第5話 境界
美奈が来ないまま時間が過ぎていく。
会うのが気まずくて早く学校に来たというのに会えなかったことに酷くがっかりしている。加えて今日は金曜日だ。直接会いに行かなかったとしたら三日後になる。
会えないことへの不満なのか自分の中に溜まっているものを吐き出してしまいたい。そんな気持ちがあるがそれをできる相手は残念ながらいない。いや、一応いると言えばいる。
少し考えスマホを取り出す。今日の朝、話をしたついでに交換した連絡先を表示しメッセージを打ち込んでいく。
打ち込みを終え、一拍置いてからメッセージを送信する。メッセージを送った相手に視線を向ける。彼女は頬杖を突きながらただどこかを見つめていた。暇なのだろうか。メッセージの通知に気づいたのかスマホを取り出した。軽くスマホを見た後、こちらに視線を向けてきた。だがすぐに見る方向を変えてしまった。
気が付けば下校時間になろうとしていた。クラスの人たちがぞろぞろと帰っていく。その中で一人がこちらへ向かって歩いて私の前で止まる。
「ちょっと移動しよ」
「うん」
荷物を持つと教室を出た。廊下を歩いていると、下校する生徒たちと何度もすれ違う。みんな学校の中央階段に向かっているのだろうが階段自体は私たちが歩いている先にもある。でも不思議と端にある階段ではなく中央の階段を利用する人が多い。別にそれ自体おかしいことではないし私も利用するのは中央階段だ。私のクラスが中央階段に近いというのもあるが。ただ、中央階段から離れたクラスの人も利用する人は多い。中央階段を使った方が下駄箱に近いから。別のクラスの人と合流したいから。理由は色々あるだろう。
思い返せば去年、美奈とクラスが変わったときは一緒に帰るためにわざわざ中央階段を使っていた。
そんなことを考えていると着いたのは学校の端にある小教室だった。私の学校では数学の授業は学年全体を成績順でクラス分けをする。この小教室はその時に使われているが私は教室で授業を受けているので普段来ることはない。
「それで話って何か相談したいことでもあるの?」
綾香から話を切り出してきた。
「相談……相談というか単なる愚痴というか……」
「わざわざ愚痴るために呼び出したの?」
「だって……他に話せる人いないし……」
自分でも何でこんなことしてしまったんだと思い始めてしまってどんどん弱気になっていく。結局ここで吐き出したところで何の意味もないことだし私たちは受験生なのだからこんなことに時間を使うべきではないのに。最近、行動に移して後から後悔してばかりな気がする。
弱気になった私を見て綾香はため息を吐いた後、近くの椅子に座り、横にある椅子を机から引き出す。
「とりあえず座りなよ。話聞くから」
「……ありがとう」
綾香が机から出した椅子に座って綾香と向き合う。どこまで話すべきだろうか。
「えっと……まず私と美奈は付き合ってなくて……」
「知ってる」
細かい説明はいいから言いたいことだけ言えと言わんばかりにバッサリと切り捨てられる。まず、美奈が人じゃないことは話せない。というか話したところで信じるとも思えない。私も昨日のことがなければ多分普通の人間と変わらないだろうと受け入れていたと思う。
必然的に首を絞められたことも話せない。話せることと言ったら絆創膏を貼っている首についてる痕くらいだろう。
「友達同士じゃやらないようなことをしてからずっと心がもやもやしてるというか……。今の関係に少し不満みたいなものを感じていて……それをどうにかしたいな……って」
「そうなんだ」
「……えっと……それだけ?」
「言ったよ。話聞くって」
本当に話を聞いてくれるだけだった。別にアドバイスをくれるとかそういうのを期待していたわけでない。でも気の利いた返しをしてくれるかなって少しだけ期待していた。
「別にアドバイスとかいらないでしょ」
私が自分でどんな行動するべきか理解しているような物言いだった。実際今の自分の状況を変える方法なんて一つしか思いつかない。
「まあ、失敗したら慰めてあげるよ」
「まだ、何をするか一言も言ってないんだけど……」
「じゃあしないってこと?」
「いや……うーん……」
方法は一つしか思いつかないがそれを行動に移すかはまだ迷っている。
言いあぐねていると綾香は立ち上がった。
「帰ろうか」
「……うん」
ほとんどの人が帰っていて廊下を歩いているのは私たちだけになっていた。
