドレン王子と一緒に客室へと入ってきた兵士のものだ。
男装用のウィッグが取られると、長い黒髪が廊下の薄明かりの中に広がった。
グライムはその顔を見た。
間違いなく、アモーレだった。
彼女は間違いなく、美人の部類に入る。
だが、その顔を覚えてるものは少ない。
それは彼女の特徴的な容姿にあった。
彼女は複数の種族の血を引いており、見る者の先入観によって、見え方が変わる顔をしているのだ
耳が長いと言えば長い。鼻が高いと言えば高い。
そうして思い出そうとしてるうちに、彼女の顔は頭の中で影に塗りつぶされたように消えるのだ。
彼女自身は望んで、そのような容姿になったわけではない。
しかし長い時間をかけて、その特徴を利用することを覚えていき、その過程でグライムと知り合い、恋仲へと発展したのだった。
「なぜここに?」
「聞かなくてもわかるでしょう」
「聞かなくてもわかることでも、いちいち確認するのがいい男なんだろ? 前に言ってたのを覚えてる」
「都合よく女の情報を忘れてくれるのが、いい男なのよ」
「じゃあ、忘れよう。都合よく」
グライムが笑顔で別れを言って背中を向けると、アモーレは廊下の端を確認してから言った。
「逃げられなくなった。城に入ったはいいけど……警備が変わって出口を塞がれた。グライムが余計なこと言うから城全体の警備が見直された。潜伏場所がなくなったのよ」
「だから接触してきた」
「あなたがいるなら話が早い。助けてくれれば、お礼をする」
「お礼の内容による」
グライムが言うと、すっと首に抱きつくように腕が回された。
「あなたが望むなら……今すぐにでも」
「茶化してるってことは、切羽詰まってるな」
「当然でしょ。本当なら今頃潜伏場所で様子を伺い、夜明け前にはこの辺境の城からおさらばしてたのよ」
アモーレは恨みがましく文句を言うと、少し考えてから続けた。
「……知りたいものがあるでしょう。この城にある記録の中に、魔牢とルミナス暗号のシステムを設計した人物についての資料がある。設計者の名前と、その人物がどこにいるかの情報。私が盗んできてあげる」
グライムは黙ると眉間にしわを寄せた。
まるでパットンがグライムを尋問するときのような表情になっていた。
「なんで知っている?」
「なんでかしらね。グライムのことを考えすぎて、心の中が覗けるようになったのかも。その証拠に……今厄介な女に絡まれたと思ってる」
廊下の遠くで、巡回の衛兵の足音がした。
グライムはアモーレを柱の影に引いて抱き寄せた。
まるでダンスのフィニュッシュのような体勢で、足音が通り過ぎ、遠ざかるのを待った。
これ以上ここで立ち話をするのは、双方にとって立場が悪くなる。
「条件を言う……」グライムは言った。「城から出る方法と、痕跡の消し手伝う。その代わり、その情報を持ってきてくれ」
「それだけ?」
「それだけだ」
アモーレは少し驚いた顔でグライムを見た。
「あなたが優しくなったのか、それとも何かを隠しているのか。半々ね。いや、あなたって立場が弱い人間に弱いから、7、3で……」
「寝不足になる。早く決めてくれ」
アモーレは少し笑うと、グライムの頬にキスをして離れた。
「いいわ。話に乗った」
グライムはアモーレを見た。彼女の目は正直だ。笑う時も怒る時も、何かを考えている時も、目の動きに嘘がない。
それが彼女の数少ない欠点で、グライムはその欠点を知っていた。
今の目は、追い詰められている目だ。
だが、彼女はすぐに自信に満ちた瞳に戻った。
「盗み方は任せてくれる?」
「任せる。ただし大げさにやるなよ。最小限で済ませろ」
「言われなくても」アモーレは唇を尖らせ、不満げに言った。「あなた、昔も同じことを言っていたわよ。教師みたいに」
「昔のオレは正しかっただろ?」
「正しかったけど、うっとうしかったわ」
「人とは違う生き方を教えたんだ。感謝してもらいたいもんだね」
「ええ、もちろんしてるわ。愛を教えてくれたことも、人を出し抜く快感を教えてくれたこともね」
アモーレはニコッとあからさまな作り笑いを浮かべると、少し間を置いてから「記録室の場所は分かる?」と聞いた。
