第2話 未来からの来訪者
第二話 未来からの来訪者
オアフ島飛行場。
一本の滑走路へ、一機の**F/A-18Fスーパーホーネット**がゆっくりと進入してくる。
双発エンジンの轟音は次第に弱まり、機体は静かに減速した。
その周囲では、すでに数十名の完全武装したアメリカ軍兵士たちが機体を取り囲んでいた。
小銃。
機関銃。
さらには対空部隊まで。
あらゆる銃口が、この見たこともない形状の戦闘機へ向けられている。
誰一人として不用意に近づこうとはしなかった。
コートはコックピット越しに外の様子を見つめ、小さく肩をすくめる。
「大尉……これから、どうするんですか?」
包囲する兵士たちを見て、緊張を隠せない。
カイルは落ち着いた口調で答えた。
「心配するな。」
「何かあっても、俺がお前を守る。」
その一言に、コートは思わず頬を赤らめる。
彼の背中を静かに見つめた。
つい先ほどまで――
この戦闘機は真珠湾上空で日本軍機を次々と撃墜し、
最後には真珠湾飛行場へ着陸したばかりだった。
その時、一台の軍用車両がゆっくりと近づいてくる。
同乗していた兵士が車のドアを開けた。
降り立ったのは、六十歳前後の海軍士官だった。
彼は銀色に輝く巨大な戦闘機をじっと見上げる。
胸には佐官の階級章。
数名の憲兵を従え、慎重な足取りで機体へ近づいた。
その視線は、一瞬たりとも戦闘機から離れない。
やがて低く、よく通る声で呼びかける。
「パイロット。」
「エンジンを停止せよ。」
「両手は、こちらから見える位置に。」
カイルは黙って指示に従った。
エンジンを停止する。
轟音が消えると、
飛行場は驚くほど静まり返った。
ゆっくりとキャノピーが開いていく。
そこから姿を現したのは、
全身を見慣れない耐Gスーツで包み、
全面バイザー付きヘルメットを着用した飛行士だった。
地上の兵士たちはざわめき始める。
「まだヘルメットをかぶってるぞ……。」
「まさか宇宙人じゃないだろうな?」
「プロペラもないのに、本当に飛行機なのか?」
やがて前席のパイロットが立ち上がる。
彼はヘルメットを脱ぎ、
両手をゆっくりと掲げた。
敵意がないことを示すためだ。
そのまま慎重にラダーを伝って地上へ降り立つ。
一人の兵士が思わず呟いた。
「……アメリカ人?」
別の兵士は飛行服の肩に付いた星条旗のワッペンへ目を向ける。
「星条旗は付いてる……。」
「でも、見たことのない制服だ。」
兵士たちがなおも彼を観察していると、
後席の人影がゆっくりと立ち上がった。
彼女は酸素マスクを外し、
ヘルメットのロックを解除する。
**カチッ。**
小さな音とともにヘルメットが外れた。
次の瞬間。
美しい金色の長い髪がさらりと肩から流れ落ちる。
潮風がその髪を優しく揺らした。
その場の空気が、一瞬で止まる。
一人の兵士が目を見開いた。
「お……女?」
別の兵士も呆然とする。
「見間違いじゃないよな?」
「女性なのか?」
「女がパイロット?」
「冗談だろ……?」
兵士たちは互いに顔を見合わせる。
驚きのあまり、銃を構えたまま動けなくなる者までいた。
やがて、一人の軍曹が思わず口にする。
「海軍に女性パイロットなんて、いつからいたんだ……?」
兵士たちのざわめきは、ますます大きくなっていく。
そんな周囲の視線など気にも留めず、
コートはゆっくりとラダーを降りた。
そして、カイルの隣へ静かに並ぶ。
まるで――
こうした驚きの視線には、もう慣れているかのようだった。
その時だった。
現場の指揮官が鋭い声を飛ばす。
「全員、静粛!」
「警戒態勢を維持しろ!」
「私の命令があるまで発砲は許可しない!」
兵士たちは銃口をわずかに下げた。
しかし、警戒を解く者は一人もいない。
真珠湾を救ったからといって、
