第6話 告白
この時間になると車の数も減っていて二人で横に歩くことができた。一歩、前に出て先に進む。その間一言も言葉を交わすことはなかった。
水の流れる音が聞こえる。目の前には短い橋がかかっておりその下に川が流れている。橋を半分程渡ったところで立ち止まり美奈の方を向く。
一度深呼吸をして口をひらく。
「ねぇ、ニュースになってる血だまりって美奈がやったの?」
「…………」
美奈は何も答えなかった。私はさらに言葉を続ける。
「これってさ……殺したって……ことだよね?」
美奈は右手で左腕を掴みながら顔を逸らしている。今何を考えているのか私にはわからない。本当は最初に聞くべきだったのに今まで聞かなかった、聞こうとしなかったことを聞いてはっきりさせるべきだと思った。
「美奈はどうして人を殺すの?」
あの時、美奈ははっきりとした理由を答えてくれなかった。ずっと見て見ぬフリをすることはできたかもしれない。でも、美奈の正体を知ってるのは私だけで、私には彼女のことを知る権利があると思う。
美奈は俯いたまま喋らずしばらく沈黙が続いた。
「……衝動的に殺すのって我慢することとか」
「できないよ」
振り絞るように出た言葉に遮られる。ここで初めて美奈が口を開いた。
「できないの。わたしは人を殺さないと生きられないから」
「それってどういうこと?」
美奈がゆっくり近づいてくる。今にも鼻先が触れ合いそうなほど顔が接近する。じっとこちらを見てくる瞳に吸い込まれそうになる。美奈の手が私のシャツに触れる。そのままシャツをずらされる。
「ちょっ……」
美奈の手を振り払おうとしたがあっさり止められてしまい、美奈の口が首筋に触れる。
「ッ……!!」
首筋に痛みが走って咄嗟に美奈の肩を強く押す。
数日前に噛まれた場所。そこに重ねるように歯を突き立てられる。何度か叩くように押してようやく離れた。肩に触れると手に何かが付いた感覚があり手をみると血で赤く染まっていた。美奈に目を向けると唇が赤く染まっており、笑みを浮かべている。
「わたしにとってヒトは食料なの」
喋るたびに口の間から赤く染まった歯を覗かせる。初めて彼女に対して恐怖心を抱いた。今まで目を逸らし、触れようとしなかった真実を突きつけられる。あの時、教室での出来事からどこか安心していたのかもしれない。自分は殺される事はないのだと。でも、彼女にとって私は単なる食料だというのなら自分は困ったときの食料にするためにたまたま生かされていただけなのではないか?
「わたしにはヒトの命の価値なんてわからない。それに殺したとしても何か問題あるの?わたしが殺した人はみんな元に戻っていつも通りの生活を送る。それなら生きていることと変わらないんじゃない?」
何も問題はない。それは紛れもない事実だと思う。美奈に殺されたとしてもそれによって誰かの生活に何らかの変化生じることはない。殺された人も殺されたことに気づかずいつも通りの生活を送っている。人殺しだとしても彼女を罪に問うことはできないだろう。だれも気付かない。正体を知っている私以外は。
「ユイちゃんはさ、わたしのこと怖くないの?」
「え?」
自分の心を見透かされてるような質問に思わず固まる。嘘をつくべきか本当のことを言うべきか迷う。もし、本当のことを言ってしまったら私たちの関係はここで終わってしまうだろう。それだけは嫌だ。
「怖いよね……。だからもう……わたしと一緒にいない方がいいよ」
「私は……」
言葉が出ない。何を伝えればいいのだろう。彼女に向けていた恐怖心が別の恐怖の感情へと上書きされていく。明るくて天然な彼女はもういない。今、人の命の価値を理解できないという人食い。そんな彼女が私に忠告をしている。殺されたくなければ逃げろと。
「じゃあ、わたし帰るね」
そう言って美奈は振り返り歩き出した。
「待って!」
咄嗟に駆け出して美奈の腕を掴む。腕を掴まれると彼女はあっさり歩みを止めた。
「……なに?」
彼女の顔に視線を向けてみれば瞳が震えており感情を抑え込んでいるようだった。美奈はまだ本心から話していないように思えた。
