第5話:下層クラスの洗礼
最下層から下層クラスへと昇格した俺の日常は、相変わらず無慈悲だった。
サビ残明けの気だるい足取りでコンビニの弁当を温め、ようやくアパートの自室で一息つけると思った、その時だった。
スマホが重く、長く唸る。
『【ターゲット接近】属性:光系』
「勘弁してくれ……頻度高くねぇか?」
深いため息をつき、俺が部屋の中で頭を抱えていると、窓際でぷかぷか浮いていたヨモヒラが面白そうに言った。
「あ、おじさま。疲れついでだよ!行こっか」
ヨモヒラに背中を押されるようにして、俺は重い足取りで外へと引っ張り出された。
目の前に広がっていたのは、見慣れた夜の住宅街ではなかった。
異様な光景。真夜中のはずなのに、まるで昼間のように眩しく黄金色に光り輝いている。アスファルトは高熱で黒く炭化してドロドロに溶け落ち、電柱や街灯が飴細工のようにぐにゃりと曲がっていた。
まるで太陽の欠片がそのまま地上に落ちてきたかのような、容赦のない熱風が吹き荒れている。
周囲の住宅街からは、パニックに陥った近隣の人々が「なんだこれ、熱いッ!」「家が溶けるぞ、逃げろ!」と絶叫しながら逃げ惑っていた。暴走する車のクラクションが響き渡り、地獄のような光景が広がっている。
「……うわ、おじさま。あそこ見なよ、とんでもないの連れてるよ。『アマテラス』だよ。あのガキとの相性が良すぎて出力が桁違いになってる。下層クラスにいるべき威力じゃないね、あれ……」
浮遊するヨモヒラが、珍しく冷や汗を流しながら呟く。
熱気で空気が激しく歪む路地裏の中心に、一人の少年がぽつんと立っていた。
サラサラとした黒髪のマッシュルームカット。まだあどけなさが残る、小学校高学年くらいの可愛らしい少年だった。
ただ、その足元から立ち上る陽炎は周囲の建物を溶かし、少年の背後には、目が眩むほど巨大な太陽の光輪が浮かんでいた。
少年は、赤く染まった空を見上げながら、独り言をつぶやいていた。
「次の相手はおじさん? さっきも強いお姉ちゃんと戦ったばかりだけど……負ける気がしない。このアマテラスの力さえあれば、序列1位になって神様にママを生き返らせてもらえるんだから!」
俺が警戒しながら一歩を踏み出すと、少年はぎょっとした顔でこちらを振り返った。その黒目がちな瞳には、絶対に負けられないという狂気じみた執念が宿っていた。
「おじさん。邪魔しないでよ。僕はこのゲームでアマテラスを1位にして、死んだママを生き返らせてもらうんだから!」
「……お前がここをこんな風にしたのか?」
溶けかけた電柱やアスファルトを指差すと、少年は息を荒げながらも、残酷な現実を平然と言い放った。
「うん。だって、勝つためには相手を焼き払わなきゃいけないからさ。でも問題ないでしょ?おじさんも知ってるだろうけど、僕たちが戦って終われば、壊れた街も人も全部きれいさっぱり元通りにリセットされるんだから」
「……は?」
「さっきのお姉ちゃんと戦った時も、力加減を間違えて世界の半分を焦がしちゃったけど、戦いが終わったら何事もなかったみたいに戻ったもん。だから、ママを生き返らせるためなら、多少街を燃やしても誰も困らないよ!」
背筋が、凍りついた。
これほどの惨劇を引き起こしておいて、このガキはリセットを理由に街も人も消耗品扱いかよ。
「おじさんもさ、さっきのお姉ちゃんとの戦いの時、僕の太陽の熱で何度も焼かれて死んでたでしょ? でも戦闘が終われば全部リセットされるからね、便利だよね!」
心臓がドクリと跳ね上がった。
俺は自分の意思で死んで、リザレクションを使ったことは何度もある。だが、俺が参戦していない別の戦いに巻き込まれ、知らないところでとっくに何度も焼き殺されていたという事実を知らされた瞬間、得体の知れない気味悪さと悪寒が全身を駆け巡った。
隣でヨモヒラが「私もしっかり覚えてるよ。おじさまが巻き込まれてパリパリに焼かれてたの、何度か見たなぁ」と呑気に告げていたが、それどころではなかった。
「だからさ、おじさんも消えてよ。僕には、ママが必要なんだから!」
少年がわずかに手を掲げた瞬間――。
バァァァンッ!!