彼らが敵ではないと証明されたわけではない。
それでも兵士たちの視線は、コートへと集まっていた。
その眼差しには、なおも驚きが色濃く残っている。
一九四一年の彼らにとって、
正体不明の超高性能戦闘機だけでも信じ難い存在だった。
ましてや――
アメリカ海軍の飛行装備を身にまとった女性士官など、
彼らの常識を根底から覆す存在だったのである。
その時、一人の将官が一歩前へ進み出た。
カイルとコートへ向かって敬礼する。
そして落ち着いた口調で名乗った。
「私は**クロード・C・ブロック**だ。」
「第十四海軍区司令官。」
「そして真珠湾海軍基地の責任者の一人でもある。」
彼は二人をまっすぐ見つめる。
「まず最初に。」
「先ほどの戦闘で我々を援護してくれたことに、真珠湾を代表して礼を言おう。」
「ありがとう。」
短く礼を述べると、その表情が引き締まる。
「……だが。」
「君たちが何者なのかを知る必要がある。」
その場の空気が一変した。
将官として幾多の修羅場をくぐり抜けてきた男だけが持つ威圧感。
自然と周囲の空気まで張り詰める。
カイルは言葉を失った。
日本軍機を撃墜することよりも、
一九四一年のアメリカ海軍へ、自分たちの正体を説明する方が遥かに難しい。
そう理解していたからだ。
カイルとコートは同時に敬礼する。
カイルが先に名乗った。
「報告します、将軍。」
「アメリカ海軍大尉、カイル・マイスターです。」
「コールサインは『スリーピング・デビル』。」
「航空母艦『カール・ヴィンソン』所属。」
「VFA-2ストライクファイター飛行隊です。」
続いてコートも敬礼した。
「報告します、将軍。」
「アメリカ海軍少尉、コート・ウィルソンです。」
「航空母艦『カール・ヴィンソン』所属。」
「VFA-2ストライクファイター飛行隊です。」
ブロック少将は軽く手を上げる。
「全員、武器を下ろせ。」
兵士たちは命令どおり銃口を下げた。
それでも二人を取り囲む警戒態勢だけは崩さない。
ブロックはカイルを見つめ、ふと尋ねる。
「『スリーピング・デビル』?」
「それは君のあだ名か?」
カイルは首を横に振る。
「いいえ、将軍。」
「コールサインです。」
「私たちの飛行隊では、飛行中や作戦行動中は本名ではなく、コールサインで呼び合います。」
「なるほど。」
ブロックは小さくうなずいた。
「君たちの飛行機は実に興味深い。」
「だが、ここは話をする場所ではないな。」
彼は穏やかな表情を浮かべる。
「よければ私の執務室へ来てくれ。」
「コーヒーでも飲みながら、ゆっくり話を聞こう。」
そう言うと、後方に停められていた軍用ジープへ手を向けた。
「異論がなければ、乗ってくれ。」
カイルとコートは顔を見合わせる。
そして同時に敬礼した。
「イエス・サー!」
「お招きありがとうございます。」
二人はジープの後部座席へ乗り込む。
運転兵はすぐにエンジンを始動させた。
その直前。
ブロックは歩みを止め、飛行場の当直士官へ振り返る。
「大佐。」
「直ちに、あの航空機を格納庫へ移送しろ。」
「格納後は施設全体を封鎖。」
「武装衛兵を二十四時間配置して厳重警備に当たらせろ。」
「私の許可なく、誰一人近づけるな。」
「基地所属の人間であっても例外はない。」
鋭い視線が当直士官を射抜く。
「理解したか?」
当直士官は即座に敬礼した。
「Yes, sir!」
地上要員たちは巨大な戦闘機を見上げたまま、その場に立ち尽くしていた。
誰一人として、どう扱えばいいのか分からない。
一人の整備兵がおずおずと口を開く。
「……隊長。」
「こんな飛行機、見たこともありません。」
飛行場当直士官は機体から目を離さず命じる。
「将軍命令だ。」
