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王賊 Crown & Crime  作者: ふん
右と左

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18/24

第一部「ヴァンパイアのサロン」

 隠れ家の窓から差し込む光が、テーブルの上で長細い四角を作りだす、物静かな午後。


 グライムはその光の中に足を放り込んで椅子に深く沈み、手元の本を読んでいた。

 隠れ家にいるのは一人ではない。ゴブリンのボンドと、その子どものグレッチェンも一緒だ。


「グライム……。オマエはちょっと隠し事が多すぎだぞ」


 ボンドは両手で抱えきれないほどの巨大サンドイッチを掴み上げた。

 厚切りの黒パンに、ジューシーなグリル肉、溶け出したチーズ、たっぷりの野菜と自家製のスパイシーソースがはみ出している。

 彼は牙をむき出し、グシャッと乱暴に一口かぶりついた。

 パン皮が裂ける音。肉汁が滴る音。ソースが飛び散る音が同時に響く。

 頰が膨らみ、口の端からソースと肉片が垂れて服と床を汚しても、ボンドは気にせず目を細めて恍惚とした表情を浮かべた。


「台詞と表情があってないぞ。それに隠し事っては、隠すから隠し事なんだ」

「茶化すってことは図星だろ」

「そうやって真意を知ってるふりをするのは、詐欺師の常套手段だ」

「相変わらず口が上手い」

「それがオレの生命線だからな。ボンドみたく、見た目で変装は不可能なんだ、人間はな。オレは煙に巻くのが仕事だ」

「じゃあ、煙に巻いてくれ。ちょうこのグリル、スモークしたいと思ってたとこなんだ。オマエは本当に捕まったのか?」

「だから、魔法錠の腕輪がついてるんだろ」


グライムが腕輪のついた右手を上げた。


「わかった……。言い方を変えよう。捕まったというのはどっちの主観だ。パットン王子が捕まったとホッとしてるのか、グライム……オマエが捕まったとホッとしてるのかだ。オマエ……急に三年前に消えて、急に戻ってきたのはどういう理由だ? この国でなにを見たんだ」


 ボンドが詰め寄ろうとした瞬間、ネコの鳴き声が響いた。グレッチェンの鳴き真似だ。

 パットンが隠れ家に近づいてくる合図だった。


「ちょうどいい。パットンに直接聞くか?」

「バカ野郎! オマエの脱獄の手伝いをしたってバレたらどうなるか」

「脱獄じゃない。ちゃんとパットンの許可を取って出てる」

「いっそ脱獄なら、他の国に逃げられたのによ……。とにかく、オレは逃げる。またな。グレッチェン、行くぞ。」


 ボンドが言うと、一階から短い足が階段を上がるドスドスとした音がひびいいたかと思うと、別れの挨拶も短く、グレッチェンは二階の窓から裏通りの家の屋根屋根を伝い逃げていった。


