第二部「変装の達人」
城壁の南側。
午後の斜陽が石を照らし、積み重なった年代物の岩肌に不均一な影の模様を作っていた。
グライムは腕を組んで城壁を眺めていた。
パットンに言われたから壁の状態を確かめに来たわけではない。
ここでボンドと待ち合わせをしているのだ。
壁を調べるという大義名分が出来たので、パットンの部下に見張られていたとしても不自然には思われない。
だが、間が悪いことに、そこへ誰かが来た。
背が高く、長い耳と枯れ木を思わせるような細い体格。エルフだ。
しかし何かが妙だった。
立ち方がおかしい。背丈の割に足元が不安定で、足が不自由そうに見えるが、その割には杖の一つも持っていない。
そしてそのエルフはグライムの隣に立つと、壁際で立ちションを始めるように背中を丸めた。
「おい、わざわざ隣に来るなよ……」
グライムが隣に視線をやると、エルフと目が合った。
その両目は、エルフの顔にしては妙に近い位置にある。
ゴブリンの目だ。そして、その瞳の色にグライムは確かな見覚えがった。
「ボンドか? おいおい……高尚なエルフが街で立ちションなんかするかよ……変な噂になるぞ」
「仕方ないだろう。グレッチェンは友だちと遊んでるんだ。これが一番バレない」
ボンドがマントの裾を軽くめくると、下から竹馬に乗った短い脚が現れた。
緻密に作られた仕掛けで、膝から下が人工的に延長されている。
「まぁ、ボンドの変装は相変わらず見事なもんだ。隣で顔を見るまでわからなかったからな」
「ゴブリンってのは、一番色んな種族に変装しやすい。長い鼻も長い耳も、みーんなどれかの種族の特徴だってな」
「それで……変装の名人は、お仲間を見つけたか? また屋根の上にいたんだろう? パットンには適当なこと言って帰らせたけど、壁を盗むなんて全く持って意味不明だ」
グライムも軽く足を開くと、背中を丸めて立ちションをするふりをした。
下品だが、男二人が並んで小便をする横に来るものはいない。人払いのは最適だ。
「モンスターを引き連れてくるとは笑ったな。まだまだ王子として見識が浅い。だとしたら空を飛ぶモンスターを選ぶだろう。城壁なんて意味がない」
「それで?」
「いーや……変装した形跡はない。捨てられた衣服もなければ、消去された痕跡もない。着の身着のままで盗んでいった。つまり変装する必要がない人物だ」
「まさか……もう壁が盗まれた現場に行ったのか? ……カックラウを侮るな。犬の獣人の中でも鼻の良さはピカイチだぞ。三獣士の中でも一番情がない」
「わかってるよ。言葉通り、アイツはパットンの忠犬だ。だから表通りと裏通りが重なる隠れ家を探させたんだろ、オレに。色んな香りを運ぶ風がぶつかる場所。それが一番苦手だもんな。鼻が利く獣人ってのは」
ボンドはマントをもう一度持ち上げた。今度は内側が見えるように、裏を返して広げる。
マントの裏地のあちこちに、小さな布袋が縫い付けられていた。
強めの花の匂いがそこから漂ってくる。バラとラベンダーが混じったような、甘くて重い香りだ。
「ポプリか」
「体臭が隠れる。いや、正確には強い花の匂いの記憶の中に、オレの体臭が埋もれるという感じだな。犬系の獣人は一度強い匂いを嗅ぐと、しばらくそれが残像みたいに鼻に残るんだ。オレのニオイは絶対に覚えさえない」
「なるほど……なぁ――」
グライムは壁から体を離すと、向き直ってボンドの顔を真っ直ぐ見た。
「ダメだ」
「まだなにも言ってないだろう」
「オレはバカじゃないぞ。グライム、オマエがなにに誘導してるか丸わかりだ。城に忍び込めって言うんだろ? 無理に決まってる」
ボンドはマントを元に戻すと、鋭い目つきを更に強くした。
声は静かだが、しっかりと言い切った。
「つれないぞ……少しは考えろよ」