「そういえばなんで夏休みに一緒にプールに行きたいって言いだしたの?私たちそんな遊ぶ仲じゃないよね」
ずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。綾香と同じクラスになるのは初めてだが基本的に一人でいる印象がある。話してみても別に人と話すのが苦手なタイプでもなさそうだ。元から一人でいることが好きなタイプだと思う。
「まあそうだね。話しかけたのはそういえば新しいクラスで話す人いないなぁーって思ってたところに丁度いい感じに話しかけるキッカケが舞い降りてきたからかな」
「その割に私より凛や鈴と仲良くなってる気がするんだけど」
「偶然、帰る方向が同じだったからさ」
それにしてもなんか私と美奈が凛と鈴と仲良くなるために使われた感があって少し不服である。
「あ、やっと来た」
校門に着くと凛と鈴が待っていた。
「先に帰っててって言ったのに」
「いいじゃん。来週には夏休みになって会う機会減るんだから」
「そうだよ」
三人で会話が盛り上がっているので先に帰ろうかと考えていた時。
「そういえば、美奈今日休んでたけど理由知ってる?」
凛から質問を投げかけられ一瞬固まる。心当たりがあると言えばあるがそれを素直に話していいものか。どう考えても良くないし恥ずかしくて話せたものじゃない。
「知らない。夏風邪とかじゃない?」
「そっか。私たちも風邪ひかないようにしないとね。遊べなかったら最悪だから。規則正しい生活をするように」
「はーい」
鈴が適当に返事を返す。
「鈴いつも変な時間に電話してきてるのにできるの?」
「凛が寝る前に電話してくれたらちゃんと寝れるかも」
「はいはいわかりましたよー」
その後もしばらく四人で他愛のない会話を繰り広げていた。
できることなら美奈ともこうして意味があるのかないのかもわからないくだらない会話を何も考えずしていたい。でもそれを私の心は許してくれない。多分この心にあるもやが晴れないとできないことだと思う。
「じゃあそろそろ帰るね」
「それじゃまた月曜日に」
「うん」
そう言って私は三人と別れ一人で歩く。別に一人で歩くことがないというわけではない。一年や二年の頃は美奈と部活が違って帰る時間が合わないことは珍しくなかったし、風邪をひいて美奈が休むことだってあった。
それでも今日の帰り道は少し寂しかった。
歩いてると見覚えのある家が視界に入る。美奈の両親が共働きをしているから家に今いるのは美奈だけのはずだ。もし、本当に美奈が風邪で休んでいた場合きっと心細いだろう。誰かが一緒にいた方が安心できるはず。
ドアの前で立ち尽くす。手を伸ばしインターホンのボタンを押そうとする。しかし、ボタンを押す寸前で止まってしまう。考えてみれば仮に風邪が酷かったら親が面倒をみているだろう。そうだ、元から私が行く必要なんてないじゃないか。
私はドアから離れて再び家に向かって歩き出した。
家に着いて荷物を置き、制服を脱いでハンガーにかける。
ベッドに寝転がった後、しばらく天井を眺めていた。勉強をしなくてはいけないのだがいまいちやる気がでなかった。とりあえずスマホを取り出して電源を付ける。動画でも見ようかと思ったがそんな気分でもない。こんなことならインターホンを押すんだったと後悔する。
メッセージアプリを開き文章を打ち込む。そして、美奈に送信する。
『今日休んでたけど大丈夫?』
スマホをベッドに落とす。
そもそも体調悪かったらメッセージ返す余裕もないんじゃないかとか考えてしまったがもう送ってしまったのだから遅い。自分の中に今までにない緊張が走る。
数分経ってからスマホの通知音が部屋に響く。慌てて通知を確認すると美奈からのメッセージだった。
『大丈夫だから気にしないで。月曜日は学校行けるから』
文字から全ての感情は読み取れない。けれどもこの文章からは休んでいる理由について聞いてほしくない感じがする。
『わかった。凛がプール行くんだから当日に体調崩さないようにしてよだって』
『わかってるよ』
『美奈』
『なに?』
一瞬送りかけた言葉をふみ止める。この言葉を伝えるなら直接言うべきだろう。
『やっぱなんでもない。じゃあ月曜日ね』
『うん』
お互いにスタンプを送り合って会話が終わる。美奈が送ってきたのはペンギンのキャラクターのスタンプで結構バリエーションが豊富で私も同じものを持っている。
