第三部「偽造と本物」
パットンが隠れ家を訪ねてくる頃合いには、ある程度の規則性がある。
グライムはそれを把握していた。そして、パットンが次に来る前に、一つだけ準備を済ませておいた。
翌日の夕方、パットンが城壁の件の続報を伝えに来た。変種モンスターの届けは出ていなかった、という話だった。
「わかった」とグライムは言った。それから、何でもないように続けた。「ところで、一つ頼みがある」
「何だ」
「先日の美術館の調査で、検証用の紙と炭を画材屋に借りたままになっている。緊急を要したから、後払いにしてもらったんだが……」
「だが、なんだ?」
「店主がごねたもんで、城の名前を出した」
「オマエは勝手に……。国家を名乗るは重罪だぞ」
「国宝とも呼べる絵画を取り返したんだぞ。とにかく証人のサインが一つあればいい」
「私がサインするのか?」
「マリアに頼もうかと思った。でも、今はもう頼む手段がないしな」
「そもそも王子妃に頼もうとするな……。まったく……」
パットンは少し考えた。
確かに、美術館の現場調査でグライムが紙と炭を使ったのは事実だ。
それを自分の目で見ていた。
あの時は目の前で絵画を盗まれた失態からの焦燥感にと、グライムが鎧兜を身に着けていたという安心感から、正体がバレないとわかっていたので、少し自由に行動させていたのだ。
パットンは問題ないと判断した。
「わかった……紙を出せ。今度からどんな些細ことも私に相談しろ。国の信用にも関わることだ。ただでさえ、最近は種族間での争いが増え、国への不信感が高まっているんだ」
グライムは机の引き出しから紙を取り出した。画材屋への支払い保証という体裁の文書だ。
パットンはざっと目を通し、それが本物だと判断すると、懐から羽ペンとインクの入った小瓶を取り出した。
夜明け前の瑠璃色のようなインクにペン先を浸すと、端の空欄に手早くサインをした。
グライムはそれを受け取り、丁寧にしまった。
「ありがとう。助かる」
「画材の支払いくらい、最初から私に言えばいい」
「わかった。次からそうする」
「ちゃんと燃やすところまで見届けるんだぞ。オマエならこのインクの意味もわかっているだろう」
「もちろんだ」
パットンが帰ると、部屋に静寂が戻った。
それからグライムはしばらくの時間、普通に日常生活を送った。
グライムがワインを開け、一口飲んだのを確認すると、今日はもう行動しないだろうと、隠れ家を監視する視線が消えた。
すると同時に、二階の裏通りに面した窓からボンド入ってきた。
テーブルの上に広げられているのは、パットンの直筆のサインが書かれた書類。それがランプの灯りに照らされてる。
まるで光に寄付く蛾のように、ボンドは吸い込まれるように近づいた。
「これが……魔法インクのサインか。なあ――」
「言いたいことはわかる。でも、魔法インクの解析は不可能だ」
「わかったよ……。じゃあもう一回確認させてくれ」
ボンドは荷物を下ろして、椅子を引いた。
「サインが書かれた紙を、特殊な魔力溶液に浸す。紙は溶けてなくなるが、インクだけが溶液の中に残る。それを偽造書の上に転写する、ということか?」
「そうだ。紙ごと複製しようとしたら、魔力のパターンが崩れる。でもインクそのものを移してしまえば、魔力は元のままで乗り移る」
「理屈はわかる。問題はその魔力溶液を、オマエがどこで調達したかだな」
「城下町の錬金術師街に古い薬屋があるだろ。三年前から変わらず営業中だ」
「あそこか……グライムがいた三年前からぼったくりで有名じゃないか。今じゃ誰も頼らないぞ」
「代わりに口が固い。お陰で、誰も知らない。魔法インクのサインが転写出来るきることを」
グライムは瓶の蓋を開けた。
液体は無色透明で、特に匂いもない。しかし瓶の内側に触れると、インクに濡れたガラスが微かに虹色に輝いていた。
