第二部「王都の裏側」
数日後の昼。王都は、混沌としていた。
大通りには人間族に混じって、小柄なゴブリンが荷を背負って歩き、長身のエルフが露店を冷やかし、石肌のように鍛えられたドワーフが鍛冶の話で揉めている。
異種族の流入が増えてから久しいが、それでも毎年少しずつ、街の色が変わっていく。パットンには身分を隠しているので、どこかそわそわとした感触のある街並みに感じていたが、隣を歩くグライムは平然としていた。
むしろ楽しそうだった。
値段交渉で声を張り上げているドワーフを眺め、荷を背負って小走りするゴブリンを目で追い、通りの向こうまで見通すように視線を動かしている。
まるで好奇心に揺れる子供の瞳だ。
「ここの区画は三年前と変わったな」とグライムは商店の並びを眺めながら言った。「昔はドワーフの鍛冶屋が多かったが、今は薬草商と布屋が増えてる。南からの流民が自分たちの商売を持ち込んだんだろう。賢いな、両方国民の生活に根付くもんだ」
「この辺りに詳しいのか」
「以前に来たことがある。捕まる前の話だけどな」
「何をしていた……」
「冒険者」
「山賊だろう」
「おい、それはこの前も言っただろ。海にも――」
「賊で十分だ」
パットンは同じことを言わせるなとでもいうように、グライムの言葉に被せた。
それが気に食わないグライムは、露骨に表情を歪めた。
「アンタ、マリアに文句言われるだろ」
「そんなことまで聞いたのか!?」
「たった今な。その反応は答えを言ってるようなもんだ。本当に嘘下手なのな」
「もういい。無駄話をしてる暇はない」
パットンがグライムから距離を取ろうとしたが、すぐに肩を組まれ距離を縮めれた。
「おいおい、パーター。どこ行くつもりだ」
「誰だ? パーターとは」
「本名で行くつもりか? ヒーローごっこだって隠れてやってるだろ。バレるためにやってるわけじゃないんだろ」
「そうだ。だが、王族の名前というのは意味がある。おいそれと変えられるものではない。鎧に身を包むのとはわけが違う」
「わかったよ……。アンタの意見を尊重する」
「わかってくれたか」
「行くぞ、肉球ちゃん」
「……パーターでいい」
パットンが煙に巻かれながら連れてこられたのは、猫の獣人が営むマッサージ店だった。
店の暖簾をくぐると、香草の甘い香りが漂ってきた。
奥に長い造りで、左右に仕切られた施術台がいくつか並んでいる。
薄布で仕切られただけの簡素な造りだったが、どの台も埋まっていた。
客層は実に様々で、荷運びの人間の男、疲れた顔の商人風の女、この地域じゃ見慣れない首の長い種族の老人が一人、気持ちよさそうに目を閉じている。
客層を見るだけでも、この城下町が輸出輸入の起点になっているのがわかった。
そして、二人を出迎えたのは、猫の女だった。
頭の上に丸みを帯びた耳が二つ、長い尻尾が床すれすれをゆっくり揺れている。
獣人族の中でも猫系は王都に多い。
愛想がよく、肉球がありながらも手先が器用で、何より昔から人間と関わっているので、人の体の構造を読むのがうまい。
施術師には向いていた。
「いらっしゃいませ。お二人ですか?」
「ああ、そうだ」
グライムが答えた。財布を出すより先に、にこやかに続ける。
「実はこの店、マリア様に勧められてきたんだ。肩がひどくてな。廊下で同僚の兵士と立ち話をしてたら、恐れ多くも話しかけてもらい、なんとここを紹介をしてもらったんだ」
女の耳がぴくりと動いた。
「マリア様の……! まあまあ!」
「まさか知り合いか? 王族と?」
「ええ、以前に何度かお忍びでいらしてくれて。それから、ずっと贔屓にしてもらってるんです。今では、ありがたくもマッサージの腕をお認めいただいて、お城へお呼びいただけるようになったのです」
「だそうだ」
グライムは横目を向けた。パットンが、そんなことまで話していたのかと、顔で言っていたからだ。
王子妃の部屋に来るマッサージ師が、まさかこんなところから出張に来ているだなんて思ってもいなかった。
同時に「肉球ちゃん」と王子妃に呼ばれていることを知られただけで、他も色々なことが、グライムに暴かれているような焦燥感に駆られた。
しかし、パットンは口には出さなかった。
ここで正体がバレるとややこしいことになるからだ。
二人は奥の台に通された。
仕切りの薄布を隔てて、グライムとパットンが並ぶ格好になる。
施術が始まってしばらく、グライムは天井を眺めながらぼーっとしていたが、やがていかにも世間話のように口を開いた。
