第11話 水底
この時期に外出するのは自殺行為だと思う。
ニュースとかでも熱中症で倒れたという報道を見ることは珍しくない。
だから熱中症対策はしっかりしていかなくてはならない。
ニュースといえば一つ疑問に思ったことがある。
美奈が人を殺すとき、証拠は一切残らない。それなのにどうして血の水たまりなんてものが残っていたのだろうか。何か理由があるのだろうが今更聞くのも良くない気がする。
時計を見ると九時になろうとしていた。これ以上のんびりしていたら集合時間に間に合わなくなってしまう。一旦中断し出かける支度を急いだ。
「いってきまーす」
そう言いながら私は家を出た。
「ごめん、遅れた」
そう言いながら凛と鈴が息を切らしながらやってきた。
集合時間から既に10分以上経ってからの到着だった。
「鈴が寝坊して起こすのに手間取った」
「夜更かししすぎた」
実は私も2分くらい遅刻していた。私が駅に着いた時には既に綾香と美奈は着いていて話をしていた。
別に嫉妬とかではないがその後もしばらく二人が話していて何となく美奈の腕を掴んだらしばらく綾香に揶揄われたのでそれも終わりそうで少しホッとしている。揶揄われるのは別に嫌ではないけど恥ずかしくなってくる。
「電車来るから早く行くよ」
綾香がそう言いながら駅の中に入っていくので私たちもついていく。
広がる水面は何度も繰り返し波打っている。
人気のレジャープール施設なだけあって人は多く子供たちの騒がしい声がよく響いている。
「人多いねー」
横に立っている凛がつぶやく。
「プール入っていても熱中症になることはあるらしいけどね」
凛の隣にいる鈴がそう言いながら水面を軽く蹴る。
「美奈と綾香は?」
「そろそろ来ると思うけど」
五人で施設に着いて更衣室へ向かうときに綾香が美奈を連れてそそくさとどこかへ行ってしまった。
その後、連絡があってどうやら更衣室を出るタイミングをずらして欲しいと連絡がきたため私は凛と鈴が着替え終わったタイミングでメッセージを送って三人でプールに向かった。
「あ、来たよ」
そう言う鈴の見ている方に視線を向けるとこちらへ向かってくる綾香と美奈の姿があった。
目の前に美奈が立つ。
「えっと……どうかな?」
きっと水着のことを言っているのだろう。足元から順番に美奈の姿を確認していく。
自然と心臓の鼓動が早まっていく。
「え……」
自分の中の良くない思考が自然と口から出そうになり固まる。
「かわいいよ」
「…………」
笑顔を保ったまま出そうになった言葉を修正する。怪訝そうな顔で美奈がこちらをじっと見てくる。
一歩踏み出して顔を耳元にまで近づけてくる。
「今、別のこと言いかけたでしょ?」
耳元で囁かれて体が少し跳ねる。体が近くて自然と手が美奈の体へと引き寄せられていく。
「な、なんのことかなぁ」
「人がいるとこであんまりイチャつかないでくださーい」
背後からの綾香の声で我に返る。その声を聞いた美奈が耳元から顔を離すと私の手を握って歩き出した。
「行こ」
美奈の言葉に頷いて私も美奈に続いて歩き出す。
手を繋ぎながら歩いているとチラチラと美奈がこちらを見てくる。
「なんか付いてる?」
「え?」
「何度もこっち見てくるから」
「いや……噛んだところどうなってるのかなって……」
「ああ」
どうしてそういった疑問を持ったのか理解した。私は肩から首筋にかけての部分が露出しない水着を着ている。
「痕は残ってるよ」
美奈の顔が暗く沈んでいく。
血が出るほど強く噛まれたのだ。そう簡単に綺麗さっぱり痕が消えるわけがない。二回。幸い、噛まれた場所は同じところだから隠しやすかった。
「ごめんなさい」
「気にしないで。言ったのは私の方だし」
これは本心からの言葉だ。最初に傷を付けてと促したのは私であって美奈の意思じゃない。確かに噛まれた痕を隠せて自分に合う水着を探すのは少し苦労した。
「それよりさ、どう?」
「どうって?」
「私の水着」
傷が原因で着られる水着の幅は制限されたけどその中でもしっかり悩んで選んだから美奈には褒めて欲しいと思う。
可愛いって言われたい。
「似合ってるよ」
「ふーん」
嬉しいけどもう一声欲しいなという目で美奈を見つめる。
「かわいいよ」
「ありがと」
満足したので少し歩くのを速めて前にいる凜たちに追いつく。
「最初はどこに行くの?」
「あの短い滑り台のところ」
凛に質問すると指をさしながらそう答えた。その方向を見ると横幅の大きい滑り台があり、小学校低学年くらいの子供たちが多く滑っていた。
「長いのは後に取っておこうと思いまして」