夕飯までまだ時間がある。受験生なのだから勉強しなくてはと仕方なく教科書とノートを開く。
一時間ぐらい経っただろうか。あまり捗ったとは言えないがそろそろ夕飯の時間になるため一度勉強をやめ、部屋を出てリビングへと向かう。
リビングに向かうとカレーの匂いが鼻を突く。お母さんに近づいて声をかける。
「今日はカレー?」
「うん。テーブルにきゅうり切ったの置いてあるから食べて待ってな」
「はーい」
テーブルに向かうとお姉ちゃんが既に椅子に座ってテレビを見ていた。
「今日は早いんだね」
最近のお姉ちゃんは部活で帰ってくるのが遅いことが多く大体夜の8時過ぎに帰ってくることが多い。テレビの時計を見るといま6時半すぎくらいだ。
「今日は部活なかったからね」
お姉ちゃんの横の椅子に座ってテーブルに置いてあるきゅうりを一つつまみ取る。それにマヨネーズをつけて食べる。暑い時期に食べるきゅうりはやっぱり美味しい。
テレビの方に目を向けるとニュースがやっていた。芸能人のスキャンダルとか政治の話とか興味の湧かない内容ばかりだが他に見るものもないので流し見しながらテーブルに乗っているものを食べていた。
『本日午前、路上で謎の血溜まりが発見されました――』
その不可思議なニュースが気になり画面に目を向けるとそこには見覚えのある街並みが映されていた。その瞬間、心臓が締め付けられるような感覚がした。
「うわ家の近くじゃん」
ニュースを見ていたお姉ちゃんが独り言を呟く。
何も知らない人からしたら不気味だけど事件は起きてないからこんなもの気にも留めないだろう。
でも、私にはこれを起こした人物に心当たりがあった。テレビに映ってる場所は私がそれを見た場所とは違う場所だ。しかも裏路地とかの人通りが少ない場所とかではない。普通に人が歩いてる道に血だまりがある。そして、心当たりがある人物は今日の学校を欠席している。つまり、彼女は今日人を殺したのだ。それも比較的目立つ場所で。
血が滲むように自分の心の痛みがじわじわと広がっていく。
勢いに任せて立ち上がる。
「急にどうしたの?」
「ちょっと出かけてくる。すぐ戻るから」
返答は聞かずにリビングを飛び出した。リビングの方から声が聞こえたが無視して玄関に向かう。
玄関に着くと丁度帰ってきたお父さんとすれ違った。
「どこに行くんだ?」
「ちょっと外歩くだけ。すぐ戻ってくるよ」
「あまり遠くに行くんじゃないぞ」
「わかってるよ」
ドアを開け外に出る。昼間よりは多少マシになってるとは言え、この時期は夜でも暑い。湿気と相まって不快感の強い中、走り出す。
数分走った程度の今の季節だと汗が流れる。頬を伝って水滴が落ちた。
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながら美奈の家の前に着く。ドアの前に立ちインターホンを押す。あの時、迷った末に押さずに帰ったのが嘘みたいに躊躇いなく押した。
インターホンの音が鳴ってしばらく経ってからドアが開いた。そこから美奈が顔を覗かせる。服装はシンプルな白のシャツに短パンで家で過ごす用の服といった印象だ。顔に目を向けると風邪や熱で体調を崩している様子はない。
「こんな時間にどうしたの?」
「えっと……大丈夫って言ってたけどやっぱちょっとだけ心配で……」
その場しのぎの適当な嘘で誤魔化す。
「そうなの……来てくれてうれしい……」
美奈が笑みを浮かべる。素直に喜んでくれたことに安心すると同時に嘘をついたことの罪悪感に胸が痛む。
「せっかく来てくれたんだし上がってよ」
「いいの?」
「まだ親は帰ってきてないから気にしなくていいよ」
美奈に促され家に上がる。そのままリビングへ向かいソファに腰を落とす。
「お茶でいい?」
「うん」
冷たいお茶をコップに注いでテーブルに置く。それを手に取り口に含む。走って乾いた喉に冷えたお茶が染み渡る。
お茶を飲み切ったあと、意を決して口を開く。
「ねぇ美奈、親が帰ってくるのっていつぐらいになりそう?」
「うーん……多分あと二、三十分くらいしたら帰ってくると思うけど……」
「そう……」
一度間を置いて息を吐く。
「少し……一緒に歩かない?」
「いいけど……なんで?」
「……少し話したいことがあるの」
間を置いて美奈が立ち上がりそれに続くようにして立ち上がり、私たちは家を後にし夜の街へと踏み出した。