「この辺りの区画、最近騒がしいんだって?」
「そうなんですよ」
施術師の女が答えた。手の動きは止まらない。
「三日ほど前から、市場で盗みがあって。うちも気をつけてくださいって回覧が来たくらいで」
「捕まったって聞いたけど」
「ゴブリンだったそうで。かわいそうに、とは思いますけど……あの辺りの商人さんたちは怒ってましたよ。中には、ゴブリンはみんな出ていけって言ってる人もいて」
「【菜宝屋】の主もそう言ってたか?」
一瞬、女の手が止まった。ほんの一瞬だったが、グライムは見逃さなかった。
「……菜宝屋さんは、その、あまり表立って騒ぐ方ではないので」
「野心家で腰を据えた割には、大人しい人なんだな。昔は菜宝屋なんて薬草商はなかったよな」
「ええ、まあ。そうは聞いてます」女の尻尾が、ゆっくりと一度だけ揺れた。「……この辺りの土地を、少しずつ買い増してるって話は聞きますけど。古株の商人さんたちが嫌がるのも、まあ、そういうことで」
「なるほど。金回りがいいんだな」
「さあ……それは」
女はそれ以上は言わなかった。
言わなかったが、言わないことが、グライムにとっての答えだった。
グライムは天井を見上げたまま、静かに整理した。
孤立している商人。騒ぎに乗じない、静かな被害者。土地を買い増せるほどの金回り。そして昨夜動いた荷馬車。
ゴブリンが捕まった翌日に、同じ区画で盗難届が出た。普通、盗まれた側は大騒ぎする。
蔵の中身を洗い出し、誰が入ったかを調べ、怒鳴り込んでくる。
それなのに菜宝屋は兵士に届け出ただけで、それ以上動いていない。被害者にしては、ずいぶん静かだ。
静かな理由は一つしかない。本当は、盗まれていないからだ。
ゴブリン騒ぎが起きた。街の目がそこに集まった。その隙に、自分の手で品を動かした。
盗難届は言い訳のためだ。品の行き先を「盗まれた」の一言で消せる。
古株と仲が悪く孤立した商人なら、余計な目も届きにくい。
土地を買い増されて借り手になった古株たちは、怪しいとは思っていても文句が言えない。
文句を言えない連中は、証拠がなければ追うこともできない。
そして、その証拠はお金の力によって消えることが多い。
その隙間に、ずっと金を流し込んでいたんだろう。
「この辺りで古くから店出してる人たちって、仲いいのか? 流民が増えてから、ちょっとギスギスしてるって話も聞くけど」
「うーん……どこもそれなりに、ですね。菜宝屋さんは五年前にいらしたから、古株ではないんですけど、うちよりは先輩で」女は少し声を落とした。「でも、もともといた商人さんたちとは、あまり仲良くないって話は聞きます。何かあったのか、詳しくは知らないんですけど」
「そうか」
グライムは目を閉じた。天井を見るのをやめて、考えるように。
「あのあたりの蔵って……夜に出入りする人、たまにいるよな」
今度は明確に、施術師の手が止まった。
「……それは」
「いや、オレもよく夜に出歩くから。気になっただけだ。おかしなことを聞いたなら忘れてくれ。マッサージ中はこうして雑談してないと、どうしても口説いちまうんだ。だって恋人以外で、こんなに触れ合うことってないだろ?」
グライムが食い気味に言うと、女はクスッと笑みをこぼした。
それが心の鍵を開けたかのように、尻尾が小さく揺れる。
考えているのか、それとも迷っているのか。その両方だ。
商人にとって、情報も売り物だ。それもお客は表ではなく裏に向けて。
グライムは当然そのことを知っているし、流儀を裏切らさせないように、雑談の一部として引き出しているのだ。
そして、女は「……夜に荷馬車が出るのを、見たことがある人はいるみたいです」とやっと言った。「うちのお客さんが、倉庫の方に用があって通ったら、って。でも、それが菜宝屋さんかどうかは」
「そんなことは聞いてない。だって……まだ、口説いていいのかどうか答えをもらってないから。そこから話は一歩も進んでない。次はキミが一歩踏み出す番だ」
グライムが女の肉球をそっと手で包み込むと、パットンの怒声が店に鳴り響いた。
「グライム! 出るぞ!」
「肉球ちゃん……今いいとこなのわからない? モテないからって僻むなよ」
「出るぞ!!」
「わかったよ……」グライムは立ち上がって出入り口に向かったが、一度踵を返し戻った。
「また来る。次はキミの名前を聞きに」
そして、毛だらけの猫の手の甲にキスをすると外へ出た。
グライムが外に出ると、パットンが無言で立っていた。
