第六話 狩る者、狩られる者
**1942年1月5日**
**ハワイ沖**
夜。
澄み切った月明かりが、漆黒の海面を静かに照らしていた。
弾薬、燃料、食料を満載した三隻のアメリカ海軍輸送船が、二隻の駆逐艦の護衛を受けながら、真珠湾をゆっくりと出港する。
目的地は――ミッドウェー島。
海は穏やかだった。
しかし、乗組員たちは誰一人として気づいていなかった。
数百メートル先の闇に包まれた海中で、一隻の日本海軍潜水艦が静かに息を潜めていることを。
艦長は潜望鏡越しに目標を捉える。
「報告します!魚雷発射管、注水完了。」
「目標まで……一二〇〇メートル。」
「よし!」
「一番魚雷、二番魚雷、三番魚雷、四番魚雷……発射!」
四本の九五式魚雷は航跡を残すことなく、高速で船団へ向かって突き進んだ。
数十秒後――
**ドォォンッ!!**
先頭の輸送船の左舷が激しい爆炎に包まれる。
船体は大きく傾いた。
「魚雷だ!」
「左舷に被雷!」
警報が一瞬で艦内に鳴り響く。
しかし、誰も状況を把握しきれないうちに――
**ドォォンッ!!**
二隻目の輸送船の船腹にも魚雷が命中した。
続いて――
**ドォォンッ!!**
三隻目の輸送船も耳をつんざく爆発音とともに炎に包まれる。
海面は瞬く間に火の海と化した。
船体の破口から大量の海水が勢いよく流れ込む。
「ダメージコントロール開始!」
「水密扉を閉鎖しろ!」
「排水ポンプ全開!」
乗組員たちは木板や応急修理資材を抱え、必死に破口へ駆け寄る。
しかし、魚雷は機関室付近へ直撃していた。
浸水速度は排水能力をはるかに上回り、船体は急速に沈み始める。
艦長は手すりを強く握りしめ、声を張り上げた。
「救難信号を送れ!」
「真珠湾へ、潜水艦の攻撃を受けたと報告しろ!」
通信兵は直ちに無線機を操作する。
「SOS!SOS!」
「こちら第5輸送船団……敵潜水艦の魚雷攻撃を受けた!」
通信兵は救難電報を送信すると同時に、信号弾発射器の引き金を引いた。
**シュウウウッ――!**
一発目の赤色信号弾が、眩い尾を引きながら夜空へと打ち上がる。
続いて二発目、三発目も次々と夜空へ舞い上がった。
三つの真紅の光が夜空高く輝き、その赤い光は周囲の海面を不気味に染め上げる。
それは同時に、この海域で船団が攻撃を受けていることを周囲の艦艇へ知らせる救難信号でもあった。
船の救助は、もはや不可能だった。
艦長は歯を食いしばり、最後の命令を下す。
「総員、退船!」
救命艇が次々と海へ降ろされる。
数え切れないほどの乗組員が、冷たい海へ飛び込んだ。
周囲を警戒していた駆逐艦は直ちに対潜捜索を開始し、ソナー員は装置の調整を繰り返しながら、漆黒の海中に潜む敵潜水艦の行方を必死に探った。
しかし、果てしなく広がる夜の海では、ソナーは最後まで有効な反応を捉えることができなかった。
日本海軍の潜水艦は、爆発による混乱に乗じて、すでに発射地点から静かに離脱していたのである。
その頃――
数キロ離れた海上。
一本の細長い潜望鏡が、音もなく海面から姿を現した。
闇の中、一対の冷たい眼差しが潜望鏡越しに、遠くで燃え上がる輸送船を静かに見つめている。
艦長は口元にわずかな笑みを浮かべた。
「輸送船三隻撃沈……。」
「戦果は十分だ。」
「潜航。戦場を離脱する。」
潜望鏡はゆっくりと海中へ沈んでいく。
やがて海は再び静寂を取り戻し、まるでその潜水艦が最初から存在しなかったかのようだった。
だが、数キロ先では、爆発を受けた海域がなお激しい炎に包まれている。
二隻のアメリカ海軍駆逐艦は救命艇を降ろし、探照灯で漆黒の海面を絶え間なく照らしていた。
「まだ生存者がいるぞ!」
「急げ!引き上げろ!」
全身ずぶ濡れになった乗組員たちが次々と甲板へ引き上げられ、衛生兵はただちに負傷者の応急処置を行い、震える者たちへ毛布を掛けていく。
しかし、攻撃を仕掛けた日本海軍の潜水艦は、すでに深い闇の海へ姿を消していた。
――――――――――
**1942年1月7日**
真珠湾基地・特殊整備格納庫。
一機のF/A-18Fスーパーホーネットが格納庫の中央に駐機し、整備員たちは機体の点検に追われていた。