「何としてでも安全に格納庫へ移送しろ。」
「もし牽引できないなら、その場をシートで覆え。」
「周囲を木柵で封鎖し、誰も近づけるな。」
「以上だ。」
「了解!」
---
ジープはゆっくりと飛行場を後にした。
道中、目に映るのは惨状ばかりだった。
港の方角では黒煙が空高く立ち上り、
何隻もの軍艦が今なお激しく炎上している。
煙は空の半分を覆い隠していた。
消防隊は必死に海水を艦へ放水し続けている。
衛生兵は担架を押して走り回り、
負傷兵たちのうめき声が絶え間なく響く。
全身を包帯で巻かれた者。
重油と血にまみれた者。
至る所に爆発で吹き飛んだ残骸が散乱し、
折れた主翼や薬莢が転がっている。
空気には焦げた油、
火薬、
そして血の匂いが入り混じっていた。
まるで地獄そのものだった。
そう呼んでも、決して大げさではない。
コートは窓の外から目をそらした。
両手を強く握り締める。
歴史の教科書で何度も読んだ真珠湾攻撃。
その悲劇が今、
自分の目の前で現実として起きていた。
---
十分あまり後。
ジープは厳重な警備が敷かれた司令部庁舎の前で停止した。
建物の中は昼間のように明るい。
電話のベルが絶え間なく鳴り響く。
参謀士官たちは書類を抱えて忙しく駆け回り、
通信兵は次々と電報を受信・送信している。
作戦地図の前には多くの士官が集まり、
最新の戦況について激しく議論を交わしていた。
司令部全体が戦場さながらの混乱に包まれている。
日本軍の奇襲は、
基地のすべてを一変させていた。
ブロック少将は立ち止まらない。
カイルとコートを伴い、廊下を真っ直ぐ進んでいく。
途中ですれ違う士官たちは一斉に敬礼した。
「将軍!」
ブロックは軽くうなずくだけで、
歩みを止めることはなかった。
やがて一行は司令官執務室へ到着する。
重厚な木製の扉が開かれた。
室内にはすでに数名の高級将校が待機している。
情報参謀。
航空参謀。
作戦参謀。
保安担当士官。
全員の視線が、入室した二人へ向けられた。
誰一人として口を開かない。
部屋に響くのは、
遠くから聞こえる爆発音と電話のベルだけだった。
ブロック少将は執務机へ腰を下ろす。
鋭い眼差しで二人を見据えた。
「さて。」
「もう一度、私の質問に答えてもらおう。」
「君たちは、一体どこから来た?」
カイルは落ち着いた声で答える。
「将軍。」
「先ほども申し上げました。」
「アメリカ海軍。」
「航空母艦『カール・ヴィンソン』所属です。」
ブロックは静かに首を横へ振る。
「いや。」
「大尉。」
「私が聞いているのは、それではない。」
彼は机の上に置かれた記録書類を手に取った。
「私は長年アメリカ海軍にいる。」
「だが、『カール・ヴィンソン』という航空母艦など聞いたことがない。」
「『VFA-2』という部隊編制も存在しない。」
「そして……。」
「君たちが乗ってきたような航空機も、私は一度たりとも見たことがない。」
数秒の沈黙。
ブロックはゆっくりと言葉を続けた。
「だから聞いている。」
「君たちは、本当はどこから来た?」
カイルは答えなかった。
部屋の空気が張り詰める。
やがて彼は静かに息を吸い、
覚悟を決めたように口を開いた。
「もし私が――」
「八十五年後の未来から来た、と言ったら。」
「……信じていただけますか?」
ブロックは何も答えない。
ゆっくりと立ち上がり、
窓の向こうに広がる真珠湾へ視線を向けた。
沈黙だけが流れる。
その時だった。
一人の中佐が勢いよく立ち上がる。
**バンッ!**
拳が机を強く叩いた。
「馬鹿げている!」
彼はカイルを鋭く指差す。
「将軍!」
「私は彼らが虚偽の供述をしていると考えます!」
声はさらに大きくなる。
「未来から来ただと?」
「そんなもの、小説や空想話の中だけの話でしょう!」