「いつもああなのか?」
「そうはいかない。あんな事件が起こったんだ。彼女の心に不安があるってこと。つけ込むには十分だろう? 心の合鍵を渡すに十分な事件だ」
「女の口説き方を聞いてるわけではない」
「同じだ。文句言うなら、オレの足じゃなくて、聞き耳立てた自分の耳を切り取れ」
グライムが歩くと、パットンは無言でしばらく続いた。
石畳の上、人の流れに乗りながら、何かを整理するように。
「聞いていいか」とパットンが立ち止まった。
「どうぞ」
「菜宝屋は孤立している。古株の商人たちと仲が悪い。夜に荷馬車が動いている。それで足りるか」
「足りない」
グライムは短く答えた。パットンが少し眉を上げる。
「なぜだ?」
「肝心の証拠がない。夜に荷馬車が動いているというだけでは動けないだろ? 菜宝屋を問い詰めるには、もう一手必要だ。まあ山賊風に解決するなら、押しかけて終わりだ。でも、アンタは王子だろ?」
パットンが黙ってしまうと、グライムが変わりに続けた。
「そうだな……王子でも賊でもないなら……客だな」グライムはブツブツ口に出しながら通りの向こうに目をやった。「菜宝屋に直接行くか」
「何をする気だ」
「話をするだけだ。顔を見たい」
「それだけか」
「それだけだ。アンタは外で待ってろ」
パットンは少し考えてから、頷いた。
菜宝屋は、通りに面した間口の広い店だった。
軒先に薬草の束がいくつも吊るされ、乾いた草の匂いが漂っている。
新しい乾燥した植物の匂いは、繁盛している店の風体だった。
グライムが暖簾をくぐって中に入ると、棚に薬草や瓶が整然と並んでいた。
奥から出てきたのは、五十くらいの人間の男だった。
細面で、目が小さく、愛想のいい笑みを顔に貼り付けていた。
グライムも合わせるように口調と、表情を変えた。
「いらっしゃいませ。何かお探しで?」
「頭痛に効く薬草を探していまして。知り合いに菜宝屋を勧められたんですよ。最近じゃ、ここが一番効くって評判ですよ」
「ありがとうございます。こちらにいくつかございますよ」
男は棚の前に案内した。
グライムは瓶を手に取り、ラベルを眺めながら、さりげなく口を開いた。
「この辺りも最近物騒だって聞いたけど、大丈夫でしたか?」
「ええ、まあ……おかげさまで、うちは被害を受けていませんでしたが」男はそう言って、少し声のトーンを落とした。「ただ、昨夜は蔵の方を確認しに行ったら、どうも荒らされたようで」
「それは大変でしたね。何か盗まれましたか?」
「それが、品物がいくつか……。警備の兵士には届け出ましたが」
男はそこで言葉を切った。グライムは瓶を棚に戻しながら、男の顔を正面から見た。
目が、泳いでいた。
愛想のいい笑みの下で、何かを測っている目だった。
この客が何者か、どこまで知っているか、どう対処するか。そういうことを笑顔の裏で素早く計算している目だ。
グライムはその目を、これまでに何度も見たことがあった。
なので、深入りはせずに雑談として切り上げた。
「そうですか。早く解決するといいですね」
グライムはそれだけ言って、薬草を一束買って店を出た。
外で待っていたパットンが、無言で目を向けてくる。
「どうだった?」
「これは女に贈る花束としては最低だな」
グライムは手に持った乾燥した薬草の束を一瞥した。
「そうじゃないだろう……」
「シロじゃない」とグライムは静かに言った。「目が嘘をついてた。蔵の件を自分から話してきた。先手を打って、被害者のふりをしようとしてる」
「確信があるか?」
「ある。あとは動く場所と時間だ。今夜、品を動かす。昨日ゴブリンが捕まって、騒ぎが大きくなる前に逃がしたい。そういう焦りが顔に出てた。おそらくオレも、兵士の捜査だと疑われてるな。でも、そのおかげで確信になった」
「東の倉庫街か」
「そこが一番自然だ。この区画から離れて、名義も別にしてある。店主が直接動くかどうかはわからないが、番頭あたりが荷馬車を出す」
パットンはしばらく黙っていた。通りの向こうで、子どものゴブリンが荷を抱えて駆けていくのが見えた。
「今夜、張り込む」とパットンは言い、足早に歩いていった。
その後続きながら「今のが、オマエも来いって意味なら、伝わらないぞ――女にはな。それが伝わる男同士だけ。マリアと喧嘩しないのか? それで」
「黙ってろ」
「黙ってたら喋れって言うだろ」
「必要な時に必要なことだけを話せと言っているんだ」
