第二部「難攻不落の魔牢」
隣国の王子は、予想より若かった。
三十代の前半で、恰幅がよく、声が低くよく通る。
名前はオルドレン。
礼儀正しいが、目に計算があった。パットンとグライムを測っている目だ。
だが、敵意はない。
しかし、信頼もない。
どこかで折り合いをつけようとしている目だ。
謁見の場は、こぢんまりとした応接室だった。
オルドレン王子は挨拶を短く済ませてから、本題に入った。
「招待に応じていただき感謝します。パットン殿下のお力をお借りしたい件は先の書状の通りです。しかしながら、もう一点、確認させていただきたいことがある」
オルドレンの視線が、グライムに向いた。
グライムは部屋の端の、少し後ろに立っていた。
パットンの同行者として来ているが、公式の場に立てる身分ではない、という扱いでいるので、わざとそうしていたのだが、グライムもまたオルドレン王子の様子見ていた。
「そちらが、グライムという人物か」
「そうです」とパットンが答えた。「私の補佐として行動している者です」
「補佐……と」
「はい」
オルドレンは少し間を置いた。
その瞳は聞いていた話とずいぶん違うと言った顔をしていたが、すっと表情が和らいだ。
なにかを飲み込んだ顔だった。
そして、そのことには触れずに本題へと入った。
「六年前、我が国の王立美術館から、ヴィラの花瓶を含む数点の美術品が盗まれました。犯人は特定されていますが、身柄の確保には至っていません。書類上の記録に、その犯人の手口と人物像が残っています。今回のことで私が申し上げたいのは――この事件を解決していただければ、過去の案件は記録から削除します。外交上の問題として処理はしません」
部屋の中に静寂が落ちた。
パットンは表情を変えず、グライムも何も言わなかった。
「寛大なご提案に感謝します」とパットンが言った。「調査に全力を尽くします」
謁見が終わり、案内の者に連れられて廊下に出た時、パットンは隣に立ったグライムに小声で言った。
「受ける気はあるんだろう」
「ケチ臭い取引だとは思うけどな。魔牢の脱獄の謎と、数点の美術品だぞ? 」
「泥棒が偉そうなことを言うな」
「泥棒の技術ってのは芸術と一緒。盗まれたことによって箔が付いた作品がいくつあることやら」
「真面目に聞いてる……」
パットンの声は小さかったが、はっきりとしていた。グライムは口を閉じた。
「過去の件を外交問題にされれば、こちらが困る。オマエ個人の問題ではなくなる。真面目に調査しろ」
「わかった」
「文句があるなら後で聞いてやる」
「文句を言ったら文句で返すだろ……アンタは」
そうして二人が廊下で言葉を交わしているところへ、現場への同行を控えていた衛兵が近づいてきた。
二人はそこで軽口を切り上げ、衛兵の案内に従って事件の現場へと向かった。
魔牢は王城の離れの牢の更に地下にあった。
螺旋階段を下りると、空気が変わる。
地上の乾いた空気が、じっとりとした重さに変わる。
ここまでは、グライムが幽閉されていた地下牢と同じだ。
だが、湿気ではなく、魔力の密度が上がる感触だった。
グライムはそれを肌で感じながら、壁を手で触れた。
石材の継ぎ目が細かく、その継ぎ目で魔方陣を作るかのように、通常の建築よりも精度が高い。
これは魔力の漏出を防ぐための設計だ。
難攻不落の魔牢という呼び名は伊達じゃなかった。
担当の衛兵が施設の概要を説明した。
収容数は最大で十名。
収容者には定期的に、城お抱えの魔女が作った魔力抑制薬を投与している。
牢屋の壁と床と天井には魔法陣が施されており、内部で魔法を行使しようとすると自動的に抑制される仕組みだ。
衛兵に促されて薄暗い廊下を進んだ先に、目的の房はあった。
それは、周囲を囲む頑強な石壁と、前面を冷たく遮る太い鉄格子によって完全に隔離された空間だった。
グライムが格子の隙間から内部へ視線を走らせると、そこには飾り気のない石の床と四方の壁があるだけで、生活臭は完全に排されていた。
ただ、固い石肌の表面に、鈍い光を放つ魔法陣が血管のように幾何学的な模様を描いて浮かび上がっていた。
パットンが、物理的にも魔術的にも隙のないその堅牢な造りを、厳しい目で見つめる。
二人の視線を受けて、案内してきた衛兵が誇示するように説明を始めた。
「内部で魔法を使おうとすれば、この術式によって即座に発動が抑制される仕様になっています。さらに、物理的に壁や鉄格子を壊そうと衝撃を加えれば、即座に館内に警報が鳴り響く。あらゆる建材が魔力で強化されているため、そもそも力任せの破壊は困難です。出入り口となる鉄格子の扉には、外側から重ねて魔法的な鍵がかけられています。我々が正規の手順でそれを解除しなければ、内側から外に出ることは絶対にできません」
グライムは衛兵の話を言葉半分に聞きながら、房全体を外から見渡し、既にこの魔牢の欠陥を見つけていた。
なぜなら牢の“ドアを開けた形跡がない”からだ。
「中に入っても?」
「……入れますが」
「入らせてくれ。それから、すぐに閉めて鍵をかけてくれ」
衛兵が困ってパットンを見た。国賓を牢屋に入れ、鍵をかけるなどいち衛兵が判断できることじゃないからだ。
パットンは安心させるように、大きく頷いた。
「好きにさせてやってくれ」
グライムが房の中に入ると、衛兵がすぐさま開口部に魔法をかけた。
外から見ると、薄い光の膜が張られ魔力の錠が掛かった。
グライムは房の中を見渡した。
空だった。
床も壁も、何もない。かつて収容者がいた痕跡は、床にわずかな汚れがある程度だ。
グライムは壁に手を当てた。魔法陣の文様が指先に触れる。
そして、天井を見た。壁と同じく魔法陣が施されている。
外側から張られた光の膜は、まるで強固なガラスの壁のようにグライムと外界を隔てている。
鉄格子の向こう側では、パットンが腕を組み、その厳格な眼差しをグライムに向けていた。
その隣には、どこか緊張した面持ちの衛兵が直立している。
グライムは二人を振り返ることもなく、ゆっくりと房の奥へと歩みを進めた。
壁に張り巡らされた魔法陣の術式を、指先でなぞりながら、彼は愉しげな声を漏らした。
「なるほどな。難攻不落……ねえ。――なぁパットン、オレならこう脱獄する」
グライムは壁の前に立ち、その滑らかな石肌を手のひらでなでた。