その一方で、コルトとカイルは些細なことで言い争っていた。
「お願い! 一時間だけ! 一時間だけゲームさせてよ!」
コルトは両手を合わせ、必死に頼み込む。
しかし、カイルはまったく動じない。
「駄目だ。」
「君の言う『一時間』は、いつも気づけば丸一日になっている。」
「そんな怠け方は、軍人らしくない。」
「ゲームをする暇があるなら、体を動かしてこい。」
そう言うと、彼はコルトの全身をじろりと見回した。
「この一か月で、少し太ったんじゃないか?」
その一言に、コルトの額へ青筋が浮かぶ。
「な……何言ってるのよ!」
「私は太らない体質なんだから!」
泣き落としが通用しないと悟ったコルトは、くるりと目を動かし、不意にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「なんだよ! ゲーム機一台くらい、具現化したってそんなにエネルギーを使うわけじゃないでしょ!」
カイルは腕を組んだまま、少しも態度を崩さない。
「駄目なものは駄目だ。」
コルトの口元がゆっくりとつり上がる。
「そう……。」
「そこまで貸してくれないって言うなら――」
「みんなに『あなたが私のお風呂をのぞいた』って言いふらしてあげる!!」
カイルはその場で固まった。
「やってない!」
アカシ:【実際には見ています。】
コルトはしてやったりという笑みを浮かべ、カイルを指差す。
「このことを基地のみんなに百人くらい話したら……」
「『やってない』も『やった』になっちゃうんだから!!」
カイルは目を見開いた。
「脅す気か!?」
「ふん。」
コルトは両手を腰に当て、得意げに顎を上げる。
「誰がゲームを貸してくれないからでしょ。」
「さあ、選びなさい。」
「PS5一台か、それともあなたの名誉か。」
カイルの口元がぴくりと引きつった。
その時――
格納庫の外から慌ただしい足音が響いてきた。
一人の海軍伝令兵が足早に駆け込んでくる。
「マイスター大尉! ウィルソン少尉!」
二人は同時に振り向いた。
「将軍がお二人を直ちにブリーフィングルームへお呼びです!」
「新たな任務が入っています。」
カイルとコルトは互いに顔を見合わせた。
カイルはわずかに口角を上げる。
「ようやく仕事が舞い込んできたか。」
コルトも期待に満ちた笑みを浮かべる。
「これで、ようやく一日中基地に閉じこもらなくて済みそうね。」
**ブリーフィングルーム**
数分後。
数名の海軍士官が、すでに会議室で待機していた。
壁に掲げられた太平洋の海図には複数の航路が記され、そのうちの一本が赤い印で大きく囲まれている。
将軍はスクリーンの前に立ち、険しい表情で口を開いた。
「一昨日、我が軍の輸送船三隻がミッドウェーへ向かう途中、日本海軍潜水艦の待ち伏せ攻撃を受けた。」
「三隻とも魚雷を受けて沈没。補給任務は、やむなく一時中断となっている。」
将軍は指示棒をスクリーンへ向ける。
すると、地図上の一つの海域が赤く表示された。
「偵察機による報告と、無線傍受による情報を総合した結果、この海域には少なくとも日本海軍の潜水艦部隊が展開していると判断している。」
将軍はゆっくりとカイルとコルトへ視線を向けた。
「率直に言おう。」
「海軍内部には今なお、スーパーホーネットの実戦能力を疑っている者が少なくない。」
「以前、ワシントンで君は、この機体には対潜作戦能力があると言っていたな。」
将軍は一拍置いて続ける。
「ならば――」
「今回の任務で、それを証明してもらおう。」
「海中に潜む狩人どもを見つけ出し、始末してくれ。」
「そうすれば、お前たちを疑っている者たちも黙らざるを得ないだろう。」
「了解!」
ブリーフィングを終えた二人は、整備格納庫へ向かって歩いていた。
カイルは両手をポケットに入れたまま、わずかに眉をひそめる。
「問題はそこだ。」
「スーパーホーネットには対潜能力があるとはいえ、その前に潜水艦の位置を特定しなければ意味がない。」
「対潜ヘリなら低速で旋回しながら、ソノブイを海域ごとに投下して捜索できる。」
「だが、俺たちは超音速戦闘機だ。」
「対潜ヘリみたいに、海面を低速で飛びながら一帯をしらみつぶしに捜索するなんて不可能だ。」
