第4話:昇格戦と理不尽ルール
久しぶりの、本当に久しぶりの一日完全オフだった。
朝から大型モールを当てもなくブラブラし、たこ焼きとクレープを食べ歩く。
買い物を楽しむ家族連れや、楽しそうに笑い合うカップルたちの群れを、ベンチに腰掛けて「休日くらい家で休めばいいのに、よくあんな気力が続くなぁ」と死んだ魚のような目で見つめる。
誰にも邪魔されず、何も考えず、ただダラダラと人の波を眺めるだけの贅沢。社畜にとって、これ以上の幸福はなかった。
しかし、太陽が西に傾き始めた帰り道。
「……はぁ。明日はまた、朝8時半からタイムカードか……」
現実へのカウントダウンに胃をキリキリさせながら歩いていた、その時だった。
ポケットの中で、スマホが重く、長く震えた。
「またかよ」
最悪の予感とともにスマホを取り出し、画面を点灯させた瞬間――。
ぐにゃり。
強烈な酩酊感が視界を襲った。
世界が歪み、足元がぐらりと傾く。酒を浴びるほど飲んだ時のような激しい眩暈に、なすすべもなく、声もなくその場に倒れ込んだ。
◇
「……う、頭いてぇ……」
どれくらい意識を失っていたのだろうか。
冷たく埃っぽい床の上で目を覚まし、俺は身体を起こした。
周囲を見渡す。そこは、日光の届かない薄暗い巨大な空間だった。
動かないエスカレーター、倒れた商品棚、あちこちに散乱するハンガーや値札。どう見ても、長年放置された「廃デパート」の中だった。
スマホの画面を見ると、禍々しい赤い文字で警告が表示されていた。
『【昇格戦:特別ルール適用】』
『【ターゲット】属性:獣系』
『【勝利条件】ターゲットの撃破、または空間からの脱出』
『【絶対制限】契約者による神力の使用禁止』
『※本戦で神力を発動した場合、即時失格(敗北扱い)となります』
『※本戦中では「リセット・巻き戻し機能」が停止しています。死亡=幽体化すらできぬ本物の死となります』
「特別ルール……? はっ、ふざけんなよ……」
固まる俺の横で、ふわふわと浮いていたヨモヒラが能天気に告げた。
「あ、おじさま起きた? 今回のステージね、神様の力を使っちゃダメなんだって! もし『リザレクション』なんて使おうものなら、その瞬間に即失格だよ。おまけに、この空間じゃ死んだら幽体にもなれずにそのまま本物の死体になっちゃうんだって。だから生身で頑張ってね〜!」
いつもの「一回殺されてから真後ろでリザレクション」という、俺の唯一かつ最大のゴリ押し戦術が完全に封じられたのだ。致命傷食らって死んだら終わり。一発アウトの死にゲー。
「休日を台無しにされた挙句、生身で死ねってか? どんなクソゲーだよ……」
俺が深いため息をつき、周囲の物陰に身を隠そうとした、その時だった。
カツン、カツン、と。
乾いた靴音が、ガランとした廃デパートのフロアに響き渡る。
「ヒヒっ。おいおい、もう起きてんのかよ」
奥の暗がりからゆっくりと歩み出てきたのは、派手なアロハシャツを着崩したガラの悪いクソガキだった。
金髪の短髪に、首元には不吉なタトゥー。見たところ高校生くらいの年齢だろうか。手には赤黒い血がへばりついた金属バットを軽々と握っている。背後には、醜悪に歪んだ獣のような神の影が見え隠れしていた。
ガキは俺の着ているヨレヨレのスーツ姿に目を留めると、下品に唾を吐き捨てて嗤った。
私服なんて一着も持っていないから、休日だろうがなんだろうが外に出る時はいつもこの格好。
くたびれた安スーツだ。
「なんだよその格好、休日なのにわざわざスーツ着てる社畜のおっさんかよ! いやぁ、最高だな今回のルール! 神の力も使えねぇ生身の一般人を、一方的にブチ殺していいんだろ? アプリの通知を見た時から楽しみでさぁ!」
「お前も、神憑きか」
「そうだよ。鑑別所出てすぐこの神様拾ったんだけどよ、最高のゲームじゃねぇか!前の戦いでも相手の足を一本ずつ折って、泣き叫ぶ顔をたっぷり拝んでから殺してやったんだ。やっぱり人間、追い詰められた時の絶望した顔が一番たまらねぇよなぁ!」
ガキはバットを自分の肩にトントンと叩きつけながら、自慢げにヘラヘラと笑った。
鑑別所上がりか。救いようのないドクズだ。
「お前みたいな死に損ないの社畜、俺のオモチャにぴったりだ。なぁ、命乞いしてみろよ? 痛くしないでくれぇって泣き叫んだら、全身の骨折るくらいで勘弁してやるぜ? ヒヒッ!」
そいつの言葉を聞いた瞬間。
胸の奥で、冷たい何かがフッと静かに冷え切っていく感覚がした。
元々、生に執着なんてない。
毎日サビ残で身体を壊し、やり甲斐も希望もない社畜人生だ。明日世界が滅ぼうが知ったこっちゃないし、ぶっちゃけ、いつ死んだって構わないと思って生きてきた。
だけど――。
くそが。こんなガキにだけは、絶対に殺されたくない。
自ら自慢げに語るほど平然と弱者を痛めつけ、絶望する顔を見てニヤニヤ笑う、救いようのないゴミ虫。
こんなガキの『快楽』の犠牲になって、惨めな死体晒すのだけは――反吐が出るほど嫌だった。
「ヒヒッ! ほら逃げろよ社畜! 生き残りたかったら必死で這いずり回れよ!」
ガキが金属バットを容赦なく振り下ろす。
俺は頭髪が逆立つような危機感の中、無我夢中で横へ転がり、間一髪でそれを避けた。ドゴォン! と凄まじい破壊音が響き、コンクリートの床がクレーター状に砕け散る。
物陰へ向かって全力でダッシュし、倒れた棚を飛び越える。
心臓が破裂しそうなほど脈打っているが、脚が恐ろしく軽い。視界のブレが少なく、相手のバットの軌道が妙にはっきりと見えた。
「あれ〜? おじさま、もしかして今気づいた〜?」
上空でふわふわ浮いているヨモヒラが、呑気に首を傾げる。
「神様と契約するとね、神力を使わなくても素の身体能力がぐーんと上がるんだよ〜! 人間にしては力持ちになれるの!言わなかったっけ?」
「初耳だ!そういうのは初めに言え!」
「ハハハッ!喋りながら逃げる余裕あんのか!?」
ガキは商品棚の陰に隠れる俺をすぐさま見つけ出すと、容赦なく追いつめてきた。
ドゴッ!