ふと、昨日のことを思い出した。美奈は私のことを殺そうとした。食料だと言うならどうして殺さなかったのだろう。
「なんで私のこと殺そうとして謝ったの?」
「それは……」
何かを言いかけたが美奈は視線を逸らして黙ってしまう。
「本当は私のこと殺したくないんでしょ」
その言葉にピクッと反応した。口が少し震えていて何か言おうとしているように見えたが気にせず言葉を続ける。
「私のこと殺したくなくて……」
「……はなして」
「脅すようなこと言って離れようとしたんでしょ」
「離してよ!」
感情的になった美奈が手を振りほどこうとする。それと同時に腕を引っ張って引き寄せる。お互いの体が密着し触れ合う。首の後ろに腕をまわす。こんな状況でも体は正直で心臓の鼓動が早まるのを感じる。
「何を言っても私は美奈から離れるつもりはないよ」
「ッ……」
言葉を言い終えると同時に美奈の首筋に歯を突き立てた。噛む力を強めるとやがて口の中に血の味を感じた。それはじわじわと口の中へと広がっていく。
噛むのをやめ、顔を首筋から離す。一歩離れて美奈と目を合わせる。
「美味しくない……」
初めて口にした他人の血の味の感想を呟く。人間からすれば人の血なんて美味しいわけがない。何で嚙みついたのか自分でもよくわからない。自然と私の体は動いていた。
私には彼女に殺された人たちが生きているのか死んでいるのか。本人なのか別人なのか。わからないし知ろうとも思わない。私にとっては美奈が人殺しであるかは重要じゃない。
私はただ、美奈のことが好きで一緒にいたいだけ。
「美奈は私と一緒にいるのは嫌?」
「……嫌じゃない……けど」
「じゃあ、一緒にいよう」
「……うん」
美奈は小さく頷き、ぽろぽろと涙を流した。腕を背中へと回して抱きしめる。
しばらくして涙も止まった美奈から離れる。そして、手を美奈に向けて差し出す。差し出した手を美奈が握る。
「帰ろっか」
「うん」
暗い夜道を街灯の光が照らしている。その中を手を繋ぎながら歩き、美奈の家へと向かう。
「そういえば、まだ答え聞いてないよね」
「何の話?」
「私を殺したくない理由」
驚いた顔をした美奈は顔を俯かせた。
「……――だから……」
「ん?ごめんよく聞こえなかった」
「わたしにとってユイちゃんは特別……だから……」
恥ずかしそうに顔を赤くしながら美奈は言った。心が大きく跳ねた。その言葉が体中に染み渡って高揚する。彼女にとって人は食料であり、そのなかで私は殺したくなくて一緒にいたい存在であると。向けられた感情の大きさに胸が高鳴り口元が緩む。優越感のような気持ちすらある。好きな人にそんな風に思われていることがこんなにも嬉しいなんて思わなかった。
「そう……なんだ……」
少しだけ気まずい空気になりながら美奈の家に着いた。幸いにも家には誰も帰ってきてなかった。流石に首筋の噛み傷を言い訳することなんてできるわけがない。洗面所に行き二人で軽く血を洗い流す。そして、絆創膏を貼って処置を済ませた。
少し休憩をするために二人してリビングのソファに座り込む。
「ちょっと気になったんだけど、美奈の親も人じゃないの?」
「親は人だよ。それに殺してもないよ」
「へぇー。じゃあ美奈は何なの?」
「うーん……よくわかんない。何だろうね」
手を握られた感触がして振り向くと体が触れ合いそうなくらい美奈が近づいてきていた。思わずドキッとする。
「なっ、なに?」
「次はユイちゃんが答えてよ。何でそこまでしてわたしと一緒にいたいの?」
心臓の音がうるさい。答えは一つしかないのに頭の中が真っ白になって上手く思考がまとまらない。
「……好きだから」
自然と口から零れ落ちた。急激に顔に熱を帯びて目を逸らしてしまう。視線を美奈の方に向けると顔を赤くして固まっていた。
「あ……えっと」
美奈がなにか言葉を返そうとしたとき、玄関からドアの開く音が聞こえた。咄嗟にお互いに距離を空ける。
「美奈~夜はちゃんとカギを閉めなさいよ~」
大きな声でそう言いながら美奈のお母さんがリビングへと入ってくる。
「あれ、どうしたの結ちゃんこんな時間に」
「すいません、お邪魔してます」
