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王賊 Crown & Crime  作者: ふん
辺境の番人

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37/63

第一部「執務室の書類山」

ここからシーズン2になります。


 パットンが辺境へ着任してから、十日が経っていた。


 屋敷に割り当てられた執務室は、王都のそれより天井が低く、窓が少なかった。

 せっかくの幽玄に広がる草原も、まるで切り取られた絵画のように、小さな窓から見えるだけ。

 机の作りは頑丈だが飾り気がなく、引き出しの建て付けが微妙にずれていて、力を入れないと開かない。


 パットンはその引き出しを何度か引いては押し、押しては引き、ようやく開けるたびに小さく舌打ちした。


 そんな彼の机の上には書類が積まれていた。


 左の山は届いたばかりの陳情書だ。

 この十日で集まったものだけで二十件を超える。


 右の山は前任者が残した土地の記録で、内容の精度がまちまちで信頼できるものとそうでないものが混在している。


 中央の山は今日中に目を通すと決めたものだが、読めば読むほど別の疑問が湧いて、その疑問を確かめるために別の書類を探し始め、気付けば三つの山が崩れて机の上が平らになっている。


 パットンは崩れた書類を両手でかき集め、もとの積み方に近い形に戻そうとして、うまくいかず、また崩れた。

 まるで子どもの砂遊びだ。

 本人が真剣なのも、また余計にそれに見せた。


「なんの書類を探してるんだ?」


 窓際からグライムの声がした。


 グライムは朝からずっとそこにいて、窓枠に片腕をかけて、ぼーっと外を眺めている。

 手には、屋敷の裏手に生えている木から取ってきた小さな木の実を持っていて、時折口に放り込んでいた。


 イライラしてるパットンは対象的に、グライムはゆったりと流れる辺境の地の時間に身を任せていた。


「東区画の土地台帳だ。先月の収穫報告と数字が合わない」

「右の山の下だ」


 パットンは右の山を見た。

 崩れる前の位置を頭の中で思い描きながら、慎重に上から抜いた。三枚目に、確かに台帳があった。


「なぜ知っている?」

「パットンが来てからの報告は自分で覚えてるだろ? 覚えてないってことは前任者のだ。そして、アンタは癖で上から書類を順番に見るだろ。それなら、確認してないのは右の書類の山だ。癖を考えれば、下から探せば確実だろ」

「早く言え……」

「言えば言った」


 おどけて肩をすくめるグライムを横目に、パットンは台帳を開き、探していた数字を見つけた。

 収穫報告と照合すると、やはり差があった。

 差の原因を確かめるには別の記録がある。その記録がどこにあるか、また探さなければならない。


 パットンは台帳を持ったまま、うんざりとした表情で書類の山を見た。

 そして、その山の隙間から、鳥のように自由に歩き回ってるグライムの顔を見た。


「グライム……オマエはこの十日の間……なにをしていた?」


 パットンが問うたのは責めるためではなく、純粋な疑問だった。

 グライムがこの執務室で書類を漁っている姿を見た記憶がない。

 朝は屋敷の周りを歩き、昼は市場や宿場へ出かけ、夕方に戻ってくる。


 だが、書類は読まないのに、書類の在処を知っている。

 十日ほど同じ屋敷で暮らしたというのに、パットンはグライムを理解するどころか、彼について謎ばかりが増えていた。



「散歩だ」

「十日間、毎日か」

「いい土地だ。王都より空気がうまい」

「オマエは……私の部下になったんだぞ? その態度を他のものに見られたら示しがつかんだろ」

「誰に見られるんだよ。屋敷にいるのは、オレとパットン。それと三獣士。あとは元から使用人が数人が。ここまで露骨にいくとは思わなかった。第三王子の命なんてどうでもいいらしいな」


