第一部「ヴァンパイアのサロン」
隠れ家の窓から差し込む光が、テーブルの上で長細い四角を作りだす、物静かな午後。
グライムはその光の中に足を放り込んで椅子に深く沈み、手元の本を読んでいた。
隠れ家にいるのは一人ではない。ゴブリンのボンドと、その子どものグレッチェンも一緒だ。
「グライム……。オマエはちょっと隠し事が多すぎだぞ」
ボンドは両手で抱えきれないほどの巨大サンドイッチを掴み上げた。
厚切りの黒パンに、ジューシーなグリル肉、溶け出したチーズ、たっぷりの野菜と自家製のスパイシーソースがはみ出している。
彼は牙をむき出し、グシャッと乱暴に一口かぶりついた。
パン皮が裂ける音。肉汁が滴る音。ソースが飛び散る音が同時に響く。
頰が膨らみ、口の端からソースと肉片が垂れて服と床を汚しても、ボンドは気にせず目を細めて恍惚とした表情を浮かべた。
「台詞と表情があってないぞ。それに隠し事っては、隠すから隠し事なんだ」
「茶化すってことは図星だろ」
「そうやって真意を知ってるふりをするのは、詐欺師の常套手段だ」
「相変わらず口が上手い」
「それがオレの生命線だからな。ボンドみたく、見た目で変装は不可能なんだ、人間はな。オレは煙に巻くのが仕事だ」
「じゃあ、煙に巻いてくれ。このグリル、ちょうどスモークしたいと思ってたとこなんだ。それで、オマエは本当に捕まったのか?」
「だから、魔法錠の腕輪がついてるんだろ」
グライムが腕輪のついた右手を上げた。
「わかった……。言い方を変えよう。捕まったというのはどっちの主観だ。パットン王子が捕まったとホッとしてるのか、グライム……オマエが捕まったとホッとしてるのかだ。オマエ……急に三年前に消えて、急に戻ってきたのはどういう理由だ? この国でなにを見たんだ」
ボンドが詰め寄ろうとした瞬間、ネコの鳴き声が響いた。グレッチェンの鳴き真似だ。
パットンが隠れ家に近づいてくる合図だった。
「ちょうどいい。パットンに直接聞くか?」
「バカ野郎! オマエの脱獄の手伝いをしたってバレたらどうなるか」
「脱獄じゃない。ちゃんとパットンの許可を取って出てる」
「いっそ脱獄なら、他の国に逃げられたのによ……。とにかく、オレは逃げる。またな。グレッチェン、行くぞ。」
ボンドが言うと、一階から短い足が階段を上がるドスドスとした音がひびいいたかと思うと、別れの挨拶も短く、グレッチェンは二階の窓から裏通りの家の屋根屋根を伝い逃げていった。
その後をボンドが続く。
二人がいなくいなくなった隠れ家は、あっという間に静寂に包まれた。
数十秒後、一階のドアの鍵が開く音が響き、すぐにゆっくりと階段を上がる音が聞こえる。
そして、二階のグライムの部屋を律儀にノックした。
三回。等間隔。ためらいなし。まるでパットンの性格をそのまま反映されたかのようなノックの仕方だった。
「鍵はかかってないぞ。」
パットンが入ってきた。外套を肩にかけたままで、深く帽子を被っている。
身分を隠して、城下町を歩く時の格好だ。
グライムはまた捜査に同行させるとわかっていた。
パットンもそのつもりだったが、部屋の不審な点をすぐに見抜いた。
「ペットを飼ったのか?」
「なんでだよ」
「猫の鳴き声がしたぞ」
「窓から入ってきたんだ」
「床が汚れている」
パットンは床に落ちたソースと肉片に目をやった。それはボンドが食べこぼしたものだ。
「だから言っただろう。猫が入ってきたんだ。サンドイッチを盗まれて、ふてくされて窓の外を見てたことまで言わないといけないのか」
「口元に食べた形跡がない」
「食う前に盗られたから、ふてくされてんだよ。濡らした枕でもあったら納得するか?」
「まあいい」
パットンはグライムの言動を怪しみつつも泳がせた。
なにか隠しているのは確実だが、今はそれよりも重要な事件が起きていた。
彼は椅子を引いて腰を下ろすと、テーブルの上に紙を一枚置いた。
「女性ばかり倒れている事件が起きた」
「モテる男の相談か? なら、オレのとこじゃなくて、まずはマリアに言い訳するべきだ。証言はしてやる。隠れ家を寄り合いの宿には使ってないってな」
「違うに決まってるだろう!」
「冗談に決まってるだろ」
グライムは肩をすくめた。
無駄に茶化しているわけではない。
一旦パットンの関心を、自身が持ってきた事件に向けるためだ。
「いいか? ここ最近不審な事件が起きている。被害者は全て女性だ」
パットンは紙を押し出した。グライムは体を起こして手に取る。
