気づいてしまった日――母を失った七夕の記憶
前回のお話はーー
海ほたるからの脱出を果たし、幸太たちは式典会場へ帰還。
花火に込められた想いは届き、A’sはプリンセスの命と向き合う。それはコードネームが本当の名となった。
夜は静かに更けていく。
それぞれが、それぞれの場所で七夕の夜を迎えていた。
式典を無事に終え、カズマは自室のベッドへ倒れ込んだ。
三月が戻ってきた――ただそれだけで、胸がいっぱいだった。
緊張も、興奮も。
張りつめていた糸がぷつりと切れたように、一気に抜け落ちていく。
「……震災、か」
ふと、思い浮かんだ。
アンダー東京では、この日を誰も口にしない。
まだ、みんな傷ついている。
触れちゃいけない空気があって、幼いカズマはそれを自然に受け入れたまま育ってきた。
――気づかずにいられた、場所だった。
だが、ここはスカイ東京。
今日は『震災十周年慰霊式典』として、派手なイベントが行われた。
『あの日、私たちの生活は一瞬で変わりました。日常が壊れ、戻れない現実を突きつけられた……』
峰子のスピーチが、耳に残っている。
気づいてしまった。
――母がいなくなった日だ、と。
十年越しの、あまりにも遅い『事実の自覚』。
疲労と安堵と、どうにも言葉にできないざわめきに飲み込まれ、カズマの意識はそのまま静かに沈んでいく。
小さなアパート。
台所の冷蔵庫にはプリントが貼られ、居間には幼いカズマの写真。
どこにでもある、穏やかな日常の部屋だった。
「お母さん、はやく! お祭り、始まるよー!」
玄関で靴をつっかけながら、六歳のカズマは待ちきれずに叫んだ。
「はいはい、もう少し待って。帯だけ結んじゃうから」
「先にいくよ!」
「あ、もう! 気をつけてね。お母さん後から行くから!」
玄関まで追いかけてきた母の声は、夕日のようにあたたかかった。
カズマは勢いよく外へ飛び出す。
ちょうど友達が家の前を駆けていき、「カズマー、行こうぜ!」と手を振った。
「うん!」
迷わず追いかけた。
町内会の小さな七夕祭り。
提灯がゆらゆら揺れ、焼きそばの匂いがして、笹飾りが風に鳴る。
千円のお小遣いを握りしめ、クジにしようか、ベビーカステラにしようか迷った。
お母さん、焼きそば好きだよな。
早く来ないかな。
そんなことを思った瞬間だった。
地鳴り。
足がふらつき、地面が波みたいにうねる。
悲鳴。
泣き声。
誰かの叫び。
激しい揺れが収まったあと、カズマは呆然と立ち尽くした。
「……お母、さん?」
家に、戻らなきゃ。
そう思って駆けだした――が、戻れなかった。
道路は割れ、街灯は倒れ、知らない大人の腕がカズマを抱き止めた。
「危ない! そっちはダメ!」
「お母さんが家にッ! 戻らなきゃ!」
「子供たちはこっちに! 離れちゃダメよ!」
混乱の中、カズマは避難所に集められた。
「お母さんは?」と何度聞いても、誰もが「大丈夫」と答えた。
夜が来て。
朝が来て。
また、夜が来た。
日が経つごとに、子供たちは減っていく。
迎えに来た家族に、ひとり、またひとりと連れて帰られていった。
気づけば――知っている顔は、もうほとんど残っていなかった。
やがて、家族がわからない子供は避難所から児童施設へ移された。
優しい大人もいた。
けれど、知らない子だらけの世界で、カズマは眠れなかった。
二年が過ぎたころ、生活には慣れた。
けれど、心が慣れることはなかった。
ある晩、カズマは施設を抜け出した。
誰にも気づかれず、誰にも止められず。
向かったのは――あの場所。
アパート。
しかし、そこにあったのは瓦礫だけだった。
折れた鉄骨。崩れた壁。
ぽたり、と涙が落ちる。
「……お、かあ、さん……?」
返事は、どこにもない。
大人の「きっと大丈夫」も、慰めの言葉も――全部、嘘だった。
世界が、そこで終わった。
その時――聞こえた。
「君、ずっとここにいるよね? どうしたの?」
やわらかくて、安心させてくれる声。
……姉、ちゃん……?