 グライムは外を見たまま言った。木の実をまた一粒口に入れた。


 その横顔見て、既に馴染んだ人間の横顔だとパットンは思った。

 新しい土地へ来た人間の顔ではなく、もとからここにいた人間のような顔をしている。


 一方でパットンは、十日経っても土地の形が頭に入りきっていない。

 書類を読めば読むほど把握すべき事柄が増え、一つを理解すると別の穴が見えてくる。

 王都での仕事の進め方をそのまま持ち込もうとして、辺境の土地がそのやり方に合っていないことに少しずつ気付き始めているところだった。


「暇ならこれ読め。街道の件だ」


 パットンは書類の山から一枚を抜き出した。商人たちの陳情書だ。


「もう読んだ。それって、前の領主が解決できなかった案件だろ」

「そうだ。違法徴税だ。山賊による通行料の強制徴収という話だが……オマエはどう見ている?


 グライムはそこで初めて窓から目を離し、振り返ってパットンを見た。


「なにも」

「なにもってことはないだろう」

「本当になにもわからない。だから、パットンが山賊との交渉に出向くんだろ?」

「知っていて黙っているのか、知らずに誤魔化してるだけなのかがまったくわからん……」


 パットンはとにかく見ろと、陳情書を机に置いた。

 書類には被害を訴えた商人の名前が並んでいる。全員が通行料として金銭を要求されたと書かれていた。

 ただし暴力はない。商品を奪われた例もない。金を渡せば通してもらえる。


「暴力がないのは珍しいな」

「そうだ。山賊なら奪う方が効率がいい。金を請求して、相手が支払うのを待つのは手間がかかる。これは普通の山賊の行動パターンじゃない。そうだろう?」

「なんでオレに聞く?」

「同じ山賊として、なにか思うところがあるんじゃないのか?」

「なら、パットン。アンタが山賊の頭領ってことになるぞ」


 グライムはそれだけ言うと、また窓の外へ視線を戻した。

 分からないことについて憶測を重ねるのが彼の好みではないことを、パットンはこの十日でようやく理解し始めていた。


「まったく……。まるで子供だな」


 パットンはため息を付きながら、陳情書に目を通す中で、ある一行に目を止めた。


 ――金を払えば、帰りは護衛してもらえる。


 山賊が護衛をする。ということだ。


「グライム、この件について何か聞いているか」

「調べてみる」

「それだけか?」

「命令出すの下手な。ジェーンもカックラウも、アンタの完璧主義に振り回されてる。まだ十日だぞ。やるべきことは、過去の問題を片付けるんじゃなくて、まずは地に根を下ろすことじゃないのか?」