「だいたいは。方角と階層は把握している。北棟の二階。渡り廊下を越えた先の突き当たりだ。扉が二つ続いている。手前が書庫、奥が記録室だ。扉の鍵は解除できるか? 魔法錠なのはわかるが、タイプはわからない」
「大丈夫よ。それより懐かしいと思わない? こうやってアドリブで作戦を決めて実行するの」
「楽しいのは成功するからだ」
「もちろん」
グライムもアモーレもいつのまにか自然な笑顔になっていた。
だが、すぐに真顔になり、二人は廊下の分岐で別れた。
グライムは向かった場所は、小皿が盗まれた棚の前だ。
最初にここで猫の毛を見つけた時から、薄々アモーレの存在に感づいていた。
だから、痕跡を見つけても黙っていたのだ。
痕跡というのは残留魔力だ。
グライムと違い、アモーレは多種族の血が流れているので魔法が使える。
それも、魔法使いのように自分の意志で使うのではなく、走る時に脚の筋肉が反応するように、勝手に使われるものだ。
残るのは微々たる魔力だが、消しようがないのも事実だ。
魔法が発展しているリィーイヤ王国で、なぜ現場の残留魔力に気が付かなかったか。
それは、魔法を使える者が多いことにより、逆に城内に魔力が残りすぎて気付かなかったのだ。
そして、魔力は匂いと違い、しばらくその場に残る。
時間が経てばアモーレの残留魔力に気付く者が現れる可能性がある。
だが、残留魔力を消す事はできない。
方法がないわけではなく、ここだけ魔力がキレイに整頓されていたら、証拠をわざわざ提出するようなものだからだ。
そこでグライムはあえて残留魔力を増やし、鑑識を欺く方向へと変えた。
グライムは中庭に向かって視線を送ると、ポケットから干し肉を出した。
今日の城内は怪盗の件で騒がしくなっている。
普段なら人間に見かけられたら可愛がられる猫も、今日ばかりは異常事態を察して身を隠す。
つまり、今日はまだ餌にありつけていない状態。
グライムが探しているのは、アモーレが気をそらす作戦に使った橙色の毛をした猫だ。
そして、干し肉の匂いにつられてすぐに猫が出てきた。
しかし、昼間から夕方にかけての騒動で警戒しているのか、影から出てこない。
だが、それでよかった。
グライムは現場付近に干し肉をちぎってばらまくと、闇に姿を消した。
その場では、猫のいただきますとでも言うような「ニャー」という鳴き声だけが響いていた。
アモーレが集合場所に戻ったのはグライムとほぼ同時だった。
廊下の暗がりから現れた時、その顔に安堵と、何か別のものが混じっていた。
「あったか?」
「書類がね。書き写してきた。元の書類は戻してあるわ」アモーレは畳んだ紙を渡した。「設計者の名前と、その後の記録」
グライムは紙を受け取り、早速月明かりを頼りに文字を追った。
「……なるほどな」
グライムが読んだ情報は、正直期待していたものではなかった。
だが、新たな道を開くものでもあった。
そこには魔牢の設計や、ルミナス暗号の構造に関わる記述は一切ない。
だが、魔牢の設計者が捕らえられという情報が書かれていた。死に関する記述はない。つまりまだ生きてるということ。
ルミナス暗号が流行りだした時期を考えると、優に二百歳は越えている。
つまり設計者は、人間ではない種族ということになる。
グライムが少ない情報を知識で膨らませていると、その頬がツンツンと突かれた。
「ちょっとグライム……こっちは切羽詰まってる状況ってわかってる? そっちは二人の王子に見初められたお姫様で、ハッピーエンドかも知れないけどさ。こっちは物語が終わっても終われる悪者なんだよ?」
「盗みに入るからだろ」
「グライムに言われたくない。それでどうするの? どうやって逃げればいい?」
「明日を待て」
「それだけ?」
「アモーレならわかるはずだ。好きなタイミングで逃げ出せ」
「それって騙してない?」
「騙してはない。でも、オレたちのアドリブは、いつも行き当たりばったりだっただろう?」
「グライムのこと信用も信頼もしてるけど、信じてないから」
アモーレそう言って中庭に向かって歩くと、三歩目で彼女の姿は影に消えていった。




