第2話『公爵の婚約者』
身分違いの生活はうまくいくのでしょうか?
城を思わせるような大きな佇まいの屋敷を前に、カレンは息を呑んだ。綺麗に整えられた樹木や草花を見るに、男爵邸の規模とは異なる庭師の仕事ぶりにも感心した。中に入るとエントランスには使用人らが控えていて、みな低頭している。
「フランク。カレンの部屋は用意できてるか?」
「まずは客間にご案内ができます」
「客間?」
ウィリアムは眉間にしわを寄せた。
「はい。まだ奥様ではございませんので」
「……そうか。そういうことは大事だな」
まだ婚姻関係にないため、夫婦ではないということをウィリアムは失念していた。
「カレン、こちらは執事のフランクだ。何かあれば彼に聞くといい」
フランクと呼ばれた白髭の初老男性は目じりの下がった優しそうな目元が印象的だった。
「はい。フランクさん、よろしくお願いします」
カレンは軽く頭を下げた。
「それから、そこにいるのが侍女長のアガサだ」
アガサは目を伏せたまま、お辞儀をした。
「アガサ、カレンにつけてくれる侍女は決まっているか?」
視線を上げウィリアムに向き合ったアガサは、表情を変えることなく応対した。
「はい。このあとお部屋まで一緒にご案内いたします」
「そうか、ならば任せた。ではカレン、部屋に行くといい。私も一度部屋に戻らなければ」
「わかりました」
「夕食を共にしよう。それまで休むといい」
こうしてカレンは誘導されるがまま、部屋まで案内された。
案内された部屋は客間と言っていたが想像以上に広く、調度品も優れたものが置かれていた。
(怖くて触れないわ。壊してしまってはとても弁償なんてできないもの)
キョロキョロと部屋を見渡すカレンにアガサは鋭い目を向けていた。
「カレン様、どうぞこちらに」
アガサはソファを案内し、後から入ってきた侍女らがティーセットを準備し始めた。カレンはソファに腰かけた。
「ここにいるドナとシャロンが当分の間カレン様付きになります」
ドナとシャロンは黙々とティーセットの準備を続けている。
「ドナさん、シャロンさん、お世話になります」
「カレン様、さんはいりません。旦那様からカレン様は婚約者だと伺っておりますので、我々のことはどうぞ呼び捨てでお呼びください」
「は、はい」
カレンは環境の違いを改めて実感し、背筋を伸ばした。
「カレン様、お荷物はこちらだけでしょうか?」
アガサが運び込まれた荷物を手のひらで指し示している。
「はい。ウィリアム様が足りない分は用意するからと、最小限のもので構わないとおっしゃっていましたので」
アガサと入り口の近くにいたフランクは目配せると、こくりと頷いた。
カレンがもらったお茶を飲んでいる間に、侍女たちはせっせと荷解きしてくれていた。
「あの、カレン様、衣装はこちらで全てでしょうか?」
持参したのは十着程度、比較的状態が良いものや、一張羅も用意したつもりだ。
「はい。そうです」
侍女らは顔を見合わせている。その様子を窺っていたアガサは採寸を申し出た。
「取り急ぎ数着ご用意いたします。本日の夕食時はお持ちになったこちらの衣装をお召しになってください」
アガサはカレンの一張羅を掲げていた。
カレンは穴があったら入りたい気持ちになった。自分がここぞという時に着ていた衣装は、妥協されて夕食時の衣装として採用されたのだと悟ったからだ。
「す、すみません……」
「いえ、旦那様のご指示だったのですよね? それでは致し方ないことでございます。それに、不足分はこちらでご用意するとのお話だったと」
「はい……」
「カレン様、ここは公爵邸です。旦那様の婚約者なのでしたらそれ相応にふるまわれることが望ましいかと思います」
カレンは格の違いを感じた。
食堂に移動する。夕食に並んでいたのは今までに見たこともないご馳走だった。たった二人での食事なのに、一人当たり十皿以上も並んでいる。
「すごい……」
「さあ、どうぞ。君が好きそうな料理を頼んだんだ」
