第3話 曖昧
いつも通り目を覚まし学校へ行く準備をする。鏡の前に立ち自分の姿を見る。右側の首筋には大きめの絆創膏が貼ってあり反対側には虫刺されのような赤い点がある。実際は虫刺されではないのだが。
「これ、絆創膏で隠した方がいいのかな……」
噛まれた方は制服で隠れるから問題ないけどキスマークの方は少し見えてしまっている。痕自体は小さいから簡単にバレないと思いたい。美奈が作ったその痕を指で何度かなぞる。
あんなことさせたけど美奈はどう思ってるのだろうか。あのまま誰も来なかったら美奈は何をしてくるのだろう。
いや、こんな考えを巡らせても意味はない。
「……このままでいっか」
鏡から目を離し顔を洗った。
「結~。早く支度して朝ごはん食べなさいよ~」
「今行くー」
お母さんの声に答えてリビングへと向かう。テーブルには朝ごはんのトーストが置かれておりお父さんとお姉ちゃんは既に食べ始めている。お姉ちゃんの隣の椅子に座ってトーストにかじりつく。
「ねぇ、その怪我何したの?」
「えっとー……転んだ?」
「転んでそんな場所怪我するわけないでしょ」
「まあ……そうだね……」
お姉ちゃんは自分があまり話したくないことを察したのかそれ以上追及してこなかった。
「あとその首のとこにある……ふーん……」
首筋に付いた痕に気づいたお姉ちゃんは何かを察したようで顔がニヤりと歪んだ。
「いやえっとこれは……!そういうのじゃないから!」
「んー?私はまだ何も言ってないけど?そんな反応するってことは何かやましいことがあるんだ?」
「うっ…………」
「いやー久しぶりに妹を揶揄うのは楽しいねぇ」
そう言ってご飯を食べ終わったお姉ちゃんは食器を片付けてリビングを出て行った。
「とりあえず病院送りになるような怪我はするなよ」
「……はーい」
お父さんからも軽い注意程度で済んだ。というより気を遣われたが正しいかも。
制服に着替えて学校に行く準備を終える。
「いってきまーす」
そう言ってドアを開け学校へと向かう。途中で美奈の家があるがいつものように迎えに行くべきか迷った。昨日の今日で一緒に行くのは少し気まずいなと思う。昨日、私たちの姿を見たのは同じクラスの綾香だけ。綾香とはあまり話さないから正直何をするのか読めない。もしかしたら色んな人に話して既に噂になってるかもしれない。うちの学校は一学年二クラスで六十人くらいしかいないし噂は簡単に広まるだろう。
放課後の教室に二人っきり。
しかも一人は上半身下着だけの姿。今考えても状況がいかがわしすぎる。
昨日のことを思い出して顔が熱くなってきたのでその記憶を振り払おうとする。
とりあえずこのまま学校に行って様子を見よう。
学校に着きドアを開け教室に入る。教室の様子は普通だし特に怪しい視線が送られてくることもなかった。
「おはよー」
「おはよー」
席が近くて結構話すことの多い凛が声をかけてきた。
「今日は一人なんだ珍しいね」
「うーん……」
「美奈と何かあった?」
「いや、何もないよ。ただ時間が合わなかっただけ」
「ふーん……怪しい」
「ホントに何もないって」
「へぇ……」
明らかに信じてなさそうなニヤけた顔をしながら凛は別の人のところへ行った。いくら怪しんでるとは私たちが何をやっていたのかは知る由もないだろう。ただそれを知られてしまう可能性がある訳だが。
綾香に視線を向けてみるが特に変わった様子はない。普通にクラスの人と雑談をしているだけだ。内容はよく聞こえないが。視線に気づかれたのか一瞬こちらに視線を向けてきて慌てて顔を逸らす。少し視線を向けたら綾香がこっちに向かってきていた。
「ねぇ、ちょっと話さない?」
「いいけど……」
そう言って綾香はトイレの方に向かったので追いかける。
トイレには私たち二人以外誰もいないので周りを気にせず話せそうだ。
「それで話って何?」
「昨日のあれってさいじめとかだったりする?」
「違うけど」
「そう。じゃあ二人って……そういう関係なの?」
「……そうとも言えるような言えないような……」
「なんでそんな曖昧なの……」
「ま、まあとりあえずあの時見たことは誰にも言わないで欲しいな……」
