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第19話 懐かしの再会

 翌日、俺はばあちゃんに頼まれて、町の商店街まで買い物に出ることになった。


 味噌、豆腐、卵、ついでにじいちゃん用の塩飴。


 メモを渡された時点で、俺は少しだけ身構えた。なぜなら、この町で俺が一人で外に出ることは、もはや単独行動ではなくイベント発生フラグだからだ。


 昨日までは、美月、凛花、小春の三人がほぼ常時どこかしらにいた。


 右腕、左腕、背後。


 陣形として完成されすぎていて、俺はもう少しで自分が護衛対象なのか捕虜なのかわからなくなるところだった。


 だが、今日は珍しく一人だった。


 美月は家の手伝い。

 小春は親戚の用事。

 凛花は午前中だけ部活の顔出しがあるらしい。


 つまり、六年ぶりに訪れた貴重な自由時間である。


 俺は麦わら帽子をかぶり、じいちゃんの古い自転車に乗って商店街へ向かった。


 夏の日差しは相変わらず容赦がない。


 田んぼ道を抜ける風はぬるいが、それでも都会のアスファルトに比べればだいぶましだった。青い稲が波打ち、遠くの山の輪郭が陽炎で少し揺れている。


 首元では、小春からもらった巾着が揺れていた。


 中のビー玉が、こつん、と胸に当たる。


 俺はそれを指で押さえながら、少し苦笑した。


 完全にお守りみたいになっている。


 いや、実際お守りなのかもしれない。


 この町で俺が何かを忘れないための。


 商店街に着くと、昼前なのに人は少なかった。


 八百屋のおばちゃんが店先に水を撒き、駄菓子屋の風鈴がちりんと鳴る。昔と同じようで、ところどころ違う。閉まった店もあれば、新しい看板もある。


 六年という時間は、町にもちゃんと流れている。


 俺だけが、それを知らなかった。


 豆腐屋で買い物を済ませ、塩飴を探して雑貨店へ入ろうとした時だった。


「……佐伯?」


 背後から、聞き覚えのある声がした。


 振り返る。


 店の前に、一人の女の子が立っていた。


 いや、女の子というには、もう少し大人びている。


 肩の少し下で切りそろえた栗色の髪。

 涼しげな目元。

 白いブラウスに薄い緑のスカート。

 手には買い物袋。


 初めは誰かわからなかった。


 けれど、彼女が少しだけ困ったように笑った瞬間、記憶の中の少女と重なった。


「……もしかして、葉山?」


「やっぱり佐伯だ」


 葉山千尋(はやま・ちひろ)


 小学校から中学一年まで同じクラスだった、俺の同級生だ。


 近所のガキンチョ三人組とは違う。


 千尋は、俺と同じ目線で話せる友達だった。


 宿題を写させてもらったり、逆に体育の時に班を組んだり、図書室で漫画みたいな児童書を読んで先生に怒られたり。恋愛っぽい空気など当時は欠片もなかった。ただ、席が近くなると何となくよく話す、そんな相手だった。