「あの城が犬の獣人ばかりのワンワン王国なら別だがな。あの城には色んな種族がいる。それだけセキュリティの種類も多いんだぞ。わかってるのか?」
「パットンが運んだなにかが、ルミナス暗号を解く手がかりなのは間違いないんだぞ」
「無理だ」
「別に王の寝首をかくってわけじゃないんだぞ。宝物庫まででいい」
「無理だ」
「中庭」
「無理だ」
ボンドは顔を上げなかった。壁の石を眺める振りをして、その視線の端でグライムの顔を確認している。
二人は友人だが、同業者でありライバルでもある。表情を悟られないようにするのはお互い様だった。
グライムはダメ元で煽ってみたが、そんなことに引っかかるボンドではなかった。
「変装の名人なのに、そんなことも無理なのか?」
「無理に決まってるだろう。オレたちは悪党だ。城に入れる知り合いもいない。せめて正式に城に出入り出来る許可書がないとな」
「腕の良い偽造屋がいるだろう」
ボンドは一瞬、動きを止めた。
「グライム……。オマエがこの国にいたのは三年前だろ。去年死んだ。腕の良さが仇になってな……逆恨みだ」
空気が変わった。
主導権を奪うための会話の探り合い。その表面をなぞり合う中で、唯一感情の湿りが混じった声だった。
思わずグライムも少し黙り、その感情を心に受け入れた。
「そうか……死んだか。いい奴だった。最後に一杯飲みたかったよ」
「皆そう思ってる」
ボンドは壁から目を離し、城下町の通りを眺めた。
昼過ぎの人の波が通りを埋めている。その中の誰が善人で誰が悪党か、見た目ではわからない。
「この世界じゃ、いいやつほど逃げ道が少ない。だから死んでいくんだ」
二人はしばらく黙った。
城壁を背にし、まるで城下町の喧噪が墓前のように、ただ前にして立っていた。
「ところで……その許可書ってのは、商業的なものでもいいのか?」
唐突にグライムが言った。声はまた平坦に戻っている。声に感情の引きずりはなかった。
「グライムよ……宝石商に知り合いなんかいないだろ。城に入れるってことは、裏の顔がないってことだ」
「表だけど……宝石商じゃない」
グライムはニヤッと笑った。
なにか一騒動起こしてやろうという思いついた顔だ。
彼と似たような気質があるボンドは、この顔を見ると彼についていくしかなかった。
要するに安全より好奇心が勝ったのだ。
ネコの獣人が経営するマッサージ店は、以前グライムが最初の事件の解決の時に、パットンを連れて行った店だ。
扉を開けると木の床が鳴り、奥から「いらっしゃい」という声が聞こえた。
グライムが入ってくると、カウンターの向こうから顔を出した店主の表情が、驚きから喜びへと変わった。丸い耳が立ち上がる。ふさふさの尻尾が揺れた。
「あら、グライムじゃない。久しぶりね。薄情なんだから」
頬を膨らませているが、目は笑っている。彼女の営業トークに、グライムは顔つきと口調を変えたて、カウンターに片肘をついた。
ここでのグライムは城の兵士だ。
「マッサージ店はここにしか来てないよ。まさか食料もここで買えって言うのかい。だとしたら、間違いなく君を買っていく」
「いっつもバカばっかり言うんだから」
店主は笑いながらカウンターを出た。
「ほら、寝て」
施術台の上に横になったグライムに向かって、店主の手が背中を探る。
ふっくらした肉球が肩甲骨の下に入り込んで、固まった筋肉の結節を捉えると、グライムが小さく息を漏らした。
その声に紛れさせ、いかにも世間話のように切り出した。
「そう言えば……今もお城で王子妃様のマッサージはしてるのか?」
会話の流れに乗せるように、さりげなく投げかける。
「ええ、勿論よ。マリア様って特別に名前で呼ばさせてもらってくらい、お目にかけてもらってるわ」
「本当かい?」
グライムの声には驚きが混じっていた。演技ではなく、本物の驚きだった。
