第一部「猫だ」
リィーイヤ王国の辺境にある城の客室は、パットンが預かる辺境の屋敷の執務室よりずっと広かった。
天井が高く、壁には織物が掛かっており、窓の外には手入れの行き届いた中庭が見える。調度品の全てが上等で、床の石材は磨き上げられていた。
客人への礼儀以上のものとして用意されたことは明らかで、その礼儀の重さが、かえってパットンの肩を押していた。
第三王子であるパットンは、こういう生活に慣れ親しんでいるので問題はない。
むしろ他国の王子をもてなすのであるのだから普通だ。
問題なのは、自分が預かり知らぬところで、グライムが仕組んだことだからだ。
だが、当の本人は、窓際に立って呑気に外を眺めていた。
それが、さらにパットンを苛立たせた。
「グライム……聞いてるのか?」
「だから、話しただろう。この国の魔牢のシステムと、ルミナス暗号の仕組みは似てるって。その設計をした関係者がこの国にいる可能性がある。だから滞在できるよう根回ししたんだ」
グライムは窓の外を見たまま、香り高い紅茶に口をつけながら言った。
声は落ち着いており、まるでこの城に数年前から住んでるような佇まいだった。
「それは聞いた……。ボンドにその情報を暗号で送ったこともな。なにを企んでいるのかと聞いているんだ。だいたいな――」
パットンが小言を言おうと口を開きかけた、その瞬間だった。
「おっ、猫だ」
グライムのなんてことのないつぶやきに、パットンは反射的に視線を窓に向けた。
その瞳が中庭に何か動くものを捉える。橙色の小さな影が、刈り込まれた生垣の縁を歩いている。
確かに猫だった。
パットンはそれを確認してから、視線をグライムに戻し、眉間にしわを寄せた。
「猫がどうした。話をそらすな」
「逸らしたのは視線だ」グライムは振り返ってパットンの苛立った顔を見ると、口の端を軽く吊り上げて笑みを浮かべた。「なぜか知らないけど、人間は『猫』という単語に敏感なんだ」
「そんな単純なこと……」
「視線を逸らせるってことは、気を逸らさせるってことでもあるんだぞ。今の一瞬の隙に財布だってスれる」
パットンはグライムを見た。それから自分の上着の内側に手を当てた。
しかしその確認動作自体が、すでにグライムの言葉に動かされている証拠だった。
「なにも盗っていない。ただ、できるという話をしているんだ」
「……その話を聞かせたかったのか」
「少しはな。昔にその辺にいた猫を使って、見事に出し抜いたことがある」
「オマエなぁ……」
パットンが何かを言おうとした時、廊下から声が聞こえた。
足音が複数、二人の下へ向かってくる。
ダカダカダカと急いでいる足音が響き渡ると、部屋前で音が止まり、代わりにドアが叩かれた。
ドアを開けると、城の廊下に兵士が三人立っていた。
「申し訳ありません、急なお呼び立てで。城内で盗難が起きました。現場の確認をお願いしたく」
「城の中でか?」
パットンはグライムを相手にするより、眉間に深くシワを作って聞いた。
それほど、白昼堂々と城に盗みに入られるのは珍しいことだ。
「はい。廊下の飾り棚に置かれていた小皿が盗まれました」
「小皿?」
「はい。展示用の宝石細工がされています」
「なるほど……。わかった。行こう」
パットンとグライムは廊下に出ると、兵士の跡をついて現場へと向かった。
現場は城の東に伸びる長い廊下だった。
壁際の飾り棚は格調のある木製で、小さな皿や置物が並んでいた。
長い廊下、来賓を飽きさせない工夫が施されている。
その中の一箇所だけが、棚の上に塵ひとつ落ちていない空白になっていた。
何かが長くそこに置かれていた痕跡として、わずかに跡が残っている。
他にも“あること”に気付くと、グライムは棚の周囲を確認した。
床に傷はない。棚の角に引っかかった跡もない。
隣の品物の位置がずれていない。
素早く、正確に、一点だけを抜き取った動きだ。まるで鳥が獲物をかっさらうかのように。
パットンが兵士と話してる間、グライムは廊下を行き来した人間の記録を聞いた。
衛兵の巡回、使用人の往来、来訪者の動線。
全てが確認されていたが、その全ての隙間に、ほんの数秒の空白がある。その空白に盗まれた。
