1081 銀次おじさん
いい匂いが漂う厨房で、オレはせっせとフルーツをカットしている。
「銀次おじさんは、果物が好きだったから。きっと、今も好きだよね」
『もちろん! おじさん、色んなものが好きだからね! ぼくのしっぽまで食べようとするんだから!』
ふふ、と笑みが浮かぶ。シロは小さかったからね。
子犬ならでは、好奇心旺盛すぎて誰にでも構いに行ってしまうから、チャトはもちろん、何ならモモにまで噛まれそうになっていた気がする。
そう思えば、今のシロはあの時に比べれば随分落ち着いている。
子犬の時期は過ぎてしまったんだろうか。そう思うと寂しいような、大きくなったんだなと嬉しいような。
忙しくオーブンの匂いを嗅いだり、オレの手元を嗅いだりしているのを見ると、前言撤回したくはなるけれど。
「酸っぱいけど、いる?」
『うん!』
カットした柑橘の端っこをつまんでみせると、ウォウッと元気な声がした。
ぽい、と投げたフルーツを上手にキャッチして、『酸っぱい!』と嬉しそう。
歓迎のお料理は、何がいいかな。
きっと、昔食べられなかった色々を食べたいと思うだろう。
デザートのケーキは、果物たっぷりのズコットにしようと思って。
まあるいボウルに、せっせとスポンジを敷き詰め、その中へクリームとフルーツ、そしてスポンジで段にしていく。
「全部自分のじゃあ! とか言いそう。なんだろうね、銀次おじさんと話したことはないのに、きっとこうだろうなって気がするよ」
『面倒な気しかしないわ……』
モモと蘇芳が、ふう、と息を吐いて半ば諦めたような顔をする。
チャトなんか、『呼ばなくていい』とか言うくらいだし。
「オレ、呼べるかなあ……」
準備はしてきた。
生命の魔力も、十分なストックがある。
実力だって……結構ついてきたと思うんだ。
「ただ……銀次おじさんだからなあ」
気に食わん! の一言で全てがひっくり返されそう。
いや、会話したことはないんだけど。
『俺様、しっかりこのご馳走を念じて送っておけばいいと思うんだぜ!』
『確かに。ご馳走をお供えしておけば、勝手に来るきがするわ』
そんなわけ……大いにありそうで、苦笑した。
よし、魔方陣の近くに、ディナーローテーブルを用意しよう。そんなものがあるかどうかは知らないけれど、みんなで食べるなら、ローテーブルの方がいいもの。
銀次おじさんが、どんな姿で来てくれるか分からないけれど。
召喚は全力で! でも、ひとまず……お料理も全力じゃないとね!
「もし、来なかったらみんなで最高に美味しそうに食べようね! そしたら、絶対次は来てくれるよ」
くすくす笑って、ずらりと並ぶご馳走を眺めた。
こっそりお肉に手を伸ばそうとしたチャトが、シロに連行されて不服そう。
『つまり、あいつが来なければ、取り分が増える』
『……スオー、盲点だった』
そこ、そんな所に気付かなくてよろしい。
なんだかんだ言って、来なかったら寂しいでしょう?
にっこり笑って、強く面影を浮かべた。
ねえ、こんなご馳走があるよ。
来て、くれるよね?
