第三部「朗読会」
そして、三日後の夕方。
グライムは鏡の前で変装を確認していた。
いつもの簡易的な薄汚れた旅人の外套ではない。
古びてはいるが上等な仕立ての上着を羽織り、その袖口にはインクのしみがある。本の虫らしく見えるよう、懐に本を一冊忍ばせ羽織りに重さの偏りを見せた。
髪は整えすぎず、かといって無頓着でもない、どこか思索に没頭している人間の崩れ方にした。
偽名はオーウェンを使う。王都の南区に住む、貿易商の書記という設定だ。
隠れ家を出ると、グライムは劇場街へ向かった。
日が沈みかけている。
石畳の路地に蝋燭の光が滲み始める時間帯だ。
グライムは集会所にすぐ入ることなく、路地を一本挟んだ反対側の壁に背をもたれ、参加者の流れを見ていた
来ているのは、知識人らしい人間ばかりだ。
老学者が二人、連れ立って入っていく。
顔見知りらしく、入り口で少し言葉を交わしてから扉を開けた。
次に、大量の鞄を抱えた若い男。
中に本でも詰め込んでいるのか、肩が重さに傾いている。
続いて、羽ペンを耳に挟んだままの女性が一人。
彼女は告知板の前で立ち止まり、内容を確認してから入っていった。
グライムは彼女の後ろ姿を目で追いながら考えた。
この朗読会の参加者は、詩そのものより、詩人という人間に会いに来ている。
告知文の書き方がそうだった。
「未完の詩集を語る夕べ」「参加者との対話を大切にする」
つまり、詩人と関係を結びに来る場だ。
それならば本物の批評を持ち込む必要がある
この手の人間は、賛辞には慣れている。
過剰な褒め言葉を持ってくる人間が周りに溢れているから、そういう人間の顔を見分けるのも早い。
それより、少しだけ外した感想を言う人間の方が記憶に残る。
少しだけ外した、というのは批判ではない。
詩の内側に入り込んだように見える読み方のことだ。
十五人目が中へ入ったところで、グライムも動いた。
扉を開けると、甘いインセンスの香りがいっぺんに来た。
焚きすぎた煙たい空間に、グライムは思わず鼻を覆って顰め面をつくった。
香りで雰囲気を操作しようとしている。
聴覚だけでなく、嗅覚まで使う演出だ。
蝋燭の光が天井近くまで届かず、部屋の上半分が暗い。
その暗さが人の輪郭をぼかし、まるで詩の本来のみが隠れているように曖昧な空間にしていた。
椅子は二十脚ほど。確認した範囲では、すでに十六、七人が座っている。
グライムは後ろから二列目の、通路側の席を選んだ。
出口に近いというのもあるが、それ以上に、この位置から見ると詩人の立つ舞台正面と、参加者全員の後頭部が視野に入る。
ここが一番よく、行動を見渡せる特等席なのだ。
グライムは座りながら、部屋の中を観察した。
老学者が二人は前列に座り、すでに小さな声で話し合っている。
詩の話ではなく、学術研究の話をしているらしい。ここは彼らにとって社交の場でもある。
羽ペンの女性は中ほどの席で、小ぶりのノートを開き準備をしている。
やがて舞台の前に人影が現れた。
シオン・ヴォーカル。
告知板の文字から想像していた人物像とは、少し違った。
三十代半ばほどの見た目だが、顔の作りに時間が刻まれている。
旅人らしい外套は安くはないが、着込まれているので、彼が長年渡り歩いているのが身請けられる。移動の多い生活をしていると分かる種類の傷み方だ。
背が高く、立ち方に癖があった。
どこか自分の背丈を意識している立ち方、自分を一角の人物に見せる、舞台慣れした仕草だ。
顔立ちは整っている。だが最も印象的なのは目だった。
参加者を見渡している目が、奇妙なほど静かだ。
感情が死んでいるのではない。
むしろ逆で、過剰なほど多くの感情が収まっているのから、表面に何も出てこないようにも見える。
まるで水が満ちすぎて静止した水面のような目だ。
「今夜は詩について、皆様と語り合いたいと思っています」
声は低く、耳に心地よく通った。
