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王賊 Crown & Crime  作者: ふん
偽造されたワイン

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14/19

第一部「教会の約束」

 城の廊下は夕暮れの光で赤く染まっていた。


 西向きの窓から差し込む陽が、磨き抜かれた石の床に長い柱の影を等間隔に並べている。

 衛兵の交代の足音が遠ざかり、廊下に静寂が戻ると、マリアがおもむろに口を開いた。


「パットン……いいかしら? お願いごとがあるのだけれど……」


 隣を歩いていたパットンは、相談事がある時の声だと思い足を止めた。

 頼み事がある時よりわずかに柔らかく、しかし諦める気がない時よりわずかに慎重な、そういう声だ。


「どうした?」

「グライムに、会いたいのだけれど」


 沈黙があった。

 その静寂の間に、パットンの表情がみるみるうちに変わった。

 眉間になにか挟めそうなほど、深いシワができている。


「……なぜだ」


 パットンの声が低いのは驚きを押し殺しているからだ。

 マリアはそれを感じ取りながら、口元にイタズラが成功した子どものような笑みを浮かべ、彼の手を取って両手を重ねた。


「だって、もう地下牢にいないのでしょう? 友人として会いたいわ。そんなにおかしい話かしら?」

「友人というのが気になる。地下牢にいた男だぞ。なにを話したんだ?」

「気になるなら……聞いたらどうかしら?」

「グライムにか?」

「社交界で、少し変わったワインを贈られたのよ。エルフのワイン。あのあたりの高級品はここ数年、流通がほとんど止まっているでしょう? それが手元に届いたから、飲んでみたら本当においしくて。それで……グライムにも飲ませて、感想を聞いてみたくなったの」