小夏の『最初の言葉』だけが、鮮明に響いた。
そこで、カズマは目を覚ました。
夢……?
窓から差し込む光が、眩しい。
昨日までと何も変わらない、見慣れた部屋。
安心を感じた瞬間に夢の記憶が薄れる。
……時間?
スマホを手に取ると9時を過ぎている。
あ……。
食堂どころか、完全に遅刻だ!!
軽く頭は抱えたが、カズマは急ぐことをあきらめた。
寝ながらスマホを眺めるが、昨日のことは事件として明るみに出てはいない。
式典を賞賛する記事ばかりが並び、大イベントだったんだと今更思い知らされる。
犯行声明も、テロもあったはずなのに……
何もなかった。
考えれば考えるほど嫌になりそうで、二度寝でもするかと布団にもぐった瞬間。
ピンポン ピンポン ピンポー―――ン!!!
強烈な玄関チャイムを連打する音に跳び起きた。
ドン、ダン、ドドドドドド!!
「カズマー、大丈夫かー? カズマ―」
次はドアを叩かれ叫ばれる。
この時間なら他の部屋に人もいないだろうが、迷惑だからやめて欲しい。
「あーもー、おはようございます。教官?」
ドアの向こうには誰もいなかった。
何かに当たった、よな……?
「イキナリ開けんじゃねーよッツ!」
どうやら簗瀬をドアで突き飛ばしたようだ。
「無事か? どこか具合が悪いのか?」
血相変えた簗瀬にボディチェックされる。
ホントに朝から勘弁してほしい。
「スミマセン。寝坊しました」
正直に頭を下げたカズマに、簗瀬はやっと落ち着きを取り戻した。
「ったく。心配かけるなよ! 着替えろ、行くぞ!」
有無を言わさず連れてこられたのは、校長室だった。
「昨日は大変だったみたいね。お疲れ様!」
胡散臭い笑顔の冴子は、カズマをソファに座らせる。
「灯、お茶入れて。あ、コーヒーがいいわ。カズマ君もコーヒーでいいかしら? この前いただいたお菓子あったでしょ? アレがいいわ。忙しくてまだ食べてないのよ」
なんだろう……。
テーブルいっぱいにありったけの菓子を並べられてしまった。
この接待、あんまりいい話ではなさそうだ。
そういえば――由真がいない。
昨日のことだとしたら、由真がいないのは不自然?
「……」
「由真がいないのが気になる? それとも、察しているのかしら?」
意味深な冴子は多くは語らない。
アンダー絡みのことなら、由真がいないのは当然だ。
「由真は休みだ。ま、出さないだろうな、アチラさんは!」
簗瀬の吐き捨てるような物言いは、因縁めいたものがありそうだ。
「昨日のコト、あなたには知る権利があるわ、カズマ君」
そう言いながら切り出したくせに。
冴子の説明は表面的なものだ。
ノーザンクロスとは、政府に恨みを持つ能力者軍団。
犠牲者がいなかった。
慰霊式典は予定通り行われた。
今回の事件を公にする意味はないと政府もSSSとしても合意した。
「……SSSは能力者を守らなければならない!」
静かに言い切った冴子に、カズマは理解した。
これ以上の説明はないことを――。
その瞬間。
カズマの意識が揺らめいた。
軽いめまいのような感覚の中。
提灯がゆらゆら揺れ、焼きそばの匂いがして、笹飾りが風に鳴る景色。
「カズマ? カズマ! 大丈夫か?」
簗瀬の声が、現実に引き戻した。
「お前疲れてんだよ、今日はもう、帰れ!」
自分が連れて来たくせに、カズマは校長室を追い出された。
校長室を後にしたカズマは、意識がはっきりしない。
夢?
アンダーで出会った友達。
裕一のGT-Rに憧れて、怒られて、笑って。
あの生活こそ、カズマのすべてだった。
その前に『過去』があったなんて、考えたこともなかった。
でも――
もし今の夢が、幼い頃の『本当の記憶』だとしたら。
繋がらない。
夢と、アンダーで過ごしてきた日々の間に、絶対に何かがある。
何かがあったはずだ!
お読みいただきありがとうございました。
次回更新は明日となります。
7月7日の完結まで毎日更新で駆け抜けます!
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