視覚が完全に白く塗りつぶされた。熱さを感じる暇すらなかった。俺は蒸発したらしい。気づいたときには、体の感覚がなかった。
「……はっ!?」
気づけば、俺の意識は幽体として宙に浮いていた。蒸発しても幽体にはなれるらしい。
「あのクソガキが!」
少年の背後へ回り込み、いつものように唱える。
「――『リザレクション』」
次の瞬間、衝撃波が炸裂した。
いつものように勝負はついた……はずだった。
だが、少年は振り返りもしない。
リザレクションによる衝撃波が少年に届く前に、少年の背中から爆発的な超高熱の熱の壁が噴き上がり、衝撃波ごと俺の復活したばかりの身体を焼き尽くした。身体が燃える感覚だけが一瞬走り、また視界が途切れた。
続く二回目のリザレクションもすぐに読まれて焼かれ、再び幽体に戻されて跳ね返された。
そして三度目。わずかに熱の届く範囲から外れた数十メートル後方の路地裏で、周囲を衝撃波で破壊しながら、ようやく復活を果たした。
むせ返るような熱気の余波で、肌がひりつく。
「おじさま、だめだよ!あのガキは、おじさまが背後に出てくるのを覚えちゃったんだよ! 背後に何か来たら、考えるより先に焼いちゃうの!」
「くそっ……! 一度死んで背後を取る俺の戦術が、完全に読まれてやがる!」
「ママに会いたい……もう一度、ぎゅっとしてほしいんだ!」
少年の目から大粒の涙がこぼれ落ちた瞬間、その背後の太陽光輪が不気味に膨れ上がり、周囲のアパートの壁面が自重でドロドロと液状化し始めた。
母親を取り戻したいという少年の純粋な執念が、現実の街を文字通りの地獄に変えていく。
背後からの奇襲は、反射的な熱の壁でカウンターされて即死する。だからといって正面から考えなしに復活したところで、同じ結果だろう。
だがなーー。
「こっちは朝早くから、また仕事なんだよぉ!」
買ってきた弁当にすらまだ手をつけてない状況。
すでに日付も変わっている。あと数時間もすれば仕事。のんびりしてる暇は無ぇ!
「クソ食らえええッ」
俺は路地裏から勢いよく出ると、もう一度わざと太陽の熱を浴びた。視界が白く飛び、すうっと幽体に戻る。
少年の意識が「背後」に向いているなら、逆手を取るまでだ。チャンスかもしれない。
俺は幽体のまま、ヨモヒラに声を投げた。
「おい、ヨモヒラ。俺が背後に回ったと思わせろ。あいつの背後で思いっきり光れ」
「あっ、囮役だね? 任せてよ」
ヨモヒラが少年の背後へ回り込み、目が眩むほどの強烈な閃光を放った。
「後ろ!」と少年が反射的に叫び、全火力を背後の光へと集中させる。
ドバアッ!!
少年の背後が超高熱の熱の壁で完全に塞がれた。
だが、俺が選んだ復活ポイントは、真逆の場所だった。
少年の真正面、足元のすぐ間合い。
「――『リザレクション』」
肉体が再構築された瞬間、轟音とともに凄まじい衝撃波が炸裂した。
熱が背後へ偏った分、少年の正面は薄くなっていた。勝った――そう確信した瞬間だった。
ドゴォォンッ!!