 グライムは肩をすくめると、部屋を出ていった。


 パットンは今日何十回目かわからないため息を落とすと、立ち上がってグライムが見ていた窓の外を眺めた。


 その視線の先、問題の山賊出ると噂の街道はm三日目を過ぎたあたりから急に細くなる。

 石畳が消え、轍の跡が刻まれた土の道になる。

 両側に草木が迫り、商人の馬車が往来するたびに埃が舞う。整備された王都の道路とは、別の世界の話だ。


 その先に、問題がある。


 パットンは書類の山を一つにまとめ直すと、数日後の出立に向けて準備を始めた。



 山賊団のアジトは、街道から外れた森の中にある。

 案内人は地元の村人が買って出た。

 老いた農夫で、道中ずっと山賊たちの話をした。

 倒木を片付けてもらった話。大雨の後に橋が崩れかけた時に補修してもらった話。

 去年の冬、魔物が村の近くに出没した時に追い払ってもらった話。

 話しぶりに恨みの気配は微塵もなく、むしろ誇らしそうだった。声に、ぬくもりさえあった。


「あんたたちも悪い人たちじゃないと分かれば、ちゃんと話してくれる」と農夫は言った。「頭領のギルハルトさんは口は悪いが筋の通った人だ」


 パットンはその言葉を聞きながら、疑問が脳内を渦巻いてた。

 この領地の管轄は確かに自分ではなかったが、山賊の問題が長引いているのならば城に連絡が入ってもおかしくない。

 村人の反応もそうだ。


 なにか腑に落ちないものを感じるが、とにかく山賊と話をするしかない。


 森の道は思ったより長かった。街道から外れると足元が変わる。踏み固められた土の道が続き、両脇の草が背丈まで伸びている箇所もある。

 それでも道であることは分かる。何度も人が通った形跡があるからだ。


 そうしてたどり着いたアジトは、思ったより大きかった。


 どおりで隠れ家と呼ばれないわけだと、パットンはいらだちを覚えた。

 こんなに好き勝手されては、国の威厳などないも同然だからだ。


 森の中の開けた場所に、いくつかの建物が立ち並んでいる。

 丸太を組んだ頑丈な造りで、屋根には苔が生えているが、壁の補修は新しい。人が暮らしている場所の匂いがした。

 飯の匂いと、獣脂の焼ける匂いと、それからとても清潔とは呼べない人間の体臭。

 だが、臭いわけではない。建物の隙間に洗濯物が干してあった。

 子どもの声も聞こえる。


 略奪を生業にする者たちの根城というより、まるで一つの集落に近い空気だった。


 門番が二人いた。

 体格のいい男たちで、武器を持ってはいるが構えてはいない。

 農夫の顔を見ると、片方が「また来たのか爺さん」と言って笑った。親しみの滲む笑いだった。


「王子様が話を聞きたいそうだ」

「王子様」と門番は繰り返しながら、ニヤニヤした顔でパットンを見た。目が少し細くなったが、敵意というよりは値踏みに近い目だった。「入れ、と頭領が言うなら入れる」


 農夫が中へ入り、しばらくして頭領を連れて戻ってきた。


 頭領のギルハルトは大きな男だった。人間だが、一瞬獣人を思わせるほど大きい。

 背丈は勿論。横幅もそれに見合うだけある。贅肉ではなく、筋肉が盛り上がっている。


 白髪交じりの黒髪を無造作に束ね、顔には古い傷跡がいくつか走っている。年は五十を過ぎているだろうが、体の芯に若い頃の力が残っているのが立ち姿からわかった。

 それは若さとは違う。長年積み重ねてきた強さの名残だ。


「王子様とやら」ギルハルトは言った。声は低くしゃがれていたが、口調は穏やかだった。「話をしに来たなら、まず飯を食え。空腹で話す奴の言葉は短くなる」


 そう言って豪快に笑うギルハルトを、パットンはようく観察した。


 相手の目に底意地の悪さはない。

 ただ自分のやり方というものが骨の髄まで染みついた人間の、揺るがない自然体があった。


「喜んで」とパットンは答えた。




 食事とは名ばかりで、それはほとんど宴だった。


 建物の中の広間に長机が並び、三十人ほどの男女が席についている。

 ご飯はどれを見ても豪快で、丸ごと焼いた鳥が皿に積まれ香ばしい香りの湯気を立て、根菜と豆を煮込んだ具沢山の鍋が大きな器に入って回ってくる。


 黒パンは厚く切られ、塩漬けの肉が添えられていた。

 王都の食卓とはあらゆる点で異なる食事だったが、香りだけで腹が鳴るほど美味しそうだった。

 盛り付けの美しさなど一切ない。食べるという目的だけの料理だ。


 そして酒が出た。

 樽から直接コップで汲まれた麦酒が、次から次へと運ばれてくる。


 色は濁っていて、泡が多い。

