第一部「格子越しの推理」
石造りの階段は、踏み込むたびに低く鳴った。
松明の火が壁を舐め、影が揺れる。
王子パットンは足音を殺そうとしなかった。いや、殺す気もなかった。
むしろ、一段ずつ苛立ちを踵に込めて降りていった。
地下牢の空気はひんやりと湿っており、鉄とカビの匂いが混ざっている。
王城の地下にあるとは思えない臭気だったが、もっとも、王城の地下に牢屋があること自体、表向きには存在しない事実なのだから、文句を言える筋合いでもなかった。
突き当たりの檻の前で、パットンは足を止めた。
格子の向こうで、男が壁に背を預けて座っていた。足を投げ出し、腕を組み、まるで昼寝でもしていたかのような格好で。
松明の光に照らされた顔は、困ったことに、少しも焦っていなかった。捕らわれているというのに、まるで我が家で客人を迎え入れる、そういう顔をしていた。
「グライム……どうやった。……言え」
パットンの声は低く、短く、問いというより命令に近かった。男――グライムは、薄く目を開けた。
「なんのことだ?」
飄々とした声だった。眠そうでもあり、少し退屈そうでもある。パットンはこの声が嫌いだった。正確には、この声に自分が苛立つことが嫌いだった。
「なんのことだ、ではない! なぜ王子妃がオマエのことを知っている。グライム!」
グライムは格子を一瞥した。さして興味もなさそうに言葉を紡いだ。
「オレは見ての通り牢屋だろ? 冒険者のオレをアンタが捕まえて、アンタが放り込んだ。そうだろう? パットン」
「山賊だろう」
「海にも出たぞ。なら、オレは海賊か?」
「賊で十分だ」
「そりゃないぜ、パットン」グライムは壁から背を離し、のんびりと伸びをした。関節が鳴る音がした。「俗物ってのは、アンタのことだ。犯罪者を牢に閉じ込め、利用しようとしてるんだからな」
「なんのことだ?」と一度とぼけようとしたパットンだが、彼の前では無意味だと言葉を変えた。「まだしてないだろう」
「でも、するんだろう? マリアが言ってたぞ」
パットンの顎が、わずかに動いた。
「王子妃の……名前まで」
「パットンって名前にあやかって、アンタが肉球ちゃんって呼ばれてることまで知ってる。少しは猫の肉球にでも顔面マッサージしてもらえ、そうすりゃその眉間のシワも伸びる。 そうだ! 獣人の良いマッサージの店があるんだ。今から一緒に行くか?」
沈黙。
松明が風も言葉もないのに揺れた。壁の影がゆらりと伸び、縮んだ。
グライムもまた、パットンが茶化し合いに乗らないのを悟ると、言葉を変えた。
「……言っとくけど、向こうからだ。向こうから、この牢屋まで会いに来たんぞ」
パットンは低く息を吐いた。苛立ちを押さえつけるように、歯の隙間から、薄く。
「それを聞いているんだ。どうやった」
「簡単だ」
グライムは立ち上がり、格子に近づいてきた。
変わらず飄々とした顔をしている。追い詰められた人間の顔ではない。
「ここの見張りは、アンタの精鋭だろ? パットン王子が命令すればすぐに従う。死ねって言えば死ぬだろうな。そうやって人を押し付けると、娯楽は消えていく。そしてな、娯楽に飢えてるやつほど、冒険者の夢物語に食いつくんだ。そして、この地下牢での見張りの立場でいうと、娯楽は犯罪だ。職務全うが遠ざかる。だが、一度手を汚せば、同じく手を汚したものでコミュニティが出来る。言っとくけど、本当に犯罪者呼ばわりしてるわけじゃないぞ」
「早く話せ。聞いてから首を落とす」
寄り道の多い会話に、なにか誘導されている気がして、パットンは苛立ちを押さえずにいいた。