コルトは少し考え込んだ。
「だったら、私の『全周波感知』を使えばいいんじゃない?」
カイルは思わず足を止める。
「……そうか!?」
「どうしてそのことを忘れていたんだ。」
彼はコルトの方へ振り向いた。
「ただ、お前の能力が何千メートルもの海水越しに潜水艦を探知できるかは、まだ試したことがない。」
コルトは肩をすくめる。
「私にも分からないよ。」
「今まで『全周波感知』で探知したのは、空を飛ぶ航空機ばかりだったし。」
「海の中は……これが初めて。」
その時、二人の脳内にアカシの声が響いた。
【警告。】
【海域の感知負荷は、空域より大幅に高いと予測されます。】
【長時間の連続使用は推奨しません。】
コルトは気にも留めず、軽く笑った。
「大丈夫だって。」
「潜水艦を一隻探すだけなんだから。」
そう言うと、彼女はカイルへ視線を向ける。
「それより、あなたは?」
「今回はMk54対潜魚雷を搭載してないでしょ。」
「『幻想具現化』で作り出せたりしないの?」
カイルは数秒間、黙り込んだ。
「理論上は……できるはずだ。」
「だが、実戦で試したことは一度もない。」
「具現化した兵器が、本当に正常に機能するかどうかも分からない。」
二人の間に、しばし沈黙が流れる。
能力は確かに存在する。
しかし、その力がどこまで通用するのか――。
二人自身にも、まだ何一つ分かっていなかった。
これは、二人が己の能力だけを頼りに挑む、初めての未知なる任務だった。
**格納庫内**
カイルはF/A-18Fの主翼の横に立ち、ゆっくりと深呼吸した。
「アカシ。」
「一つ、確かめたいことがある。」
【了解しました。】
聞き慣れた電子音声が、脳内に響く。
カイルは格納庫の中央へ視線を向け、静かに口を開いた。
「『幻想具現化』を発動。」
「Mk54軽量対潜魚雷、二発。」
【指令を確認。】
【具現化を開始します。】
次の瞬間――
無数の青白い光の粒子が何もない空間に現れ、まるで星屑のように宙を舞い始めた。
粒子は一か所へと急速に集まり、徐々に物体の輪郭を形作っていく。
魚雷の鋭く尖った弾頭。
円筒形の胴体。
そして後部のプロペラと制御尾翼まで。
すべての部品が青白い輝きの中で、一つずつ精密に組み上がっていった。
やがて最後の光が収束すると、魚雷を運搬するための専用台車までもが、同時に具現化される。
青白い光はゆっくりと消え去った。
格納庫の中央には、新品同然のMk54軽量対潜魚雷が二発、静かに並んでいた。
コルトは目を丸くし、魚雷へ歩み寄ると、その外殻を指先で軽く叩く。
「本物……。」
「幻なんかじゃない。」
カイルは目の前の二発のMk54を見つめ、わずかに口元を緩めた。
「『幻想具現化』……。」
「やはり兵器までも完全に作り出せるようだ。」
コルトは魚雷の周りを一周すると、今度は主翼下のハードポイントへ視線を向けた。
「でも……。」
「これ、どうやって取り付けるの?」
彼女は魚雷を指差しながら首をかしげる。
「それに……見た感じ、すごく重そうなんだけど。」
カイルは小さくうなずいた。
「俺たちはパイロットだ。」
「兵装の搭載を担当する整備員じゃないからな。」
彼は少し考え込むと、不意に口を開いた。
「アカシ。」
【はい。】
「君のデータベースには、スーパーホーネットの整備手順や兵装搭載に関する資料も入っているはずだよな?」
【あります。】
「それを、俺たちがそのまま習得することはできるか?」
短い沈黙の後、アカシが答えた。
【可能です。】
【F/A-18Fスーパーホーネットの兵装搭載、取り外し、および安全点検手順のデータをデータベースより呼び出します。】
【意識同期プロトコルを用いて、お二人へ直接転送します。】
【受信準備を行ってください。】
【また、スーパーホーネットの戦闘システムを最適化し、Mk54軽量対潜魚雷の運用に対応できるよう改修します。】
「頼む、アカシ。」
次の瞬間――
二人の視界いっぱいに無数の青い光点が広がり、膨大な情報の奔流が脳内へと流れ込んできた。
兵装パイロンの構造。
電気コネクターの接続位置。
セーフティーピンの取り付け・取り外し手順。
兵装搭載の手順。
規定トルクの管理。
発射前点検。