 パットンが口をつけると、強い麦の香りと一緒に、アルコールの熱さが喉を伝って落ちた。

 ワインのように美しさの香りもない、乱暴なニオイだったが、それが逆に食事の脂と合っていた。


「イケる口か?」とギルハルトが隣で言った。

「まぁ飲める」

「よし」とギルハルトは満足そうに言い、自分のコップを掲げた。「では乾杯だ」


 広間中の山賊がコップを掲げた。

 それが始まりだった。


 山賊たちの飲み方は豪快だった。なにせ一口が大きい。酔っ払うのはあっという間だ。

 話しながら飲む。笑いながら飲む。喧嘩しながら飲む。

 気が付くと隣から酒が注がれているせいで、酔いが覚める暇もない。


 いつしか、コップが空になる前に誰かが継ぎ足す。断るのは失礼に値する。という空気が広間全体に充満していた。


 パットンは相手の文化を尊重することが交渉の基本だと知っていた。

 王族教育の中で叩き込まれた原則のひとつというわけではなく、他種族国家ならではの価値観だ。

 相手のやり方を否定せず、まず受け入れる。そこから共通点を探す。

 それがうまくやるコツだ。


 だから、パットンは飲んだ。


 最初のコップが空になると、すぐさま隣の男が景気づけの言葉を響かせながらおかわりを注いだ。


 パットンは怯むことなく礼を言って飲み干した。


 次のコップが空になると、向かいの女が注いだ。

 パットンはまた礼を言った。

 だが、今度は飲み干さない。このペースで酔いつぶれてしまうと、自分のペースを維持しようとした。

 

 いつしか宴の熱気が広間を包んでいた。誰かが歌い始め、別の誰かが手拍子を打った。炉の火が揺れ、天井近くに溜まった煙に影に踊る、笑い声が重なり合った。


 パットンはいつから酔いが来たのか、正確には覚えていない。

 三杯目を飲み終えた頃には、もう頭の中が揺れていた。

 五杯目の頃には、自分が何を話そうとしていたかを思い出すのに少し時間がかかるようになっていた。

 七杯目の頃には、もう交渉のことはあまり考えていなかった。


 ギルハルトが何か言ったが、パットンはとりあえず笑って答えた。何を答えたかは覚えていない。


 広間の熱気に溶かされるように、パットンは笑い声は山賊たちの笑い声と一つになっていった。




 翌日。

 パットンは後悔の念と共に起床した。

 屋敷の部屋の天井は木板で、節の形が妙に生き物に見える。

 それをしばらく眺めてから、またゆっくりと目を閉じた。頭の後ろの方に鈍い重さがある。


 口の中が渇いていた。光が目に痛い。

 まるで重りを着込んだようにから全身が鈍く、布団の中から出る気になれなかった。


 昨夜の記憶は途中から曖昧だ。宴が盛り上がっていたこと。誰かと肩を組んでいたこと。ギルハルトが豪快に笑っていたこと。

 それ以降は断片的にしか残っていない。ぼんやりとした熱気と、大きな笑い声と、酒の匂いだけが残っている。

 交渉はしていない。

 それだけははっきりと分かった。


 思い返せば思い返すだけ、自責の念がパットンを襲う。


 パットンは天井の節目を見つめたまま、昨夜の失態を全面的に認めた。

 酔いつぶれてしまったのだ。

 まともな話し合いをする前に、完全に判断力を失った。

 それも、相手に悪意があったわけではない。あれは彼らの文化だ。酒を酌み交わすことが信頼の証であり、交渉の前提だった。それ自体は間違っていない。しかし彼らは酒豪ばかりで、こちらはそれに対する備えがなかった。

 結果として、王子として非常に情けない姿を晒した。


「王子。水を」


 そう言って、コップを差し出したのはネコの獣人のジェーンだ。

 侍女に情けない姿を見せるのは嫌だろうと、気を使って人払いをし、看病していた。


「すまない……」

「マリア様に書く暗号の内容が決まりましたね」

「私が書かなくとも、どうせグライムが先にボンドへ送っている……」


 パットンはゆっくりと起き上がり水を飲み、グライムの様子を聞いた。


 一昨日から出ているらしく、最後にパットンと会話を交わしたきりだ。

 なにかアドバイスを聞こうと思ったが、いないのでは仕方ない。


 パットンは水をもう一杯飲んで、ベッドの端に腰を下ろした。

 額に手を当て、今日の予定を考えるが、二日酔いの頭で書類は読めそうにない。

 

今日という日を無駄にすることへの抵抗感が、体の重さとつばぜり合いをしていた。

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