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王賊 Crown & Crime  作者: ふん
第二王子ヴァレン

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34/65

第二部「城壁の欠片」

 ヴァレンからの手紙は、グライムの部屋の引き出しの中に入っていた。


 鍵をかけていた引き出しだったが、ご丁寧に鍵をかけ直してあった。


 グライムは手紙を手に取り、封を確認した。蝋封はされていない。差出人の名前もない。しかし手紙の紙質が上等だということは分かった。

 城下町の安宿や市場で手に入るものではない。


 内容は短かった。


 ――今夜、王都外れの旧水路沿いに来られたし。一対一で話をしたい。来るかどうかは貴殿が決めることだ。


 それだけだった。


 グライムは手紙を読み返した。二度、三度。文体に特徴がない。

 意図的に個性を削いだ書き方だ。

 しかし筆圧が均一で、文字の間隔が規則的で、行の歪みが一切ない。

 手が震えたことのない人間の字だ。

 つまり、堂々と脅しが出来る人物。


 誰だと問う必要はなかった。


 差出人は一人しかいない。間違いなくヴァレンだ。


 グライムに行くべきではない、という判断は最初から選択肢に入っていなかった。

 危険だとは分かっている。相手の土俵に乗り込むことも分かっている。

 しかし断れば、相手は別の手段で動く。自分のいない場所で、自分に関係した何かが動く。

 それよりは直接対峙した方がいい。


 そしてなにより。相手の情報が欲しかった。


 場所は魔法錠の範囲内だ。

 つまり、パットンとの関係は完全に知られている。

 もしもの時にも、連絡がつかないようにしているのだ。

 魔法錠とは犯罪者。グライムにだけデメリットがあるものだ。

 つまり他の者にはメリットにもなる。


 パットンにとっては犬のリード。

 そして、ヴァレンにとっては、熊よけの鈴みたいなものだった。


 魔法錠の中にいれば、パットンは問題を認識しない。


 魔法錠の境界について、以前グライムはパットンを苛つかせながらも独自に、正確に割り出していた。

 城壁修復後、境界が変わった可能性があるのは既に見抜いている。

 だが、ヴァレンがそのことに気付かないはずもない。


 グライムはそれを頭の片隅に置きながら、状況を組み立てていった。

 いくつかの仮定。いくつかの逃げ道。いくつかの代案。


 ただ一つ確かなのは、相手が自分を消しに来るわけではないということだ。

 消すつもりなら、こうした手紙は来ない。相手は自分に何かを望んでいる。

 それが何かを探ることが、今の自分の役割だ。


 グライムは手紙を折り畳み、上着の内ポケットに収めた。

 それから外へ出て、旧水路沿いの地形を頭の中で再描し、夜まで待った。



 そして、ついに約束の夜が来た。


 城下町の外れは人気が少ない。

 旧水路沿いの道は細く、両側に古い石造りの壁が続く。

 夜の風が、カビの匂いを運んで地面を撫でている。

 グライムは灯りを持たずに、月明かりだけを頼りに歩いた。


 目的地の中庭に相当する場所は、かつて水門の番小屋があった場所だと聞いたことがある。

 今は壁だけが残っている。草が生え、石が積まれ、人が忘れた場所の寂しい匂いがした。


 グライムが到着した時、その人物は既に待っていた。


 壁際に立ち、腕を組んで、特に急ぐでもなく待っていた。

 ヴァレン第二王子――あるいは、ヴァレンの顔をした人物――は、グライムを見ると軽く頷いた。


「来てくれたか」


 そのわざとらしい人懐っこい笑顔を見て、グライムは距離を保ったまま立ち止まった。

 十歩ほどの距離。逃げるのに十分な間合い、攻撃を受けるには少し遠い位置だ。


「呼ばれましたので」


 ヴァレンはその距離の取り方を見て、わずかに口の端を上げた。


「警戒心が高いな。当然だが」

「不用心な場所に呼び出されましたから」

「不用心なら警戒しなくていいだろう。言葉を変えるなら、君は弟の友人だ」

「言葉を変えるなら……。ここは不用心に見せることが得意な場所に見えます」


 ヴァレンはそれを聞いて、今度は少し大きく笑った。しかし声は抑えていた。


「率直だな」

「あなたもそうではないかと。この場に来た時点で、オレにはあなたが何者かを明かす必要がない。あなたもオレが何を知っているか、概ね把握しているはずだ。なら遠回りをする理由はない」