美奈のお母さんと軽く挨拶を交わす。
「えっと……今日学校休んでいたので少し様子を見に来ただけですぐ帰ります」
「あんた学校休んでたの?」
どうやらお母さんは家を出るのが美奈より早いからなのか学校を休んでたことを知らないようだ。
「今日はちょっと……学校行きたくなくて……」
「あんたねぇ……休むんだったら休むで先に言いなさいよね」
「はーい……」
「悪いねぇ結ちゃん、せっかく来てもらったのに」
「いえ、それじゃあ私はこれで」
そう言って立ち上がり玄関へと向かう。サンダルを履いてドアに手をかける。
「ユイちゃん」
言葉に反応して振り返ると美奈が立っていた。顔はまだ少し赤くなっている。
「それじゃあ月曜日ね……」
「うん……またね……」
夜に一人だけだがいつもより心が軽やかだった。
家に着くとお母さんが待ち構えていた。どう見ても怒っている顔だった。
「あんた、どこ行ってたの?」
「ちょっと……散歩に……」
目を逸らしながら言う。自分でも流石に苦しい言い訳だと思う。
「それで、本当はどこ行ってたの?」
お母さんの声の圧が一段強くなったように感じた。嘘はあっさりと見破られたので本当のことを言うしかない。
「美奈の家に行ってた……」
美奈との付き合いは長いからお母さんも美奈のことは知ってるし親同士の付き合いもある。
「理由は?」
「今日……休んでいて心配だったから……」
嘘は言ってない。今日休んだ時、美奈のことが心配だったし様子を見に行こうとしていたのも事実だ。肝心な部分は隠しつつ答えたが、それが見透かされているかどうかは顔を見てもよくわからない。
その後、玄関でかなり長々と説教されたが内容はいまいち覚えていない。
ようやく説教から解放され食べていなかった夕飯を食べる。
「いやー急に家を飛び出していくもんだからびっくりしたよ」
既に夕飯を食べ終えたお姉ちゃんが後ろから話しかけてきた。
「それで、美奈ちゃんの家行って何してたのかな?」
お姉ちゃんが首筋に触れる。噛まれた場所はシャツで隠れていて見えないはずなのに自然とその場所に手を置いてくる。
「……お姉ちゃんって超能力でも持ってるの?」
「そんなの持ってるわけないでしょ」
「縁切りたくなってきた」
「酷くない!?ちょっぴり察しが良いだけだよ~。縁切られたらお姉ちゃんわんわん泣いちゃう」
そんなことを喚きながら抱きついてくるので振り払おうとする。
「冗談だって。てか、ご飯食べてるんだからくっつかないで」
「ああ、ごめんごめん」
「まあお幸せにね」
「別に付き合ってるわけじゃ……」
ふと思った。好きとは言ったけど付き合うとは一言も言ってないことを。
「私は付き合ってるかどうかなんて一言も言ってないけど?」
「…………」
それじゃ私と美奈の今の関係って何だろう。
「おーい聞いてるかーい?」
「え?ごめん聞いてなかった」
「うーん、まあいいや」
それじゃ、と言ってお姉ちゃんは自分の部屋へと帰っていった。あれでただ察しが良いだけとか逆に怖い。
とりあえず美奈との関係については今は考えるのはやめておこう。
夕飯を食べ終えて風呂に入る。
「痛っ」
ボディソープを付けた手で触れてしまい美奈に噛まれた所が沁みる。噛まれた所は避けながら体を洗っていく。
洗い終えて湯船に浸かる。
天井を見ながらさっきのことを思い返す。一緒にいたいということ。好きであること。全部伝えてしまった。
「いッ……」
急に顔が熱くなってきて顔を湯船に入れようとしたら噛まれた場所が湯に触れて痛みを感じて湯船から飛び出る。これじゃあしばらく肩までしっかり湯船に浸からせることは難しそうだ。諦めて元の体勢に戻る。
「全部言った……」
風呂から出て髪を乾かし自分の部屋へと戻る。適当にスマホをいじって時間を潰して気が付けばもう夜の十時を回っていた。寝る支度しに一度部屋を出て再び部屋に戻るとそのままベッドに寝転がる。
今も美奈のことを思い浮かべると胸がドキドキしている。でも、今まであった不満や引っ掛かりがなくなり気分は晴れやかだった。
目を瞑る。今日はよく眠れそうだ。