「大丈夫だって。誰にも言わないよ。あ、でも何か進展があったら教えて欲しいなぁ?」
「うーん……わかったよ……」
「よし、じゃあ話はおわり。教室戻ろ」
トイレを出ると丁度美奈と目が合った。そして、そのまま会話を交わす事無く通り過ぎて自分の席に着いた。
「あれ?もしかしてギスギスしてる感じ?」
「そういう訳じゃないよ」
綾香の揶揄うような発言をすぐに訂正する。実際仲が悪くなったとかではない……はず。
何故かじーっと見つめてくる。
「何?」
「その首の赤い点……ふーん……へぇー」
首筋に着いた痕をみて察した綾香が露骨にニヤけた表情をしている。
「いやぁ~お熱いねぇ~」
「うるさい。先生くるから席戻って」
少し強めの声で言いながら綾香を席に戻した。そして、いつも通り授業は進行した。ただ今日はほとんど授業に集中できなかった。何度も視線が美奈に吸い寄せられていた。
鐘が鳴りどんどん教室から人がいなくなっていく。さて、美奈に声をかけるべきか。綾香以外に特に昨日のことを言及されることはなかった。
「ねぇ、帰ろう?」
考え事をしていると美奈から話しかけられた。微妙に気まずさを感じるので一緒に帰るべきなのか迷った。
「……うん」
結局一緒に帰ることにした。
横に並んでいつも通り通学路を歩いているがいつもと比べるとお互い明らかに口数が少なかった。そもそも昨日、半ば強制的にあんなことをさせたのに美奈は今も私のことを友達と思ってくれているのだろうか。ネガティブな感情が自分の中から湧き出ているのを感じる。
「ねぇ、なんで今日は一緒に登校してくれなかったの?」
「昨日のことでクラスで噂になってるんじゃないかって思ったから……」
真っすぐこちらを見ながら投げかけられた質問に対して目を逸らしながら答える。
「ホントにそれだけなの?」
「…………無理やりあんなことさせたあとに会うのが気まずかったから……」
「そう……」
無言の状態がしばらく続いた。少し距離を空けたところに同じように下校中のグループが歩いており彼らの話し声が聞こえてくる。
そのグループもそれぞれ別れてやがて周りには人はいなくなって私たちだけになった。
「……昨日のことなんだけど……」
静寂を打ち切ったのは美奈だった。
「いやじゃ……なかったよ……」
「…………えっ」
呟かれた言葉の意味をすぐに理解することができなかった。意味を理解した瞬間、顔が一気に熱くなり美奈の方に勢いよく振り向く。美奈は口元を手で隠して顔の半分が隠れていたが明らかに顔が赤くなっていた。
「い、家着いたから!ま、また明日ね!」
「う、うん……」
そう言って駆け足で美奈は家の中に入っていってしまった。
家に着き自分の部屋に入りそのままベッドに寝転がる。
ここに来るまでずっと美奈のことを考えていた。
無理やり傷を付けるようにしたこともそのあとの首へのキスも全部嫌じゃなかった……。
あの時の記憶も感情も曖昧になっていて何が正しいのか自分でもよく分からなくなっている。最初は自分のことをちゃんと生きた人間なのか疑問に思ったことから始まった気がする。それで私がちゃんと生きてる人間なのか証明させようとした。
そこからははっきりと覚えていない。なんで噛むように誘導したんだろう。でも、楽しくてドキドキしていたことは覚えている。
あの時のことを思い出して思わず布団に顔を埋める。あのまま誰も来なかったらどうなってたんだろう。
次の日になりいつも通りの朝が来て目を覚ます。昨日もまた満足に寝られなかった。リビングに向かい朝ごはんを食べる。今日はトーストではなく卵焼きと米とみそ汁だった。
「結、もしかして寝不足?」
「なんでそう思うの?」
「なんとなく眠そうだなって」
昨日の朝といいなんで私の姉はこんなに鋭いんだ。昔は一緒に遊ぶことも結構あったけど最近は朝食と夕食以外ではほとんど話すこともないのに。
「まあ確かにあんま寝れなかったけど……」
「ふーん……寝られなかった理由は聞かないであげる」
「それは……どうも……?」
朝ごはんを食べて支度を済ませて家を出た。今日はどうしようか。昨日のこともあってやっぱ気まずい。でも会いたい気持ちもあるし、二日連続で一緒に学校来なかったら凛になんか言われそう。