「その通りだ。実に満足な解答だ」


 ヴァレンは壁から離れ、数歩こちらへ歩いて距離を詰めたが、グライムは動かなかった。


「私は君を高く評価している」とヴァレンは言った。「それが率直な話の始まりだ。君の頭脳は、ここでも稀なものだ。今のパットンの下に置いておくには、惜しい」

「ありがとうございます」

「お世辞を受け取っているわけではないだろう」

「評価はどこから来るにせよ、評価ですので。否定できる権利はこちらにありません」


 ヴァレンはグライムを見た。

 眼差しに温度がなかった。感情を持たないゴーレムの、虚ろな瞳のようだとグライムは思った。


「私には多くの協力者がいる」ヴァレンは言い始めた。「王城の内側にも、外側にも。今もその数は増えている。今後もそうなる。これは計画ではなく、既に進行中の現実だ。既に歴史は書き終わっている」


 グライムは黙って、ヴァレンの大言壮語とも言える話を聞いた。


「勝つ側は既に決まっている、と理解できるはずだ。グライム、君ならばな。政治というのは確率だ。勝てる方を選ぶことが、賢い選択だ」

「なるほど」

「君がこちらへ来れば、自由も地位も用意できる。今のように事件を追いかけ回す必要もない。もっと大きな仕事ができる」


 グライムはしばらく何も言わなかった。

 十分に間を作り、ヴァレンが耳をそばだてると、ゆっくりだかはっきりと言葉を紡いだ。


「おっしゃることは理解できます」

「では」

「ただ一つ確認させてください」

「何だ」

「あなたが言う『自由』とは、あなたの目的の範囲内での自由、ということでしょうか?」


 ヴァレンの表情がわずかに固まり、声色が少しだけ低くなった。


「詳しく聞こうか」

「あなたはオレの頭脳を買っていると言った。しかしそれは、オレの頭脳をあなたの方向へ向けたいということだ。オレが自由に動ける、という意味ではない。違いますか?」


 沈黙が少しあった。それが答えだ。


「賢い人間はどこへ行っても制約の中で動く。それはどの主に仕えても同じだ」

「おっしゃる通りです」グライムは言った。「ではパットンとの違いは何でしょうか。オレは今も制約の中で動いてる。同じ制約があるなら、なぜあなたの方を選ぶべきか」

「勝てる方だからだ」

「それは証明できますか?」


 ヴァレンはグライムを見た。今度は少し長く、挑発するようにじっと見てくる。


 グライムはその視線を受けながら、心の中で状況を整理していた。


 相手は決定的な情報を出していない。

 口が緩んでいない。誘導への反応も計算されている。

 これは政治家の話し方ではない。もっと異なる場所で培われた、生き延びるための話し方だ。

 裏社会で長く動いてきた人間の、言葉の使い方だ。

 グライムはそれを知っていた。なぜなら彼も、長くその世界の周縁で生きてきたから。


 信用を語らない。

 理念を語らない。

 必要なことしか話さない。


 これは犯罪者の話し方だ。

 そしてそれを、ヴァレンの顔をした人物は完璧にやっている。


 グライムは相手が同じことを自分に対して感じているかもしれない、と思った。

 自分も余計なことを話していない。隙を見せていない。

 こちらも情報を出していない。


 お互いに、相手から何かを引き出そうとして、何も引き出せず、膠着状態が続いている。


「証明の必要はないと思っている」


 ヴァレンはついに言った。


「証明を求める時点で、既に信用していないということだ。信用なしの協力関係もあり得るが、それは私が望む形ではない」

「では、あなたが望む形は?」

「自分の意志で来ること。それだけだ」


 グライムは軽く頷いた。


「では、考える時間をもらえますか」

「いつまでに答えを」

「七日以内に」

「了解した」


 そう言って、ヴァレンは一歩退いた。

 この場が終わる。グライムはそう思った。


 しかしヴァレンは路地の方へ歩かなかった。

 代わりに、壁際に向かって一度だけ手を上げた。


 合図だ、とグライムが理解した瞬間、中庭の出口に二つの人影が現れた。左の路地に一人。右の路地に一人。

 どちらも無言で、どちらも武器は出していないが、立ち方が違う。

 攻撃か、すぐいなせるような立ち方。どう見ても一般人ではない。


 グライムはすぐに状況を把握した。


 一対一の約束だったが、最初から一対一ではなかった。

 ヴァレンの部下が、外で待機していた。


 元から一対一だとはグライムも思っていなかったので警戒していたが、こうまで強引に来るとは深く考えていなかたった。


 七日の猶予を与えた。しかしその猶予を、自分の足で使わせるつもりはない。

 今夜ここで、連れて行く。

 それが最初から決まっていたことだったのだ。


 グライムとの会話は、情報引き出すためではなく、彼を確実に捉えるよう準備のために引き伸ばしていたのだ。


「君の返答は要らない」ヴァレンは穏やかに言った。声の温度は変わらない。「考える時間があれば、答えは変わらないと分かっている。だから今夜、こちらで預からせてもらう。不自由はさせない」