報告書の体裁ではなく、パットン自身がまとめたらしい走り書きだった。
症状の列挙は以下だ。
急激な貧血。強い倦怠感。数日の臥床。命に別状なし。
被害者の共通点。
社交界に出入りする女性。美容や若返りに関心が高い。
被害者は七人。先月から一月ほどでの数。
王宮の医師団が調べているが、原因がわからない。同じ高級サロンを利用していた。
「全員同じサロン?」
「同じサロンを利用していた記録が全員にある。ただし、倒れた場所はそれぞれ別だ。サロンで倒れた者はいない」
「ってことは、犯人が分かってるんだろ?」」
「……そのとおりだ。だが証拠がない。名前はレオナルド・ヴァレンティア。サロンの経営者で、香水、化粧品、若返り薬、美容施術を扱う高級店だ。社交界ではかなりの人気で、女性客が多い」
グライムは少し黙った。
窓の外で風が通り洗濯物が揺れる音。そんな日常の音に頭の中が整理されていく。
遠くで子どもが笑う声がすると、彼はおもむろに口を開いた。
「レオナルド・ヴァレンティア。年齢は50は過ぎてるが、その見た目はまるで20代に見えることから、裏の世界では別名ヴァンパイアと呼ばれてる。だが、れっきとした人間だ」
「知っていたのか」
「名前だけならな。裏の世界でも聞く名前だ。会ったことはない」グライムは紙をテーブルに戻した。「まあ胡散臭いな」
「根拠は?」
「誰が見ても明らかだろう。若返り薬を売る人間が胡散臭くない理由がない」
パットンが少し眉を動かした。反論できないからだ。
それを見透かしたグライムは質問を積み重ねた。
「被害は? 貧血だけか? さっきも言ったけど、ヴァンパイアってのは見た目の若さから呼ばれてるだけで、血を吸うわけじゃない」
「だが事実だ。何かしらで血を抜かれている」
「若い女の血をか? 呪術でも流行ってるのか? だとしたら、物騒な理由で強制捜査すればいいだろ? ……捕まえられない理由があるんだな?」
「……そうだ。被害者が倒れた時間帯、レオナルドは別の場所にいた。それも毎回だ。社交パーティー、商談、劇場鑑賞、貴族との会食。目撃者が多数いる。完璧なアリバイだ」
「なるほど……証拠盗み出せってわけか」
「違う。いいか? 正規の手順を踏まなければ、捕まえることは出来ない。この間のようなことは、二度とするな」
わかったなと、念押しをするように目つきを鋭くするパットンに、グライムは肩をすくめて交わした。
「なんのことだ?」
「いつか尻尾を掴んでやるぞ」
「尻尾を掴むと引っ掻かれるぞ。嘘だと思うなら、そこらの野良猫で試してみろよ」
グライムが軽口で交わすのを見ると、パットンは追求を諦めた。
「サロンに侵入しろ。私では身分がバレる。身分を隠して調査できる人間が必要だ」
「侵入ね……。アリバイを崩せってことか? パットンのほうが適任だろ?」
「ずる賢いやつだ。王族には招待状を送ってこない。貴族で止まっている」
「そうでもないぞ。金持ちになら誰にでも送る。オレも昔招待状が届いた」
「それで知っていたのか。待った……金持ち? グライム、オマエがか?」
パットンが怪訝な視線を向けると、グライムは微笑んだ。
「オルディス侯爵家四男、レイン・オルディス。末席ですが、お見知りおきを」
柔らかい声。押しつけがましくない目線。育ちの良さだけを残して、傲慢さを綺麗に消した立ち方。
パットンは数秒黙ってから「……何だ今の」と聞いたが、返事はない。
さっきまで椅子ににだらしなく座っていた男は、もうそこにいなかった。
「オマエ、それ――」パットンは眉を寄せた。「前にもやったことあるだろ……」
一瞬だけの間。
それからグライムは口の端を吊り上げて笑った。
「言っただろ。招待状を貰ったって」
「レイン・オルディスと言ったか?」
「そいつは、もう死んでる。だから調べても、オレの過去の情報は殆ど出てこない。別人が生きてると厄介だろ。偽名を用意するなら、墓も一緒に用意するのが普通だ」
「……わかった。なにを用意すればいい」
「用意はオレがする。パットンは手紙の流通を数日止めてくれればいい」
「簡単に言うな」
「王子だろ? それくらい簡単にやってくれ。オレは招待状を偽造する。レオナルドが相手に確認の手紙を送ったら厄介だろ」
「いいか……なにも盗むなよ。証拠だけ見つけて。私に知らせるんだ」
「わかったよ……。こういうのは証拠を盗むほうが絶対楽なのに」
グライムはパットンの信念など理解できなかったが、今回は従うことにした。