そして、やはりグライムが気付いた通り、犯行に使われたのは猫だった。
皆が猫がいるという声を聞いたという。
それもグライムとパットンの二人が見ていた、橙色の猫が使われたのだ。
「手口がまんま昔のオレだな」
グライムは落ちている猫の毛を拾い上げながら言った。
いつもより声が上ずり、隠すことなく口の端が上がっていた。
その子供が自慢するような表情を見て、パットンは呆れていた。
「なにを嬉しそうにしている……」
「手口を真似されるってなかなか光栄なことだからな。それも実力がある芸術家に模倣犯されるのは悪くない」
「なにが芸術家だ……。こそ泥だぞ」
「この国の王子だって、その芸術のファンの一人なんだろう?」
グライムがオルドレン王子は自分の味方だとでも言うと、パットンは少し声を落とした。
「そのことなんだが……。オルドレン王子が今回の脱獄事件を意図的に起こして、グライムの関心を引こうとしていると考えている。事件を通じて接触するために」
「ありえない」
グライムは間を置かずに断言した。
「なぜだ?」
「完璧な模倣じゃないからだ。現場の検証と、兵士の証言を照合すると、オレの過去の手口を模倣したのは間違いない。だが、手を加えてある。同じようにやって同じ結果を出したわけじゃない」
「アップデートしたということか」
「手を加えるというのは、必ずしも改善とは限らない。評判を下げる目的でやる場合もある。なにかを気付かせるサインにもなる。罪をなすりつける目的でやる場合もある」
淡々と話すグライムを、パットンは心配そうに見た。
「同業者に恨みを買っているんじゃないのか。グライム、オマエがリィーイヤ王国に来た途端に、手口を模倣した犯罪が起きた。偶然として考えるには、辻褄合わせがいくつも必要だ」
「辺境を預かる王子が揃ったから、未熟さを見越しての犯行という可能性もある」
「こっちは本気で言っているんだ」
「奇遇だな。オレも本気で言っている」グライムは廊下を見渡した。「裏世界の犯罪も国の政務もやっていることは同じだ。構造が違うだけだ。どちらも、相手の隙を突いて動く」
グライムが物騒なことを言っていると、廊下の奥から足音が近づいた。
オルドレン王子だ。
表情は落ち着いているが、目の奥に憤りがある。
自国の城内で起きた盗難のせいで、怒りより先に恥が来ている顔だった。
「お呼び立てして申し訳ない……」
「いいえ」パットンは言うなり、グライムの身の潔白を証明しようとした。「こちらはグライムと城内を見ておりました。彼は今回の件とは無関係です。その点はご確認いただけると——」
「大丈夫です」オルドレン王子は言った。パットンが言い終える前だった。「わかっています。犯人の名前はアモーレ。美術品、それも宝石の類を専門とする女怪盗です」
オルドレン王子が懐から紙を取り出して二人に見せた。
予告状だった。
無駄なことは一切書かれていない。
目的だけが、一行だけ書かれていた。
――宝石をもらいに行く。アモーレより。
「私の城にも怪盗が来きます。予告状とはふざけた話だ。そうは思わないか? グライム」
パットンはグライムに視線を向けた。
それはオルドレン王子に向けて説明をしろという視線だった。
「予告状は目眩ましに最適です。言葉の受け取られ方ひとつで、相手の行動をある程度制限できる。予告状で警戒させておいて、その警戒が薄くなった瞬間に動く。今回の犯行に使われたの猫がいい例です」
「猫?」オルドレン王子が首を傾けた。
「猫の毛が落ちていました。廊下を歩いている時、誰かが『猫がいる』と言えば、人は必ず視線を向ける。確認せずにいられない。その一瞬が盗む側には十分な時間になる。予告状も同じで、どこを守るかを考えさせることで、守りきれない場所が生まれる。おそらくまだ城にいるでしょう。その場所に隠れている」
「なるほど! さすがグライム殿だ!」
オルドレン王子はグライムの推理に目を輝かせると、兵にすぐに城を隅々まで調べるように指示を出した。
グライムはもう一度を見渡すと、パットンに帰ると合図を送った。
「では、これで」と言うと、オルドレン王子はなにか言いたそうにしていたが、グライムはあえて話を打ち切った。