「ぐあぁっ!?」
直撃の直前、アマテラスの光輪が怪しく歪み、少年の足元から凄まじい熱波のバリアが飛び出した。
完全な奇襲だったにもかかわらず、衝撃波の大半が相殺され、衝撃波の余波で少年を数メートル後退させただけに終わる。
それどころか、余熱の跳ね返りを喰らった俺の肉体は、再び足元からドロドロに溶け落ちて蒸発させられた。
「はぁ……はぁ……! あぶなかった……! アマテラスが守ってくれなかったら、やられてた……!」
冷や汗を拭う仕草をしながら、体勢を立て直す少年。
囮を使った裏の読み合いすら、神の圧倒的な出力と自動防御の前に防がれた。
万策尽きた。
工夫も、小細工も、不意打ちも。
このガキと太陽神の理不尽なスペックの前には何の意味もなさない。
「……はぁアホくさ」
幽体に戻った透き通る意識の中で、不思議と俺の中では、冷めた狂気がふつふつと湧き上がっていた。
「ヨモヒラ、普通のやり方はやめだ。俺もらしくなかったぜ。社畜は社畜らしくやんなきゃな?死ぬのは死ぬほど痛ぇが……問題ねぇ。こちとら、デスマーチを気合で完走するのには慣れてんだよ」
「デスマーチって何?あ、ちょっと、おじさん!何する気!?」
俺はヨモヒラを無視しながら、幽体のまま少年の至近距離へ降り立つ。懲りずに、無策に、ヤケクソに。
「――『リザレクション』!」
ドガァンッ! と衝撃波をぶち込むが、少年とアマテラスは即座に熱壁を展開して相殺し、俺の肉体を一瞬で焼き尽くす。
だが、視界が途切れた一秒後には、俺はすでに次の幽体として少年の真上に浮いていた。
「――『リザレクション』!」
ガチィィンッ! 再び焼かれて消滅。
1秒後、今度は左側。
「――『リザレクション』!」
ドォンッ! 焼かれて消滅。右側、背後、頭上、正面――!!
「な……なにこれ!? なんで!? なんで何度死んでも、一瞬で生き返って襲ってくるの!? 痛くないの!? 怖くないの!?」
少年の悲鳴が上がる。
アマテラスの護衛機能に限界はない。だが、どれだけ焼き尽くしても、一切の猶予もなく、まるで機械作業のように即死と復活を繰り返して幾重にも襲いかかってくる俺の姿は、少年の目には狂気のバケモノとして映っていたはずだ。
何十回という死の苦痛。脳が焼け焦げ、全身が蒸発する激痛の波。
だが、サビ残で精神が麻痺した俺の執念は、そんな痛みに屈しなかった。死んでは生き返り、泥臭く衝撃波をぶつけ続ける。
「ヒッ……!? 来ないで……来ないでよぉおッ!!」
ついに少年の顔が恐怖に引きつり、本能的な拒絶と戦慄でその瞳が大きく揺らいだ。
大人の狂気じみた執念に震え上がり、少年の集中力がほんの一瞬、ガタガタと崩れて緩む。
アマテラスの熱壁の展開が、ほんのコンマ数秒遅れた。
「待ってたぜこの時をなぁぁぁ!!!」
その絶好の隙を、俺は見逃さなかった。
幽体から少年の真正面、目と鼻の先へと滑り込む。
「――『リザレクション』!!!」
肉体が再構築された瞬間、これまでで最大級の爆風と衝撃波が炸裂した。
ドガゴォォォォォォンッ!!!!!