「ぐあぁぁッ!?」
腹部に強烈な前蹴りを叩き込まれ、俺の身体が数メートル吹き飛んで床を転がる。
いくら肉体のスペックが上がっていても痛いものは痛い。骨にヒビが入る嫌な感触と、吐き気。息が吸えない。視界が明滅する。
「ヒヒッ、どうした社畜! 頼みの神様パワーは使えねぇんだぞ?首へし折られたくなかったら、俺の靴でも舐めて命乞いしてみろよ!」
ガキは這いつくばる俺の髪の毛を荒っぽく掴み上げると、顔面に膝蹴りを叩き込んだ。
鼻腔がツンと痛み、口内に血の味が広がる。俺の顔をへらへらと見下ろすドクズの面。
俺の胸の底で、ドロドロとした怨念が煮え滾った。
お前みたいなガキの玩具になって殺されるくらいなら――泥を啜ってでも、引きずり下ろしてやる。
「おじさまー、逃げて逃げて〜!」
少し離れた安全圏から、ヨモヒラが呑気に声を上げる。
が、髪を掴み上げられた俺を見て慌てはじめる。
「ちょっ、おじさま!? 負けたら困るんだけど!」と、素の焦り声が漏れた。
「だったら呑気に見てんじゃねえよクソ神……!俺が死んだらお前も終わりだかんな!協力しねえとブッ殺す!!」
「うう、私の意思でちょっと手伝う〜!」
ヨモヒラが、バットを高く振りかぶったガキの目の前に急降下する。
「今だ!視界を奪え!」
「ふぇっ!? えいっ、おメメつぶし〜!!」
相手も神憑きゆえ、神の姿を視認できる。その習性を逆手に取り、ヨモヒラがガキの目の前で一瞬だけ思い切り発光した。
「ぐああっ!? 目が、目がああッ!?」
強烈な光に視界を奪われ、ガキが思わずバットの軌道を狂わせた。
その千載一遇の好機を、俺は見逃さなかった。
底上げされた身体能力を力任せに踏み込み、俺はガキの懐へ滑り込む。
ちょうど足元に落ちていた、錆びついたパイプ椅子の脚を拾い上げ、ガキの足首と膝裏へ、怨念を込めてフルスイングで叩きつけた。
「あんま大人舐めてんじゃねぇぞ! 社畜フルスイング!」
ゴキャァァア!!
「ぎゃああああああっ!?」
鈍い破壊音とともに膝がへし折れ、ガキが悲鳴を上げて体勢を崩す。
すかさず俺は、ガキの手から零れ落ちた金属バットを空中でひっつかんだ。
「まだまだ終わんねえぞドクズがぁッ! 社畜ストライク!」
ドガッ!!
「あぎゃっ……!?」
すねの骨を力任せに殴りつけ、悲鳴を上げる間もなく倒れ込ませる。
さらに胸ぐらを掴み上げると、顔面に拳を叩き込み、倒れたガキの胴体へとバットを容赦なく振り下ろし続けた。
「社畜バスタ――ッ!!」
ドゴッ! ガツッ!
ボコボコに痛めつけられた仕返しとばかりに、社畜の怨念を乗せた打撃の嵐。
ガキは白目を剥き、全身を痙攣させながら崩れ落ちた。
背後に浮かんでいた不気味な獣神が、主の完全な戦闘不能を察知し、悲鳴を上げて霧のように消え去っていく。
ハァハァと激しい息を吐きながら、俺は血のついたバットを床に投げ捨てた。
「おじさま……技名がダサすぎる上に、最後の方ただの鬱憤晴らしになってたよ……」
ピコン――。
『【昇格戦:クリア】』
『【戦績更新】昇格戦勝利――ランク「下層クラス」へ昇格しました』
スマホの画面が明るく光り、廃デパートの空間がサーッと崩れていく。
全身の激しい痛みが、空間の解除とともにすうっと引いていった。
次の瞬間、俺は夕暮れ時の見慣れた街路樹の脇に立っていた。足元には、記憶を消されてまだ気絶してるガキが転がっている。
「はぁ……何だったんだ全く……」
「でも生身で勝っちゃうなんてすごーい! あ、負けたお兄さんは記憶を消されて日常に戻るだけだから安心しなよ〜!」
ヨモヒラの呑気な声を無視し、俺は重い足取りで歩き出した。
昇格戦クリア。最下層クラスから下層クラスに昇格。
……どうでもいい。そんなことより、明日の朝も8時半からタイムカードだ。
俺は現実へと戻り、アパートへの帰り道を急いだ。