 六年前、俺が引っ越した時も、クラスで最後に「元気でね」と言ってくれたのは千尋だった気がする。


「久しぶりだな」


「本当に久しぶり。帰ってきてたんだ」


「ああ。夏休みで」


「そっか」


 千尋は俺を見て、少しだけ目を細めた。


「背、伸びたね」


「それはまあ、六年経ってるし」


「声も変わった」


「中一のままだったら怖いだろ」


「たしかに」


 千尋は笑った。


 その笑い方が懐かしかった。


 美月たちと再会した時は、懐かしさより先に衝撃が来た。変わりすぎていて、距離が近すぎて、俺の処理能力を軽く超えてきたからだ。


 でも千尋とは、少し違った。


 六年分変わっているのに、同じクラスだった頃の空気が残っている。


 それが妙に心地よかった。


「今、大学?」


「そう。都会の方で一人暮らし」


「似合わない」


「ひどいな」


「だって佐伯、昔は都会とか無理そうだったし」


「俺もそう思う」


 千尋は楽しそうに笑った。


 その笑顔を見て、俺も少し肩の力が抜けた。


 同級生という距離感は、不思議だ。


 美月たちは俺を「悠真兄ちゃん」と呼ぶ。

 凛花は呼び捨て。

 小春は「悠真お兄さん」。


 どれも、六年前の関係を引きずった呼び方だ。


 でも千尋は、俺を「佐伯」と呼ぶ。


 それだけで、俺は少しだけ中学時代に戻った気がした。


「葉山は今もこっちに?」


「うん。地元の専門に通ってる。今日は休みだから買い物」


「そっか」


「佐伯、いつまでいるの?」


「夏休みの間はいる予定」


 そう答えた瞬間、千尋の表情がほんの少し変わった。


 嬉しそうな、でも隠そうとしているような。


 俺がそれに気づいたか気づかないかのうちに、彼女は視線を逸らした。


「じゃあ、また会えるかもね」


「ああ。狭い町だしな」


「……会えたら、嬉しい」


 声が少し小さかった。


 俺は一瞬、返事に詰まる。


 その言い方が、思ったより真っ直ぐだったからだ。


 友達としての「嬉しい」なのか。


 それとも、別の意味が混ざっているのか。


 判断するには、俺はあまりにもこの町の女の子たちに翻弄されすぎていた。


 すると、背後から低い声がした。


「へぇ。ずいぶん楽しそうじゃない」


 俺は振り返った。


 そこには凛花がいた。


 部活帰りなのか、スポーツバッグを肩にかけている。額に少し汗が浮いていて、短くまとめた髪の毛先が首筋に張りついていた。


 そして、目が笑っていない。


「凛花」


「偶然ね、悠真」


 偶然。


 その言葉に、どう考えても偶然ではない圧が乗っている。


 俺は本能的に姿勢を正した。


「部活じゃなかったのか」


「終わったの」


「早いな」


「終わらせたの」


「終わらせた?」


「何か問題ある?」


「ないです」


 凛花は俺の隣まで来ると、千尋を見た。


 視線が鋭い。


 しかし千尋は怯むどころか、少し驚いた顔をしたあと、すぐに柔らかく笑った。


「凛花ちゃんだよね。久しぶり」


「……葉山千尋」


「覚えててくれたんだ」


「そりゃ覚えてるわよ」


 凛花の声が少し硬い。


 俺は内心で汗をかいた。


 昔、千尋と凛花に接点があったかどうか、正直ほとんど覚えていない。年は違うが、町が狭いので顔くらいは知っていただろう。


 ただ、今の凛花の反応を見る限り、単なる知り合いへの挨拶ではない。


 警戒だ。


 完全に警戒している。


「佐伯と話すの、六年ぶりで」


 千尋が言った。


「懐かしくなっちゃって」


 凛花の眉がぴくりと動いた。


「佐伯、ね」


「え?」


「何でもない」


 いや、絶対何でもある。


 凛花は俺の腕を軽く掴んだ。


 軽く、のはずなのに、指先に妙な力がこもっている。


「悠真、買い物終わったの?」


「一応、あとは塩飴だけ」


「じゃあ早く済ませましょ。ばあちゃん待ってるんでしょ」


「ああ、まあ」


 凛花の口調はいつも通りに聞こえる。


 だが、腕を掴む力が明らかに強い。


 千尋はその手元を見た。


 一瞬だけ、目が揺れた。


 そして、すぐ笑った。


「仲いいんだね」


「昔からよ」


 凛花が即答した。


 その声には、少しだけ勝ち誇った響きがあった。


 千尋は穏やかに首を傾げる。


「そっか。でも、私も佐伯とは同じクラスだったから」


 今度は凛花が黙った。


