第四部「怪盗のファン、パットンの不安」
事件が解決した翌晩、パットンはオルドレン王子との会食の席に着いていた。
豪奢な円卓に並べられたリィーイヤ王国の珍味と酒を前に、二人は今回の密室事件の真相について、改めて言葉を交わしていた。
魔牢の構造的な欠陥、飽和した魔力の反復と増強、そしてそれを利用した長時間のシェイプシフト。
説明を終えたパットンに対し、オルドレンは深く感心したように頷いていた。
しかし、オルドレンの興味は、事件のトリックそのものよりも別のところにあるようだった。
「それにしても、あの状況で『影のわずかな歪み』に気づくとは。やはりグライムという男の眼力は噂以上だ」
「……ええ、まあ……。頭はいい男です」
「彼は普段からああして殿下の隣で知恵を貸しているのですか? 収監される前の彼は、一体どんな風に街を騒がせていたのだろう」
オルドレンはスープに手を付けるのも忘れ、やたらと熱心にグライムの日常や過去の様子を訊ねてくる。
そのあまりの執拗さに、パットンは少なからず警戒を覚えた。
グライムはこの国の王立美術館から美術品を盗み出した張本人なのだ。
パットンはワイングラスを置き、まっすぐにオルドレンを見据えた。
「オルドレン殿下。やはり、過去の件をまだ許してはおられないのですか? もしや、形を変えて彼を処罰するおつもりでは」
「まさか! 逆ですよ、パットン殿下」
オルドレンは驚いたように目を見開いた後、子供のように快活に笑った。
「許していないどころか、私はずっと彼のファンなのですよ!」
「……ファン?」
予想外の単語に、パットンは眉をひそめた。
「ええ。六年前、我が国の至宝が鮮やかに盗み出された時、私はまだ十代の終わりでした。警備の盲点を突いたあの完璧な手口を調査報告書で読まされた時、不謹慎ながら胸が躍った。それ以来、いつかあの『怪盗』に会ってみたいと切望していたのです。いや、もし私が王子という立場でなかったら、昨日の推理の現場にも這いつくばってでも立ち会いたかったくらいだ!」
オルドレンは身を乗り出し、実直な目を輝かせている。
その姿は、一国の王子というよりは、高名な芸術家を信奉する熱狂的な少年のそれだった。
「ですから、過去の記録を抹消するというのは本心です。彼のような不世出の天才を、ただの罪人として処刑するなど、我が国の損失でしかない。――パットン殿下、急ぐ旅でもないのでしょう? 是非、彼と共に我が国で数日ゆっくりと滞在していってください。彼から当時の裏話を聞けるなら、私はいくらでももてなしを用意する」
当然、パットンにその気はなかった。王都のヴァレンの動向が不明な今、一刻も早く辺境へ戻るべきなのだ。
「ありがたいお申し出ですが、国境の警備もあり――」
パットンが断りの言葉を口にしかけた、その時だった。
部屋の扉が控えめにノックされ、オルドレンの側近がそわそわとした様子で入って来ると、王子の耳元で何かを囁いた。
報告を聞いたオルドレンの顔が、あからさまに歓喜へと染まった。
「なるほど、それは素晴らしい!」
オルドレンは上機嫌に声を張り上げると、パットンに向き直った。
「殿下、どうやら決まりのようです。先ほど、グライム殿から我が国の案内役に連絡が入ったそうで。『せっかくの機会だから、しばらくこの国の一番良い部屋を用意してほしい』と、本人が滞在を希望しているとのことです!」
オルドレンは「これで引き留められますね」と言わんばかりに、満面の笑みをパットンに投げかけた。
一方、パットンは表情を完全に凍りつかせていた。
グライムがなにか企んでいるかだ。
彼との付き合いで、なにかを企んでいるのにはすぐに気づくようになったが、問題はその中身だ。中身がわからないのであっては、企んでいると気付いても意味がない。
「『泥棒の技術ってのは芸術と一緒』か……」
パットンは馬車でグライムが言っていたことを思い出しうなだれた。
今すぐにでも王都に帰り、マリアを抱きしめて愚痴を言いたいくらいだった。
オルドレン王子の案内役に特等室の希望を出し、その了承を待つ間。
グライムは一人、城の美しい中庭へと足を運んでいた。
麗らかな陽光が降り注ぐ中、白い鉄製の円卓に腰掛けたグライムの傍らには、既に王子の命を受けた若いメイドが控えており、音も立てずに銀のトレイから紅茶を陶器のカップへと注いでいる。
「他に必要なものはございますか、グライム様」
「いや、十分さ。ありがとう」
端整な顔に気だるげな笑みを浮かべてメイドを見上げると、グライムは給仕されたばかりのカップに口を付けた。
パットンは今頃、部屋で頭を抱えながらこちらの勝手な行動に胃を痛めているに違いない。
だが、グライムの脳内を占めていたのは、今さっき結びついたばかりの強烈な閃きだった。
魔牢の全面を囲む術式、魔力の飽和。
キバの事件で判明した、四方八方を魔法で塞がれた密閉空間による魔力の滞留。
その構造の共通性を反芻した瞬間、グライムの脳裏に、ルミナス暗号の根幹にある『ある仕組み』がピタリと重なった。
ルミナス暗号とは、特定の配置に並べた複数の宝石に魔光を当てることで、光が宝石同士の間を幾重にも反射し合い、万華鏡のように複雑に折り重なって正しい隠し文字を浮かび上がらせる技術だ。
ランダムな模様を作る万華鏡とは違い、緻密な計算の果てに特定の情報だけを視覚化する、極めて高度な魔光の反復システム。
魔牢の場合は設計のミスだったが、ルミナス暗号における魔光の反射の仕組みと、あの魔牢の魔力の反復は同じ構造だった。
魔牢の壁にぶつかって跳ね返り、互いに干渉し合って膨れ上がる魔力の挙動。
それは、宝石のカット面で反射を繰り返し、増幅していく魔光の動きそのものだった。
偶然にしては出来すぎてる。
もしかして、ルミナス暗号を作ったのは、あるいはその技術的なルーツは、この難攻不落の魔牢を設計した設計者と同じなのではないか。
もしくはその技術を知っていて応用できる人物がいる。
ルミナス暗号は人間の魔女が作ったものとされている。
そしてこの魔牢にも、城お抱えの魔女の薬や高度な術式が絡んでいる。
点と点がつながり、思わず背筋に震えが走るほどの興奮がグライムを突き動かした。
パットンには後で話せばいい。まずは巻き込んで彼の逃げ場をなくすのが先決だ。
ここで帰ってしまっては意味がない。
この大発見を前に、まずは辺境で留守を預かる相棒へ、一刻も早くこの情報を飛ばすのが先決だった。
グライムは紅茶を飲み干すと、メイドに頼んでワインを用意してもらった。ふいの滞在で心配する友人に送る用にと。
それは通称海賊ワインとよばれるものだった。
グライムは使い慣れた手つきで、ボンドにしか解読できない特殊な規則に従って、瓶のあらゆる場所に情報を残した。
そして、書き終えたグライムは、満足げに小瓶のコルクを指先で弾いた。
まるでボンドに「頼むぞ」とでも言うように。
このワインが辺境の屋敷へ届けられれば、ボンドは必ず気づくはずだ。
王都へ戻り、ヴァレンの仕掛けた罠のど真ん中へ飛び込む前に、こちらが先手を打つためのピースが、異国の地で確実に揃いつつあった。




