第五部「ひまわりの種」
決行の夜。
問題のレストランの裏手には、大量のハムスター獣人たちが、密かに集まっていた。
夜の闇に紛れた彼らの小さな体は、驚くほど目立たなかった。
合図と共に、彼らは一斉に動き出した。
倉庫の隅に隠されていた特殊スパイスの瓶へと、小さな体躯を活かして、次々と忍び寄っていく。
木箱の隙間、棚の裏、床下の隠し扉――どこに隠されていたとしても、彼らの機敏さの前では、大した障害にはならなかった。
一人が瓶を一つ抱えて、裏口から飛び出すと、店主が気づき慌てて追いかけた。
だが、別方向から、また別のハムスター獣人が、瓶を一つ持ち去っていく。
「待て――! こら! くそ!!」
店主がそちらを追おうとすると、さらに別の方向から、また別の一人が動き出す。
一人当たりの持ち出す量は、決して多くない。だが、人数が圧倒的に多かった。
何百人という数に近いハムスター獣人たちが、店主が一人を追っている間に、次々と別方向へと散っていく。
屋根の上、路地の奥、四方八方から小さな影が湧いて出てくるようだった。
店主は汗だくになりながら、右へ左へと駆けずり回った。だが、追いつけたのは、ほんの一握りだけだった。
「なんだ、こいつら――! いったい、どこから……!」
物陰から、その様子を静かに見張っていたジェーンも、要所要所で目配せを送り、ハムスター獣人たちの動きを、巧みに誘導していた。
彼女の諜報部仕込みの目は、闇とハムスターに翻弄される店主の視線の動きすら、逐一読み取っていた。
「右へ回るわ。三人、待機。手には二人の獣人を確認。動きを見せれば、暴行罪の容疑で動きを止め」
ジェーンが小声で指示を飛ばすと、城の兵士たちが配置についた。
闇の中から、小さな影が音もなく動き出す。まるで、あらかじめ稽古を積んだかのような、見事な連携だった。
結果、店にあった特殊スパイスは、瞬く間に次々と運び出されていった。
普段の仕事で培われた『大量の物を、大量の人数で処理する能力』が、そのまま、犯罪者への対抗手段として、鮮やかに転用された瞬間だった。
物陰から、その一部始終を見守っていたグライムとパットンは、思わず顔を見合わせた。
「見事なもんだな」
パットンが感心したように言う。
「アンタの評価が、また一つ上がるぞ」。
「オマエの評価だろう、これは」
「そう言いたいところだが……どうもオレたち以外の何かが動いてるぞ」
グライムはジェーンにも聞こえないほどの小声で言った。
「なに?」
「おい、声がでかい。いいか? ハムスターの獣人が協力を申し出るタイミンが、明らかに良すぎる」
「その声の小ささ。まさか内通者を疑ってるのか? 三獣士をか?」
「一つの可能性だ。ヴァレンの指示でも、三獣士を通されたら、オレは気付く自信がない。アンタはあるか?」
パットンはそれ以上、何も言わなかった。ただ、深く息を吐いただけだった。
二人が不審に思おうが、事件は解決へと向かって時間が流れていく。
特殊スパイスが、一夜にして、根こそぎ失われた。
真犯人にとって、これは大きな痛手だった。違法に手に入れた貴重な品を失えば、これまでの計画そのものが、根底から崩れてしまう。
密輸の元締めへの支払いも、今後の商売の見込みも、すべてが宙に浮いてしまう。
真犯人は慌てて利益を取り戻そうと動き出した。
だが、その焦りが決定的な隙を生んだ。
スパイスを追えばまだ身を隠せたものの、犯人は利益のためにわずかに儲けたお金の元へ向かったのだ。
その動きを、グライムとパットンは静かに追っていた。
「動いたな」
グライムは闇の中で呟いた。
真犯人が焦って動けば動くほど、違法輸入されたスパイスとの関係、そしてハムスター獣人たちをストライキへと誘い込んだ関係を示す、明確な証拠が積み重なっていく。