執務室の空気が一気に緊迫した。
一人の将校が静かに口を開いた。
「私は、彼らはドイツのスパイではないかと思います。」
「身分を偽り、我が軍へ潜入しようとしている可能性があります。」
すると、情報将校も低い声で続けた。
「私も同意見です。」
「彼らの制服、武器、そして航空機。」
「どれも我々がこれまで見たことのない装備です。」
「ドイツが極秘裏に開発した新型兵器だとしても、不思議ではありません。」
「以前から、ドイツは秘密兵器を研究しているという情報もあります。」
「だからこそ、彼らの証言だけで身元を信用することはできません。」
「真実が確認されるまでは、彼らは依然として身元不明の人物です。」
その言葉が終わるや否や、
航空参謀がすぐに反論した。
「ですが、皆さん。」
「忘れてはいけません。」
「あの航空機の性能を、この場にいる全員が自分の目で見たはずです。」
彼は室内を見回す。
「もし彼らが本当に敵だったのなら――」
「その航空機の速度、火力、そして機動性を考えれば。」
「真珠湾へ降り立つ必要などありません。」
「ましてや、日本軍を迎撃し、この軍港を守る理由もないはずです。」
会議室は再び静まり返った。
誰一人、反論する者はいない。
全員が目撃していた。
あの謎の戦闘機が、
わずか数分で数十機もの日本軍機を撃墜した光景を。
あまりにも圧倒的な力。
それは、この時代の軍事常識を完全に超越していた。
ブロック少将が静かに口を開く。
「大尉。」
「仮に……。」
「今は君の話を受け入れるとしよう。」
「だが、ここにいる将官たちへ、君たちが本当に八十五年後から来たことを、どう証明するつもりだ?」
カイルは答えない。
ブロックは続ける。
「君たちの航空機が、我々の技術を遥かに凌駕していることは認めよう。」
「だが、それだけでは未来から来た証拠にはならない。」
彼は一拍置いて言った。
「そこで、一つ聞こう。」
「この戦争は――」
「最後に勝つのは誰だ?」
執務室は水を打ったように静まり返る。
ブロックはまっすぐカイルを見つめた。
「ドイツは世界を征服するのか?」
カイルは静かに首を横へ振った。
「いいえ。」
「ドイツは敗北します。」
「イタリアも敗北します。」
「日本も敗戦します。」
「枢軸国は、すべて滅びます。」
その瞬間、
会議室は完全な沈黙に包まれた。
やがて一人の将校が勢いよく立ち上がる。
「あり得ない!」
「ドイツ機甲師団は今やヨーロッパを席巻している!」
「フランスはすでに降伏した!」
「イギリスは孤立無援だ!」
「それなのに、ドイツが負けるというのか!」
カイルは全員を見渡し、静かに口を開いた。
「その理由は――」
彼は一拍置く。
「アメリカが参戦するからです。」
「そして、今日こそが。」
「アメリカがこの戦争へ全面的に参戦する、その始まりの日です。」
会議室は再び静まり返った。
全員の視線がコートへと集まる。
コートは落ち着いた口調で答えた。
「はい。」
その声に誇らしさはなく、
ただ事実を述べているだけだった。
「戦闘機パイロットだけではありません。」
「輸送機、爆撃機、戦闘機、そしてヘリコプターの操縦士にも女性がいます。」
「海軍、空軍、陸軍、そして海兵隊。」
「私たちの時代では、すべての軍種に女性パイロットがいます。」
数名の将校は思わず顔を見合わせる。
その驚きは隠せなかった。
コートは静かに続けた。
「私たちの時代では、軍人の職務は能力、訓練、そして資格によって決まります。」
「一定の基準を満たしていれば、人種や性別に関係なく、誰でもパイロットになる資格があります。」
一人の少佐が思わず尋ねた。
「つまり……。」
「女性も戦闘機を操縦し、空戦に参加するのですか?」