一つ、また一つと専門知識が流れ込み、それらはまるで自分自身が何度も実際に作業を経験してきたかのように、二人の記憶へ深く刻み込まれていった。
数十秒後――
青い光がゆっくりと消えていく。
コルトはゆっくりと目を開き、何度かまばたきをした。
「不思議……。」
「私、一度も魚雷を取り付けたことなんてないのに。」
彼女は兵装パイロンへ視線を落とす。
「なのに、今は取り付け手順を全部知ってる。」
カイルも軽く両手を動かし、その感覚を確かめる。
「体が勝手に動くわけじゃない。」
「必要な手順を、全部覚えているんだ。」
そう言うと、彼は魚雷を載せた運搬台車の前へ歩み寄り、笑みを浮かべた。
「だったら――」
「さっそく試してみよう。」
二人は、その日の午前中いっぱいを格納庫で過ごした。
兵装パイロンの構造を確認し、吊り下げ装置を操作し、電気コネクターやセーフティーピンを何度も点検する。
すべての作業を、アカシから転送された手順どおり、一つひとつ慎重に進めていった。
兵装搭載は初めての経験だった。
しかし、脳裏に刻み込まれた膨大な技術知識のおかげで、二人は二発のMk54軽量対潜魚雷をスーパーホーネットの胴体中央ハードポイントへ、無事に搭載することに成功した。
最後の安全点検を終えると、カイルは機体を軽く叩く。
「アカシ、テストを頼む。」
【兵装システム同期率100%。】
「よし。」
コルトはチェックリストを手に取り、最後の項目を確認する。
「兵装システム、正常。」
「火器管制システム、正常。」
「データリンク、正常。」
「燃料供給系統、正常。」
彼女はチェックリストを閉じ、カイルへ向かってうなずいた。
「いつでも出撃できるよ。」
二人は顔を見合わせて笑みを交わすと、飛行ヘルメットをかぶり、それぞれの座席へ向かった。
格納庫の大型扉がゆっくりと開いていく。
真昼の陽光が、二発のMk54軽量対潜魚雷を搭載したF/A-18Fスーパーホーネットをまばゆく照らし出した。
この時代へ来てから、二人にとって初めてとなる対潜作戦が、いま始まろうとしていた。
カイルとコルトは機体へ乗り込み、キャノピーを閉じる。
次の瞬間、エンジンが始動する。
二基のF414ターボファンエンジンが低く力強い咆哮を響かせ、その振動は格納庫全体へとゆっくり広がっていった。
「管制塔、こちらホーネット。」
「整備完了。タキシングおよび離陸許可を要請します。」
ほどなくして、ヘッドセットから管制塔の返答が届く。
「ホーネット、タキシングを許可する。」
機首前方では、地上誘導員がマーシャリングパドルを振り、スーパーホーネットを格納庫からゆっくりと誘導していく。
機体はそのまま滑走路へ向けて静かに進み始めた。
スーパーホーネットが出撃するという知らせは、すでに基地中へ広まっていた。
滑走路の両脇には、多くの将兵たちが集まっている。
プロペラのない航空機を初めて目にする者。
未来から来た戦闘機を、これほど間近で見るのが初めての者。
誰もが、その銀灰色の機体へ視線を奪われていた。
やがて滑走路進入地点へ到着すると、再び管制塔から通信が入る。
「ホーネット、滑走路クリア。」
「風向良好、視程良好。」
「離陸を許可する。」
カイルは操縦桿をしっかりと握る。
「了解。」
彼はスロットルをゆっくりとミリタリーパワーまで押し込んだ。
次の瞬間――
スロットルをアフターバーナーの位置まで一気に押し込む。
**ゴォォォォォン――!!**
二基のエンジンノズルから眩いオレンジ色のアフターバーナーが噴き上がり、その中心では青白い超高温の炎が激しく揺らめく。
スーパーホーネットは一気に前方へと加速した。
速度はみるみる上昇していく。
**100ノット……150ノット……180ノット……。**
離陸速度に達した瞬間、カイルは静かに操縦桿を引いた。
機首がゆっくりと持ち上がる。
主輪が滑走路を離れた。
次の瞬間、F/A-18Fスーパーホーネットは真昼の陽光を浴びながら力強く大空へ舞い上がり、脚を格納すると、そのまま高度を上げていく。
出発手順を終えたカイルは、機体を安定した右旋回へ移し、ミッドウェー島の方角へと針路を取った。
地上では、無数の将兵たちが一斉に空を見上げていた。
