第四部「グライムの誤算」
ジェーンがグライムの消息に気付いたのは、すぐだった。
朗読会の参加者が出てきたというのに、グライムもシオンの姿もない。
見つけたのは裏路地に置かれた不自然な本。
ジェーンはそれを手に取ると、すぐにパットンへ報告に向かった。
ジェーンは隠れ家で報告を待つパットンに、グライムの消息を報告すると彼の顔色が変わった。
「グライムが帰らなかった?」
「高度な変装をしているかと思い、怪しい人物と思われる人物には備考を付けさせましたが、全員が本人がと報告があります。不自然な点はこの本です。開かれたまま、無造作に道端に置かれていました。」
「グライムからの暗号か? 本を見せろ」
「ここに」
ジェーンは道端で開かれていたページを、再現するように開いてパットンに見せた。
「特に変わった語句はない。詩に関する言葉が入っているわけでもない……。これは言葉の暗号じゃないな……。この本が置かれていた状況は」
「全て話しました。道端にぽんっと置かれていただけです」
「おかしい……なにかがあるはず」
パットンは床に本を置くと、ジェーンの行動をなぞるように本を取った。
「同じ本を用意させ、城の学者に解読させますか?」
「いや、待て! この本はどう落ちていた?」
「ですので……」
「違う! 方向だ! グライムは本を開いた方向で行き先を教えたんだ! 本は正面からしか読むことが出来ない。開かれた本が読める位置に立ち、その方向に行けば、グライムがいる!」
「高級宿街です」
ジェーンはすぐに理解し、頭の中で地図を組み立て、場所を当てた。
パットンもすぐに立ち上がって行動を開始する。
「グライムの命が危ない! カックラウに騎士団を集めさせろ。ただし目立つな。何か起きた時に逃げられないよう包囲する。ジェーン、お前は外から逃げられないよう目を光らせておけ。何があっても中には入るな。私が中へ入る」
「王子! それは危険です」
「わかっている! それでもグライムが中にいるなら行く。相手は詩のプロだ。私しかグライムを助けられない」
パットンは短剣を腰に差し、宿へ向かった。
高級宿の一室で、シオンはグライムに詩を語っていた。
部屋の明かりは蝋燭だけ。家具は高級で、すべてが洗練されている。シオンは詩を朗読しながら、ゆっくりとグライムに近づいていた。
「今宵最後に聞かせるのは……私の最高傑作だ」
シオンが詩を朗読し始めた。
暗き道を進むには耳を澄ます さすれば灯りは意味をなす
一行目を朗読した時、グライムは気付いた。
今回の詩では韻が踏まれていると。耳を澄ますと意味を直すという言葉が、頭の中で結びついた瞬間。
聴覚が鋭くなった。
蝋燭の炎の揺れが耳に響き、シオンの呼吸音が異常に大きく聞こえるような気がした。
明日へ溺れる人魚は 鉄の心を自ら足かせにする
二行目で、グライムの脚が動かなくなったことに気付いた。
これはやはり魔法だ。四行からなる詩を聞かせ、対象者が頭の中で韻を踏んだ時に発動する仕組みになっている。
だから、未完の詩という興味引き誘い込む。
そして一行目で聴覚を過敏にさせ、二行目で足の動きを止める。四行目が何かしら時限式のスイッチになっており、自ら死への行動を選ぶことになる。
問題は三行目だ。
グライムは内心焦っていた。足が動かないということは、もうシオンの術式にハマっている最中だ。
意識では立ち上がろうと思っているのに、脚に力が入らない。
忘却の彼方――
シオン三行目を口すると、グライムの記憶が薄れ始めた。自分が誰か、ここがどこか、なぜここにいるのか。
すべてが霧の中だ。
シオンが三行目に向かおうとした時——
「グライム! 無事か!!」
パットンの声が響いた。
部屋の扉が乱暴に蹴り破られ、パットンが飛び込んできた。
「パットン! 来るな!」グライムは絞り出すように叫んだ。「詩が聞こえない範囲にいろ!」
パットンが一瞬止まった。
しかし、次の瞬間、グライムを助けようと一歩踏み出した。
「来るな!!!」
グライムが声を荒らげた。
その瞬間、シオンも怒鳴った。
「黙っていろ!!! 侵入者!! 美しき空間を壊すな!!!」
シオンの声は大きく、鋭かった。まるで癇癪を上げる子供だった。
「知識人を語るゲスな輩が! 私の美しい言葉に耳を傾けろ!」
パットンは犯人を刺激したと思い、足を止めた。
しかしグライムはその瞬間、脚に力が戻ってきたことに気付いた。
詩の朗読が邪魔されたから。リズムが崩れたから。
詩は完成していない。完成する前に壊せば、術式は成立しない。
「待て! シオン。詩が弱い。暗き道を進むには耳を澄ます さすれば灯りは意味をなす。これは目が見えなければ耳で判断しろという当たり前のことだ。子供にだって理解できる。詩に深みがないんだ」
グライムは、シオンを小馬鹿にし挑発した。
当然わざとだ。彼の頭に血が上らせるために嫌味を演出している。
シオンに対するグライムとパットンの評価。
それは『自己顕示欲が強く、ナルシスト』だということ
グライムはそれを利用して術式を崩壊させようとしているのだ。
「素人意見が! 理解もせず喚くな!」
「わかってるよ。だから言ってる」
パットンが「やめろ! 挑発するな!」とグライムに言った。
グライムはパットンに目で合図を送くると、詩にケチをつけ続けた。
明日へ溺れる人魚は 鉄の心を自ら足かせにする
「二行目の人魚が沈む例えは、古典的で。よくある。あなたの言葉じゃない。借り物だ」
シオンの顔が真っ赤になった。
「お前は何だ!! さっきから! 人が変わったようにケチを付けて! なにが目的だ!!」
「オレたちは聞く耳を持つ者だ」
グライムがにやっと笑うと、パットンがようやく気付いた。
詩の添削だ。
グライムは詩の術式を壊すために、詩にケチをつけている。
パットンは王族教育で詩を学んだ。グライムの指摘を聞いていて、すべてが理解できた。
シオンの詩は、技巧に頼りすぎている。
比喩が借り物だ。リズムに無理がある。
パットンはグライムに呼応するように、シオンの詩にケチを付け始めた。
「三行目……。二行目までの流れならば、もう一度落とす必要がある。でなければ、四行目にカタルシスが得られない。だが、どう考えても行が足りない。四行目と無駄にこだわったのは素人によくあることだ」
「黙れ!」
「四行目へ向かう前に、この矛盾を解決しなければ、詩として成立しない」
「うるさい! うるさいぞ!」
シオンの呼吸が乱れた。
それは詩のリズムが壊れているのを意味する。
二人から同時に詩への批評を受けて、もはや流れを作ることができない。
「私の詩が……壊された」
シオンがゆっくり椅子に座った。
もう何もできない。
詩を完成させることができない。完成させなければ、術式は成立しない。
最後の悪あがきをしないところは、見事なナルシストだった。
グライムが脚を動かした。動く。力が戻っていた。
「詩として完成させなければ、術式は発動しない。改めまして、シオン・ヴォーカル。グライムです。もっとも――そこにいるしがない男に言わせれば賊らしいですが」
グライムは自由になって脚を確かめるように数歩歩いた。
シオンは何も言わなかった。ただ座ったまま、下を向いていた。




