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王賊 Crown & Crime  作者: ふん
記憶の在り処

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第四部「ほころびた絆」

 使用する部屋は、屋敷の奥の一室にした。外の音が入りにくく、風が入る窓もない。


 ジェーンが床に敷物を敷き、ハルディンが横になれる場所を作った。

 壁際の一角には、パットンとジェーンが座るための二脚の椅子だけが並んでいる。


 部屋の中央には、夢渡り香炉が据えられた。

 ジェーンが完成した精油を香皿い注いで火をつけると、蓋の無数の孔から細い蒸気が立ち上がった。

 香皿をロウソクで炙り香りを拡散させているので、蒸気は薄いはずだが、特殊な精油の調合のせいか、煙のように部屋中を漂った。


 香りは最初、雨上がりの湿った土のようだったが、熱を帯びるにつれて季節の変わり目のような複雑な芳香へと変わっていった。


 ハルディンは敷物の上に仰向けに横たわり、節のある木板の天井を見つめた。


「ハルディン、完全に眠るんじゃないわよ」ジェーンが低い声で釘を刺した。「意識を手放しすぎると戻れなくなる可能性がある。感覚が遠くなっても、現実と繋がっていることを意識し続けなさい。こちらから声をかけるから、常に応答できる状態を保っておくのよ」

「はい」

「もう一つ。あなたの記憶を探るのはグライムよ。あなたはただ思い出してぼーっとしてればいい。見えるものを信じることも、疑うこともしなくていい。瞑想のように、ただそこにあると思って」


 ハルディンは答えず、代わりにゆっくりと瞼を閉じた。


 グライムはハルディンの傍らに腰を下ろし、香炉から立ち上る煙を静かに吸い込んだ。


 この術は、ハルディンの魂の根底に深い安心感を与え、警戒の防壁を解きほぐすためのものだ。

 息遣いを感じるほどの距離で、同じ匂いを嗅ぐ。

 それを接点として、開かれた深層心理へ潜り込むのだ。


グライムは静かに目を閉じ、ハルディンの精神の深層へと意識を滑り込ませた。


 香炉の煙が鼻腔を満たすのを感じると、頭の中に部屋の空気が香炉の香りで満たされていく映像が浮かぶ。

 真っ白な煙に包まれるような感覚。


 それはハルディンも同じだった。

 全身から緊張が抜け、凪いだ海のように呼吸が穏やかになっていく。


 同時に、グライム自身の意識も現実の肉体の重みを失い、深い場所へと滑り落ちていった。


 気がつくと、そこは図書館の形をした精神世界だった。

 高い棚が幾列も続き、背の高い窓から無機質な光が差し込んでいる。床の石畳は足音が一切響かない。


 ここはハルディンの記憶の地層だ。


 潜り込んだグライムは、引っかかりを感じる方向へ、感覚を頼りに歩き進めた。

 しばらく歩いた時、棚の一角で足が止まった。


 ハルディンが失くした眼鏡が、そこに置かれていた。


 それが夢に忘れられた落とし物だと、すぐに理解したのは、グライムとハルディンの意識が混ざってきた証拠だ。


 細い金属フレームと二枚のレンズ。近づくと輪郭がぶれるが、手に取るとしっかり元の眼鏡の形へと戻った。

 まるで持ち主の元へ戻るように。


 グライムは眼鏡をポケットに入れると深呼吸をした。

 ここで違和感が違和感だと思わないうちに現実になる。


 人の意識や記憶に混ざると、こんなにも混乱するのもなのかとグライムは既に憔悴していた。


 さらに奥へと続く別の通路を見つけた。

 しかし、目に見えない強い壁に押し返される「改ざんの層」とも言える場所だった。

 完全に遮断されているわけではなく、端の方は少し薄い。

 そこが崩せる場所だった。


「グライム? 聞こえてる?」


遠く、天上から響くような音でジェーンの声がした。


「聞こえる」


 グライムは応じたが返事はない。

 これは現実の層から届く声だ。夢の層にいるグライムが言葉を届ける手段はなかった。




 その頃、現実の部屋の端で、パットンが膝の上の予算書を激しくめくった。

 前任者の赤いインクの書き込みがある箇所を、血眼になって追う。


「王子……グライムからの返答はありません。こちらの声も聞こているどうか……」

「それでもやるしかない」




「グライム、聞こえるか」


 パットンの声が、夢の層にいるリットの耳に届いた。


「この予算書、王都の特定区画の補修名目で巨額の費用が動いているが、前任者の指摘と照らし合わせると、人員の配置数と実際の施工命令の辻褄が全く合わない。表向きの数字の下に、別の意図が完全に隠蔽されている」