「ワインの感想が聞きたくて、あの男に会いたいのか」

「変な理由かしら」

「変だとは言っていない。私でもいいだろう?」

「あなたは少し……お酒に疎いから」

「高級なワインに疎いだけだ。それに、グライムが高級ワインに詳しいとも限らないだろう」

「あら、知らないの? グライムは高級ワインに詳しいのよ。エルフのワインだって、グライムから聞いたワインの知識を話したら、せっかくだからって贈り物にしてくれたの」


 パットンは歩き出した足を、数歩で止めた。


「詐欺師だぞ、あいつは……。きっとワインだってそれで詳しいんだ」

「あら、詳しいのは認めるのね」


 マリアが口元に手を当ててクスクス笑うと、パットンは眉間のシワをやわらげた。


 グライムと酒の話をしたことはないが、きっと詳しいはずだというのは容易に想像がついた。

 この際、色々踏み込んで聞きたい話もあると、パットンは思い直した。


「しかしだ……。城で会わせるのは危険だ。身分がある。万が一正体が知れたら面倒が起きる」

「だからこそ、あなたに相談しているのよ」

「地下牢は……雰囲気が悪すぎる」

「そうね。せっかくのワインだもの。エールだったら、ちょっと楽しいかも」

「マリア……」

「冗談よ」


 パットンは眉間を押さえた。指二本を額に当てて、目を閉じる。何かを考えているというより、何かを諦めようとしている顔だった。


「隠れ家は、王子妃が足を踏み入れる場所ではない」

「それもそうね」


 マリアは口元に小さな笑みを浮かべていた。

 反論しているのではなく、パットンが自分で答えを出すのを待っているような笑みだ。


 パットンはその笑みの意味を知っていた。自分の答えがもう出ているということは、彼女は気づいているのだ。


「……教会が使える」


「まあ」

「マリア、お前は礼拝だ。私は護衛名目で随行する。グライムは裏から呼ぶ。城下の聖堂であれば、身分の異なる者が同じ場所にいても不自然ではない」


 マリアは静かに頷いた。


「よかった。やっぱりあなたは頼りになるわ」

「最近……時々だが、キミと話してると……グライムと話してる気になる。どうにもやり込められるような……」

「その答え合わせも、教会でしましょ」


 マリアがにこやかに笑うが、それこそグライムが煙に巻く時の表情のような気がして、パットンは返事が出来なかった。




 翌日の昼過ぎ、城下に聖堂は穏やかだった。


 石造りの天井が高く、明かり取りの窓から差し込む光が、塵を光らせながら静かに落ちるように床を照らす。


 礼拝台の前には線香の煙がゆっくりと立ち上り、その歴史を感じさせる凛とした香りが、建物全体に染み込んでいた。


 平日の昼間とあって、参拝者は少ない。

 商人の妻らしき女と老いた男が一人、そして奥の長椅子に、フードを深く被った人物が座っていた。

 フードを被っているのは珍しくない。

 礼拝に自分を隠して来る者は少なくないからだ。


 そして、そのフードの男こそグライムだ。

 彼はフードの下で、天井の装飾を眺めていた。


 石に刻まれた植物のレリーフが、礼拝堂の壁をぐるりと囲んでいる。

 職人の手仕事の丁寧さが伝わってくる彫り方で、花びらの一枚一枚に微妙な凹凸があった。

 これだけの細工をするのに何年もかかる。これを盗んで売ればいくらになるかと値踏みしていると、隣の長椅子から気配が近づいてきた。


「来てくれたのね」


 静粛な雰囲気を壊さないよう低く抑えた声だったが、グライムには聞き覚えがあった。


「マリア。久しぶりだな。地下牢以来か。やっぱり地上で見たほうがキレイだ」


 グライムが人懐っこい野良犬のような笑みを浮かべると、思わずマリアも笑みを浮かべた。


「ここも地下よ」

「でも、あなたには教会が似合う」


 フードを少し上げてグライムが頷くと、マリアは隣に腰を下ろした。

 礼拝に来た婦人の自然な所作で、正面の礼拝台を見たまま話す。


 少し離れた通路の柱の陰に、パットンが立っていた。


 腕を組んで、二人の様子を見ている。護衛という名目だが、監視と大差ない立ち位置だった。


 グライムはそっちに向かって軽く顎をしゃくると、パットンの眉間がわずかに動いた。挨拶したわけではなかったが、互いに相手の存在を確認したという、無言のやり取りだった。


 グライムがふざけて美人だなとジェスチャーを送ると、パットンの鋭い視線がますます鋭くなった。

 まるで研ぎたてのナイフだ。


 その反応に満足したグライムは、まるっきりパットンを無視してマリアに向き直った。


「なんでもワインを飲ませてくれるんだって?」

「ええ。好きだって言ってたでしょ」


 マリアが膝の上に置いた布袋を少しだけはだけさせると、中に細長い瓶が一本見えた。ガラスの色は深い緑で、首の部分に金色のラベルが貼られている。

 ラベルには植物の絵と、見る人が見ればわかる細かなエルフ文字が記されていた。


「これはエルフのワインだな」

「あら、知っていたのね」

「でも、飲んだことは流石にない。ワインのエルフはここ最近外には出てないって話だからな。見たことなら何度か」

「社交界の知人から贈られたのよ。珍しいと思って」

「相当珍しい。エルフってのは規律を重んじるから、今の状況で出回るのはほぼゼロだ。そのほぼに含まれるワインか……それとも隠して保存していたのを、カネに困って売り出したのが回ってきたか」

「貿易に関わっている方。エルフとのルートを持っていると聞いていたから、それで珍しいものを、と思われたのかしら。でも、直接的な用件ではないの。ただ、最近の社交界では話題のワインで。何本か出回っているようで、入手した方が何人かいらっしゃるのだけれど……」