 その後をボンドが続く。


 二人がいなくいなくなった隠れ家は、あっという間に静寂に包まれた。


 数十秒後、一階のドアの鍵が開く音が響き、すぐにゆっくりと階段を上がる音が聞こえる。

 そして、二階のグライムの部屋を律儀にノックした。

 三回。等間隔。ためらいなし。まるでパットンの性格をそのまま反映されたかのようなノックの仕方だった。


「鍵はかかってないぞ。」


 パットンが入ってきた。外套を肩にかけたままで、深く帽子を被っている。

 身分を隠して、城下町を歩く時の格好だ。


 グライムはまた捜査に同行させるとわかっていた。

 パットンもそのつもりだったが、部屋の不審な点をすぐに見抜いた。


「ペットを飼ったのか?」

「なんでだよ」

「猫の鳴き声がしたぞ」

「窓から入ってきたんだ」

「床が汚れている」


 パットンは床に落ちたソースと肉片に目をやった。それはボンドが食べこぼしたものだ。


「だから言っただろう。猫が入ってきたんだ。サンドイッチを盗まれて、ふてくされて窓の外を見てたことまで言わないといけないのか」

「口元に食べた形跡がない」

「食う前に盗られたから、ふてくされてんだよ。濡らした枕でもあったら納得するか?」

「まあいい」


 パットンはグライムの言動を怪しみつつも泳がせた。

 なにか隠しているのは確実だが、今はそれよりも重要な事件が起きていた。


 彼は椅子を引いて腰を下ろすと、テーブルの上に紙を一枚置いた。


「女性ばかり倒れている事件が起きた」

「モテる男の相談か? なら、オレのとこじゃなくて、まずはマリアに言い訳するべきだ。証言はしてやる。隠れ家を寄り合いの宿には使ってないってな」

「違うに決まってるだろう!」

「冗談に決まってるだろ」


 グライムは肩をすくめた。

 無駄に茶化しているわけではない。

 一旦パットンの関心を、自身が持ってきた事件に剥けるためだ。


「いいか? ここ最近不審な事件が起きている。被害者は全て女性だ」


 パットンは紙を押し出した。グライムは体を起こして手に取る。

 報告書の体裁ではなく、パットン自身がまとめたらしい走り書きだった。


 症状の列挙は以下だ。

 急激な貧血。強い倦怠感。数日の臥床。命に別状なし。

 被害者の共通点。

 社交界に出入りする女性。美容や若返りに関心が高い。

 被害者は七人。先月から一月ほどでの数。

 王宮の医師団が調べているが、原因がわからない。同じ高級サロンを利用していた。


「全員同じサロン?」

「同じサロンを利用していた記録が全員にある。ただし、倒れた場所はそれぞれ別だ。サロンで倒れた者はいない」

「ってことは、犯人が分かってるんだろ?」」

「……そのとおりだ。だが証拠がない。名前はレオナルド・ヴァレンティア。サロンの傾斜で、香水、化粧品、若返り薬、美容施術を扱う高級店だ。社交界ではかなりの人気で、女性客が多い」


 グライムは少し黙った。

 窓の外で風が通り洗濯物が揺れる音。そんな日常の音に頭の中が整理されていく。

 遠くで子どもが笑う声がすると、彼はおもむろに口を開いた。


「レオナルド・ヴァレンティア。年齢は50は過ぎてるが、その見た目はまるで20代に見えることから、裏の世界では別名ヴァンパイアと呼ばれてる。だが、れっきとした人間だ」