「飛んだ……! 本当に飛んだぞ!」
「なんて格好いいんだ!」
一人の若い水兵は目を大きく見開き、プロペラのない戦闘機を見つめながら、驚きを隠せない表情を浮かべる。
別の整備士官も思わず声を上げた。
「なんて速さだ!」
「プロペラもないのに……一体どうやって飛んでいるんだ?」
滑走路の両脇から、一斉に驚きのどよめきが湧き上がる。
帽子を振りながら歓声を上げる者。
興奮のあまり拍手を送る者。
そして、空高く飛び去る機体へ向かって、背筋を伸ばし、静かに敬礼を捧げる者もいた。
誰もが知っていた。
あの未来から来た戦闘機は、戦局そのものを変えかねない重大な任務を背負って飛び立ったのだと。
やがてスーパーホーネットは、青空の彼方で小さな黒い点となり、ついには雲の向こうへと姿を消した。
それでも滑走路の脇には、多くの将兵たちがなお立ち尽くしていた。
誰一人として、その視線を戦闘機が消えた空から離そうとはしなかった。
――――――――――――――――――
一時間以上の飛行を経て。
スーパーホーネットは、ついに情報部が示した日本海軍潜水艦の活動海域へ到達した。
カイルは機体を巡航高度より低い高度まで降下させ、安定した飛行を維持する。
「コルト。」
「頼んだ。」
「了解。」
コルトはゆっくりと目を閉じた。
【能力を起動。】
【『全周波感知』――起動。】
次の瞬間――
彼女の意識は、四方八方へと一気に広がっていく。
海面。
大空。
雲の層。
そして、深い海の底――。
半径五十キロ以内のあらゆる情報が、膨大なデータとなって彼女の脳内へ流れ込んできた。
数秒後。
コルトはゆっくりと目を開く。
「……いない。」
カイルは眉をひそめた。
「一隻もか?」
コルトは静かに首を横へ振る。
「A海域、半径五十キロ以内に潜水艦の反応はない。」
「いるのは魚の群れとクジラだけ。」
カイルは果てしなく続く大海原へ目を向ける。
「どうやら……簡単には見つからなさそうだな。」
コルトもうなずく。
「潜水艦が、もうこの海域を離れている可能性もある。」
二人が次の手を考えていた、その時だった。
アカシの声が脳内に響く。
【捜索効率の向上を提案します。】
【扇形捜索パターンを採用し、『全周波感知』の探知範囲を段階的に拡大してください。】
カイルは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「なら、片っ端から探していこう。」
スーパーホーネットは直ちに針路を変更し、広大な太平洋で初めての対潜捜索を開始した。
しばらくして――
コルトは再び首を横に振る。
「B海域も反応なし。」
「半径五十キロ以内に潜水艦の信号は確認できない。」
カイルはどこまでも続く海原を見つめ、わずかに眉間へしわを寄せる。
その時、再びアカシの声が脳内へ響いた。
【燃料残量:70%。】
【現在の巡航状態は正常です。】
【燃料を節約するため、スロットルを30%推力で維持することを推奨します。】
しばらくの沈黙の後、アカシが再び口を開いた。
【飛行高度をさらに下げることを推奨します。】
【現在の高度では、目視捜索における優位性はありません。】
【海面高度100メートルまで降下し、捜索を継続してください。】
カイルは小さくうなずく。
「確かにな。」
彼は操縦桿をゆっくりと前へ倒し、同時にスロットルをわずかに絞った。
スーパーホーネットは安定した姿勢のまま降下を開始する。
高度六〇〇メートル――
五〇〇メートル――
三〇〇メートル――
そして、海面上約一〇〇メートルで水平飛行へ移行した。
キャノピー越しに見える濃紺の海は先ほどよりもはるかに近く、うねる波の一つひとつまで鮮明に見て取れる。
カイルは操縦桿を握り、予定された捜索ルートに沿って広大な太平洋を飛び続けた。
まもなく、C海域へ進入する。
コルトは静かに目を閉じ、精神を集中させる。
『全周波感知』――発動。
不可視の探知波が、四方八方へと静かに広がっていく。
C海域を約二十分にわたって捜索したものの、成果はなかった。
「……やっぱり、いない。」
コルトは眉をひそめる。
「本当に、この海域から撤退してしまったのかな……。」