「いいか?」グライムは格子に片手を添えた。「ここでオレが犯罪者ってまとめたのは、パットン。アンタと密な関係を持っているやつらのことだ。直属の数人の部下。話せないことは、外に出ず、そこに収まる。同じく娯楽に乏しい第三王子の王子妃が食いつくのも早かった。どうやら、誰かさんの態度で、秘密があるのはまるわかりだったらしいぞ。先に言っとくぞ、アンタ嘘つくの下手なんだよ。まぁ……。だからオレもアンタに捕まえられたんだけどな……。皮肉なもんだよな。それで入れられたのが、この内側からは絶対に開けることのできない魔法錠の地下牢だ」
パットンはしばらく黙っていた。
グライムの言葉を、頭の中で並べ替えながら。
見張りを取り込み、見張りを通じてマリアに話を届けた。
この地下牢は、彼の言う通り内側から開けることは絶対にできない。
好奇心旺盛なマリアの警戒心が薄まることも知っている。
あの男はそれを牢の中から、しかも音もなくやった。認めたくはなかった。だが、認めざるを得なかった。
「……オマエは」とパットンは心底まいったと言った風に額に手を当てた。「本当に面倒な男だな」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めていない」
ため息をひとつついてから、パットンは懐から折りたたまれた紙を取り出した。格子の隙間から無言で押し込む。
「読め」
グライムは受け取り、すぐに広げ、流し読みした。
「なるほど市場の窃盗か」
「三日で六件。同じ区画の別々の店だ。見張りを立てたが、犯人を取り押さえられていない」
「盗まれたものは?」
「食料が中心だ。乾物、塩漬け肉、干し果物。それと小さな金属細工がいくつか。換金しやすいもの」
グライムは紙を折り返した。何かを考えているようだった。目の焦点が、紙ではなくどこか別のものを見ている。
パットンは彼を急かさなかった。急かしても無駄だと知っていたからだ。
そして、それが正解だとでも言うように、グライムは口の端をにんまり吊り上げた。
「今、この王都に流れ込んでいる連中の話をしてやろうか?」
「聞こうか」
「南の方、ベリア地方で地震があっただろう。二ヶ月前。ゴブリンの集落がいくつか潰れた。ゴブリンってのは家族単位で動くから、集落ごと移動してくる。今の王都にはそういう流民が増えてる。小柄で、腹を空かせていて、知恵がある。あと、身体能力は低いが手先は器用だ」
「それと窃盗に何の関係がある」
「盗まれたものの高さを確認してみろ。棚の上の段ではなく、中段か下段のものばかり盗まれてるだろ。それと、店の出入り口以外の死角になる場所に、大人が通れないような隙間はあるか」
パットンはしばらく考えた。六件の報告書を頭の中に並べる。盗難品の棚の位置……言われてみれば、いずれも腰より低い段の品だった。天板の上には手が届いていない。
「……隙間については確認していない」
「確認してこい。それとひとつ聞くが、目撃者はいるか」
「複数の店員が、長い外套を着た人物を見ている。背格好は普通の成人ほど、と。顔は見えなかったと言っている」
グライムの口の端が、核心めいてほんの少し動いた。
「そうか。じゃあ答えは出てるな」と静かに言った。「二人一組だ。下の奴が物を取り、上の奴が外套の中に収める。外から見れば普通の成人に見える。逃げる時は低身長、隙を見て高身長に戻る。兵士はどっちを探す? ゴブリンはデカけりゃ、そこらにいる亜人と変わらねぇほど特徴がねぇだろ?」
パットンは一瞬止まった。
頭の中で絵が組み上がる。外套の下で肩車をした二人。下のゴブリンが外套の隙間から棚に手を伸ばして品を盗み、上のゴブリンが終始店員と話をして気を逸らす。店員は「不審な人物が来た」とは思っていない。ごく普通に買い物をしている客だと思って、ずっと顔を見ていた。
「……馬鹿な」
