第一部「ストライキの噂」
グライムの家の扉を叩く音は、いつも遠慮というものを知らない。
「入るぞ」
今日も返事を待たず、パットンが部屋に入ってきた。
手には、まだインクの乾ききっていない書類の束を抱えている。
「ノックの意味、知ってるか?」
グライムはテーブルに並べた資料から目を離さずに言った。
「ノックをしたら、オマエは逃げるかも知れないだろう。これは城の資料だな。勝手に持ち出して……さては悪巧みか?」
「ジェーンから正式に借りたものだ。ボンドを牢から出す正規の手段を考えてたんだよ。ヴァレンに関係を気付かれる前に出したい。でも、アイツの命を狙ってる相手もどうにかしないといけないから、もう少し牢の中に入っていてもらわない困る」
「なんてわがままな囚人だ。勝手に出たり入ったり……牢は宿じゃないんだぞ。オマエらはいつも綱渡りだな……」
「アドリブだけど、考えなしじゃない。ボンドの過去の犯罪は、一度アンタがチャラにしてるからな。」
「オマエを最初に牢から出したときか……。他にもなにかやってるんじゃないだろうな」
「どうだろうな。それより、用があったんだろう? オレを逃さないようにノックをしなかったってことは、国からの案件だ」
行動を見透かされたパットンは、ため息を一つ挟み、書類の束を卓の上に投げ出した。
「新しい案件だ」
「休む暇もないな。ファラオの一件が片付いたばかりだってのに」
「休んでいる暇があるなら、こっちを片付けてくれ。」パットンは書類を指差した。「近いうちに、大規模なストライキが起きるという情報が入ってきた」
グライムは足を下ろすと、書類に身を乗り出した。
「ストライキ? 兵士か侍者か? 王子の誰かってことはないだろ?」
「それが、よくわからないんだ……」パットンは、渋い顔で言った。「誰が主導しているのかも、何を要求しているのかも、なぜ大規模になるのかも――情報だけが先に来て、肝心の中身がまるで見えてこない」
「随分と、頼りない情報だな」
「だが、無視もできないだろ」
「オレは出来る。ストライキの裏ってのは動きやすいからな。ストライキが始まると、皆目の前の物事を片付けようと、物事の裏側ってのを見なくなる」
「だったら、なおさら無視できないだろう」
「だったな……今はそいつらをとっ捕まえる側だった……」
「頼むぞ……今後オマエのそういう小さな言動を、ヴァレンに突かれるかも知れないんだからな」
「大袈裟だな」
「大袈裟で済めば、それでいい」パットンは真剣な顔で言った。「だが、こういう時に限って、大袈裟で済まないのが――この街だ」
熱がこもるパットンに呆れ半分、いつも通りだという安堵が半分。グライムは書類を手に取り、ぱらぱらとめくった。
中身はというと、城下町をただ歩いてきてきて、噂話をかき集めただけのような、要領を得ない報告書だった。
誰それが不満を漏らしていた、どこそこの居酒屋でそんな話が出た程度の、根拠の薄い記述ばかりが並んでいる。
「……情報源は? まさかジェーンじゃないだろ。だったら」
「複数だ。兵士からの調書だ。だが……どれも又聞きの又聞きでな。ジェーン
にも探らせてはいるが、決定的なものは出てきていない」
パットンが額を押さえると、グライムは驚いたと片眉を上げた。
「ジェーンでもわからないのか? 珍しいこともあるもんだ」
「それだけ、根が深いということかもしれない」
「あるいは……根そのものが、見当違いの場所に生えてるのかもな」
「なんだ、それは」
「目の前のある竹を切っても解決しないってことだ」
「竹林になる前に原因を調べて潰したい……頼んだぞ」
パットンは深いため息をついて、部屋を出ていった。
急にあれこれとやることが出てきたのと、身内に敵がいるという近況感からか、そのうしろ姿からも疲弊が感じ取れた。
グライムはその背中を見送りながら、卓の上の書類をもう一度丁寧に見返すと、街へ出て調査を始めた。
だが、いくら聞き込みを重ねても、手掛かりらしい手掛かりが出てこなかった。
「ストライキ? 初耳だな」
市場の魚屋はそう言って首を傾げ、仕立て屋の女将も困惑した様子で肩をすくめた。
「うちもそんな話、聞いたこともないよ」
次いで聞いた酒場の主人にも、笑いながらそう返された。
まるで、そんな噂そのものがグライムついた冗談か何かのように。
「大規模なストライキ? 誰がそんなことを言い出したんだ」
どこの通りへ行っても、城下町では似たような答えばかりが返ってくる。
街の労働者たちに不満がないわけではない。賃金の話、労働時間の話、種族による扱いの差の話など、愚痴ならいくらでも聞けた。
だが、それが大規模なストライキへと結びつくような、決定的な火種はどこにも見当たらなかった。
まだどれも、火種になる前の乾燥してるような状態だ。
「妙だな……」
グライムは路地裏の壁にもたれかかりながら、独り小さく呟いた。
そして、なんの上場のも掴めないまま三日目の夜を迎えると、グライムはジェーンの元を訪ねた。
彼女の情報網なら、何か摑んでいるかもしれない。という淡い期待があった。
「あなたが人に頼るなんて、珍しいこともあるものね」
ジェーンは机の上に広げた書類から顔も上げずに言ったが、彼女の猿の尻尾の先がわずかに勝ち誇って揺れている。
「頼ってるんじゃない。情報交換だ」
「同じことよ。でも、結論から言うと……こっちも何も摑めていない。王子から頼まれて、もう一週間も動いてる」
「一週間で何もか?」
グライムが声を大きくすると、ジェーンは少しむっとした表情で返した。
「これでも諜報部よ。噂の出所はいくつか押さえた。でも、その先がどこにも繋がらないの。まるで、霧の中に手を突っ込んでいるみたいに」
グライムはここに居座ろうと、ジェーンが仕事中なのにもかかわらず図々しく椅子を引いたが、あることが頭に思い浮かんだ。
「なに、その顔。ムカつくから、思いついたなら言って」
「ただの勘だ。探してる相手が、そもそも存在しないのか。それとも――」
「それとも?」
「見えているのに……見落としてるだけなのか」
ジェーンはその言葉に、しばし考え込むような顔をしたが、グライムのからかいだと思うと、まずため息で返した。
「わかったら、教えてちょうだい。王子からの命令は他にもあって、山積みなの。あなたとクイズごっこしてる暇はないわ」
ジェーンに邪険に部屋を追い出されたグライムは、再び城下町へふらふらっと足を向けることにした。
情報だけが先行して、肝心の当事者が見つからない。
まるで、存在しない亡霊を追いかけているような感覚だった。
話を聞く対象を変え、賭場の隅で油を売る老人。港で荷を担ぐ荷役たち。裏通りの薬屋。
城の人間ならあえて聞かない場所でも、グライムはあえて聞きに行った。
だが、誰に聞いても答えは同じだ。
噂の出所は摑めても、その先がいつも霧の中に消えてしまう。
グライムは木陰に入り、腕を組んで考え込んでいた。
情報が隠されているのではなく、探している対象そのものを見落としているんじゃないかと。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
歩き回った足の疲れが、その考えを後押しした。
もし本当に情報を隠されているのなら、どこかで綻びが見えるはずだ。
だが、綻びすら見当たらないというのは――そもそも、探す場所そのものが、間違っているということではないかということだ。