舞台上に立つための声の出し方だとすぐにわかる。腹から出てい声だ。
声の出し方によって、場を操作できると分かっているのだ。
グライムは姿勢を正すと、精神的に一歩引いて耳を傾けた。
「詩は未完だからこそ美しい。完成した瞬間……詩は死にます。だから今夜、私は完成させない。あなた方と対話しながら、詩はこの夜だけ生きる。短き命を楽しみましょう」
参加者から小さな拍手が起きた。
老学者の一人が隣に何か囁いた。おそらく同意の言葉だ。
グライムは拍手をしなかった。
拍手をしなかったことに意味があるわけではない。
ただ、この距離から詩人の目が届くなら、均一な反応の中に沈黙があった方が、そちらへ視線が向く可能性がある。
今はなんとしても、注意を自分へ向けさせるのが優先だ。
評価は、二人きりで話せるようになってからでも上げられる。
シオンが詩を語り始めた。
砂漠に降る雨は誰のために
名前のない花が咲く夜に問い返す
答えを知る者は黙し 知らぬ者だけが問い続ける
旅人よ 足跡を数えるな ただ先へ
グライムは聞きながら、詩の構造を分解していた。一行目と三行目は共に対になる構造がある。
問いと沈黙の対比。
二行目の「名前のない花」は一行目の「砂漠」の視覚的な補完だ。
四行目で急に二人称が入ってくる。「旅人よ」という直接呼びかけは、聞いている者が詩の中の旅人であるかのような錯覚を生む。
悪くない。
グライムは率直にそう思った。技巧があるというより、人を引き込む呼吸が分かっている。
詩は続いた。
地図のない土地で道を聞く者がいた
誰も答えなかった しかし誰も立ち去らなかった
沈黙が積み重なり やがてそれが道になった
知恵は灯だ しかし灯は消える
参加者が前のめりになっているのがわかった。
羽ペンの女性が何か書き始めた。絵描きの男の手が止まっている。
グライムはそれを確認しながら、詩の中の一語にひっかかりを感じていた。
パットンに見せてもらった詩では、ふんだんに韻が散りばめらていた。
詩として韻を踏むという形は自然だが、必ずしも正しいというわけではない。
現に気に留めてる参加者は誰もいない。
だが、グライムはどうも腑に落ちなかった。
それから、十分ほど様々な詩を語ったところで、シオンが止まった。
「ここで問いかけます」彼は参加者を見渡した。「この詩の次の行は何だと思いますか」
場が静かになった。
衣擦れ音が響く、全員が周囲を見て様子を確認していた。
その時、前列の老学者が手を上げた。
「旅人が行き先を知らない――というのはどうでしょう。先ほどの比喩から続くなら」
「面白い!」シオンが大げさな抑揚をつけて言った。「ではそれを踏まえて、こう続けましょう」
詩が続いた。老学者の返答を詩の中に組み込んで、さらに先へ展開させていく。
グライムはシオンの手腕に目を細めて、静かに賛美した。
参加者の言葉が、目の前で詩に吸収されていった。
自然に、しかし確実にだ。
老学者は今、自分が詩を作ることに加わったと感じているはずだ。
それが作りかけの詩を聞き続けさせる仕掛けだ。
参加者の一人が何かを言うたびに、シオンはそれを詩の続きに変換していく。
どれほど的外れな答えでも、詩の中に取り込んでしまう。
彼は言葉を受け取り、解体し、別のものへ復元するという工程を、驚くほどのスピードですることが出来る。
それが、即興で詩に変換できる技術に繋がっているのだ。
この技術の目的は参加者に『自分が詩の一部になった』と感じさせることにあると、グライムは読んだ。
自分が詩の一部になった人間は、詩から抜け出しにくくなる。
詩と自分の境界がなくなるからだ。
グライムは懐に手を入れ、しまっていた本に指先を当てた。シオンの詩に取り込まれないよう、指先でページを滝のように捲り気を紛らわせた。
朗読はまだ続いた。
シオンは今、詩の流れを変えているところだった。