「値段は」

「一本で、中程度の宝石が買えるくらい、というのが相場らしいわ」


 グライムは少し黙った。礼拝台の前の蝋燭が、彼の心の動きのようにゆらりと揺れる。

 そんなワインなら礼拝の真似事などしてる場合ではない。


「場所を変えよう。飲めるところに」

「まだ礼拝中よ」

「神様が言ってるんだ」

「神様が飲めって言ったの?」

「パットンを困らせろって言ったんだ」


 マリアはイタズラ顔でグライムの提案に乗った。

 二人がそそくさと席を立ち上がると、予定外の行動に驚いたパットンが慌てふためいたて追ってきた。


 聖堂の奥には、司祭が接客に使う小部屋があった。事前に話をつけてあったらしく、扉は開いていた。狭い部屋だが、丸テーブルが一つとグラスが三つ、それだけあれば十分だった。


「一体何があった!?」


 少し遅れて駆け込んでくるパットンとに、グライムが「その顔が見たかった」と言うと、マリアはもうおかしくてたまらないと言った風に、満面の笑みを浮かべていた。


 久しく見ていない突発的な心からの笑顔に、パットンはため息で感情の整理をつけるしかなかった。

 後を続いたカックラウが、制裁を与えるかという顔をしたが、グライムが手で制した。


 そして、その長い溜息を掻き消すように、グライムがコルクを抜いた。

 オープナーを使わず、コルクの端を指先で少し押し込んでから角度を変えて引き出す、慣れた手つきだった。


 コルクが抜けると、低い音が部屋に残った。


 ワインを四つのグラスに注ぐ。

 赤だった。光の当たり方によっては、ほとんど黒に見える色合いの深い赤。


「パットン王子……」


 カックラウはお忍びと言えど、席をともにしてワインを飲むことは出来ないと視線を送るが、すべてを見透かしたパットンは、口元に柔らかい笑みを浮かべた。


「パーターだ。ここには友人しかいない。ワインを共にするのになにか問題があるか?」

「いえ、いただきます」


 カックラウもまた笑みを浮かべると、四人はそれぞれグラスを持った。


「それじゃあ、乾杯しましょ」


 マリアの号令とともにグラスが手元で軽く上がる。

 彼女は一口口に含み飲み込むと、「美味しいわ」と感動の声を上げた。


 グライムも口に含んで、転がして、飲み込んだ。


「普通に美味いな」


 マリアが笑った。「そう、でしょう? それで感想を聞きたかったの」


「美味い。本当に」


 グライムは二口目を飲みながら、瓶のラベルを眺めた。

 一瞬偽物かと疑ったせいで、どうにも気になっていたのだ。

 それからコルクを取り上げて手の中で転がした。正面から、側面から、底から見る。

 特に問題はないのだが、その不可解な行動にパットンは気づいていた。


「どうした?」

「いや、何でもない。美味い」


 それきり、しばらく三人は話しながらワインを飲んだ。

 グライム地下牢にいたとき、マリアが会いに行っていた理由は、会話術のためであり、それでパットンとの夫婦の会話で優先権を得ていることや、それでパットンが苦労しているなど、まるで長年の友人が介したワイン会のような雰囲気だった。


 和やかな時間だった。扉の外から聖堂の静寂が滲んできて、蝋燭の炎がゆっくり消えていく。


 やがて三人がワインの香りの表現を言い合っていると、カックラウが眉間にしわを寄せた。

 強面の犬顔がますます怖くなる。

 すぐに気付いたパットンが尋ねた。


「どうした? カックラウ。酔ったか?」

「いえ……それが……少し変な匂いがします」

「変な?」

「はい。エルフのワインだと思うんですが……なんか変です」


 カックラウがワイングラスに鼻を近づけてわずかに動かした。

 長い鼻梁が微かに上を向く。空気を読むというより、空気を分析している動作だ。


「御三方はずっと森林のニオイと表現されていますが、森っぽい匂いじゃなくて……乾いた岩みたいな匂いがします。どちらかと言うと苔。エルフのワインなら、もっと木の香りが混じるはずで。フェアリーオークで熟成されているなら特に」

「フェアリーオークを知っているのか?」

「犬の獣人の鼻には、木の種類が匂いでわかるんです。普通の樫とフェアリーオークは、かなり違います」


 パットンが振り返って視線をグライムに剥けたが、彼は既にコルクを手の中に持って何か考えていた。

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