「知っていたのか」

「名前だけならな。裏の世界でも聞く名前だ。会ったことはない」グライムは紙をテーブルに戻した。「まあ胡散臭いな」

「根拠は?」

「誰が見ても明らかだろう。若返り薬を売る人間が胡散臭くない理由がない」


 パットンが少し眉を動かした。反論できないからだ。

 それを見透かしたグライムは質問を積み重ねた。


「被害は? 貧血だけか? さっきも言ったけど、ヴァンパイアってのは見た目の若さから呼ばれてるだけで、血を吸うわけじゃない」

「だが事実だ。何かしらで血を抜かれている」

「若い女の血をか? 呪術でも流行ってるのか? だとしたら、物騒な理由で強制捜査すればいいだろ? ……捕まえられない理由があるんだな?」

「……そうだ。被害者が倒れた時間帯、レオナルドは別の場所にいた。それも毎回だ。社交パーティー、商談、劇場鑑賞、貴族との会食。目撃者が多数いる。完璧なアリバイだ」

「なるほど……証拠盗み出せってわけか」

「違う。いいか? 正規の手順を踏まなければ、捕まえることは出来ない。この間のようなことは、二度とするな」


 わかったなと、念押しをするように目つきを鋭くするパットンに、グライムは肩をすくめて交わした。


「なんのことだ?」

「いつか尻尾を掴んでやるぞ」

「尻尾を掴むと引っ掻かれるぞ。嘘だと思うなら、そこらの野良猫で試してみろよ」


 グライムが軽口で交わすのを見ると、パットンは追求を諦めた。


「サロンに侵入しろ。私では身分がバレる。身分を隠して調査できる人間が必要だ」

「侵入ね……。アリバイを崩せってことか? パットンのほうが適任だろ?」

「ずる賢いやつだ。王族には招待状を送ってこない。貴族で止まっている」

「そうでもないぞ。金持ちになら誰にでも送る。オレも昔招待状が届いた」

「それで知っていたのか。待った……金持ち? グライム、オマエがか?」


 パットンが怪訝な視線を向けると、グライムは微笑んだ。


「オルディス侯爵家四男、レイン・オルディス。末席ですが、お見知りおきを」


 柔らかい声。押しつけがましくない目線。育ちの良さだけを残して、傲慢さを綺麗に消した立ち方。


 パットンは数秒黙ってから「……何だ今の」と聞いたが、返事はない。

 さっきまで椅子ににだらしなく座っていた男は、もうそこにいなかった。


「オマエ、それ――」パットンは眉を寄せた。「前にもやったことあるだろ……」


 一瞬だけの間。

 それからグライムは口の端を吊り上げて笑った。


「言っただろ。招待状を貰ったって」

「レイン・オルディスと言ったか?」

「そいつは、もう死んでる。だから調べても、オレの過去の情報は殆ど出てこない。別人が生きてると厄介だろ。偽名を用意するなら、墓も一緒に用意するのが普通だ」

「……わかった。なにを用意すればいい」

「用意はオレがする。パットンは手紙の流通を数日止めてくれればいい」

「簡単に言うな」

「王子だろ? それくらい簡単にやってくれ。オレは招待状を偽造する。レオナルドが相手に確認の手紙を送ったら厄介だろ」

「いいか……なにも盗むなよ。証拠だけ見つけて。私に知らせるんだ」

「わかったよ……。こういうのは証拠を盗むほうが絶対楽なのに」


 グライムはパットンの信念など理解できなかったが、今回は従うことにした。





 招待状の偽造には丸一日かかった。


 レオナルドのサロンは一見さんを受け付けない。高位貴族か、常連からの紹介状が必要だった。


 グライムはまず紹介者として使える人物の名前を洗い出し、その人物の署名の癖を探り、それに合わせた文体と筆跡で一通の紹介状を仕上げた。


 内容は簡潔だった。

 誰でも一度は見かけるような、とりとめもない文章だ。


『遠方の知人で、社交界に最近顔を出し始めた人物。興味深い取引相手になるかもしれない。よろしく頼む』


 嘘は最小限の方がいい。

 詳細を書けば書くほど、確認される項目が増えるからだ。


 サロンは城下の上流区画にあった。

 建物の外観からして別格な存在で、思わずグライムは口笛を鳴らした。


 磨き上げられた石の壁に、蔦の装飾が整然と這っている。

 扉の前に立っている警備の男は人間だが、ほとんど兵士と変わらない体格をしていた。


 グライムが紹介状を差し出すと、警備の男にじっと顔を見られたが、にこやかに笑いかけると罰が悪そうに紹介状に目を通し、一読してから中に案内した。


 内部は外観に負けないほど豪奢だった。

 床に敷かれた深紅の絨毯、壁に飾られた絵画の額縁は驚くことに金縁だった。

 香水の匂いが濃く漂っていたが、不快ではなく、裏通りに溜まるような香りではなく、計算されたような上品さがあった。


 女性客が何人かいて、それぞれが施術を受けたり、陳列された商品を眺めたりしていた。 笑い声は低く、話し声は品よく響く。優雅という言葉が、これほど似合う空間は少ないだろう。


