第一部「忍び込んだ影」
短くなった蝋燭の炎が、書類の端で不規則に揺れていた。
パットンは羽根ペンを置き、目を細めて今書いたばかりの文面を読み返した。
先日の大雨による被害についてだ。明朝までに予算の承認を出しておく必要がある。
数字は合っているのを確認すると、署名をして、書類を脇に寄せた。
ついで、次の書類を手に取る。
巡回の報告書だ。特記事項の欄は空白だった。いつも通りだ。パットンはそれを承認の束に加えた。
ここの辺境の地では、政務や公務だけではない。王子がしないような執務もこなす必要がある。
窓の外では、夜風が木の葉を鳴らし騒がしていた。
その音で気が散ったということは、集中力が切れてきた証拠だ
パットンが一度伸びをすると、バキバキと肩が鳴った。
もう一仕事あるが、明朝までのものは終わったので、今夜はここまでにしようと思い、蝋燭を吹き消した。
立ち上がり、上着を整え、執務室を出た。
ドアに鍵をかけると、見回りの衛兵が歩いてきて、二言三言交わした。
特に変わったことはないという報告に、パットンは軽く笑ってご苦労と言った。
そしてその二つの影が離れると、入れ替わるようにグライムが現れた。
懐から金属の棒を二本取り出す。
辺境の錠。それも屋敷の執務室だ。グライムの手にかかれば、音もなく解錠することなど造作もない。
鍵穴に差し込み、指先だけで内部の構造を読む。
あっという間にドア開け、隙間から中に入り、後ろ手にそっと閉めた。
まず机の上を一瞥したが、書類の山には触れない。
統治記録、予算の承認書、巡回の報告書。月明かりの下でも、端を几帳面に揃えて積まれているのがわかる。
パットンという男の性質がそのまま出ている。
特別なものを出しっぱなしにしとくわけがない。ここに積まれているものは、朝早く片付ける書類だ。
次いで、引き出しを上から順に開けていった。
中に入っているのは、筆記道具に白紙の書類と封蝋。
目当てのものがないか確認していると、ふいに廊下で足音がした。
グライムは引き出しを半開きのまま、動きを止めた。
足音は二人分。
話し声に耳をそばだてると、息を潜めた。
見知った声ではないので、執務室に入ってくることはない。
黙っていれば、ただ扉の前を通過する。
遠ざかっていく足音を聞きながら、グライムは三番目の引き出しを引いた。
引き出しの中に書類束があった。
他の書類と同じ紐で束ねられているが、結び目の形がわずかに違う。他よりもわずかに力を込められた硬い結び目になっている。
自分でも気付かないうちに力がこもってしまった跡だ。つまり、誰かに見られたら困るものだ。
グライムは束を取り出し、月明かりの下に持っていって目を通した。
それは城壁改修の手続きを意図的に遅延させた記録だった。
どの業者に、いつ、どの書類を差し戻したか。担当者への指示の内容。
末尾にパットンの署名があった。
グライムは書類を見たまま、しばらく動かなかった。
怒りは湧いてこなかった。驚きでもなかった。
もっと静かなもので、名前をつけるとしたら確認という言葉が近い。
疑っていたから調べに来た。
調べたら、疑い通りだった。それだけのことだ。それだけのことのはずだった。
それでも、息が少し重くなった。
グライムは廊下に出て、後ろ手に鍵を閉めた。
廊下を歩いて、自分の部屋に戻った。寝台の端に腰を下ろし、窓の外の暗い空をしばらく見た。
わずか五分にも満たない時間だったが、まるで長い一日を過ごしたかのような疲れが襲ってきた。
気づけば、グライムは浮かない気分のまま眠りについていた。