コートは迷うことなくうなずいた。
「はい。」
「任務が必要とするなら、私たちは男性パイロットと同じように出撃し、戦います。」
別の将校がさらに尋ねる。
「……それを、人々は受け入れているのですか?」
コートは少し考えてから答えた。
「最初からではありません。」
「そこに至るまでには、とても長い時間がかかりました。」
「ですが、二十一世紀では、ごく当たり前のことです。」
「私たちは同じ訓練を受け、同じ基準に従い、そして同じ責任を負っています。」
会議室は再び静寂に包まれた。
ブロック少将は目の前の若い女性士官を見つめる。
一九四一年を生きる彼にとって、
目の前にいる金髪の少尉は、八十五年後の未来から来た存在であるだけではない。
彼女が語る未来の世界そのものが、
あまりにも想像を超えていた。
ブロック少将はゆっくりと立ち上がる。
そして会議室にいる将校たちを一人ひとり見渡した。
その表情は、これまでになく厳しかった。
「諸君。」
「ただ今より、本会議で交わされたすべての内容を、アメリカ合衆国最高機密として扱う。」
室内の空気が張り詰める。
ブロックは続けた。
「マイスター大尉。」
「ウィルソン少尉。」
「そして、彼らが搭乗する航空機。」
「二人の身元、来歴、本日この部屋で語られた内容の一切を含め、すべて最高機密に指定する。」
「私の許可なく、本会議の内容を部外者へ漏らすことは一切許可しない。」
「違反した者は、国家反逆罪として処分する。」
将校たちは一斉にうなずいた。
「**Yes, Sir!**」
ブロックは副官へ向き直る。
「直ちに憲兵隊を配置し、この会議室を封鎖。」
「会議記録はすべて封印しろ。」
「出席者全員には、新たな命令があるまで、報道機関および外部機関との接触を禁止する。」
「了解しました!」
副官は即座に敬礼した。
ブロックは深く息を吸い、
改めてカイルとコートへ視線を向ける。
「それから。」
「この件は、すでに海軍だけで判断できる範囲を超えている。」
「直ちにホワイトハウスへ報告し、大統領の指示を仰ぐ。」
---
会議終了後。
ブロックは書類を閉じた。
「本日はここまでだ。」
彼は二人を見つめる。
「二人とも、一日中よく働いてくれた。」
「今日はまず休みなさい。」
カイルは軽くうなずいた。
「はい、長官。」
ブロックは副官へ命じる。
「二人には独立した宿舎を用意しろ。」
「一般の将兵とは別にする。」
「部屋は別々だが、隣同士に配置すること。」
「了解しました。」
「それから、新しい軍服、着替え、洗面用品、それに食事も用意しておけ。」
「その格好では目立ちすぎる。」
副官は素早く手帳へ書き込む。
ブロックはさらに命じた。
「憲兵一個小隊を配置。」
「二十四時間体制で警備に当たらせろ。」
「私の許可なく、何人たりとも二人へ近づくことを許さない。」
「彼らの存在についても、一切外部へ漏らしてはならない。」
「了解!」
副官は再び敬礼した。
ブロックは最後に二人を見つめる。
「新たな命令が下るまで。」
「二人は基地の外へ出ないでほしい。」
「必要なものがあれば、衛兵へ申し出れば対応させる。」
カイルとコートは異論なくうなずく。
「了解しました。」
ブロックはしばらく黙っていたが、
やがて少しだけ口調を和らげた。
「君たちにとっても、決して楽な状況ではないことは理解している。」
「だが今、この件をどう扱うべきか分かっている者は、私以外にはいない。」
「ワシントンで結論が出るまで。」
「どうか協力してほしい。」
カイルとコートは同時に敬礼した。
「はい、長官。」
会議室の重い扉がゆっくりと開く。
外では二人の憲兵がすでに待機していた。
「マイスター大尉。」
「ウィルソン少尉。」