「がはぁッ!?」
熱の壁によるガードが間に合わなかった少年は、正面から直撃した凄まじい衝撃波をまともに喰らった。
少年の小さな身体は弾丸のような勢いで吹き飛ばされ、ドロドロに溶けかけていた民家を1軒、2軒、3軒と壁を突き破りながら激しく貫通し、路地の奥深くへと叩き付けられた。
俺は煙の中で全身に手をやった。溶けてない、ちゃんと繋がっている。
遠くの方で、少年の背後に浮かんでいたアマテラスの光輪が、激しく明滅したかと思うと、そのままかき消えた。少年の気配から神の力が急速に抜けていく。
「はぁ。やっと、終わった」
俺は煙をかき分け、何軒もの家を突き抜けて倒れている少年のもとへと歩み寄った。
「あぐ……っ、痛い……痛いよママ……ッ!!」
倒れたまま膝を抱えて涙をポロポロと流し、泣きじゃくる黒髪マッシュの少年。
そこにはもう、世界の半分を焼き尽くす最強候補の神憑きの姿はなかった。ただの、母親を恋しがる幼い小学生だった。
「ふぃ〜さっきの連続リザレクション、エグすぎるよおじさま。私でも引いちゃった」
ヨモヒラが冷や汗をかきながら、後ろを浮遊していた。
「自分でも引いてるわ。マジで何回死んだと思ってんだ」
「でもおかげでアマテラスちゃんも、ドン引きして降参したし、結果オーライだね♡」
「今度、そいつに社畜舐めんなって言っとけ」
俺はボロボロのスーツの襟を直すと、地面に伏せて号泣する少年を見下ろし、深いため息をついた。
「うあぁぁん! ママ……僕、負けちゃった……ママを生き返らせられないよぉ……ッ!」
「ガキ泣くなーー」
その時、俺の脳裏に幼い頃の記憶が蘇った。
親を早くに亡くし、身寄りのない親戚をたらい回しにされた苦い記憶が、胸の奥でわずかに疼く。だが、俺は甘い言葉をかけるつもりは毛頭なかった。
「……おい、ガキ!もう泣くな!」
「ひっ……」
「気持ちは分からんでもない。だがな、死んだ人間は戻らねぇんだよ。たとえ神様の力で無理やり引き戻したって、人間は生きてる限り、いつかまた絶対に死ぬ」
俺は冷めて乾いた声で、少年に残酷な現実を突きつけた。
「死から目を背けて、周りの街や人を巻き込んで焼き払ったところで、そんな姿見て、お前の母親が喜ぶとでも思ってんのか」
「……っ、だって……僕、一人じゃ……っ」
「一人でも生きるんだよ。生き残った人間は、倒れて死ぬまで日常を回すしかねぇんだ」
俺が言い捨てるのと同時に、少年の目から険がすうっと消え、そのまま深い眠りにつくようにストンと気絶した。そして。
ピコン――。
『【TARGET CLEAR】』
『【戦績更新】5勝0敗(下層クラス)』
戦闘終了の合図とともに周囲が一斉に巻き戻っていく。
壊れた家々や逃げ惑っていた人々、溶けかけていたアスファルトが元に戻り、夜の住宅街へと一気に復元されていく。
街は何事もなかったかのように静まり返り、見慣れた夜の住宅街に戻っていた。
逃げ惑っていた人々も、自室のベッドで何事もなく眠っているはずだ。
「はぁーおじさま、小学生相手に本気で説教しちゃってさ。大人気ないのー!」
ヨモヒラが呑気に言った。
「うるせっ!まじで本当に疲れたわ……」
気絶した少年をそのままにしておくわけにもいかず、近くの公園のベンチに寝かせておくと、俺は暗い夜道を一人アパートへと歩き出した。
ポケットの中でスマホを取り出し、画面を開く。
下層クラスの初戦勝利。だが、達成感なんて微塵もない。
画面に表示された現在時刻は、深夜3時45分。
「……あーあ。あと4時間後には出勤かよ」
俺は重い足取りで、明日もやってくる容赦のない現実に絶望しながら、アパートの階段を上っていった。