◇
「いいお天気。充電も……完了!」
ぐりぐりと埋めていた顔を、漆黒の毛並みから持ち上げた。
よし、これでもう準備は完璧のはず。
ちら、と祭壇……じゃなかった、ディナーローテーブルを見た。
ご馳走満載のローテーブルが、今か今かと始まりを待っている。
ルーとチャトと蘇芳が、今にも口を付けそうでヒヤヒヤだ。対する防衛軍のモモとシロ。手数が足りるだろうか。
さあ……。
すう、と深く息を吸い込むと共に、目を閉じた。
もう、随分魔力の扱いも慣れた。
戦闘だって、そうそう苦労することもなくなった。
みんなに、頼ることも覚えた。
なんだろうな、今のオレ、随分余裕がある。
守れるくらいの力があって、足りない分を誰かが補ってくれて。
ちゃんと、オレを輪の内側に入れてくれる場所にいる。
みんなが認めてくれるから……自信って湧いてくるのかな。
オレ、一人じゃあ、きっとダメだったよ。
精霊舞のように、意識を凛と澄ませて。
つららの先のような、透明な集中を。
細く、息を吐きながら、召喚陣にゆっくり魔力を流し始める。
召喚陣から漏れる光が、徐々に、徐々に強くなっていく。
渦巻く魔力が、物理的な圧力を伴って、オレの髪や服をはたはたと躍らせた。
もっと……もっと、ぎりぎりまで魔力を保持するんだ。
召喚陣に注げる、限界まで。
激しく吸い出される魔力に耐え切れず、生命の魔石がパキッと割れて崩れていく。
召喚陣から逆流しそうな魔力を、押さえつける。
寄り添うティアが、大丈夫だと言っているよう。
うん、大丈夫。オレ、落ち着いている。
精霊舞や、大魔法や……いろんなことをした。
知らない間に、随分鍛えられていたんだなあ。
今までが嘘のように、魔力がよく視える。よく扱える。
これは、もしかすると、ラ・エンの加護のおかげかもしれない。
さあ――行くよ!
今にも暴走しそうな魔力を抑えきって、ぐっと魔方陣に視線を注いだ。
「オレ……強くなったよ! 銀次おじさん、どう? これなら一緒にいてもいいでしょう?!」
ぶわり、爆発的な魔力が迸った。
「だから……こっちへ来て! ――召喚!!」
ごう、と光が立ち上がる。
一斉に硬質な破裂音が響き、生命の魔石が残り少ないことを感じる。
ぐ、と体ごと陣へ引っ張られるような感覚に、足を踏ん張った。
負けないから……銀次おじさん、オレ、もう君を守れるようになったから。
だから……あんな。土砂に立ち向かおうとなんて、もうしなくていい!
「う、わっ!?」
パキンッ、とひと際大きな音と共に、穴の空いたバケツのように魔力を吸っていた魔方陣が、爆発した。
爆発した、と思った。
真っ白な光に、何も見えなくなる。
知らぬ間に吹っ飛ばされていたらしい身体を、シロが上手に捕まえた。
『大丈夫? ゆーた』
「う、うん……。召喚は!?」
炸裂した光が、解けるように消えていく。
召喚は……?
手応えは、あったと――そう思ったのに。
薄れゆく光を待ちきれず、召喚陣へ一歩進んで目を凝らした。
……だけど。
へたり、と足から力が抜ける。
いない……。
鎮まっていく召喚陣の上には、何も、いなかった。
「……まだ、駄目なの?」
ううん、もう一度、頑張ればいいだけ。
じくじくする胸を押さえて、唇を結んだ時、怒り心頭のモモがオレを呼んだ。
『ちょっとゆうた! 早くこの不届き者をなんとかしてちょうだい!!』
「えっ…………」
振り返った先。
……ご馳走テーブルでは、熾烈な争いが繰り広げられていた。
『みんなで食べるの! あなただけじゃないの!!』
『ぬうう! 我のじゃと言っておったわ! こやつめ! こやつめ! こう! こうこうこうこうしてくれるわ!!』
『馬鹿頭! 単調攻撃に負けやしないわ!』
立ち上がりかけた足から、また力が抜けた。
「あー…………、間違いなく、銀次おじさんだ」
姿を見る前から分かる。
可笑しくて涙がにじんだ。
『おじさん、独り占めしちゃダメだよ、いっぱいあるからね!』
『なにおう、図体ばっかりデカくなりおって!!』
よいしょ、と立ち上がって、ゆっくり歩み寄る。
銀次おじさんが、フン、とオレを振り返った。
『ヒヨッコめが、我を呼べるとは思わなんだわ。さあ、安心するがよい、我が翼の庇護下に入れてやるわ!! クワーーッコッコッコ!!』
喉を反らして高笑いした銀次おじさんに、思わず噴き出した。
姿が変わっても、何と言うか、こんなに変わらないことってあるもんなんだな。






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