「ゴブリンは小柄だ。二人合わせて成人一人分くらいにはなるって言っただろ。腹が空いてりゃ、無茶もする」グライムは少し間を置いた。「憎めない連中だよ、正直な話。でも、やり方が悪い。オレならもっとでかいオークやオーガに化ける。そうすりゃ、小さなゴブリンを探そうだなんて思わねぇだろ?」
グライムの言葉を最後まで聞かず、パットンはすでに踵を返していた。
「今すぐ現場に行く」
「おいおい、首を落とすんじゃなかったのか」
「役に立つなら後でいい」
振り返らずにパットンは言った。
足音が遠ざかり、階段を上り、扉が閉まった。
その残響を耳に残しながら、グライムは格子にもたれ天井を仰いだ。
「民のためなら、即行動か……。やっぱり俗物だな」
誰に言うでもなく、呟いた。
その日の夕刻、パットンは報告を受けた。
件の区画の路地裏、荷物の搬入口と建物の隙間から、小柄な人物二名が確保された。
ゴブリン族の成人と、その連れの子どもだった。
二人合わせると、確かに外套を着せれば成人一人分ほどの高さになった。
品物の大半は、路地裏に掘られた小さな穴に隠されていた。手を付けられていたのは、食料品ばかりで、換金品はほぼ全量が回収された。
パットンは報告書を閉じ、窓の外を眺めてグライムとの会話を思い出していた。
「腹が空いていた、それだけのことだ」とグライムは言った。
その言葉が、なぜか頭から離れなかった。
翌朝、パットンが地下牢の階段を降りると、グライムは昨日と同じ姿勢で壁にもたれていた。
まるで一晩中その姿勢でいたかのような、妙に落ち着いた座り方だった。
「捕まえたな。足音が軽やかだった」
「ああ」
「ゴブリンだったろ」
「……ああ」
パットンは格子の前に立ち、腕を組んだ。「換金品はまだ使われていなかった。なぜだと思う」
「売り方がわからなかったんだろう。盗んだはいいが、王都で物を換金する手段がなかった。だから後回しだ。腹が減れば、貴金属より飯が宝だからな」
「グライム、オマエの言い方だと、まるであいつらが被害者みたいだな」
「被害者ではないが、腹が減っていた。それだけだ。パットン王子……アンタだって腹は減るだろ? それだけだ」
グライムの言い方に、弁解も同情も含まれていなかった。ただ事実として、そう言った。
「もうひとつ事件があった」
グライムが目を細めて「ほう」と呟いた。
「昨日の区画と同じ通りで、昨夜、商家の蔵に侵入があった。こちらは別件だ。盗まれたのは高価な薬草と染料。換金すれば相当な額になる。目撃者はいない」
「同じ区画で、昨日に続けて……」グライムは少し前に体を傾けた。「タイミングが出来すぎているな」
「そう思うか」
「ゴブリンの件が表に出た直後だ。誰かが便乗したか、あるいは最初からゴブリンを囮にするつもりだったか……。余計な情報が多くて、必要な情報が少なすぎる」
パットンは短く息を吐いた。
「街に出てみないとわからない、と言うつもりか」
「言おうと思ってたところだ」
「……わかった」
その一言に、グライムの眉が驚きに少し上がった。
「いいのか?」
「条件がある。逃げようとしたら、その場で足を斬る。魔法の拘束具も着けてもらう。あと、私の見える範囲を離れるな」
「ずいぶん過保護だな。オレに惚れたのか? なら拘束具より、恋文の一つでも書けよ」
「犯罪者の扱いだ。書き上げるのは罪状だぞ」
「そうか。じゃあ行くか。ひねくれたラブレターをもらわねぇうちに」グライムは伸びをしながら立ち上がった。「久しぶりの外だ、楽しみだな」
「観光ではない」
「わかってる。でも楽しみは楽しみだ」
呑気なグライムを一度睨みつけると、パットンはその場を離れた。
「用意をし、後日また……迎えに来る」