後日。密輸の元締めとのやり取りの現場を押さえ、金の流れを辿り、さらにはストライキを焚きつけた際に使った偽名の書付までも、見つけ出すことができた。
これまで証拠がなく、指をくわえて見ているしかなかった相手を、犯人自身の焦りによって、ついに追い詰めることができた。
パットンは、この一件を受けて、倉庫街の労働環境について、正式な調査を命じた。
コロタが語っていた、あの拍子抜けするほど些細な不満の数々が、今度はきちんとした手続きを経て、一つずつ見直されていくことになった。
「あの時は、くだらないと思って呆れたが……くだらないことの積み重ねが、こういう隙を作るんだな」
グライムが報告書に目を通しながらぽつりと言うと、パットンは呆れた口調で返した。
「今更気づいたのか」
「いつもは隙を作る側だったからな」
「隙といえば、ボンドを救い出す隙は見つかったのか? 私は一切協力できないぞ。犯罪者を牢から出せば、それだけでクーデターが疑われる」
「まぁな。こういうは隙はどうだ? アンタのスキがたくさん詰まってるぞ。色んな意味で」
グライムが投げ渡したのは『海賊ワイン』だった。以前まだ辺境にいた時にボンドに送っていたもの。
しかし、これはパットンからマリアに宛てた愛のラブレターだった。
「マリアにもゆっくり会ってない。これを持って会いに行こう」
「待て! 今か!?」
「アンタの私兵で隊長だぞ。堂々と王子妃に会えるってもんだ」
倉庫街には、久しぶりに活気のある喧騒が戻ってきた。
荷車の軋む音、威勢のいい掛け声、小さな体躯の獣人たちが、忙しなく荷を運ぶ姿。それは、以前とまったく変わらない。
しかし、どこか少しだけ、晴れやかな光景だった。
その日の午後。グライムは城の中庭をパットンと歩いていた。
目的は海賊ワインを開け、久しぶりに三人の時間を過ごすためだ。
だが、二人は顔を見合わせて立ち止まった。
「パットン……マリアに何か話したのか?」
「いや……」パットンは、記憶を辿るように、視線を宙にさまよわせた。「マリアには……確かに……ストライキのことを相談した気がするが」
二人が立ち止まった理由はマリアが既にお茶会を開いていたからだ。
しかも相手は、ハムスター獣人たち。
テーブルには、湯気の立つお茶と焼き菓子。
そして、その傍らに置かれた、小さな皿。
そこに盛られていたのは――ひまわりの種だった。
ハムスター獣人たちは、頬袋いっぱいに嬉しそうにそれを頬張っている。
マリアもその様子を眺めながら穏やかに微笑んでいた。
グライムとパットンは、しばらくの間、無言でその光景を見つめていた。
やがて、どちらからともなく顔を見合わせた。
「もしかして……あれか?」
グライムがぽつりと言うと、パットンは静かに頷いた。
「……あれだろうな」
グライムがパットンに言った。『ひまわりの種でもやれ』という言葉。そして、その言葉をマリアに対して愚痴ったのがパットンだ。
そして、マリアはその言葉を真に受け、ハムスターの獣人にひまわりの種を送り、夫の力になるようお願いしたのだ。
だから、コロタはグライムに協力し、真犯人の逮捕まで至ることができた。
つまり、マリアこそが今回の事件解決の立役者だったのだ。
グライムはマリアに挨拶することなく踵を返した。
「おい、マリアと飲むんじゃないのか?」
「あそこに混ざれってか? ひまわりの種のお茶会に?」
「そう照れるな。もしも小人のお茶会に潜入する任務があったらどうする? そうやって断るつもりか?」
「その時は、アンタのラブレターを持参していくよ」
グライムが暗号付きの海賊ワインを掲げると、パットンは深いため息をついた。
中庭では、夕暮れの光が穏やかに差し込んでいる。
ハムスター獣人たちの笑い声と、マリアの柔らかな声が風に乗って響いていた。