パットンのサインが書かれた紙を、木製のピンセットで掴んで瓶の中に沈める。
紙がゆっくりと溶けた。形が崩れ、繊維がほどけ、やがて液体と区別がつかなくなる。しかしインクの部分だけが液面に浮き上がり、透明なゲル状の膜のように、文字の形を保ったまま漂い始めた。
グライムは少し古い白紙の入城許可書を、今度は液面に近づけた。ゲル状のインクが、吸い付くように紙の上に移っていく。インクが定着すると、パットンの署名が元通りの形で書類の上に現れた。
完成した入城許可書をランタンに透かして見た瞬間、ボンドは小さく声を上げた。
「本物と変わらない……いや、本物そのものだな。これは」
「そうだ。インクも筆跡も本物だからな」
「流石だな……。手際は三年前と変わってないな。むしろレベルアップしてる。どこで入城許可書を手に入れた?」
「変に歴史がある国で助かる。入城許可書は何十年も変わってなかったらな。金は張ったが本物が手に入った」
「感謝しろよ。オレが守ってやってたんだぞ。三年前にオマエがここに隠していった財産を」
ボンドは得意げに言った。陰ながら友人を助けやったという自尊心を満たした表情だ。
グライムは顔を上げ、素直にオレを言った。ボンドが言った通り、隠していた財産を使い入城許可書を買ったのは本当だからだ。
「おう、ありがとな」
しかし笑い方がおかしかった。
含み笑いというか、何かを噛み殺した種類の笑いだ。
それに、ボンドはすぐに気がついた。
「まさか……オレに嘘を教えたのか? 教えんたんだろ……教えたな……」
「嘘は教えてない」グライムは書類を机に置き、指先に付いた液体を布で拭いた。「でも、一箇所に全部隠すようなことをするわけがないだろう」
「一体いくら隠してる?」
「それは……これからのこの国の行方次第かな」
沈黙があった。ボンドの目が細くなる。思考が高速で回転しているときの顔だった。
「【天使の涙】だ! 天使の涙だろ! オマエこの国に隠してたのか?」
「なにも言ってないだろう」
「なるほど……さては、天使の涙がルミナス暗号を解く宝石の一つだと思ってたな? でも、違ったんだろう」
グライムは答えなかった。その沈黙が答えだった。
苦笑いが浮かべたが、すぐに消し、本題へと戻った。
「いいから……潜入できるんだろう。中に入って抜け道を探せるか?」
「まあ……オレは今からゴブリンじゃなくて、コボルトだ。犬の獣人ほど鼻は効かないが、嗅覚の鋭さはある。それを利用して、売ってるものは独自にブレンドした香水や香油。どうだ?」
「完璧だ。香りものは、秘密の贈り物に、夜の生活に、人に知られずに買いたいもんだ。魔法インクのサインが入った入城許可書で、商人を呼び寄せるには十分だ。門番はサイン主に確認しない」
グライムはそう言って入城許可書を二つに折ると、ボンドの胸ポケットに差し込んだ。
「痺れるね……。完璧な作戦だ。……耳で聞いてる間はな。このサインの転写。本当に上手くいってるのか?」
「そう願うしかない。なんせ確かめようがないからな。一発勝負だ」
「バレたらどうする?」
「いいか? その入城許可書は門番にしか確認されない。城に入れば余計な部屋に向かわない限り問題ない」
「オレは炎色が違うときのことを言ってるんだ」
「そん時は逃げろ。門前なら逃げ道はいくらでもあるだろ?」
「オマエの完璧な作戦にはいつも穴があるぞ」
「それだけ信用してるってことだ。本当ならオレが自分でやりたいんだ。わかるだろう?」
「まあな」ボンドは細く息を吐いて気合を入れた。「そんじゃあ、グライム。オマエが見られない世界を見てきてやるよ」
翌朝の城門は、開かれたばかりの空気をまとっていた。
門番が二人、それぞれの柱の脇に立っている。一人は人間、もう一人はドワーフだった。朝の眠気の残りが顔に貼り付いていて、通過する者を確認する目は義務的だが形式的だった。
