第四部「証拠不十分」
夜導師は、その日のうちに釈放された。
公式の理由は「証拠不十分による釈放」だ。
違法儀式の件は、正式な記録には残らなかった。
パットンの判断だ。
何も知らなかったことにする、という判断ではない。知った上で、記録に残さないという判断だ。
その違いを、パットンは今回の事件で自分の中で明確にした。
それが自分にできる、ぎりぎりの線だと思った。
住民の間では、その夜のことがしばらく話題になった。
怖かった、という話から始まって、気づいたら綺麗だと思っていた、という話になり、あれは結婚式だったのか、という話になった。
南区画の夜の機能は、その翌日から徐々に戻り始めた。
商店が夜まで開くようになった。荷馬車が動き始めた。酒場から声が聞こえるようになった。
経済が回り始めると、怪談は祝福に変わった。
翌日の昼、パットンは執務室でマリアが淹れた紅茶を飲んでいた。
報告書を読んでいるようで、実際にはあまり頭に入っていなかった。
マリアが窓の外を見ながら、静かに言った。
「夜導師が釈放」
「証拠不十分だ」
「そうね」
マリアが紅茶のカップを手にとって、少し考えるような顔をした。
「グライムらしいわね。何も言わずに動いてかき回して、それで上手に着地するの。ネコみたい」
マリアはくすくす笑うが、パットンは眉間にシワを寄せていた。
「ああ」
「王子には話せない、と判断して」
「……そう言っていた」
マリアが紅茶を一口飲んだ。それから、もう一度パットンのカップに紅茶を注いだ。
「あなたは法を守ろうとするでしょう?」
「当然だ」
「グライムは、法から零れ落ちた人を拾うのが上手い」
「……犯罪者だからな」
「ええ」
マリアはあっさり頷いた。
「でも、不思議ね」
「何がだ」
「あなた達、知らないうちに足りないところを補い合っているのね」
パットンは黙った。
マリアはカップを置き、柔らかく続けた。
「あなただけなら、あの人たちは救えなかった」
「……」
「グライムだけでも、きっと守りきれなかった」
「……」
「だから、今回うまくいったのでしょう。あなたは何が不満なの?」
パットンはカップを持ったまま、しばらく答えなかった。
「たぶん……知りたかったんだろうな」
パットンがそう言ったのは、自分でも少し意外だった。
「何を?」
「グライムが何をしようとしているかを」
マリアが少し笑った。
「それは、信頼していたということでしょうか。それとも監視ですか」
「……どちらでもある」
「正直ね。それとも……どちらかに決めたくないだけかしら」
マリアが立ち上がって、窓の外の光に目を向けた。
「グライムは、あなたが来ることを予想していたと思います」
「なぜだ。驚いていたぞ」
「ロウソクを何千本も、わざわざ兵士の目に止まる形で買っていたのでしょう。隠そうと思えば、他の手段を思いついたはずよ」
パットンが顔を上げた。
「……あいつが目立つように動いた、ということか」
「さあ」マリアが曖昧に笑った。「グライムの考えていることは、私にもわからないわ。ただ、結果として王子が現場にいたことで、夜導師の釈放が早まったことは確か。そう思わない?」
パットンがしばらく黙った。
そういうことか、と思った。証拠不十分で釈放する、という判断を下せるのはパットンしかいない。
グライムには、夜導師を正式に釈放させることができない。だから現場にパットンを呼んだ。
目立つ形でロウソクを買い集めることで。
「君は聞き飽きただろうが……グライムは本当に面倒な男だよ」
「そうね。でも」
「でも、か」
「面倒じゃない人間で、今回あれができた人はいましたか」
パットンは答える代わりにカップをテーブルに置くと、ロウソクに火を灯し、マリアの手を握ったのだった。