途中まで希望を描いておいて、静かに反転させる。希望を見せてから消す手口だ。
参加者はその反転に気づかないまま、感情ごと詩に引き込まれていく。
そして今夜、シオンは最後の節まで進まなかった。
まるで餌だけをばらまいたかのように。
「続きは次回に」
シオンが語り終えると、会場から惜しむ声が上がった。
次回はいつか、という話が既に始まっている。何人かがシオンの周りに集まって話しかけ、談笑の我が出来ていた。
グライムは立ち上がらずに、しばらく座ったままで、シオンが参加者の応対をしている様子を観察していた。
老学者への返答は柔らかく、知識人への礼儀がある。
若い文学生には少し高い目線から答えているが、的確なアドバイスをしている。
褒める時も、相手のレベルに合わせた褒め方をしているのが見てわかった。
ただ、それが計算か自然か、グライムにはまだ判断できなかった。
出来ないなら、判断をする状況へ持ち込むのが速い。
グライムはすくっと立ち上がった。
出口へ向かいながら、歩く速度を少し落とした。
柱の脇に立ち止まって、懐から本を取り出して開いたが読むわけではない。
ただ手に持ったまま、お気に入りの本と先ほどの詩を頭の中で合わせて、反芻しているように見せた。
実際には、シオンの視線がどこへ向くかを確認していた。
こちらに反応を少しで見せれば、一歩踏み込むだけの勝ちはある。
シオンが参加者の一人に答えながら、ふと視線を動かし、グライムの方を見た。
一瞬だけだが、その一瞬は他の参加者を見た明らかに時と違っていた。
他の参加者を見る目は計算している。品定めをしている目だ。
だがグライムを見た時の一瞬は、計算より先に何かが反応していた。
グライムはシオンから視線を受け止めると、すぐには外さなかった。
外すのが早すぎると、視線が合ったことを意識しすぎているように見える。かといって長すぎると挑発になる。
丁度、自分の考えの続きに視線を戻すような自然な速さで、グライムは本へ目を落とした。
朗読会が完全に終わった後、参加者が出口へ流れていった。
グライムもその流れに逆らわずに乗って出口へ向かったのだが、シオンは巻いた餌によった魚をすぐに捕まえに来た。
優雅だが、速い足取りでシオンが近づいてきた。
「少し、話せますか?」
参加者の流れの外へ、グライムをおびき出すように、シオンが一歩出た。
馴れ馴れしさはなく、自然な話しやすい距離を作っている。
「ええ、もちろん」
「今夜の詩への感想を、あなたからはまだ聞いていない」
グライムが少し考えるふりをした。
答えを持っていないのではなく、どこから話すかを選んでいる素振りを演じる。
「灯は消える……という語が気になりました」
シオンの目が変わった。
品定めの雰囲気が消え、言葉の意味を本気で聞いている。
「どう気になりましたか?」
「詩全体の重さと合っていない気がして……。砂漠の雨、名前のない花、道のない土地。それらは軽い言葉ではないが、どこか開いている。可能性ある言葉。でも最後の"消える"だけが閉じている」
「閉じている……」シオンが繰り返した。
「続きを聞いたら、その閉じ方に理由があるのかもしれないと思っています。もしも――続きがあるなら」
シオンはグライムをまっすぐ見ていた。
やがて、参加者は自分たちが選ばれなかったことを悟り、グライムとシオンを残して帰っていった。
「名前を聞いても?」
「オーウェンです。以後お見知りおきを」
シオンが握手求めたので、グライムが彼の手を握ると、更に力強く握り返された。
「あなたの感想を、もっと聞きたい。どうだろう。今から、私が借りている宿に来ないか? そこなら、誰にも邪魔されずに、未完の詩を全部聞かせられる」
グライムは一瞬だけ迷った。
迷ったのはシオンを焦らすためではない。予想外の展開になっているからだ。
今日の目的は、シオンに気に入られ、名前を覚えてもらうことだ。
