第六部「ネコ」
部屋に戻ると、ファラオが静かに座していた。
右腕を失った姿は、王としての威厳を保ちながらも、どこか痛々しく映る。
「陛下」グライムは深く一礼すると、布にくるんだ右腕を、両手で捧げるように差し出した。「お返しに上がりました」
ファラオの目がわずかに見開かれると、側近たちの間に安堵のどよめきが広がった
ファラオは布を解き、自らの右腕を確かめると、それを元あった場所へとあてがった。
乾いた腕布が、縫合されるように抜い合わさるように重なると、するりと元の位置に収まる。
グーパーと何度も握り返し、問題がないことを確認し、ファラオはグライムの顔を見た。
「……早かったな。もう二度と、戻らぬものと覚悟していたが」
グライムは慎重に切り出した。
間違えれば、腕を盗んだのはこちらだと勘違いされる可能性もある。
普通に終わらせてもダメだ。国と国との摩擦が残るのは間違いない。
だが、それらをひっくり返す武器がグライムにはあった。
「一つ……お伝えしなければならないことがございます。右腕を持ち去ったのは、人ではございません」
「では、何だと言うのだ」
「猫でございます。城の裏庭に住み着いた野良猫が、露台に置かれた右腕を気に入り、自分の寝床まで持ち帰っていたようです」
謁見の間に、しばしの沈黙が落ちた。
今度はパットン側近たちが、互いに顔を見合わせる。なんと言葉をかけるべきか分からず、口を開きかけては閉じるのを繰り返していた。
獣に汚された腕の責任は、確実にこちら側にあるからだ。
だが、ファラオの反応は誰の予想にも反するものだった。
「猫、と申したか」ファラオの声が、わずかに震えていた。「……猫か」
ファラリオはゆっくりと立ち上がった。
落ち窪んだ目の奥に、先ほどまでとはまるで違う光が宿っている。
「我が故郷にて、猫とは神の使いにして、神そのものだ」ファラオは、噛みしめるように言った。「一族の間では、猫に選ばれし者は、吉兆に恵まれると言い伝えられている。よもや、この地の猫が、余の右腕――一族の証を選び、大切に守っていたとは!!」
「そ、それは、光栄でございます!」
宰相が、慌てて頭を下げた。
「光栄などという言葉では足りぬ!!」ファラオは感極まった様子で言った。「この王都への訪問、間違いなく神々の祝福を受けている証だ! かような歓待、かような吉兆――これ以上のもてなしがあろうか!!」
お互いの側近たちの間にも、安堵と喜びの入り混じったどよめきが広がっていった。
国家機密の紛失という一大事は、こうして、この国とゾンビ族との絆を、さらに強めるめでたい出来事へと姿を変えていた。
「その猫は、まだ達者か」
ファラオは期待に満ちた目でグライムに訊ねた。
「はい、城の裏庭で大切に世話をされております」
「帰国の際には、我が国の宝物庫の一角に、あの猫を祀る場所を設けたいと思う。むろん、無理強いはせぬ。この地で幸せに暮らすというのなら、それも良い」
「陛下のお心のままに」
パットンは深く頭を下げた。
ファラオの部屋を後にし、人気のない回廊まで戻ったところで、パットンはようやく肩の力を抜いた。
「まさか、こんな結末になるとはな……。国家機密の盗難が、まさか吉兆に化けるとは」
「悪くない結末だろう」
グライムは涼しい顔で言った。
パットンは、その横顔をしばらく黙って見つめていた。何かを、じっくりと確かめるように。
そして何かが腑に落ちると、堪えきれないニヤケ顔を彼に向けた。
「なあ、グライム」
「なんだ」
「思えば、オマエが現場に現れたのは、随分と都合が良かったな」「カックラウに叩き起こされて、状況も聞かされていない。それなのに、卓の上に置いた腕の埃の払われ方から、月の話まで、迷いなく話を進めていった」
パットンは腕を組みながら言った。グライムの表情の変化を一つも見逃さないように、じっと顔を見つめるが、彼の表情は変わらない。