「あら、疑うの?」
「オレは城の兵士だって言っただろ?」
「ええ、前に」
「その割に、君を城で見たことがないと思って」
施術台が軋む音が響く。
肩を解されながら、グライムは血行が良くなる気持ちよさに油断しないように、床の木目を数えた。
「そうね。だって、私は特別に呼ばれてるから。庶民がお城に簡単に入れるわけないでしょう」
「そりゃそうだ。毎日働く兵士だって、入るのは大変なんだから」
「でしょ。方法は教えられないけど、特別な抜け道があるのよ」
グライムがキタと思った瞬間、背中の筋肉がわずかに緊張したが、それを感じ取れるほど施術者の指は敏感ではなかった。
「なるほど……どうやら、君は悪い子みたいだ。城で見つけたら、きっと捕まえて見せる」
「だって、泥棒猫だもの。この店のキャッチコピー知らないの? 疲れを盗み取る、よ」
店主は笑った。探られていることは全く気付かず、店員と客の会話を繰り広げる。
グライムは話の最中に数度、王子妃のことを質問した。何色が好きとか、どんな天気が好きかなど、中身はなんでもよかった。
必要なのは、その話題の最中の彼女の視線だ。
施術中に視線を逸らすのは客の対応だ。その他は、話題に出たものが近くにある時だ。
グライムは城に入るための許可書がどこにあるか探っていたのだ。
施術が終わり、グライムが施術台から降りようとしたとき、体がふらりと傾いた。
壁に手をつこうとして、手が壁ではなく棚の端に触れた。そこに引き戸がある。指先が、からくり仕掛けの細工を拾い上げる感触を掴んだ。
壁が少し動き、隠れた引き出しの奥に一瞬だけ見えた内側に、折り畳まれた紙が一枚。
グライムはすぐに壁から手を離した。
体勢を直す自然な動作に見えるように。
「大丈夫? ちょっとやりすぎたかも……血流が急に回って、たちくらみかもしれないわ。少し休んでいく?」
「違うよ。君の尻尾に太ももをくすぐられたからだよ」
グライムは問題ないとその場で踊るようにつま先で一回転すると、店主が笑い声を上げた。
「あら、敏感なのね」
「そうさせたのかと思った」
「マリア様お墨付きのマッサージ店よ。そんなことはしないわ」
「わかってるよ。また来る」
談笑しながら店を出たグライムは、表通りに出た瞬間、自分の手際の良さに更に笑顔を濃くした。
「遅いぞ! グライム!」
待っていたのはボンドだった。
路地の角で壁に背中を預けて、短い足を小刻みに揺らしている。
「オマエもマッサージを受ければよかっただろ。あの店はいいぞ。考えすぎて肩こりした時はいつも世話になってる」
「苦手なんだよ。獣人は……アイツらすぐニオイを嗅ぐだろ? 正体を探られてる気がして、どうも落ち着かない」ボンドの貧乏ゆすりが止まった。立ち上がって、見えない視線にきづいいたように、路地の入口を一瞥してから、グライムの袖を引っ張った。「場所を変えよう」
隠れ家に入ると、ボンドはすぐに椅子に腰を下ろした。
「で、どうだったんだ?」
「城に入れるぞ」
グライムは戸を閉めてから振り向いた。
「許可書を盗んだのか?」
「違う。マッサージ店で許可書を盗み見た」
「どうやって?」
グライムは棚からワイン瓶を取り出すと、テーブルを挟んで向かいの椅子に座り、足を伸ばした。
そして一口飲むと、ボンドに投げ渡した。
「ふらついた先に、ちょっと大事そうなからくり引き戸があったからな。とっさに体勢を直そうと手をついたら開いちまったんだ」
「紳士だねぇ。女の体を触らないとは。良い泥棒の条件だ」
「だろ」
グライムはにやりと笑うと、眉が寄って、また考える顔に戻った。
「一瞬しか見えなかったけど十分だ。ありゃ、厄介だな……」
「城に入れるって言ったばかりだろ。マッサージを受けて、疲れと一緒に記憶まで飛ばしたのか?」