そうつぶやくと、彼女はこめかみを軽く押さえた。
カイルはバックミラー越しにその様子へ気づく。
「疲れたのか?」
コルトは無理に笑顔を作る。
「少し頭がくらくらするだけ……大丈夫。」
アカシは何も言わなかった。
やがて、静寂の中でカイルが前方の空を見つめながらつぶやく。
「もうすぐ日が暮れる……。」
「残る捜索海域は、D海域だけだ。」
「だったら、急がないと!」
カイルはコルトの提案に従い、アフターバーナーを点火した。
スロットルを一気に押し込む。
次の瞬間、アフターバーナーが再び轟音とともに燃え上がる。
スーパーホーネットは黒い閃光となり、D海域へ向けて高速で飛び去った。
――――――――――――――――――
「艦長。」
「日没しました。」
日本海軍潜水艦の艦内で、当直兵が静かに報告する。
艦長は蓄電池の計器へ目を向けた。
「残りの電力は?」
「約三割です。」
艦長は小さくうなずく。
「よし。」
「浮上準備。」
「ディーゼル機関を始動し、蓄電池の充電を開始せよ。」
「はっ!」
バラストタンクの排水が始まる。
潜水艦はゆっくりと海面へ浮上していく。
やがてディーゼル機関が始動し、低く重々しいエンジン音が夜の海へ響き渡った。
夜の帳は、すでに海を完全に包み込んでいる。
一方――
スーパーホーネットはD海域へ高速で進入した。
カイルが口を開く。
「アカシ、ナイトビジョンモードを起動。」
【ナイトビジョンモードを起動します。】
コックピットディスプレイは瞬時に夜間映像へ切り替わる。
先ほどまで闇に沈んでいた海面が、再び鮮明な映像となって映し出された。
カイルは機体を水平飛行で安定させる。
「これが最後のエリアだ。」
コルトは静かにうなずき、再び目を閉じる。
『全周波感知』――発動。
探知範囲は静かに広がっていく。
五キロ……
十キロ……
二十キロ……
五十キロ――。
その瞬間だった。
**キィィィィン――!**
激しい耳鳴りが、何の前触れもなく彼女を襲う。
「っ……!」
コルトの身体が大きく震えた。
視界いっぱいに、無数の光点が入り乱れ、一瞬で景色が塗り替えられる。
彼女の脳内へ、荒れ狂う海の波音、エンジンの唸り、電波、そして無数の生命反応が一斉に流れ込んでくる。
まるで世界中のあらゆる音が、同時に脳へ叩き込まれたかのようだった。
汗が頬を伝い落ちる。
それでもコルトは唇を強く噛み締め、能力を解除しようとはしなかった。
「コルト!?」
カイルは、彼女の呼吸が急激に乱れていることに気づく。
その時――
「み……見つけた……。」
コルトは苦しそうに言葉を絞り出した。
「方位……二時方向……距離四十二キロ……。」
スーパーホーネットは即座に二時方向へ針路を変更し、最大速度で目標へ向かう。
その直後だった。
アカシが突然、警告を発する。
【警告。】
【『全周波感知』は安全負荷を超過しました。】
【精神疲労レベル:高。】
【精神負荷が臨界値に到達。】
【生命保護プロトコルを起動します。】
【『全周波感知』を強制終了します。】
【今後二十四時間は広域海域感知の使用を推奨しません。】
『全周波感知』は強制的に解除された。
コルトの視界は一瞬で暗転し、そのまま座席へ力なく崩れ落ちる。
荒い呼吸だけがコックピットに響いた。
スーパーホーネットは、コルトが示した方位へ向けて全速力で飛び続ける。
約二十キロを飛行した頃――
コルトの呼吸はなお荒く、額には冷や汗がびっしりと浮かんでいた。
バックミラー越しにその青ざめた顔を見たカイルは、深く眉をひそめる。
「コルト、そこまで無理をする必要はなかったんだ!」
アカシが再び状況を報告する。
【先の三回の捜索は、すべて許容範囲内でした。】
【しかし四回目の五十キロ広域感知により、安全負荷を超過しました。】
【海域感知は高負荷モードに分類されます。】
【連続使用は推奨されません。】
【潜水艦の座標を機載コンピューターへ入力しました。】
コルトは戦術ディスプレイへ視線を向け、息を整えながら報告する。
「はぁ……はぁ……。」
「目標まで……あと十五キロ……。」
彼女は大きく息を吸い込んだ。
「目標は海面上。」
「潜水艦は浮上して……充電中と判断。」