「言葉ってのはいつも必要なもんだろ。王子なのにそんこともわからねぇとはな。民が嘆くわけだ。国に言葉が届かねぇってな」
二人は似たような話しを続けながら、いつしか日は沈んでいった。
夜の倉庫街は、昼間とは別の街のように静まり返っていた。
石造りの倉庫が通りに沿って並び、どの扉も閉まっている。街灯の間隔が広く、影の部分が多い。
昼間の喧騒が嘘のように、聞こえるのは遠くに流れる川の水音と、どこかで鳴く夜鳥の声だけだった。
パットンとグライムは、菜宝屋が名義を持つとされる倉庫の向かいの路地に身を潜めていた。
パットンの忠実な部下が三名、少し離れた場所で待機している。
「来るかな」とグライムが低く言った。
「来る」パットンは確信を持って答えた。「あの男の目を見たのはオマエだろう。オマエがそう言ったんだ」
「そうだったな。あまりに暇で……。小悪党は行動が遅くて困る……」
グライムはあくびをすると、路地の壁に背を預け、暗い通りを眺めた。
星が出ていた。王都の夜空は明かりで霞みがちだが、今夜は珍しく澄んでいる。
「なあ、パットン」
「何だ」
「ゴブリンの親子は今どうなってる」
「……取り調べを受けている。盗みは事実だから、処罰は免れない。ただ、情状については考慮する」
「そうか」
「オマエが気にするとは思わなかった」
「気にしてるわけじゃない」グライムは星を見上げたまま言った。「ただ、利用された側が一番割を食うのは、どこでも同じだなと思っただけだ。なぁ、もしも今回オレが――いや止めておこう」
グライムがいいさすのを、パットンは何も言わなかった。
そのとき、通りの奥から馬の蹄の音が聞こえてきた。
低く、ゆっくりと。荷を積んだ馬車が、灯りを絞って進んでくる。御者台に座っているのは、昼間に店で見た番頭の男だった。荷台には布をかぶせた荷が積まれている。
グライムが音もなく立ち上がり、パットンの腕に軽く触れた。
「来た」
パットンはすでに動いていた。
部下への合図は短く、指を二本立てるだけ。三人がそれぞれの位置から動き始めるのを確認しながら、パットンは路地を出た。
「止まれ」
声は低かったが、夜の静寂の中ではっきりと通った。
番頭が手綱を引く。馬が止まり、荷馬車が軋んだ音を立てた。
「こ、これは……」
「降りろ」
番頭は逃げようとした。手綱を引き直し、馬を走らせようとした。
しかしその前に、グライムが馬車の側面を回り込んで馬の頭の前に立ちふさがっていた。手を広げ、落ち着いた声で馬に話しかけると、馬がひたりと止まった。
「動物は怒鳴っても動かない。落ち着いて話しかけるほうが早い。焦って馬の腹を蹴れば、馬に振り落とされるぞ」
グライムはそう言いながら、番頭を見上げた。
「降りろよ。荷物も、逃げ場もない。菜宝屋の旦那はもうじき別の場所で話を聞かれてる。アンタが黙ってても、どのみち全部出る」
番頭の顔が歪んだ。怒りか、恐怖か、あるいはその両方か。
しかし、体から力が抜けていくのが遠目にもわかった。ゆっくりと御者台から降りてくると、パットンの部下が彼の両脇を固めた。
「荷を確認しろ」とパットンが部下に指示した。布がめくられ、積まれていた荷が露わになる。盗まれたとされる薬草の束、染料の瓶、そして帳簿らしき冊子が数冊。
「これで十分だ」パットンは静かに言った。「連行しろ」
部下が番頭を引き立てていく。荷馬車も押収される。あっという間に、通りは静かになった。
グライムは馬の首を軽く叩いてから、手を離した。馬がぶるりと鼻を鳴らす。
「馬は無実だからな。労ってやれ」
誰に言うでもなく呟いてから、グライムはパットンの方を振り返った。
「終わったな」
「ああ」
パットンは荷馬車が連れていかれる方向を見ていた。
その横顔は、昼間の硬さとは少し違った。何かを噛み締めているような、そういう顔だった。
「菜宝屋は?」
「店主は別の者が押さえに行っている。おそらく今頃、話を聞かれているはずだ」
「帳簿があれば密輸の全体が見える。ゴブリンたちが蔵の裏で何を見ていたか、これで証明できる」
「そうだな」
グライムは伸びをしながら、夜空を見上げた。星がまだ出ていた。
「帰るぞ」とパットンは言った。
「ああ。今夜からオレはまた牢生活か?」
「当然だ」
「だろうな」
グライムはそう言って、パットンの後ろをついて歩き始めた。
夜風が通りを抜け、干した薬草の匂いをどこかから運んできた。
まるで今日という日を体現したかのような、爽快で複雑な香りだった。