 その瞬間。夢の図書館の中で、行く手を阻んでいた壁が薄まった。

 まるで嘘が暴かれた瞬間、諦めたかのようだ。


「いいぞ……パットン。効いている。もっと情報をくれ」


その声が聞こえていようがいまいが、お互いやることは一緒だった。

ジェーンがパットンの手元に、ハルディンの出発前の足取りを記した書類を重ねた。


「ハルディンが上官から直接緊急報告を命じられた日付は、この予算書の中で『施工命令の変更』が極秘裏に処理された当日と完全に一致しているわ。彼は、この予算書の裏にある本当の危機を伝えるために走らされたのよ。そこにあるのは、その消された記憶よ」


 夢の中の空間で、巨大な壁が瓦解するような音がした。

 ハルディンの記憶を隔離していた夢盗みの術式が、現実側で暴かれた不整合と噛み合わされたことで、耐えきれずに完全崩壊したのだ。


 遮るもののなくなった棚の向こう側に、開かれた本があった。

 謎の文字ばかりでなにも読むことが出来ない。

 古語でも、種族言語もない。過去解いてきたどの暗号とも違う。


 グライムはふと思いつき、ポケットに入れていた拾った眼鏡をかけた。


 すると、そのレンズの向こう側に、深い闇に落ちていた「本物の言葉」が、鮮明な光の断片となって渦巻いているのが見えた。


 記憶の施錠が壊れた。

 これから、ハルディンの本当の記憶が出てくるはずだ。





 やがて、グライムが目を開けると、天井が見えた。

 香炉の煙はまだ薄く立ち上っていた。


「グライム、大丈夫?」


 ジェーンの声が近かった。

 それで現実に戻ってきたと気付いたグライムは、細く息を吐いた。


「戻った」


 体を起こすのに少し時間がかかった。

 手足の感覚が戻るのに間があった。頭も少し重い。


 だが、休む間もなく、パットンが側に来た。


「話せるか」

「ああ、話せる。……まずはこれを返す。アンタのだろ?」


 グライムはポケットに手を入れた。

 そこに眼鏡があった。

 夢の中で拾ったものが、現実に戻った時も手の中にあった。


 兵士は狐につままれたような顔をしていが、それを見たパットンもジェーンも目を細めるばかりで。

 二人とも何も言わなかった。


 兵士にはなぜ突然眼鏡を返されたか不思議だが、二人からみてこれは記憶改ざんの証拠だとすぐに気付いたからだ。


 グライムは少し間を置いてから、見たものを話した。

 自分のためにも、感情を挟まずに見た通りに。


 夢と記憶の狭間が図書館の形をしていたこと。

 ハルディンの眼鏡が落ちていたこと。

 改竄された層があり、現実側からの正しい情報により、嘘のベールが一枚一枚剥がれ落ちるように、それが薄くなったこと。


 そして、崩れかけた記憶の底から見つけ出した、ハルディンが調査を始める前の日付の王都からの極秘指令書について話した。



 そこには、城壁の改修そのものがグライムをこの地に縛り付けるための口実であり、魔法陣の構築をわざと難航させているという、パットン本人の冷徹な工作手順が詳細に書き込まれていた。


 グライムはそれらをすべて伏せ、城壁の魔法陣に構造上の問題があるということ、それが改修計画の本当の理由だったということだけを告げた。


 話し終えると、部屋は静かになった。


 パットンは少し考えた後、膝の上の予算書を開いた。

 基礎補強に確保されていた費用の欄を指で示した。


「この予算は、魔法陣の問題に対する補修費用だと考えれば辻褄が合う。計画自体は進んでいる。しかし理由だけが消えている。計画を止めたいのであれば計画ごと消すはずだ。理由だけを消した意味がある」