悩んだ末、美奈の家の前に来てしまった。インターホンに手を伸ばしボタンを押し込む。
少ししてドアが開く。
「えっと……おはよう」
「……うん、おはよう」
対面した美奈とおそるおそる挨拶をすると笑顔で返してくれた。
二人で学校へと向かう。一人で学校に行ったのは昨日だけなのに何故か夏休み明けに久しぶりに会ったときと同じような気持ちになっている。学校までの道のりでは、ほとんど会話をすることはなかった。
学校に着き教室へ入る。教室の様子はいつも通りで私と美奈もいつもと変わらず席に着く。どうにも気持ちが落ち着かない。
「おはよー」
「おはよー」
昨日と同じように凛が挨拶をしてきたのでそれに返す。
「今日は美奈と一緒に来たんだ」
「何もないって昨日言ったじゃん」
「その割に話をしには行かないんだね」
「そういう日もあるの」
「ふーん……まあ何でも良いけど。それよりさ、夏休みプール行かない?」
「私たち受験生なのに遊んでいいの?」
「一日くらいいいじゃん。息抜きは必要でしょ?それに中学最後の夏休みなんだから、少しくらい遊んでも問題ないでしょ?」
「……それもそうだね。いいよ。他に誰誘うの?」
「とりあえず結と美奈と鈴と私の四人……」
「私も一緒に行ってもいい?」
会話に割って入ってきたのは綾香だった。
「いいよ。それにしても珍しいね。綾香ちゃんってこういうのあんま乗ってこないタイプだと思ってたから」
「まあ、中学生最後の夏休みだし何か思い出作りたいなーって」
そう言いながら綾香は私の方を向くといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「そういうことだからよろしくね」
「あ……うん。よろしく」
チャイムが鳴りプールの話はまた後でしようということになり授業を受けた。
美奈はあの時みたいなことをしようと言ったら何をしてくるのだろうかとか美奈の水着姿見たいなとか美奈のことばかりを考えていて授業の内容がまったくと言っていいほど頭に入ってこなかった。自分がどんどん深い沼に嵌っていってる気がする。自分の心の底にある思いに気づきたくない。自分の想いから目を逸らす。彼女は人間じゃない。いつか殺されるかもしれない。それに成績の差を考えれば私と美奈は違う高校に行くんだ。いくら家が近くて会いに行きやすいとはいえ会うことも減るだろう。だから今の関係のままでいいんだ。
放課後のチャイムが鳴り教室からどんどん人がいなくなっていく。
「ユイちゃん、一緒に帰ろ?」
「うん……でも帰るのはちょっと待って」
「どれくらい?」
「……誰もいなくなるまで……」
気づけば教室には私と美奈だけになっていた。本当はこんなことするべきじゃない。これ以上は今の関係が崩れてしまう。
「まだ……帰らないの?」
「……ねぇ、美奈は私のこと……どう思ってるの?」
「どうって……」
自分から聞いたくせに、答えを聞くのが怖い。今の関係が崩れてしまいそうで。でも、それでもやっぱり答えを知りたい。私のことをどう思っているのか知りたい。周りの音が聞こえなくなり、目は美奈だけを捉え続けている。
「……大切な友達……だよ」
「そう……だよね」
その言葉に安心したと同時に胸に痛みを感じた。この気持ちはなんだろう。今の関係を崩したくないならこれでいいはずなのに。
「ねぇ、美奈はこの前のこと嫌じゃなかったんだよね?」
少し間を置いて美奈は小さく頷いた。無意識に手を伸ばしていた。伸びた手は自然と美奈の頬に触れていた。柔らかくてすべすべなほっぺた、ずっと触れていたい。そう思えるような触り心地が良い。
頬に触れた時、美奈はびくっと少し体が跳ねたけど手をどけようとはしなかった。
目を逸らして顔を少し赤くしている姿は可愛らしい。
少しずつ顔を近づけていく。
そのことに気づいた美奈はあたふたしている。
その姿を見つつ唇が美奈の耳に触れそうな距離まで接近する。
「続き……する?」
耳元での囁きにまた美奈の体が跳ねる。
顔を覗いて見てみれば耳に至るまで真っ赤に染まっている。
表情は驚いているのか目を見開いており口角が少し吊り上がっていた。