 異様なほど人気なのは事実であり、それを裏付ける証拠がいくつもある。


 グライムがサロンの様子を確認しながら、ゆっくり歩く。

 そうして存在感を出すことで、女性ばかりにサロンに男が現れたことを知らせる。


 そして、その思惑通り、レオナルドは奥の応接スペースに現れた。

 女性客が色めき立ったので、グライムその声の方へ視線を向けた。


 背が高く、細身で、動きに無駄がなかった。

 年齢は二十前後に見える顔立ち。白髪の線すら見えない、カラスの黒羽のような黒髪に、整えられた頭髪。

 仕立てのいい上着。社交界向けの完璧な紳士の格好だった。


 彼は美女たちに軽い挨拶を交わしながらも、足を止めることはなかった。

 真っ直ぐ。グライムに向かって歩いてくる。

 そして、人当たりのよい笑顔で話しかけてきた


「どこかでお会いしましたかな?」


 その声は落ち着いていた。初めて会う相手に対する礼儀正しい問いかけ、という体裁だが、実際は値踏みだ。


 グライムはその計算を計算として受け取りながら、軽く頭を傾けた。


「あなたほど多くの人と会う方です。私の顔など、記憶に残らなくても当然でしょう


 レオナルドが微かに笑った。


「謙遜がお上手だ。お噂はかねがね」

「噂と本人は大抵違うものですが」

「良い方向で違うといいですな」


 話し方に慣れている。

 社交界での会話に慣れきった人間の、軽くて密度のない言葉の使い方だ。

 ここでの言葉の殆どは消えてなくなるが、ボロを出せば一生残る。


 レオナルドが右手を差し握手を求めてきたので、グライムはにこやかな笑顔で彼の手を握った。


 適度な力加減。不快に感じない時間。それは社交的な握手の手本のような感触だった。


 気になるやり取りはそれだけ。

 あとはとりとめもない会話が続いた。

 商品の説明を受け、美容効果のある珍しい薬草の話を聞き、価格の話を少しした。

 グライムは関心のある客として振る舞い、次回の訪問を約束してサロンを出た。


 通りに出ると、午後の城下町の喧噪が戻ってきた。


 位置度目の潜入では、まだ何もわからない。

 しかし何もないわけでもない気がした。

 どこかに引っかかりがある。グライムはその違和感に気付けずにいた。





 その夜。隠れ家に戻ったグライムが、報告をまとめていた時間。

 また女性が倒れた。


 今回は貴族の令嬢だった。

 城も騒ぎになっている、とパットンが翌朝持ってきた情報にある。

 父親が大臣の娘で、症状は同じ。急激な貧血、強い倦怠感。


 グライムは、パットンが持ってきた被害者の人相書きを見て、顔をしかめた。


「見たぞ、この女。サロンにいた女だ。レオナルドのアリバイは?」

「昨夜は劇場にいた。大量の証人がいる。座席も記録されている」

「昼から夕方のアリバイは、オレが証明できる……厄介だな」

「厄介過ぎるぞ。どう考えても繋がっているのに、証拠がない」


 パットンの声に苛立ちが滲んでいた。

 証拠が掴めない焦りではなく、理屈として詰め切れない、論理の行き詰まりの苛立ちだ。


「まあ、焦るな。如何にも利用できそうな、ぽっと出の成り上がり演じてきた。媚を売ろうとも売り切れないプライドが残り、上辺の会話を少し引っ張りすぎる。こういう奴は利用しやすい。気に入ったと見せかけて、近くにおいてくことが多い。トカゲの尻尾を切る時は、如何にも切りやすいやつから切る」


 上ずった声で一気に話すグライムを見て、パットンは目を細めた。


「オマエ……楽しんでないか?」

「オレが? 王族直属医の命令で、なにも着せずに悪徳サロン経営者と頭脳勝負出来ることが? まさか」


 肩をすくめるグライムだが、その瞳は子どものように輝いている。


「いいか……資金を奪おうと言うわけではないんだ。被害を止めるのが目的だ。わかっているのか?」

「わかってるよ。たまたま式が一緒なんだしょうがないだろう」

「そう思うなら……手立てがなくて、もっと悔しそうな顔をしろ」

「一つの作戦で複数の意味をもたせるのが、こっちの世界の手腕なんだよ」





 その日の午後。グライムの言葉を裏付けるように、サロンから彼の偽名宛に手紙が届いた。

 手紙の配達はパットンが中止させているので、彼が直接届けに来たのだ。


 封を開けると、短い文章が書かれていた。

 丁寧な字で、ぜひ個人的な取引を、とあった。


 別の日程での来店を勧める内容だ。日時が指定してある。場所は個室を用意するとある。


「向こうも接触を続けたいらしい……。なあ――」


 パットンが手紙を読んで、言った。


「なにがレオナルドを惹きつけた」

「オマエの名声を利用して成り上がってやろう。――という魂胆が見え隠れするところかな」

「敵だとわかって取り入れるつもりなのか?」

「敵と言っても商売敵だ。そして、敵は敵として相対するまでは強力な味方だ。犯罪者がよくつるむ」

「確かに……」


 パットンはグライムの顔をじっと見た。

 彼が裏で誰かと繋がっているのは調べはついていた。

 だが、肝心の誰かと言うのが全くわからない。

 魔法錠の範囲に見張りをつけても、グライムと接触する特定の人物で、怪しいも人物を見つけられることが出来ないからだ。


 却って2、3人怪しい人物がいたほうが、パットンが気になることもないのだが、未だボンドの変装が見破れず、グライムの協力者は謎のままだった。


「なんだよ、じっと見て」

「グライム……オマエは誰とつるんでるんだ?」

「わかったよ……バレてるんだろ。隠せないな……」グライムは諦めの表情を浮かべると、パットンに近づき耳元で囁いた。「なんと、この国の第三王子だ。しかもこいつは、元冒険者を抱え込んでる」