 グライムは二人の部下と、ヴァレンの位置を視野に収めながら、頭の中で地形を引き直した。


 左の路地は来た道だ。塞がれている。右の路地は出口まで長い。走っても間に合わない。正面はヴァレン本人。壁を越えるには高さが足りない。


 逃げ道はない。

 ヴァレンはそれを分かった上で立っている。


 グライムは覚悟を決めると、一秒だけ目を閉じた。


 グライムが上着の内ポケットへ手を入れたのは、その一秒の後だった。

 取り出したのは小さな石の破片だった。


 灰色がかった白。表面がわずかに荒れている。王城の城壁と同じ素材だということは、見る人間が見れば分かる。

 以前、ボンドが城の中庭で見つけたものを拾ってきたものだ。


 ヴァレンの視線がそれへ向いた。

 部下たちが一瞬、動きを止めた。

 しかし、武器ではないと判断しすると、再び動いた。


 その一瞬で十分だった。


 グライムは何も言わず笑顔を見せると、その欠片を特定の方向へ軽く放り投げた。


 石は弧を描いて飛んだ。


 そして、地面に落ちる前に――なにかが変わった。


 目には見えない。しかし空気が変わったのをグライムは感じとていた。

 魔法錠の接続が一瞬だけ消えた感触。

 そしてすぐに、城壁の欠片を媒体として再接続された。


 魔法錠がその瞬間を記録する。

 グライムが境界の外へ出た、という異常をパットンとその部下に送られたのだ。


 城壁の魔法陣が書き換わったことにより、ヴァレンの顔が変わった。

 初めて、わずかな動揺が走った。

 穏やかだった表情から、計算が一瞬だけ崩れた。


「それはなんだ」

「以前の事件で壊された城壁の欠片です。元の城壁の一部は、魔法錠と同調します。それを投げた方向に古い境界がある。今の境界とは別の、以前の境界線です」

「……なるほど」

「城壁を修復した際に魔力の流れが変わり、境界も変わったことは承知しています。しかしその欠片は、変わる前の城壁のものだ。古い境界と新しい境界が一瞬、同調した。魔法錠はその一瞬を、境界外への移動として記録したはずです。この魔法錠には、以前の魔力境界の記録も残っている」


 ヴァレンは黙ってグライムの言葉を聞いていた。


「もうパットンへ異常が伝わりました。カックラウが動きます。あなたの部下が二人いることも、場所も、すべてが彼の鼻に記録されることでしょう」


 ヴァレンは数秒間、グライムを見ていたが、すっと手を下ろした。

 二人の部下が、壁際へ下がり、影に消えていった。


 グライムはゆっくりと息を吐いた。

 表情は動かさなかった。動揺を見せることが、今ここで最も不利な行動だからだ。


 ヴァレンはしばらくグライムを見ていた。先ほどまでとは違う目で。品定めではなく、何か別のものを確かめるような目で。


「いつ用意した」


「この場所に来ると決めた時から。あなたが犯罪者を使って城壁を破壊させた理由は魔法錠の境界を変えるためだと、オレは考えていた。だとすれば、古い境界を一時的に復元する方法があれば、逃げ道が作れる。古い境界を知っているのは城壁の石だけだ」

「……それだけのために、城壁の欠片を持ってきたのか」

「あなたが一対一の約束を守るとは、最初から思っていなかった。守るなら守るで構わない。破るなら破るで、こちらにも準備があった。どちらに転んでも困らないようにするのが、オレの仕事のやり方です。仲間がいるんですよ。内側にも、外側にも」


 グライムは笑顔を見せた。そこに動揺一切ない。

 ボンドへの感謝が心へ余裕を作ったのだ。


 ヴァレンは笑った。今度は本当に面白いと笑っていた。

 計算でも演技でもなくい。純粋にやられたと思ったのだ。

 そして、それを笑い飛ばせるほどの度量が合った。


「七日以内の返答を待っている」


 ヴァレンはそう言い、今度こそ路地へ歩き出すと、二人の部下が黙ってその後に続く。

 あっという間に、三人とも暗闇の中へ消えた。


 グライムは一人、旧番小屋の跡に残されたまましばらく動かなかった。


 脚が少し震えていた。

 表には出さなかったが、出さなかっただけで、震えていた。

 欠片の作戦が成立するかどうか、最後まで確信はなかった。

 魔法錠の記録が正確に残るかどうか、理屈の上では正しくても、実際に動くかどうかは別の話だ。


 だが、動いた。

 グライムは遠くから聞こえる足音を聞くと、深く息を吸った。

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