1084 威圧
「ただいま!」
誰にともなくそう言って、ロクサレンの自室に降り立った。
もちろん、返事が返って来るとは思ってなくて。
「――おかえりなさいませっ!」
床に火がつきそうな様子で、滑り込んできたマリーさんに飛び上がる。
「び、びっくりするよ……! そんな毎回お迎えに来なくていいからね?!」
「うふふ、ユータ様もそろそろ慣れてもよい頃合いかと」
あ、オレの方が慣れる側なのか。
なるほど? と思いつつ、連れ立って歩くマリーさんを見上げた。
「ねえ、マリーさんも威圧ってできるよね?」
「それは、もちろん。嗜みですので」
何の? メイドでも淑女でもないよね? ああ、もしかしてAランクのかな。
「オレ、威圧ができなくて。どんな風か、やってみせてくれない?」
「構いませんが、相手がいないことには……」
「オレがいるよ?」
「それは無理ですね」
スパッと否定されてがっくりする。
「な、なんで?」
「有象無象ならともかく、庇護対象には向けられません。特にユータ様には」
どうして特にオレなの。庇護対象であることも不服だけれど、まあ……相手はAランクだし。
「ですが、威圧などユータ様には不要だと思いますが」
「そんなことないよ! やっぱり迫力というか、そういう戦わなくても分かる実力、みたいなのがあった方がカッ……無駄な諍いも減るでしょう?」
カッコいいから、ではさすがにダメかと誤魔化して真剣な顔をする。
「減りますでしょうか……? マリーはむしろ無駄な諍いの時に使う気もします」
「ええ……」
た、確かにそういうのを使うって、既に諍いは始まっているかもしれない。
「ああ、ちょうど……」
ふと足を止めたマリーさんが、階下へ視線をやった。
――途端。
熱砂が吹き抜けたような。
ごう、と重い質量ある何かが、周囲に渦巻いた気がする。
じりじり肌が焼け付くような、端から食われていくような、おぞましさ。
オレには、向けられていないのに。
跳び退った執事さんが、ギリッとこちらを見上げて、オレを視界に入れる。
今にも膨れ上がりそうだった冷たい気配が、すっと収まって行く。
同時に、重苦しい渦も消えていく。
「いかがですか? このように――」
何事もなかったかのように説明するマリーさんを前に、オレの方はまだ、やっと息をしたところ。
「……あなたは、老人の心臓を止める気ですか」
珍しく青筋を浮かべた執事さんが歩み寄って来る。
「ご、ごめんね?! オレが威圧を教えてって言ったから!」
「そうでしたか。けれどユータ様は私を威圧せよとは言ってないでしょう」
「そうだけども……」
マリーさんが怒られてしまう。急いでありがとうを言うと、マリーさんはいつものようににっこりして立ち去って行った。
ふう、と息を吐く執事さんに飛びついて抱きしめる。
「あんな風だとは思わなくて……怖いね」
しがみついた身体が、しっかり汗をかいていることに気が付いて余計に申し訳なくなる。
苦笑した執事さんが、そうっとオレを抱き上げ、深呼吸した。
「……あのクラスの威圧を受けることはそうありませんので、老体にはなかなか堪えます。私は、一般人ですので……すみません、少々このままで……」
そりゃあそうだよね。なんとなくだけど、マリーさんの威圧ってAランクの中でも相当な気がする。
珍しくオレを抱き上げたままの執事さんを、ぎゅうっと抱きしめて生命の魔力を流してみる。
強張っていた身体から、力が抜けるのが分かった。
「執事さんが一般人だったら、他の一般人が怒ると思うよ? 執事さんも、きっと威圧得意でしょう?」
「ふふ、ユータ様にそう言われてしまうと何とも。ええ、威圧は得意ですね。私はあれらよりも力がありませんので、ハッタリで場をしのぐ必要がありますし」
あれらって、マリーさんとかカロルス様? 確かに執事さんは魔法使いだもの。近接戦闘には向いてな……うーん? でも執事さん、魔法なしで結構無双していたような。ああ、カロルス様みたいな規格外を除いてということか。
「ちょうどよい機会がありますので、しばし気配を消していただけますか?」
「え? うん……」
それって……。
オレを抱えたまま、音もなく扉が開かれる。
案の定部屋の主がカクリと頭を落としたところで、溜め息を吐いた執事さんの気配が膨れ上がった。
真っ暗な、氷の海の底。方々から身体を貫く、細い氷の槍。
そんな感覚に、ふるりと震える。すごく、寒い……。
「ぉお?! いや起きてる! 起きてる!! 待て待て、今寝たばっかだからな?!」
凍り付きそうな気配の中、部屋の端まで跳んだカロルス様。言ってることが無茶苦茶だけど、よくこの中で動けるものだ。
「なんだよ、何も切羽詰まったもんなかっただろ! ちょっとくらい……ん? ユータ?」
「おはよう、カロルス様。もうお昼だよ?」
くすっと笑うと、ゆるゆると冷え冷えとした気配が霧散していく。カロルス様が、ほっと息を吐いた。
「ユータ様の手本に、ちょうどよいかと思いまして」
「は? 手本?」
しれっとそう言ってオレを下ろすと、では、とその場を去って行く。
くすくす笑って、ありがとうと手を振った。
ねえ、これって、執事さんの八つ当たりな気がする。いいな、カロルス様。執事さんがそんなことをできるのって、もしかして世界でカロルス様だけなのでは。
「なんだっつうんだ……せっかく人が気持ちよく……」
「寝たらダメだからね?!」
くわあ、と大あくびするカロルス様に駆け寄った。
「すごいね、執事さんの威圧。威圧ってどうやるのか教えてもらってたんだよ」
「あー、どうりで。まだ、あそこまでやられるほどじゃねえと思ったわ。とばっちりかよ」
不服そうにオレを持ち上げて、膝の上に乗せた。
「とばっちりかなあ……寝てたからじゃない?」
「アレは、もっとサボってた時のやつだ」
うん……結構日常なんだね。
「カロルス様の威圧は? どんな感じなの? 二人ともオレにはやってくれないから」
「あんなもん、受けていいことなんかねえだろ! そこらのヤツにやってみろ、意識飛ぶぞ」
「そんなになんだ……カロルス様も?」
こうして眠そうにだらけている姿からは、想像もつかないけれど。
「だろうよ。そういや、昔やってみてくれっつうから軽く威圧して、腰が立たなくなったヤツがいたな」
懐かしそうに笑うカロルス様に、じゃあオレも言わない方がいいのかも……と身震いする。
でも……やっぱり興味はあるわけで。
大腸検査でやられてました……まだ気持ち悪ぅ
いましたよね、覚えてる方いらっしゃるかしら?
12巻外伝、若かりし頃のカロルス様たちの話に出て来た、彼ですね。






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