そこへ香水と香油の入った木箱を抱えた行商人がやってきた。コボルトに変装したボンドだ。
コボルトは犬系の中でも小柄で、長い鼻が特徴的な種族。
毛色は薄茶で、先端が黒い耳がぴんと立っている。
ゴブリンの長い鼻と耳を利用すれば、完全にコボルトに変装することが出来た。
あとは堂々とすること。バレても堂々とする。逃げる直前まで、自分でもなりすました本人だと思い込むことが重要だ。
ボンドは慣れた様子で、喋り方を変えた。
「失礼ですが、これを」
入城許可書を差し出す。
門番の人間が受け取り広げた。魔法インクのサインだとわかると、そのまま小さな炉に近づけて、火の中に投じる。
炎が一瞬、緑がかった光を帯びたかと思うと、鳥の形になり消えた。
ドワーフが荷物を一瞥して「通れ」と手を振ると、ボンドは丁寧に何度も頭を下げ、城門をくぐった。
城の内部は、外から見るよりずっと複雑な構造をしていた。
中庭は思ったより広く、回廊が四方を囲んでいる。
石の床に朝の光が差し込んで、回廊の柱が等間隔にならび、デザイン性のある影を作っていた。
ボンドは商人の顔を画面に貼り付けると、視線だけで空間を記録していった。
愛想笑いを作ったまま、その奥で目が止まらずに稼働している。
石の種類、扉の数と位置、窓の向きと高さ、警備の交代のタイミング。少しでもルーティンがありそうなものは全部利用できる。
「そこの商人」
突然声をかけられ、ボンドは心臓が跳ねるのを感じた。
振り返ると、侍女が立っていた。
若くはなく、女官長の類か、少なくともそれに準じる立場の女性に見えた。
その目は商品ではなく、ボンドの顔を捉えている。明らかに疑いを含んだ瞳だった。
「どちらの商会の者ですか」
静かな声だった。怒気はないが、その静けさは怒気より重くプレッシャーを掛けてくる。
ボンドは表情を変えなかった。
「ご質問ありがとうございます。わたくしめは城下町の南側に店を構えます、香油専門の行商でございまして。商会と申せるほど大きな組織ではなく、私一人で仕入れと販売をやっております。コボルトの嗅覚を活かした調合が専門でございます」
「許可書は」
「こちらに」
ボンドは胸ポケットから素早く書類を取り出した。
女官長の手に渡った許可書が広げられる。
これは念のために用意しておいた別の書類だ。
グライムが言っていた通り、城に出入りする商人の書類は規格が古く、何十年も前から変わっていない。
女官長が書類を精査している間、ボンドは表情を動かさなかった。
長い。体感で三十秒、実際には十秒程度だったかもしれない。
「コボルトの行商が、なぜ城に?」
「はい。以前より、ある侍女様を通じてお声がけいただいておりまして。宮廷の女性方にご好評をいただいております。犬系の鼻は香りの微妙な調合に向いておりますので、好みを伺った上で個別に調合いたします。一般の香水屋とは少し異なる趣向でございますが、その点がご好評をいただいている理由かと」
女官長の目が、再びボンドの顔に戻ってきた。値踏みしているというより、整合性を確かめている目だ。
商人として受け答えに矛盾がないか、どこかに引っかかりがないか。
ボンドは視線を受け流さなかった。真っ直ぐに返す。後ろめたいものがあれば、視線は逃げる。そうではなく、商人として当然の態度で受け止める。
問題がないと判断すると、そこから一言二言会話をし、女官長は歩き去った。
ボンドは背中が見えなくなるまで、笑顔を保った。
静かに安堵のため息を落としたボンドは、余り長居しては危険だが、すぐに門を出ても不自然だと思われる。
中庭を通れば時間を潰せるし、見知らぬ人間がいても不思議ではない。
庭とは誰かに見せるものだからだ。
そして、帰り際。中庭を抜けるときに一つだけ拾ったものがあった。
通路の入口近くの石畳に、ごく小さな欠片が落ちていたのだ。
踏まれて隅に寄ったのか、排水溝の縁に不自然に引っかかっていた。