「なるほど」
私たちは滑り台の上に向かった。
先に三人が滑って私と美奈が隣り合って滑ることになった。
短いし小さい子供向けだからなのか傾斜も緩やかで正直そこまで面白くはないだろうと思っていたが、滑ってみると存外楽しい。
水が流れてるのもあってよく滑り思っていたよりも速く傾斜を滑っていった。そして、そのまま水面へと足から突っ込んでいき体全体が水の中へと沈んでいく。ほぼ同じタイミングで滑ってきた美奈と水中で目が合う。
楽しそうな笑みを浮かべながらこちらを見る美奈にじっと見ていると胸の奥が温かくなっていく。
美奈のほうに手を伸ばそうとしたが息を止めるのが苦しくなってきたから水面に顔を出す。続いて美奈も顔を出した。
「思ってたより楽しいかも」
「うん。想像より速くてびっくりしちゃった」
「早くしないと置いてくよー」
凛の呼ぶ声が聞こえてそちらを見ると三人は既に移動を始めていた。慌てて私と美奈も駆け出す。
この施設で一番長いウォータースライダー。上まで上るとプール全体を良く見渡すことができた。長い時間ここで遊んでいて最初来た時の印象と比べると人が減っているような気がする。
「ねぇ、一緒に滑ろうよ」
隣にいる美奈にそう声を掛けられる。
「いいよ」
迷うことなく快諾する。一緒にということはくっつきながら滑ることになるのだろうか。そう考えると少し顔が熱くなる。
「きゃあーーーー!」
声のする方を見ると凛と鈴が一緒に滑りだす姿が見えた。毎回凛は声をあげながら滑っているが鈴の方はほとんど無反応といった具合だ。普段から表情が変わることは滅多にないがあれでも凛といるのが一番楽しいらしい。本人には言ったことないらしいが。
あの二人が一緒にということは綾香は……。そう考えていると私たちの前の人がいなくなっていて順番が回ってきた。
「私たちも行こ」
そう言ってスタート地点に向かう。
一緒に滑るということはどっちが前に座るか決める必要がある。
「……じゃんけんで決める?」
「そうだね」
結果的に美奈が前で私が後ろに付いて滑ることになった。
今日はあまり美奈に触れていないしせっかくだからと思いわざと密着して座る。
こうして触れているといつも心臓の鼓動が早まってしまう。でもそれと同時に安心する。こうして鼓動が早まっているということは私は美奈のことが好きなままだからということだからだ。
美奈が人間じゃないという事実、人が食料であり簡単に殺してしまうという現実は私の気持ちが崩れることはないのだろう。
考えるほど自分の異常性を実感する。
「ユイちゃん?」
心配そうな表情で美奈がこちらを見つめてくる。
「どうしたの?」
「暗い顔してたから」
そんなに顔に出ていたのか。
「なんでもないよ。ほら早く滑ろ」
そうして私たちが乗る浮き輪が滑り出した。想像以上に速いスピードでどんどん滑っていく。喋る余裕もあまりない。長いと言われてたウォータースライダーでもものの数十秒で滑り切ってしまった。
下ったあと周囲を見渡すと凛たちの姿はすでになかった。このウォータースライダーが終わったら時間までは各々で自由に過ごそうと話していた。
「私たちはどうする?また滑る?」
「うーん……少しゆっくりしたいかな」
「わかった」
私はプールからいったん上がると美奈に手を伸ばした。
「行こ」
言葉に反応した美奈が伸ばした手を握る。手を握ったのを確認するとプールから引っ張り上げる。
しばらく歩いてみて回っているととあるプールが目に入った。そこは比較的人が少なくて、水深自体がかなり浅くて脛あたりまでしか水に浸からない程度だった。
「あそこならゆっくりできるんじゃない?」
「それじゃあそこ行こ」
二人で浅いプールまで移動すると人がなるべく少ないところで腰を落とした。
水でひんやりとする下半身に対して上半身は直に日差しを浴びるからあんまりくつろぐことはできなさそうだ。とはいえ、ピークは既に過ぎてる上に都合よく太陽が雲に隠れているおかげもあって居心地はそこまで悪くない。
隣に座る美奈の方を見る。黒くて長い髪が水に濡れて艶を出し肌に張り付いていて普段とは違う雰囲気を醸し出している。
その姿に自然と視線が釘付けになった。
「……視線がいやらしい」
「へ?」
視線に気づいた美奈が腕で口元を覆いながら言う。
「そんないやらしかった?」
「うん」
一切の間を置かずに頷く。その反応によって私が美奈に向ける感情が可視化された。私は美奈のことをそういう目で見ている。
その事実があっさり本人に見抜かれた。
肌が熱くなっていく。
「ねぇ、私の水着姿……どう思う?」