このままついていくのは行き過ぎた行為だとわかっているが、こんなチャンスがもう一度転がってくるのかはわからない。
迷ったおかげで、迷わずに食いつく人間だと怪しまれない。
グライムはチャンスを逃すことないと頷いた。
「是非」
グライムが笑みを見せると、シオンも笑みを返した。
「では、こちらへ。表から出ると、私のファンに気付かれてしまう。ファンは大事だが、言葉の底を楽しむのには、一番離れた場所にいる人達だ」
シオンが先に動き始めた。
グライムは一歩遅れてその後ろについた。
路地を出るとき、グライムは懐から本取り出し開いて道端に置いた。
ジェーンがグライムの消息に気付いたのは、すぐだった。
朗読会の参加者が出てきたというのに、グライムもシオンの姿もない。
見つけたのは裏路地に置かれた不自然な本。
ジェーンはそれを手に取ると、すぐにパットンへ報告に向かった。
ジェーンは隠れ家で報告を待つパットンに、グライムの消息を報告すると彼の顔色が変わった。
「グライムが帰らなかった?」
「高度な変装をしているかと思い、怪しい人物と思われる人物には備考を付けさせましたが、全員が本人がと報告があります。不自然な点はこの本です。開かれたまま、無造作に道端に置かれていました。」
「グライムからの暗号か? 本を見せろ」
「ここに」
ジェーンは道端で開かれていたページを、再現するように開いてパットンに見せた。
「特に変わった語句はない。詩に関する言葉が入っているわけでもない……。これは言葉の暗号じゃないな……。この本が置かれていた状況は」
「全て話しました。道端にぽんっと置かれていただけです」
「おかしい……なにかがあるはず」
パットンは床に本を置くと、ジェーンの行動をなぞるように本を取った。
「同じ本を用意させ、城の学者に解読させますか?」
「いや、待て! この本はどう落ちていた?」
「ですので……」
「違う! 方向だ! グライムは本を開いた方向で行き先を教えたんだ! 本は正面からしか読むことが出来ない。開かれた本が読める位置に立ち、その方向に行けば、グライムがいる!」
「高級宿街です」
ジェーンはすぐに理解し、頭の中で地図を組み立て、場所を当てた。
パットンもすぐに立ち上がって行動を開始する。
「グライムの命が危ない! カックラウに騎士団を集めさせろ。ただし目立つな。何か起きた時に逃げられないよう包囲する。ジェーン、お前は外から逃げられないよう目を光らせておけ。何があっても中には入るな。私が中へ入る」
「王子! それは危険です」
「わかっている! それでもグライムが中にいるなら行く。相手は詩のプロだ。私しかグライムを助けられない」
パットンは短剣を腰に差し、宿へ向かった。
高級宿の一室で、シオンはグライムに詩を語っていた。
部屋の明かりは蝋燭だけ。家具は高級で、すべてが洗練されている。シオンは詩を朗読しながら、ゆっくりとグライムに近づいていた。
「今宵最後に聞かせるのは……私の最高傑作だ」
シオンが詩を朗読し始めた。
暗き道を進むには耳を澄ます さすれば灯りは意味をなす
一行目を朗読した時、グライムは気付いた。
今回の詩では韻が踏まれていると。耳を澄ますと意味を直すという言葉が、頭の中で結びついた瞬間。
聴覚が鋭くなった。
蝋燭の炎の揺れが耳に響き、シオンの呼吸音が異常に大きく聞こえるような気がした。
明日へ溺れる人魚は 鉄の心を自ら足かせにする
二行目で、グライムの脚が動かなくなったことに気付いた。
これはやはり魔法だ。四行からなる詩を聞かせ、対象者が頭の中で韻を踏んだ時に発動する仕組みになっている。
だから、未完の詩という興味引き誘い込む。
そして一行目で聴覚を過敏にさせ、二行目で足の動きを止める。四行目が何かしら時限式のスイッチになっており、自ら死への行動を選ぶことになる。
問題は三行目だ。
グライムは内心焦っていた。足が動かないということは、もうシオンの術式にハマっている最中だ。