「接触まで……あと五十秒。」
――――
その頃――
日本海軍潜水艦の艦橋では、一人の見張り員が双眼鏡で夜空を警戒していた。
その時、不意に動きが止まる。
東の海上に、高速で明滅する一つの光点が現れたのだ。
しかも、その光は信じられない速度でみるみる大きくなっていく。
見張り員の表情が一変する。
「報告!」
「東方海上に所属不明の飛行物体を発見!」
「高速で本艦へ接近中!」
艦長は直ちに艦橋へ駆け上がった。
「何だと!?」
その正体を確認する間もなく――
**ゴォォォォォン――!!**
耳をつんざくジェットエンジンの轟音が夜空を引き裂く。
スーパーホーネットは数百ノットもの速度で潜水艦の真上を一瞬で通過した。
凄まじい衝撃波と轟音が艦全体を揺さぶる。
カイルは眼下の目標を鋭く見据える。
「捕まえた。」
「攻撃準備!」
日本潜水艦の艦長は顔色を変えた。
「まさか……。」
「あれが噂の――」
「『黒鴉』か!」
艦長は即座に命令を飛ばす。
「急げ!」
「ただちに大本営へ打電!」
「『黒鴉』出現の座標を送れ!」
通信兵はヘッドホンを装着すると、電鍵を高速で打ち始める。
モールス信号が夜の海へと送り出された。
> 「黒鴉を発見。
>
> 位置、北緯二十二度二十分、西経百六十度〇分。」
「報告!」
「電文、送信完了!」
艦長は満足そうにうなずく。
「よし。」
「送信機を停止。」
「すでに発見された以上、ここに留まる意味はない!」
「ハッチ閉鎖!」
「急速潜航!」
「了解!」
艦内には警報が鳴り響き、乗員たちは一斉に持ち場へ駆け出した。
「大尉!」
コルトは苦しそうに戦術ディスプレイを見つめながら報告する。
「目標……急速潜航中!」
「現在深度十メートル……十五メートル……なお降下中!」
しかし、カイルの視線は潜水艦ではなく、コルトへ向けられていた。
「もう無理をするな。」
「ここから先はアカシに――」
「大丈夫……。」
コルトは額の冷や汗を拭い、小さく笑みを浮かべる。
「だって……私は、あなたのWSO(兵装システム士官)なんだから。」
その言葉に、カイルは静かにうなずく。
彼は海面へ残された潜水艦の航跡を見据え、照準を合わせた。
「分かった。」
「Mk54対潜魚雷、投下準備!」
「了解!」
――――――――――
日本海軍潜水艦内。
警報灯が絶え間なく赤く点滅していた。
「急速潜航!」
「急げ!」
ハッチが重々しい音を立てて閉鎖される。
バラストタンクへ海水が一気に注入され、潜水艦は深海へ向けて急角度で潜航を開始した。
若い水兵の一人が、不安そうな表情で口を開く。
「艦長!」
「さっき、いったい何をご覧になったのですか!?」
「なぜ、あれほど急いで退避命令を?」
艦長の瞳には、先ほど目にした光景の衝撃がなお残っていた。
彼は静かに、二文字を口にする。
「黒鴉……。」
「山本長官からの命令だ。」
「『黒鴉』を発見した場合は、直ちに大本営へ報告せよ。」
「可能な限り交戦を避け、情報を必ず日本へ持ち帰れ、と。」
艦長はゆっくりと乗員たちを見回す。
「誰も知らん。」
「あれが飛行機なのか、怪物なのか、それとも天から舞い降りた悪魔なのかを。」
「だが、一つだけ確かなことがある。」
「あの『黒鴉』は、常識では考えられない速度で飛ぶ。」
「そして今、その標的は――我々だ。」
一方、その上空では――
スーパーホーネットが目標を逃さぬよう追尾を続けていた。
コルトは次々と戦術データを更新していく。
「座標を継続補正。」
「魚雷投下計算、完了。」
「命中予測率、九十八パーセント。」
カイルは迷うことなく命令を下す。
「目標座標、ロック。」
「魚雷投下!」
次の瞬間――
機体中央のハードポイントからロックが解除される。
一発のMk54軽量対潜魚雷が機体を離れ、夜の海へ向かって高速で落下した。
**ドボォンッ!**
魚雷は激しい水柱を上げて海面へ突入する。
着水と同時に減速用パラシュートが自動で分離。
数秒後――
魚雷後部の推進装置が点火した。
アクティブ/パッシブソナーが作動し、周囲の海中を探知する。
間もなく、前方から伝わる潜水艦のスクリュー音を捕捉。