「こちらへどうぞ。」
二人は静かにうなずく。
余計なことは何も聞かなかった。
海軍司令部を出ると、
目の前には、なお硝煙に包まれた真珠湾の光景が広がっていた。
遠くでは、いまだ軍艦が炎を上げていた。
港の方角からは、消防隊のサイレンが絶え間なく響いてくる。
司令部の正面には、一台の濃緑色の軍用セダンが停車していた。
車の脇には一人の海軍中尉が待機している。
彼は二人を見るなり、姿勢を正して敬礼した。
「ブロック将軍のご命令です。」
「私が、お二人を指定宿舎までお送りいたします。」
カイルは軽くうなずいた。
「ご苦労。」
中尉は自ら後部座席のドアを開ける。
二人が乗り込むと、
静かにドアが閉められた。
その瞬間、
武装憲兵を満載したジープ二台が、
前後から護衛につく。
車列はゆっくりと司令部を後にした。
道中、
街はなお混乱の真っただ中にあった。
衛生兵たちは負傷兵を担架で運び、
トラックは次々と消防資材を港へ送り届けている。
海軍兵、水兵、海兵隊員たちが慌ただしく走り回り、
防空警報も時折鳴り響いていた。
コートは窓の外を静かに見つめる。
そして小さく呟いた。
「本当に……一九四一年へ来てしまったんですね……。」
カイルは答えなかった。
ただ、遠くで黒煙を上げ続ける戦艦アリゾナを黙って見つめていた。
しばらくして、
車列は港湾地区を離れ、
厳重に警備された軍営へ向かう。
窓の外には憲兵の姿が増えていく。
交差点ごとに臨時検問所が設けられ、
護送命令を確認した車両だけが通過を許されていた。
コートはついに我慢できず口を開く。
「大尉……。」
「私たち、これからは貴賓扱いなんでしょうか……。」
「それとも、捕虜でしょうか?」
カイルは窓の外を見たまま、小さく笑った。
「どちらでもない。」
「国家最高レベルの保護対象だ。」
コートは苦笑する。
「それって……。」
「囚人より自由がなさそうですね。」
カイルは否定しなかった。
やがて車列は最後の鉄門をくぐり、
厳重に警備された営区へ入っていく。
重厚な鉄門が、
二人の背後でゆっくりと閉じられた。
この瞬間から、
二人は正式にアメリカ軍が最も重要視する、
そして最も謎に包まれた保護対象となった。
車列はさらに営区の奥へ進み、
二階建ての宿舎の前で停止した。
そこは主要道路から離れた場所にあり、
周囲には憲兵が配置され、厳重な警備が敷かれている。
ドアが開くと、
一人の海軍兵がすぐに駆け寄り、敬礼した。
「マイスター大尉。」
「ウィルソン少尉。」
「ようこそ、お越しくださいました。」
兵士は建物へ手を向ける。
「こちらは新設された将校用宿舎です。」
「まだ正式運用前ですが、生活に必要な設備はすべて整っています。」
「ブロック将軍のご命令により、当面はこちらをお二人の宿舎といたします。」
「お部屋の準備はすべて完了しております。」
「衣類、洗面用品、日用品もご用意しております。」
彼は丁寧に続けた。
「生活面で何か必要なものがございましたら、いつでも当直兵へお申し付けください。」
「可能な限り対応いたします。」
コートは宿舎を見上げ、
それから周囲で警戒に当たる憲兵たちへ視線を移した。
小声でカイルへ話しかける。
「大尉……。」
「私たち、元の基地にいる時より待遇が良くありません?」
カイルは周囲を軽く見渡した。
玄関。
窓際。
塀の外。
どこを見ても、小銃を持った憲兵が立哨している。
彼は小さく笑う。
そして声を潜めた。
「待遇だけを見るな。」
「周りもよく見てみろ。」
コートは改めて辺りを見回した。
宿舎の周囲だけでも十数名の武装憲兵が配置され、
少し離れた場所には憲兵のジープまで待機している。
その意味を理解した彼女は、
小さく息を吐いた。