 俺はその場で透明になりたかった。


 何だこの空気。


 商店街の豆腐屋の前で発生していい圧力ではない。


 八百屋のおばちゃんが遠くから見ている。絶対楽しんでいる。あの人、あとでばあちゃんに言うつもりだ。


「佐伯」


 千尋が俺を見た。


「また今度、少し話せる?」


 その声は穏やかだった。


 けれど、さっきより少し勇気を出しているように聞こえた。


「六年前、ちゃんと言えなかったこともあるし」


 凛花の指が、俺の腕に食い込んだ。


 痛い。


 そして怖い。


 千尋は俺をまっすぐ見ていた。


 その目で、俺はようやく気づいた。


 ああ。


 もしかして。


 千尋も、六年前から何かを持っていたのか。


 美月たちだけじゃなく。


 俺が知らないところで、この町にはまだ俺に置いていかれたものがあったのか。


「……わかった」


 俺はそう答えた。


 凛花の視線が刺さる。


 だが、ここで断るのは違う気がした。


 千尋は少しだけ安心したように笑った。


「ありがとう。じゃあ、また」


「ああ」


 千尋は小さく手を振って、商店街の奥へ歩いていった。


 その背中が見えなくなるまで、俺は何となく見送っていた。


 すると、隣から凛花の声が落ちてくる。


「見すぎ」


「え?」


「背中、見すぎ」


「あ、いや、そういうつもりじゃ」


「そういうつもりじゃなくても、見てた」


 凛花は俺の腕を掴んだまま、顔を逸らした。


 耳が赤い。


 けれど怒っている。


 その両方が混ざった顔だった。


「凛花」


「何」


「怒ってる?」


「怒ってない」


「絶対怒ってるだろ」


「怒ってないって言ってるでしょ」


 怒っている時の返事だった。


 俺はどうすればいいのかわからず、しばらく黙った。


 すると凛花が、ぽつりと言った。


「……あの人、悠真のこと好きだったんじゃないの」


 俺は言葉に詰まった。


「いや、それは」


「わかるわよ」


 凛花は低く言った。


「女の子の顔だった」


 その言い方に、俺は何も返せなかった。


 凛花は俺の腕を握る力を少しだけ緩めた。


 けれど、離さない。


「美月も、小春も、あたしも」


「……」


「六年分、ずっと持ってたのに」


 凛花はそこまで言って、唇を噛んだ。


「なのに、まだいるんだ」


 その声が、思ったより弱かった。


 俺は初めて、凛花が本当に嫉妬しているのだとわかった。


 怒っているだけじゃない。


 取られそうで、不安なのだ。


 強がりで、生意気で、いつも俺に噛みついてくる凛花が。


 六年間待っていた自分たちの場所に、別の誰かが入ってくることを怖がっている。


 それに気づいた瞬間、胸が少し痛んだ。


「凛花」


「何よ」


「俺は、ちゃんと帰るよ」


「どこに」


 凛花がこちらを見る。


 その目は、真っ直ぐで、少しだけ揺れていた。


 俺は一瞬迷ってから、答えた。


「少なくとも、今日の夕飯までには、お前たちのところに」


 凛花は数秒黙った。


 それから、思い切り俺の足を踏んだ。


「痛っ!?」


「そういう言い方がずるいのよ」


「今の踏むほどか!?」


「踏むほどよ」


 凛花は顔を真っ赤にして、俺の腕をもう一度掴み直した。


 さっきより少しだけ、力が優しい。


「塩飴、買うんでしょ」


「ああ」


「行くわよ」


「はいはい」


「あと」


「ん?」


 凛花は前を向いたまま、小さく言った。


「葉山さんと話す時、あたしも行くから」


「なぜ」


「監視」


「堂々と言うな」


「嫌なら、行かないで」


 凛花はそう言って、少しだけ俺に寄った。


 肩が触れる。


 六年前は、俺のリュックを掴んでいた凛花が。


 今は、俺の腕を離さずに歩いている。


 その横顔は怒っていて、照れていて、不安そうで、可愛かった。


 商店街の風鈴が、ちりんと鳴った。


 夏の音の中で、俺は思う。


 どうやらこの町には、俺の知らない六年間がまだまだ埋まっている。


 そして、その一つ一つを掘り返すたびに。


 俺の平穏は、また少し遠ざかっていくらしい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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