第四部「誰の思惑?」
夜が深まった隠れ家に、ボンドが帰ってきた。
グライムはテーブルに肘をついて酒瓶を傾けていた。帰ってきた足音を聞いても立ち上がらなかったのは、ボンドへの信用の現れだ。
無事に帰ってきた。城に侵入して帰ってきた。それだけでボンドの変装と侵入の腕の良さがわかる。
だが予想を反し、ボンドの第一声は「抜け道は調べられなかった」というものだった。
グライムは思わず酒瓶を置いて、立ち上がった。
「おい、嘘だろ……完全にボンドを信用してたんだぞ」
「今回はだ。少なくとも、後数回は必要だな。兵士は無駄話は市内が、侍女は話しかけてくる。ちょっと厄介だぞ。女は細かいところに気が付くからな」
「つまり時間がかかるってことか……」
グライムは丸めた手でテーブルを軽くコツコツ叩いた。彼の苛立ちを示す仕草だ。
「最初からそのつもりだろ。それより、この手何度も使えないぞ。そのうち売るもんがなくなる。そうしたら商人本人の確認が必要なものを売る必要がある。無理だろ、そんなのを用意するのは」
「わかってる……。ちょっと黙っててくれ、考えがまとまらない……」
グライムは珍しく、押し黙った。
ボンドはそれを見て、酒瓶を掴んだ。
隣の棚からわざわざグラスを二つ持ってきて、一つグライムの前に置き、一つを自分の前に置く。
それも雑にではなく、お祝いごとをするように丁寧にセッティングした。
「まぁ、落ち着いて酒でも飲め」
「落ち着いてられるか。わかってても……進歩ゼロってのは焦る」
「パットン王子も、その部下も、今日は来ないだろう。魔法錠を足から腕につけ直したんだろ? せっかくだ、足を伸ばせ。ほら」
ボンドが椅子に座ったまま短い足をテーブルに乗せると、グライムも同じように同じテーブルに足を乗せた。
ランタンの炎が小さく揺れて、影が壁を踊るように緩やかに動く。
「それで? なにを祝うんだ?」
グライムが尋ねると、ボンドを肩をすくめてからグラスを持った。
「乾杯の前には、酒が注がれてないとおかしいだろう」
グライムは飲みかけの酒瓶から、二つのグラスに酒を注いだ。
グラスを手に取ると、ボンドはおもむろに口を開いた。
「いいものやる。城で拾った」
「侍女の下着でも拾ったか?」
「もっと良いもんだ」
ボンドがポケットから取り出したものは、布のようにはらりと落ちるのではなく、コツンと硬い音を立ててテーブルを転がった。
小さな、灰色の欠片だった。
グライムは酒瓶をテーブルに置き、その欠片を拾い上げた。
指で表面を撫でる。石の手触りだが、普通の石ではない。特定の鉱物が混じった、城壁にも使われている特有の素材だ。
「これ……城壁の一部の欠片か?」
「そうだ。パットン王子は城には持ち帰ってないって言ったな?」
「ああ、アイツは嘘をつけない」
「じゃあ誰かが城に持ち運んだんだ」
ボンドは言い終えるのと同時に、ぐっと酒を煽ってグラスを空にしたが、グライムは酒を飲むことなく、欠片を手のひらに転がしていた。
「外から持ち込まれた石の欠片と、内側で誰かが持ち運んでいた城壁の欠片では、意味が全然違う。前者は偵察の証拠だが、後者は……」
グライムは言葉を止めた。
後者は、城の内部に協力者がいるという証拠だ。
「なあ、パットン王子は本当に壁の欠片を盗んだ犯人を探してるのか?」
ボンドがすっかり酒臭くなった息で言う。
「どういう意味だ」
「いいか。オマエが証拠を見つけるってことは、逆にパットン王子のアリバイも作れるってことだ」
「オレを利用して犯罪の矛盾点を洗い出して、完全犯罪にしようとしてるってことか?」
「そうだ」
「ボンド……オレを評価してくれるのは嬉しいけど……」
グライムはため息を付く代わりに、口元を歪ませた。
「おい……やめろよ、その顔。オレのことをバカにしてるな!」
「パットンが怪しいのは確かだ。でもな……そういう理由の仕方をするなら、見張りは絶対に外さないだろ。ボンドの言うとおりなら、この会話も聞かれてるぞ。オマエの過去の犯罪の帳消しも……帳消しだな」
「それがグライムの悪い癖だぞ。裏をかかれるってことを考えてないんだ、いつもな。自分が一番賢いとでも思ってるんだろう」
「スマートと言ってもらいたいね」
「いつか足元すくわれるぞ」
「なら、その日までは、一番賢いと名乗るかな」
グライムは自信満々の笑顔でグラスを傾けるが、ボンドはすっかり呆れていた。
同じ時刻。
パットンは猿の獣人のジェーンから報告を受けていた。
猿の獣人は、高所の移動や身のこなしに優れ、気配を消して人の目をすり抜けることに長けている。
中でもジェーンは群を抜いていた。
屋根裏、梁の上、狭い路地――人が意識しない場所を渡り歩き、欲しい情報だけを持ち帰る。
パットンがその腕を疑ったことは一度もない。
つまりグライムにボンドがいるように、パットンにはジェーンがいるのだ。
「なるほど……。報告はこれで全てか?」
「はい。グライムの手に渡ったのが最後。それ以降の足取りは不明です」
「わかった……。潜入ご苦労」
「いえ。ではこれで」
ジェーンは一礼すると、音もなく部屋を後にした。
部屋で一人になったパットンは、月を見上げて眉間にしわを寄せた。
「グライムは……もう少し泳がせるか……」