「……私たち、隔離されてるんですね。」
カイルは静かにうなずく。
「それに、監視もされている。」
コートは苦笑した。
「しばらくは自由に外出なんて無理そうですね。」
その時、
兵士がもう一度敬礼した。
「それから、ブロック将軍よりお伝えします。」
「本日はゆっくりお休みください。」
「明日午前八時、新たな命令が伝達されます。」
そう言うと、
兵士は再び敬礼し、その場を後にした。
カイルは飛行用ヘルメットを手に取り、
目の前の見慣れない宿舎へゆっくりと足を踏み入れる。
一九四一年へ来て以来、
ようやく二人は立ち止まり、
これからこの時代でどう生きるのかを考える時間を得たのだった。
それぞれが自室へ荷物を置き、
宿舎は静けさを取り戻す。
コートはベッドに腰掛けた。
見慣れない部屋を見回し、
窓の外では今も憲兵たちが巡回を続けている。
どうにも落ち着かない。
彼女は立ち上がると、
部屋の中を何度も行ったり来たりした。
数分後。
意を決したように部屋を出る。
隣室の前まで歩き、
軽くノックした。
コン、コン。
返事はない。
コートはそっとドアノブに手をかける。
静かに扉を開くと――
カイルはすでに飛行装備を脱ぎ、
ベッドの上で大の字になって寝転がっていた。
両手を頭の後ろで組み、
まるで何事もなかったかのように、
実に気楽そうな表情を浮かべていた。
コートは呆れたようにため息をついた。
「大尉……。」
カイルは目を閉じたまま答える。
「ん?」
コートは部屋の入口に立ち、おそるおそる尋ねた。
「これから……私たち、どうすればいいんでしょう?」
カイルは気だるそうに答える。
「どうするって?」
「せっかくなんだから、休暇だと思って過ごせばいい。」
そう言って大きくあくびをした。
「今日はゆっくり休め。」
「もう十分働いた。」
コートは思わず目を丸くする。
「きゅ、休暇ですか?」
「私たち、一九四一年にタイムスリップしたんですよ!?」
それでもカイルは目を閉じたままだった。
「だから?」
「今、一番頭を抱えてるのは俺たちじゃない。」
「アメリカ海軍の連中だ。」
「俺たちにできることは全部やった。」
「後は将軍たちに悩んでもらえばいい。」
そう言うと寝返りを打ち、
毛布を肩まで引き上げる。
「もう二十四時間近く寝てない……。」
「とりあえず寝かせてくれ。」
そう言って軽く手を振った。
「お前も部屋へ戻って休め。」
「話は起きてからでいい。」
コートはその場でしばらく立ち尽くしていた。
やがて諦めたように小さくため息をつく。
「……さすが大尉ですね。」
彼女は静かにドアを閉め、
自室へ戻っていった。
しかし――
ベッドへ横になっても、
今日一日に起きた出来事が何度も頭の中を巡る。
寝返りを繰り返しても、
何時間経っても眠ることができなかった。
コートはゆっくり起き上がり、
自分のTシャツの匂いを嗅ぐ。
「……汗臭い。」
小さく苦笑すると、
着替えを手に取った。
「先にシャワーでも浴びて、気分を落ち着かせよう。」
そう呟き、
部屋の浴室へ向かう。
ドアを開けた瞬間、
彼女は少し驚いた。
豪華とは言えないものの、
洗面台もシャワーもあり、
きちんと温水まで出るようになっている。
「お湯まで出るんだ……。」
思わず感心する。
「この時代って、もっと不便だと思ってた。」
やがて浴室から、
シャーッという水音が響き始めた。
---
数時間後。
カイルはゆっくりと目を覚ます。
腕時計を見る。
「もう夕方か……。」
「六時間近く寝てたのか。」
ベッドから起き上がると、
大きく背伸びをした。
「コートを誘って夕食でも食べに行くか。」
彼は隣の部屋の前まで歩いて行き、
軽くノックする。
コン、コン。
「コート。」
