第一部「セトナという男」
隠れ家の卓の上には、埃を被った紙の束が幾重にも積み上げられていた。
城に保管されている犯罪者資料。
いつものように盗んだわけではない。私兵の立場を存分に利用し、パットンの名前を出して借りたものだ。
蝋燭の明かりの下で、グライムはその一枚一枚を丁寧に紙をめくっていた。
この国で起こった犯罪。
窃盗、詐欺、傷害、密輸――様々な罪状が、几帳面な文字で記録されている。
名前、種族、犯行の手口、逮捕された経緯。
グライムは、それらを一つ一つ頭の中に刻み込んでいった。
ただ眺めているわけではない。
グライムが探しているのは、ある一つの条件を満たす記録だった。
(もう少し、あと少しなんだが)
グライムは指先で紙を叩きながら考え込んでいた。ボンドを牢から出す方法を。
単純にボンドを脱獄させれば、当然ながら城には罪人が逃げたと気付かれる。
一般牢の見張りの兵士は、毎日、律儀に牢の中を確認する。
空の牢を見れば、すぐにでも大騒ぎになるのは目に見えていた。
そこでグライムが考えたのは、もっと厄介な方法だった。
ボンドが牢にいる、という状態そのものは残したまま、本人だけをこっそり入れ替える。
牢の中身は変わる。
だが、書類の上では何も変わらない。
ここで重要でややこしいのは、現在ボンドは【ヒポナス】という偽名で捕まっていることだ。
城の記録上。そこには依然として、ヒポナスという名の罪人が座っている――ただし、その中身はまったくの別人だ。
この入れ替えを実行するために、グライムはまだ捕まっていない犯罪者や、過去に脱獄した犯罪者の資料を、数日使って片っ端から調べていたのだ。
都合よく使える人物、都合よく使える事件を、この紙束の中から探し出すために。
その時、扉を叩く音がした。
「入るぞ」
ノックと同時に、返事も待たず、パットンが中へと入ってきた。
「なにを見てるんだ?」
パットンは卓の上に広げられた紙の束を見て眉をひそめたが、グライムは動じることなく答えた。
「城の資料だ。暇つぶしに、犯罪者の顔でも眺めてる。街で見かけるかも知れないからな」
「鏡を見たらどうだ?」
「鏡ってのは真実を歪めて映す。人は皆左右反転してると思うだろう? あれは実は前後が反転してるだけなんだ」
グライムは適当に話題を逸らすと、紙束を無造作にまとめて卓の端へと寄せた。
パットンには、この計画を知らせるわけにはいかないからだ。
今回の作戦は、国そのものを騙すことになる。パットンにまで被害が及べば、それこそ取り返しのつかないことになる。
だから、グライムはパットンにも内緒でこの計画を進めているのだった。
グライムの誘導にひかかったのか、パットンはそれ以上、資料の中身には興味を示さなかった。
疲れきった様子で、卓の隅の椅子に崩れるように腰を下ろした。
パットンは両手で顔を覆うのを見ると、グライムはその様子を見て言った。
「随分と、くたびれた顔をしてるな」
「くたびれもする……。あの調子だと、私の寿命が縮む」
「その様子だと、ヴァレンじゃないな。ありがたいことに、土壇場の作戦がずいぶん効果出てるようだな。王への説明ができずに、大きく動けない。ってことは……別の問題だな。そして、パットンから話題を振らないってことは、自分から名前を出したくない。もしくは出さないほうが良い人物。たしか……ファラオ一行、まだ滞在中だったな」
「わかってるなら……推理よりも、どうしたの一言くらいあるだろう」
「どうした?」
グライムの投げやりな言い方でも、全く気にせずパットンは話し始めた。
それほど鬱憤が溜まっているのだ。
「側近たちの世話、儀礼の準備、種族間の細かい配慮――そのすべてに、私が駆り出されている。城にいると……息をつく暇もない」
「それで、愚痴を言いに来たのか? 仕方ないだろう。オレがファラオと親交を深めても意味ないんだからな。それは王家同士の話だ」
「愚痴だけじゃない……実は、少し困った話がある」
パットンが周囲を気にするように声を小さくしたので、グライムも声を潜めた。
「聞こう」
「ファラオの従者の一人が、城の宝物庫に近い区画をうろついていた、という報告が上がっている。盗みを働こうとしていたんじゃないか、という疑いだ」
「盗み……ね」
グライムは盗掘を嫌う国の従者が、そんなことをするのかと疑問に思ったが、今のパットンの精神的疲労が溜まった顔を見ると、突っ込む気になれなかった。
一方のパットンは、一度口から垂れ流したが愚痴が、滝のように止まることがなくなっていた。
「国賓の従者を、根拠もなく疑ったなどと知れれば、それこそ外交問題……だ。だが、放っておけば、本当に何かが盗まれかねない。証拠もない。見た者がいる、という程度の話だ。だから、余計に厄介なんだ……。表立って調べることも、見て見ぬふりをすることもできない」
「見た者……ね。誰だ?」
「宝物庫の見回りをしている、兵士からだ。深夜、灯りも持たずに、その区画をうろついている人影を見た、と。声をかけようとしたら、あっという間に姿を消したそうだ」
「灯りもなしに……か。随分と目の利くんだな」
「それも、気になっている点の一つだ。だが、ゾンビ族の従者なら、夜目が利いても不思議はない。それにしても、手慣れた身のこなしだったという」
グライムは従者のことじゃないと思ったが、あえて言わなかった。
「その従者の名前は? わかってるのか」
「セトナ、という名らしい」
「それだけか? 普通こういう時は、名前の後に色々情報が付け足されるもんだろう。ジェーンはどうした?」
「付け足す情報は一つ。ファラオの側近の中でも、新参だと聞いている。これ以上はわからない……。王子が従者の一人を調べるわけにもいかないだろう。限界がある。だからオマエに、頼んでるんだ」
パットンは、藁にもすがるような目で言った。
「驚いた」
「なにを驚く、それがオマエの仕事だろう」
「オレが驚いてるのは、今までの会話にどこに頼んだ姿があったかってことだ。こういうことだろう? パットンが直接動けば大事になる。だからオレが目立たずに探れ。つまり、アンタの愚痴を解決するために、オレが動くわけか」
「そうだ。助けけてくれ……」
「わかった、任せろ」
グライムがあっさりと頷いたのを見て、パットンは少し拍子抜けした様子を見せたが、それ以上は問い詰めなかった。
「恩に着る。今日はこれで失礼する。まだ、片付けなければならない書類が山ほどあるんだ」
パットンが去っていくのを見送ると、グライムは卓の上に残された犯罪者資料を、もう一度、丁寧にまとめ直した。
その中に一枚。セトナと名前と人相が描かれた紙が紛れ込んでいたからだ。
最初は資料にまとめる前のメモが紛れ込んでいたのかと思ったが、パットンからセトナという名前が出ると、これはなにかのメッセージということだ。
そしてこの顔には、グライムにも心当たりがあった。
ファラオの歓待の場で、幾度か顔を合わせたことのある人物だった。物腰は穏やかだが、独特の緊張感を漂わせていた男。
グライムは泳がしておいた甲斐があったと、その日のうちに城へと足を運んだ。
ファラオ一行に宛がわれた区画は、いつも通りの厳重な警備が敷かれていが、パットンが先に手を回してくれたおかげで、グライムは堂々と表門をくぐることができた。
「セトナ殿に、会いたい」
グライムがそう告げると、なぜ新米の彼に用事があるのだろうと、案内の侍従は少し戸惑った様子を見せながらも、グライムをセトナの控える一室へと通した。




