クソほどつまらなくてくだらない人生をいいものにする方法
やぁやぁ、我こそは、底辺物書きりせた。なり!
そこにおわすは、さぞかし名のある御仁とお見受けした!
名乗られよ!
いざ尋常に……あ、ちょ、ちょっと待って! 違うんだ! ハート押すだけの簡単な作業だったりするから!
ね? ね? いいっしょー?
ほらほら、一番下のとこだよぉー。
簡単だからさぁー。
まぁ、コメントくれたっていいんだけどね?
……え?
のっけから何をって?
いや、クソほどつまらなくてくだらない人生を、いいものにしようとしてんだよ?
……ん?
どういうことだって?
そうねぇ。
じゃあこれ、なんでしょーか!
そう! エッセイ集ですね。正解です。
つまり、そういうことですね!
……はい?
ちゃんと説明しろ?
えー。まじでー?
いいよぉー。
まぁ、このエッセイ集を読んでくれてる皆さんは、とっくにお気付きのことだろう。筆者の人生、結構ヤバイ……と。
とはいえね、不幸自慢するつもりは全くないんだけどね。
そもそも、幸不幸度合いを数値化したとしたならば、おそらく100点満点として、30~40くらいだと思うし。ギリギリ赤点じゃないはずだもの。自慢出来るほどの不幸は、抱えちゃいないのだよ。
変なエピソードを結構多めに持っているだけなのだ。
しかし。
筆者自身の体感としては。この生は、クソほどつまらなくてくだらない人生なのだと思っていることもまた、事実である。
まぁ、個人的感覚だからな。これこそが絶対評価だろ? 自分がそう思ったら、そうなのだ。
でも。
クソほどつまらなくてくだらない人生でしかないなら、さっさと終わらせた方がいいという話にもなる。
まぁ、それは簡単に出せる結論であるが、それこそつまらない。
だが。そんなものを、いいものに変える方法なんざ、あるのか? と、思うよね。
ひとつだけある。まぁ、体感だけど。
それは、こうしてネタにすることなのだ。つまり、失敗談をネタにして笑いを取る……というやつだね。
実は、物書きをする前から、結構使ってきた。
会話のネタにするのだ。営業の時とかなんか、よく使ったものだ。
大体は謙遜通り越して、自虐ネタなわけだが。
「笑っていいか分かんない!」とか言われる時もあるけど。
さじ加減を調整すると、ウケるのである。
更に、教訓的に捉えてもらえる場合もあれば、慰めになりうることもある。色々と使えるのだ。
まぁ、当然刺さらないひともいるし、むしろ怒られるシーンもあるけどね。
でも、やっちまったことは、使えるように使ってしまうのが建設的なのである。
だからもし、あなたにそんなネタがあるなら、ぜひ使ってみるといいのだ。
ああ、同情を引く使い方ではないぞ? 笑いに変えるのだ。
なぜなら。
同情を引こうとするのは、結構見え見えで白々しい、スケルトンボディだからだ。
日光の下ではオススメしない。それは夜のワザとして、ここぞとばかりに使うのだ。
骸骨は、月明りに一度だけ輝くんだぜ! OK?
すわギャップ萌えなれば候え!
——いつしか物書きの底辺となった筆者は、やっぱり自身をネタにして、こうして笑いを取ろうと必死なのだ。
いいか? 必死なのだぞ? わかるよねぇ?
いや、別にお笑い芸人じゃないんだけどね……。
自分の人生がつまらなくったって、他人から見たら、それが面白いってことは、あるのだよ。
人間、自分の立ち位置が気になる生き物だからさ。
「ああ、コイツよりは上だな……」とか思わせてやればいいのさ。
そう。
『思われる』じゃなく、『思わせる』のだ。
まぁ、恥も外聞もなくって感じで喧伝しまくったら、『思われちゃう』んだけどねぇ。
な……?
オマエハテオクレ?
……ふっ。
今、嗤ったろ?
——そ
——れ
——ダ