**目標、ロックオン。**
魚雷のプロペラが高速で回転を始め、白い航跡を海中へ描きながら、目標へ向かって一直線に突き進んでいった。
――――――――――
日本海軍潜水艦内。
若い水兵が必死に平静を装いながら口を開く。
「艦長!」
「たとえ本当にあれが『黒鴉』だったとしても――」
「所詮は一機の飛行機です!」
「深海まで潜ってしまえば、奴には我々を捕まえることなどできません!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに――
ソナー室から切迫した叫び声が響いた。
「艦長!」
「探知音を確認!」
艦内の視線が一斉にソナー室へ集まる。
艦長の表情が険しくなった。
「探知音だと?」
「まさか……対潜ソナーか?」
ソナー員の額には冷や汗が滲んでいた。
ヘッドホンの向こうから、一定の間隔で低い音が繰り返し響く。
**Ping…… Ping…… Ping……**
一回ごとの反響音が、確実に大きく、鮮明になっていく。
ソナー員は恐怖に震える声で叫んだ。
「間違いありません!」
「探知音がものすごい速度で接近しています!」
艦長は潜望鏡架台を力強くつかみ、大声で命じる。
「左いっぱい!」
「最大速力で潜航!」
「何としても追跡を振り切れ!」
潜水艦は大きく左へ傾き、そのまま急旋回を開始する。
背後から迫る死の魚雷を振り切ろうと、必死の回避行動だった。
一方――
コルトは戦術ディスプレイを見つめ続ける。
魚雷を示すシンボルが、高速で目標へ迫っていく。
「接触まで……十五秒。」
スーパーホーネットは夜空を旋回しながら、その瞬間を待っていた。
――
日本海軍潜水艦内。
「深度五十メートル……六十メートル!」
「もっと急げ!」
**Ping…… Ping…… Ping……**
規則正しい探知音が、艦体の外側から絶え間なく響いてくる。
音はさらに大きく。
さらに近く。
そして――
ソナー員が突然立ち上がった。
「艦長!」
「こちらへ接近しているのは魚雷です!」
「この探知音は、その魚雷自身が発しています!」
艦長の瞳が大きく見開かれる。
「馬鹿なことを言うな!」
「魚雷が自分で探知音を発するなど――」
言葉は最後まで続かなかった。
**Ping――! Ping――! Ping――!**
今度は艦内の誰もが、その音をはっきりと耳にした。
乗員たちは互いの顔を見合わせる。
みるみる血の気が引いていく。
中には恐怖で体を震わせる者もいた。
「そ……そんな……。」
「魚雷が……追ってくる……。」
「来るぞ!」
ソナー員が悲鳴にも似た声を上げる。
「距離百メートル以下!」
「五十メートル!」
「二十メートル!」
――
夜空では。
コルトが冷静にカウントダウンを続ける。
「三……。」
「二……。」
「一……。」
「命中!」
次の瞬間――
夜の海を引き裂くように、眩い閃光が炸裂した。
**ドォォォォォン――!!**
轟音が夜空を震わせる。
巨大な水柱が数十メートルもの高さまで噴き上がり、海面は激しく波打ち、衝撃波が四方へと広がっていく。
しばらくして。
水柱はゆっくりと崩れ落ちた。
そこに残っていたのは、荒れ狂う波間を漂う無数の残骸。
砕けた木箱。
そして、海面いっぱいに広がる黒い重油だけだった。
――
上空。
スーパーホーネットは爆発海域の上を静かに旋回していた。
カイルは眼下の海を見つめ、静かに命じる。
「アカシ、爆発地点をスキャン。」
【指令を確認。】
数秒後――
【目標海域をスキャン中……】
【潜水艦の完全な構造反応は確認されません。】
【目標の完全破壊を確認。】
【任務判定――成功。】
コルトは、なお波立つ海面を静かに見下ろしていた。
そこには一面の重油と、四散した残骸だけが漂っている。
彼女はゆっくりと息を吐き、そのまま座席へ深く身を預けた。
全身の力が抜けていく。
数秒の沈黙の後、ようやく口を開いた。
「燃料残量……四〇パーセント。」
カイルは静かにうなずく。
「任務完了だ。」
彼は操縦桿をゆっくりと引いた。
「帰ろう。」
スーパーホーネットは静かに機首を上げ、真珠湾への帰路につく。
その背後では、重油と残骸に覆われた海が、再び夜の静寂の中へと溶け込んでいった。