「夕飯を食べに行こう。」
返事はない。
「まだ寝てるのか?」
もう一度ノックする。
それでも反応はなかった。
諦めて立ち去ろうとした、その時。
部屋の中から、
シャーッという水音が聞こえてきた。
カイルは足を止める。
「なんだ、シャワー中か……。」
二秒ほど沈黙する。
その直後。
彼の口元が、じわりと緩んだ。
「…………。」
気がつけば、
反射的にドアへ耳を近づけていた。
その拍子に、
手がドアノブへ触れる。
**カチャ。**
「あれ?」
「鍵が掛かってない……?」
カイルは思わず固まる。
「いやいや……。」
「女の子が鍵を掛けないなんて……。」
「ここは見知らぬ土地だし……。」
「俺は上官なんだから、安全確認くらいは必要……いや……。」
そこまで考えたところで、
自分でも苦笑する。
「……いや、この言い訳は無理があるな。」
数秒考えた末、
小さく呟いた。
「……一瞬だけ。」
「本当に一瞬だけだから。」
彼は忍び足でドアへ近づき、
そっと隙間へ顔を寄せようとした。
その瞬間――
ガチャッ。
浴室のドアが開いた。
二人の視線が真正面でぶつかる。
時間が止まった。
コートはバスローブ姿のまま立っていた。
濡れた金髪から、
水滴がぽたぽたと床へ落ちている。
彼女は無言で、
ドアの前へ張り付いているカイルを見下ろした。
そして、
彼の姿勢をゆっくり確認する。
カイルはぎこちない動きで、
ゆっくりと顔を上げた。
目に飛び込んできたのは――
まるでゴミでも見るかのような、
コートの冷え切った視線だった。
しかし彼女は怒鳴らなかった。
怒るどころか、
すべてを理解したように、
にっこりと微笑んだ。
「……大尉?」
そのあまりにも冷たい声に、
カイルは反射的に背筋を伸ばす。
「き、君の話を聞こう……。」
コートは一歩、
静かに近づいた。
笑顔のまま問いかける。
「……言い訳、ですか?」
次の瞬間――
**ドゴッ!**
コートの容赦ないストレートが、カイルの肩へ炸裂した。
「いっっっっってぇぇぇぇっ!!」
あまりの痛さに、カイルはその場へ膝をつく。
コートは腕を組み、冷たい視線を向けた。
「さっき、『疲れたから寝る』って言ってませんでした?」
「それなのに、どうして私の部屋の前でこそこそしてるんですか?」
カイルは乾いた笑いを浮かべる。
「いや、その……。」
「夕食に誘おうと思って……。」
「ちょうど鍵も開いてたし、それで……。」
コートは目を細めた。
「……それで?」
カイルは反射的に姿勢を正す。
「いえ!」
「本当に申し訳ありませんでした!」
コートは鼻を鳴らし、
部屋中に響く声で叫んだ。
「今すぐ自分の部屋へ戻って、そのまま寝てください!」
「『スリーピング・デビル』大尉!」
※「スリーピング・デビル」はカイルのコールサイン。
**バタン!!**
勢いよくドアが閉まる。
**カチャリ。**
続いて鍵の掛かる音が響いた。
――――。
廊下は再び静寂に包まれる。
カイルは肩をさすりながら苦笑した。
「いてて……。」
「あいつ、本気で殴りやがった……。」
少し間を置いて、
小さく独り言を漏らす。
「……まあ。」
「スタイルは思った以上だったし……。」
「結果オーライ、かな。」
彼が踵を返そうとした、その時。
部屋の中からコートの声が飛んできた。
「夕飯は一人で行ってください!」
カイルは頭をかいた。
「……本気で怒らせたな。」
小さくため息をつく。
「仕方ない。」
「帰りに夕食でも買ってきてやるか。」
そう呟くと、
彼は将校食堂へ向かって歩き始めた。
一方その頃。
部屋の中では、
髪をタオルで拭いていたコートが、
遠ざかっていく足音を聞きながら、小さく鼻を鳴らす。
「……本当に、おバカな大尉。」