ここに来て聞かれた最初の質問。もうさっきみたいに誤魔化すことはできない。
「……エロいなって思った……」
顔全体が沸騰したように熱くなる。腕で顔を覆う。
「ふーん……じゃあずっとそう思いながら私のこと見てたんだ?」
そう言って顔を傾け下から覗きこむようにこちらを見てくる。その顔は紅潮していて頬が緩んでいる。
触れようと伸びる手を理性が抑え込む。
「家だったらキスしてた」
「してもいいんだよ?」
「しないから」
美奈の手が伸びて頬に触れる。心臓の鼓動が大きく跳ねる。
「わたしはしたいよ」
美奈の顔がどんどん近づいてくる。このまましてもいいかもしれない。そう思っている。でも、かろうじて残っていた理性が働き美奈の唇を手がふさいだ。
「んむ」
予想外だったのか美奈の口から変な声が漏れ出る。
「今は我慢して」
「はぁい」
不満げな返事をして美奈は顔を離し、隣に座りなおした。
「流れるプール行かない?」
「なんで?」
「なんとなく」
それ以上の理由はなかった。ただここでゆっくりしてるのもなしではないがなんとなく体を動かしたい気分になったからだ。
一応このままここにいたらいつか我慢できなくなるからというのも理由としてなくはない。
「いいよ」
流れるプールは良い。体力をあまり消費せず流れに身を任せるだけでそれなりに楽しい。
美奈と一緒で流れに乗りながら歩いている。
「ユイちゃん…………?」
美奈の肩をトントンと叩いた後、地面から足を離し全身を水の中へと沈めていく。こうして息が続かなくなるまで流されるのが好きだ。
不確かな視界の中で美奈が同じように体を沈めているのが見える。
こちらに伸びてきた手を掴む。
冷たい水の中で確かな熱を感じる。
掴んでいた手が引っ張られて体が美奈の方へと引き寄せられる。
唇同士が今にも触れ合いそうなほど近づいて身構える。
しかし、触れることなく美奈の顔は横に逸れた。
視界がはっきりとしてないから美奈が何をしようとしてるのかわからない。
その時、首に何か柔らかいものが当たる感覚がして体が跳ねる。すぐに美奈の唇が首に触れていると理解した。
押し付けられた唇と自分の肌の隙間から泡が零れ出ていく。
あらゆる感覚が消えていって首に触れる美奈の唇の感触だけが取り残されていく。その感覚が不思議と心地良くてずっと続いて欲しいとすら思う。
心臓の鼓動が早まって息が苦しくなっていく。
息が限界を迎えて顔を上向けて手足を動かす。
手はつないだまま、二人で水面に顔を出す。
「誰かに見られたらどうするのさ……」
「ふふ……ごめん。我慢できなくって」
反省の色の見えない明るい声で美奈が謝罪を述べる。
「でも楽しかったでしょ?」
朗らかな笑みを浮かべる美奈の頬は少し赤くなっていてその姿に胸がいっぱいになる。
「うん」
繋いだままの手は暖かくて、その相手は周囲が一切見えなくなるほど私の意識をくぎ付けにした。
更衣室に向かっている途中、別の場所で遊んでいた三人と合流した。
「二人っきりの時間は楽しめた?」
「おかげさまで」
流石にこの手のやり取りにも慣れてきたので特に恥ずかしがることもなく素っ気なく答える。
更衣室で着替えて駅へと向かう。
電車に乗り家の最寄り駅で降りる。
途中までは帰る方向が同じなので四人で道を歩いていく。
「次四人で集まるのって夏休み終わってから?」
凛が質問を投げかける。
「そうなんじゃない?」
綾香が適当な返しをする。
「わたしは遊べる日あるから集まることになったら行けると思うよ」
美奈がそう答える。
「私も」
「わたしもー」
私と鈴も美奈に賛同する。
「じゃあ、予定は未定ってことで」
学校の近くまで来てここで私と美奈、凛と鈴と綾香は違う方向に進むことになる。
「それじゃまたね」
三人に別れを告げ美奈と二人っきりとなる。
特に言葉を交わすことなく自然と手を繋いで歩いていた。
気づけば美奈の家の前まで来ていた。
手が離れ美奈は玄関の方へと向かっていく。
「またね」
「ちょっと待って」
ドアを開けようとする美奈を引き留め、近づく。
「なに……」
言いかけた言葉を遮り、開いた口に唇を寄せる。柔らかな感触が唇を伝い広がっていく。
心臓の鼓動が早まった。何度繰り返しても鼓動は早まるし顔も熱くなる。
ゆっくりと唇を離し美奈の顔を見る。
不意打ちで驚いたのか口を半開きにしたまま顔を真っ赤にしている。
「プールで言ったでしょ?」
「いった……」
「それじゃまたね」
「うん……」
別れを告げ家に向かって歩く。
平静を装っていても心臓の鼓動は騒がしいままだった。