「パットンの説明がわかりやすかったんだろう」
「私がまだ何も説明していない段階で、オマエはもう部屋の中を歩き回っていたぞ」
「勘がいいだけだ。いつもやってるだろ」
「その勘とやらは、露台に猫が住んでいることも、その猫がゾンビ族にとって神様だってことも、両方言い当てるのか」
詰め寄るような言い方のパットンに、グライムは肩をすくめて返した。
「城の裏路地を歩いてりゃ、猫の一匹くらい見かける、アンデッドの信仰の話は、前にも言っただろう。多少の知識はある」
「昨夜の宴、オマエの姿が見当たらなかった時間があったな。あれは、どこで何をしていた」
「厨房の様子を見に行ってた。給仕の手が足りてるか確認しにな。オレの役割はそういう補助と、不測の事態のフォローだろ? 随分と細かいところまで覚えてるじゃないか。私オレを疑ってでもいるみたいだ」
パットンはじろりとグライムを見た。
その視線にはもう意味が込められていた。オマエが仕組んだんだろうと。
「疑っているとは言っていない。ただ、都合が良すぎると言っている」
「都合がいいのは、結果がいい方に転んだからだろう。陛下は満足して、アンタの評価は上がる。文句を言われる筋合いはないと思うが」
「はぐらかすな」
「はぐらかしてなんかいない。待った。オレが猫を仕込んだと思ってるのか? ファラオをの腕を盗むように?」
「そうとしか考えられないだろう。悪い方向に転びそうになったもの、その全てが反転したんだぞ。計画があったとしか思えない。王族の話だから直接は関われない。だから売れで手を回したんだ」
パットンはチェックメイトでも言うように、グライムの胸を人差し指でついた。
「いいか。オレの腕を信頼して高値で見てくれてるのは嬉しい。でも、無理だ。オレは昨夜も、さっき起こされるまでも、ボンドを助ける方法を考えてたんだ。家に戻れば開きかけの本があるし、なにより。直ぐに連絡が取れるように、カックラウがすぐ横にいたんだぞ。犬の獣人の鼻をごまかせるなら、オレはとっくにヴァレンを出し抜いてる」
「本当に知らないのか?」
「そうだって言ってるだろう」
パットンはしばらくの間、グライムの顔を睨みつけていた。だが、その追及の視線に、グライムはまるで動じる様子を見せなかった。
逆にパットンが動揺を見せた。
「一体どういうことだ……」
「疑うなら、魔法錠を確認しろ」
「もうオマエのことは疑っていない。むしらオマエだった助かったくらいだ」
「ヴァレン……いや、猫か」
グライムが猫と呟いた、次の瞬間パットンも「猫……」と呟いた。
数秒の間が空き、今度は二人同時に「猫だ!」と声を大きくした。
「オマエの恋人が、この城に来ているのか!?」
「元恋人だ。待て、あれは過去に一緒にやった手口ってだけで、猫がアモーレの証拠にはならない。違う可能性もある」
「美術品の鑑定が終わったばかりだぞ。違う可能性を話してみろ。いつもらしく煙に巻いてもいい、私を納得させろ!」
パットンの言葉は懇願も混ざっていた。
アモーレは城に堂々と盗みに入る女怪盗だ。そんな女がこの城にいるとわかると、何時なにが起こるか気が気じゃない。
グライムが違う。ということを期待した。
だが、グライムは首を横に振った。
「あいつは猫が好きだ。だから猫の作戦を考えた。このタイミング……オレに存在を教えてる」
「なんのために」
「リベンジだよ、オレに」
「オマエ、やっぱり逃がしたんだな……。隣国の城へ行った時」
パットンは厄介な問題が増えたと頭を抱えた。
その後頭部を見て、歯を光らせる影が一つ。城の影へと消えていった。
猫のことを思い出したい方はシーズン2「模倣犯」へ(書きURLから模倣犯の話へ飛べます)
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