意識では立ち上がろうと思っているのに、脚に力が入らない。
忘却の彼方――
シオン三行目を口すると、グライムの記憶が薄れ始めた。自分が誰か、ここがどこか、なぜここにいるのか。
すべてが霧の中だ。
シオンが三行目に向かおうとした時——
「グライム! 無事か!!」
パットンの声が響いた。
部屋の扉が乱暴に蹴り破られ、パットンが飛び込んできた。
「パットン! 来るな!」グライムは絞り出すように叫んだ。「詩が聞こえない範囲にいろ!」
パットンが一瞬止まった。
しかし、次の瞬間、グライムを助けようと一歩踏み出した。
「来るな!!!」
グライムが声を荒らげた。
その瞬間、シオンも怒鳴った。
「黙っていろ!!! 侵入者!! 美しき空間を壊すな!!!」
シオンの声は大きく、鋭かった。まるで癇癪を上げる子供だった。
「知識人を語るゲスな輩が! 私の美しい言葉に耳を傾けろ!」
パットンは犯人を刺激したと思い、足を止めた。
しかしグライムはその瞬間、脚に力が戻ってきたことに気付いた。
詩の朗読が邪魔されたから。リズムが崩れたから。
詩は完成していない。完成する前に壊せば、術式は成立しない。
「待て! シオン。詩が弱い。暗き道を進むには耳を澄ます さすれば灯りは意味をなす。これは目が見えなければ耳で判断しろという当たり前のことだ。子供にだって理解できる。詩に深みがないんだ」
グライムは、シオンを小馬鹿にし挑発した。
当然わざとだ。彼の頭に血が上らせるために嫌味を演出している。
シオンに対するグライムとパットンの評価。
それは『自己顕示欲が強く、ナルシスト』だということ
グライムはそれを利用して術式を崩壊させようとしているのだ。
「素人意見が! 理解もせず喚くな!」
「わかってるよ。だから言ってる」
パットンが「やめろ! 挑発するな!」とグライムに言った。
グライムはパットンに目で合図を送くると、詩にケチをつけ続けた。
明日へ溺れる人魚は 鉄の心を自ら足かせにする
「二行目の人魚が沈む例えは、古典的で。よくある。あなたの言葉じゃない。借り物だ」
シオンの顔が真っ赤になった。
「お前は何だ!! さっきから! 人が変わったようにケチを付けて! なにが目的だ!!」
「オレたちは聞く耳を持つ者だ」
グライムがにやっと笑うと、パットンがようやく気付いた。
詩の添削だ。
グライムは詩の術式を壊すために、詩にケチをつけている。
パットンは王族教育で詩を学んだ。グライムの指摘を聞いていて、すべてが理解できた。
シオンの詩は、技巧に頼りすぎている。
比喩が借り物だ。リズムに無理がある。
パットンはグライムに呼応するように、シオンの詩にケチを付け始めた。
「三行目……。二行目までの流れならば、もう一度落とす必要がある。でなければ、四行目にカタルシスが得られない。だが、どう考えても行が足りない。四行目と無駄にこだわったのは素人によくあることだ」
「黙れ!」
「四行目へ向かう前に、この矛盾を解決しなければ、詩として成立しない」
「うるさい! うるさいぞ!」
シオンの呼吸が乱れた。
それは詩のリズムが壊れているのを意味する。
二人から同時に詩への批評を受けて、もはや流れを作ることができない。
「私の詩が……壊された」
シオンがゆっくり椅子に座った。
もう何もできない。
詩を完成させることができない。完成させなければ、術式は成立しない。
最後の悪あがきをしないところは、見事なナルシストだった。
グライムが脚を動かした。動く。力が戻っていた。
「詩として完成させなければ、術式は発動しない。改めまして、シオン・ヴォーカル。グライムです。もっとも――そこにいるしがない男に言わせれば賊らしいですが」
グライムは自由になって脚を確かめるように数歩歩いた。
シオンは何も言わなかった。ただ座ったまま、下を向いていた。