「理由が公になると困る人間がいる」


 ジェーンが言うと、グライム重ねるように付け足した。


「あるいは、問題の原因が公になると困る人間がいる」


 三人の間に沈黙が落ちるのと同時に、まるで代わりかのようにハルディンが口を開いた。

 メガネを掛けると、頼りがいのある真っ直ぐな視線で三人をそれぞれ見た。


「思い出しました。城壁の魔法陣の調査の話です。王都を出る前に。東側の第四区画に、構造上の乱れがあった。繰り返し確認しました。自然な劣化ではなかった」


「なぜそう判断した?」とパットンが聞いた。


「乱れのある場所だけが、他の区画と違う成分分布を示していたのです。魔法陣の構成要素の一部が変質していた。外から何かが加わったような変質の仕方でした。記録をまとめて報告書を書こうとしたのですが、その後のことが……思い出せなかった」

「思い出せているか。今は」

「少しずつ。繋がってくる気がします。断片が」ハルディンは眼鏡のフレームに触れた。「不思議なものですね。これをかけたら、少し戻ってきた気がする」

「もう少し話せるか?」


 パットンは二人きりにさせてくれと言うと、グライムは部屋を出た。

 廊下で壁に背をつけると、遅れてジェーンが廊下に出てきた。


「一つ残ったな」

「わかっている。夢盗みを使った人間がいる」

「ジェーンは古い記録を当たった。その技術について知ってる者がいる」

「古代魔法も知ってる可能性がある。間違いなくヴァレンね」

「第二王子だぞ。呼び捨てでいいのか?」

「パットン王子も聞いてないし、もうお香の儀式も終わったからプライベートよ。だから呼び捨てで十分」

「本当三獣士ってのは、パットンにしか忠誠を誓ってねぇんだな」

「当然よ。ヴァレンだって同じこと。私兵は常にそばにいるわ」

「常にそばにって言うけどよ。三獣士だぞ。もう一人はどうした?」

「パットン王子の命令で単独行動中よ。あなたも知ってるでしょ?」

「ハーピィだから遠くまで飛んでいけるんだろ。牢で会ったきりだ」

「彼に会いたいの? 意外ねぇ、苦手だと思ってたわ」

「苦手なのは間違いない。ただずっといないのが気になっただけだ。こう、頭を使うことが続くと、どうにも疑い深くなる……」

「あなたも休んだら? 夢渡り香炉の効果を考えたら、相当な疲労が襲ってくるはずよ」

「そうする」


 グライムは寝室に戻り、椅子に腰かけた。

 窓の外では、夕日が空を燃やし、雲を黒く焦がしていた。


 城壁の魔法陣の問題は、パットンが処理する。

 それは行政と政治の領域だ。


 だが、夢盗みを使える人間の存在は、別の問題として残っていた。


 パットンは工事を意図的に遅らせることでグライムをこの地に留め、その全貌を隠している。


 グライムは椅子に深く座り直し、己の掌を見た。

 先日、感錠の判定を誤魔化すため、感情を押し殺すために爪を立てた傷が、薄いかさぶたになって残っている。


 信頼を感じることと、客観的な事実を確認することは別だ。

 確認し、根拠があれば守る。

 根拠が崩れれば考え直す。それだけだった。


 グライムが生きてきた世界で、信頼が殺意に変わるのなんて当たり前に見てきた。


 夢の中で掴んだ、パットンが隠している遅延工作の証拠。

 そして、不在の三獣士。

 更には、王都にいた時。パットンは一度もヴァレンの計画を未然に防ぐことが出来ていなかった。


 もしも、自分を引き入れたのがヴァレンの計画を遂行させるためだったとしたら。

 一向に見せない三獣士は、秘密裏にパットンとヴァレンの連絡を取り持っているかも知れない。


 一度ほころびを見せた絆は、グライムの推理に編み込まれ、不審の紐となり、いつまでも頭の中でぶらついていた。



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