「偽造は出来る、なぜならあれは門で燃やされるもんだ。その炎が身分証になる」
「おいおい……まさか」
「そのまさか、魔法インクのサインだ。王族の個人的な訪問に使われるもの」
ボンドの表情が変わった。椅子に乗り出して、テーブルに両肘をつく。
「それって……燃やしたら、特定の魔力によって炎の大きさや色、形が変わるってやつだろ。偽造は無理だろ。アレは王族の中でもトップシークレット扱いだぞ。家族でさえ魔力調合の比率を知らないはずだ」
「そうだ。だから偽造はしない。王族の誰か本人のサインが必要ってわけだ」
「パットン王子か? グライム……オマエの書類にサインをするわけがないだろう。アイツは愚直だがバカじゃないぞ。オマエの行動を逐一疑ってる。なんの許可書にサインをさせるつもりだ?」
「それはまだ考えてない」
「まだ考えてないって……」
「だが、方法はあるはずだ」
グライムの頑固さに、ボンドはため息をついた。
手のひらで顔を覆い、その手を下ろしたとき、表情はすでに諦めに移行していた。
もう九割はグライムが城に忍び込むことに納得している。あとは残りの一割を埋める後押しが必要だった。
それが、パットンのサインだ。
「もし、それが成功しても危ない橋だぞ」
「危なくない。今回は門の内側に入るだけでいい。それで内側からの抜け道を探すんだ。徐々に段階を踏めば、ルートが生まれる。だからオマエは安全だ、ボンド」
「今の言い方……オレが潜入するみたいに聞こえたぞ」
「悪い……言い方が悪かったな」
「びっくりするだろ」
「潜入してくれ。サインはオレが用意する」
「なんでオレが!」
ボンドの声が跳ね上がった。椅子を引く音がして、そのまま立ち上がりかけたが、グライムの言葉に石化したように固まった。
「興味あるだろう? 王子間でも隠された謎。ルミナス暗号に誰が気付いたか。そいつは絶対に裏のやつと繋がってる。オレとパットンみたいにな」
「……ある。でも、それとこれとは別だ。グレッチェンを見てみろ……」
ボンドは床に目を向けた。日頃そこにいるはずの小さな体が、今日はない。
「遊びに行ってんだろ? 自分で言ってたじゃないか。まあ……今頃友達にアップルパイでも奢って食べてるんじゃないか? 臨時収入が入ったから」
「オマエがグレッチェンを誘い出したのか……」
「小遣いをやっただけだ。それに、誰でも良いから頼んでるわけじゃない。変装の名人のボンドだから頼んでるんだぞ。絶対に戻ってくれる優秀な奴が必要なんだ。オマエ以上に頼りになるやつが、この王都にいるか?」
「おだてても無駄だ」
しかしボンドは立ち上がらなかった。
椅子の上で腕を組み直す。それは断りの姿勢ではなく、条件を考えている姿勢だった。
「オレが頼むのはいつだって、最高の悪党だけだ。わかるだろう? オマエはオレの面会に来てる。パットンが連れてきたってことは、オマエは城へ門から入ってるはず。大体のことは覚えるだろう? 答え合わせをしてくれればいい。それに……オレが行きたくても、城までは行けない……。抜け道はやっぱりなかった」
グライムは手首を持ち上げて、魔法錠を見せた。
ここ最近やっていたのは、パットンが見抜いた通り魔法錠の抜け道を探していたからだ。
この魔法錠は、王都が円状の壁に囲まれ、その壁が魔法陣の役割を果たしているから機能している。
逆に言えば、壁の外に出ればただの輪っかになるということ。
壁が壊されたので、壁の内側にも穴が出来たかと知れないと思い、色々試していたのだ。
そして、今のところ内側に魔法錠の抜け道はない。現時点で、グライムが単独で城へ入るのは不可能だった。
「まったく……」ボンドは短く息を吐いた。「入城許可書の出来が少しでも悪かったら、その場で破り捨てるぞ」
「任せろ。考えはないけど……当てはある」




