第二部「偽りのミイラ」
薄暗い部屋の奥、セトナは静かに座していた。
乾いた包帯が、その身体を幾重にも覆っている。
この姿こそがグライムが気になっていたことだ。
セトナの落ち窪んだ目の奥に、警戒するような光が宿っていた。
「グライム殿……どのようなご用件で」
声は乾いた砂漠の風のように掠れていた。
だが、その響きの奥に、グライムは微かな緊張を感じ取った。
「単刀直入に言う」
グライムは扉を閉めると周囲に人の気配がないことを確かめてから、切り出した。
「宝物庫の近くを、うろついていたそうだな」
セトナの肩が、わずかに強張った。
「何のことか、わかりかねます」
「とぼけなくていい。アンタを咎めに来たわけじゃない」
「では……何をしに」
「取引をしに来た」
セトナは包帯の隙間から覗く目で、じっとグライムを見つめた。
「アンタ……ゾンビ族の従者にしては、随分と様子がおかしい。他の従者たちと違って、日光を極端に恐れてる様子もない。歩き方も、ゾンビ特有の強張りがない。それに――」
グライムは、セトナの包帯に覆われた手首をじっと見つめた。
「包帯の下……随分と汗をかいてるみたいだな? ミイラが汗を掻くとは驚いた」
「……何が、言いたい」
「アンタ……人間だろう?」
部屋の中に重い沈黙が落ちた。
しばらくの間、セトナは、何も答えなかった。だが、やがて、諦めたように、深く息を吐いた。
「……いつから、気付いていた」
「歓待の宴で。最初はこぼれた酒かと思っていた。でも、あれは内側から滲み出た染みだった。あの時は確証がないし、敵意もなかったから黙っていた」
「見抜かれていたとは」
セトナは力なく笑った。
乾いた声の奥に、深い疲労が滲んでいた。まるでパットンと同じため息だ。
「話してくれ」
グライムは、静かに促した。
「人間のアンタが、なぜゾンビ族の従者として過ごしてきたか。新参って言っても、それはゾンビ族の寿命での話だ。その声……もうかなり年齢を重ねてるだろう? 相当長い間、ミイラのふりをしてきたはずだ」
セトナはしばしの沈黙の後、ゆっくりと語り始めた。
「若い頃だ……私は盗賊だった。盗賊と言っても、冒険者崩れの盗賊だ。やることは主に盗み。ある時、仲間と一緒に魔界へ行った」
「盗掘か……。よりにもよって魔界の砂漠の王の城を狙うか……」
「知らなかったんだ。知ったときには馬車の中。魔界で一人降りるわけにもいない」
セトナはそこで黙ったが、結果は話さなくてもわかる。
盗掘は失敗。仲間は死亡。
「それで、アンタはゾンビのふりをして生き延びたのか?」
「最初は命を守るためだったが、いつしか、それが当たり前になった。人間としての名も、人間としての顔も、誰にも見せることなく、何十年もの月日が過ぎた」
「今更、人間だと名乗り出るわけにもいかない、と」
「今更、なにを名乗ればいい。私を知る人間は、もうこの世にいない。人間として生まれ、人間として死ぬことすら、私にはもう許されていないのだ。人が死ぬというのは、自分を知っているものが誰もいなくなった事を言うんだ」
「故郷はどこだった」
グライムは、急に話を断ち切るように淡々と尋ね始めた
「北の国境の、小さな村だ。今はもう、地図にも残っていないだろう。疫病で村ごと消えた。だから、生き残った私は盗賊になるしかなかった」
「家族は?」
「妹が一人、いた」
セトナは遠くを見るような目をした。
「まだ幼かった。あの日、私が薬草を採りに山へ入っていなければ、少なくとも……共に死ねただろうに」
「宝物庫にいた理由は?」
「いたんじゃない――」
『――呼ばれたんだ』
グライムが声を合わせると、セトナは驚いたと目を丸くした。
一方で、グライムは資料に情報を忍ばせたのはアモーレの仕業だと確信した。
理由はわからないが、ボンドを助けようとしているのを知り、手助けをするつもりだ。
つまり、彼を使えばアモーレに借りを作ることになる。
いわば契約書みたいなものだ。
グライムは、しばらくの間セトナを見つめていたが、やがて静かに切り出した。
「一つ……提案がある。最後くらいは、人間で死にたくないか?」
セトナの目が、大きく見開かれた。
「……どういう、意味だ」
「アンタに、ある人物の代わりに、牢に入ってもらいたい。ただし、それはただの身代わりじゃない。アンタは牢の中で一生を過ごすことになる。だが、それは人間としてだ。今のミイラの姿じゃなくな」
「人間の、自分……」
セトナはしばらくの間、黙り込んでいた。
落ち窪んだ目の奥で、何かが静かに揺れ動いているようだった。
やがて顔を上げると、その瞳には先ほどまでとは違う、確かな決意が宿っていた。
セトナを自分の作戦線へと口説き落とした後、グライムはパットンから頼まれた本来の用件について、考えを巡らせていた。
従者の盗みの可能性を追うことができなくなったからだ。
この一件を、表向きどう片付けるべきか。
だが、考えれば考えるほど、この問題には、まともな解決策がないことが分かってきた。
結局のところ、この件は『何事もなかったことにする』以外に、片付けようがなかった。
発想の転換だ。この事を気にしてるのはパットンだけ。
つまり、パットンの意識をそらせばいい。