カトラリーの数も多すぎて、どこから使えばよいのかわからなかった。ちらりと視線を上げると、なんでもないようにウィリアムは食べ始めていた。カレンはウィリアムを真似て、食べ進めていった。
「おいしいかい? 料理長の味付けは最高だろう?」
「ええ」
一口目はとても美味しかった。しかし、食べ進めていくとしつこく感じ、食べ慣れないとはどういうことなのか理解した。たくさんは食べられそうになかったカレンは、どの料理も一通り口に運び、一番食べられそうだったスープはなんとか完食した。
前に座るウィリアムを見ると、ナプキンで口元を拭い食事を終えていた。しかし、皿の上にはまだまだ料理が残っていた。
「もう、召し上がらないのですか?」
「ああ、満腹だからね」
ウィリアムの前に置かれた皿は使用人らが無言で片づけ始めている。
(もったいない……)
(誰かに分けてあげればいいのに……)
そう思ったものの、自分も食べられそうになかったため、カレンも食事を終えることにした。
「いつもこんなにたくさんあるのですか?」
「今日は控えめにしたつもりだよ。カレンは多く食べる方ではないだろう?」
カレンは絶句した。生活の違いが徐々に露わになっていく。結婚したらこの生活に慣れなければならない。貴族とはいえ生活レベルは低かっただろう自分は新しい環境に慣れることができるだろうかと不安に思った。
食後のティータイムを楽しんでいると、ウィリアムから思ってもいなかった提案がなされた。
「三日後に開かれるパーティーに帯同してほしい」
「み、三日後⁉」
カレンは目を見開いた。
「気軽な集まりだから安心してくれ。ただ歓談するだけのものだ。ダンスなどはないから」
「で、でも私、今まで社交らしい社交は──」
「心配はいらない。私の横にいればいいだけだから。パートナーがいないと不自然なんだ。だから君に来てもらいたい」
「そうなんですね。わかりました」
(どうしよう……)
カレンはウィリアムの顔に泥を塗るわけにはいかないと焦った。今までと求められることが違う。ただ好きだというだけで一緒にいていい人ではないとじわりと実感していく。
宛がわれた部屋に戻ると早速アガサを呼んだ。
「お願いがあるんです」
アガサは何事かと身構えた。
「私に教育を受けさせてもらえませんか?」
「教育ですか?」
「はい。三日後のパーティーに帯同してほしいとウィリアム様から申し出がありました」
「三日後⁉」
アガサも初耳だったようだ。
「お恥ずかしながら、貴族と言っても名ばかりの男爵令嬢です。読み書きなどの最低限の教育は受けましたが、社交はする機会が多くありませんでした。貴族教育を受けさせてもらえないでしょうか。マナーや所作、ダンスなどは自信がありません。公爵夫人となるには力不足なのです」
カレンは熱心にお願いする。
「今日の食事も分不相応で申し訳なく思いました。とても私が嗜んでいいものではないと。カトラリーの扱いもあっていたかどうか……」
カレンは小さくなっていく。
「覚悟はあるようですね」
アガサはそんなカレンの様子を受け、理解を示した。
「かしこまりました。早速明日、マナーの講師をお呼びします。それからパーティーに相応しい衣装もすぐにご用意いたします。ドナ、シャロン」
控えていた二人は返事をすると、側に近づいた。
「今夜から重点的に磨きをかけて。特に目に留まる手先、御髪に潤いを」
「かしこまりました」
アガサの指示にカレンの目が点になる。
「サポートいたしますから、付け焼刃ではありますができる限りのことをいたしましょう」
そういうアガサの表情は先ほどまでとは違い穏やかなものだった。
(ずっと、よそ者を見る目だったように思ったけど、受け入れて、もらえたのかしら……)
先ほどまでは値踏みをするような視線を感じていたカレンは安堵した。
初めて見る公爵邸の使用人の笑顔に、こみあがる涙をぐっとこらえ、カレンは前を向いた。
(がんばらなくちゃ。ここに足を踏み入れたのだから。ここでやっていくと決めたのだから)
ここまでお読みいただきありがとうございました。
前向きな彼女は報われるのか。
次回、運命の社交界です。