「その噂は嘘だ……。抱え込んでるのは犯罪者だからな……」


 グライムが口を割らないのを見ると、パットンは諦めて今回の事件に集中した。


「会うのか?」

「会うに決まってるだろ」

「個室というのが問題だ……。危険ではないか?」

「愛人の身の危険でも感じてるのか? だとしたら、サロンに行って綺麗になってくるから安心してくれ」

「グライム……オマエが必要以上に茶化す時は、なにか隠してる時だ。……さては、先の侵入でなんの証拠も見つけられなかったのが悔しいんだな」

「そんなこと一言も言ってないだろ」

「そうだ。一言も言ってない。つまり触れられたくないってことだ。天下の詐欺師が、成果ゼロでは格好がつかない」

「山賊から盗賊で、とうとう詐欺師か……。部下もそうやって降格させてるなら、相当恨みを買ってるぞ」

「反論がなくなったな」


 パットンは一度にやりと笑うと、真面目な表情でグライムの目を見た。


「奴は危険だぞ。国をも騙してる大犯罪者だ」

「だからオレに頼んでるんだろ? 国をも騙してる大犯罪者を騙せる男。……やっぱ詐欺師だな」


 グライムが肩をすくめるて自嘲すると、パットンは声を出して笑った。





 指定された日の夕刻、グライムは再びサロンを訪れていた。


 今回は正面の入口ではなく、別の入口から案内された。

 表の客向けの広間ではなく、廊下を進んだ先の個室だ。


 調度は同じく豪奢だったが、客の目がない分、どこか趣味が反映されている、生活感と言うか欲望が垣間見える美術品が飾られている。


 つまり、裏の顔をの一部を見せたということ。

 グライムは利用する価値があると判断されたのだ。


 レオナルドはすでにいた。


 椅子に腰かけて、テーブルの上に書類を広げていた。

 グライムの姿が見えると、わざとらしい笑顔を作り、立ち上がって手を差し出した。


「やあ、来てくれたか」


 そう言って差し出された手を、グライムは掴もうとした。

 しかし、すぐに引っ込めて、やり直した。


 レオナルドが差し出した手は、“左手”だった。


 グライムが一瞬止まったのは、以前右手で握手をされたのを覚えていたので、同じく右手を出したのだが、今日彼は左手を出した。


 グライムは内心尻尾を出したと興奮しだが、表情は動かさなかった。


 前回は右手だった。

 社交界の人間が握手の作法を間違えるのは、相当の理由がなければない。

 少なくとも、グライムにとっては引っかかるポイントなのは間違いなかった。


 会話を続けながら、グライムはさりげなく観察を続けた。


 テーブルに戻ったレオナルドがペンを取る。

 左手だ。


 前回の記憶を引っ張り出す。

 彼の所作を順序立てて確かめるように思い返すと、前回のレオナルドはグラスを右手で持っていた。

 今は左手を使っている。ペンを持っていない時に、書類をめくる手も左手だ。


 今日のレオナルドは利き手が逆だった。


 仕草の方向が全て逆だ。部屋に入る時に体を開く方向、椅子に腰かける時に重心をかける側、話す時に微かに傾く首の方向。

 細かい動作の一つ一つが、前回と鏡を挟んだように反転している。


 グライムは会話を続けながら、思考の別の回路を動かしていた。


 別人の可能性を考える。

 しかし声は同じだ。顔も同じだ。記憶も共有されているらしく、前回の会話の内容を正確に踏まえた話をしてくる。

 双子であれば利き手が別々というのはあり得るが、双子は声が完全には一致しない。

 体格の細部に差が出る。


 行き着いた思考の先は、魔法の類だ。


 しかし何のということまでは考えつかない。


 時間が足りず、会話を終えて外に出ると、夜の城下町に人の流れが戻っていた。

 いつの間にか雨が降っていたらしく、石畳に水たまりができている。


 そこに映る自分の顔はひどい顔をしていた。考えすぎて眉間に深いシワができている。


 その時。サロンの灯りが窓から漏れ、水たまりに反射した



 グライムは一度立ち止まり、来た道を振り返った。

 全部が逆。つまり、水面に映る自分と同じ。

 鏡像だ、とグライムは思った。

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