避難船の灯
『暁環』の航海士、稲城結衣は、港を離れた瞬間に船内灯を落とした。
節電のためではない。窓から見える灯標七の明かりを、乗客たちが最後まで見届けられるようにするためだった。大きな港も、距離が開けば小さな点になる。
護衛艦『芦月』が左前方へ出た。灰色の船体には新しい装甲板が溶接され、左右で色が違っている。
「予定航路を三度だけ変更する」
艦長の篠宮から連絡が来た。迂回すれば到着は遅れる。それでも赤い観測点に近づかずに済む。
結衣は変更後の航路を乗客用掲示板に載せた。理由は短く『安全確認のため』とした。余計な安心は約束できないし、必要以上の恐怖を広めたくもなかった。
船内では、学生が廊下を使った小さな教室を開いていた。教師だったという老人が、紙のノートに星の位置を書き込む。誰かがこのあたりの星を知っていると聞き、子どもたちが次々に集まった。
結衣は航路図で灯標七の点が縮んでいくのを見た。戻れる保証はない。それでも船には、目的地で受け入れてくれる港がある。
前方の護衛艦から定時確認が入る。『航路正常』。結衣は同じ言葉を返した。
離れゆく港の映像を共有画面に映すと、客室の老人が『ここにも家があった』と子どもに話していた。灯標七で何十年も働いたという。子どもは知らない通路や商店の名を聞き、ノートへ書いた。結衣は操縦席からその様子を短く見た。航路図では点にすぎない港が、誰かにとってどれほど大きいかを忘れたくなかった。
その晩、客室の窓辺には小さな携帯灯が並んだ。乗客たちが各自の故郷でしていた祈りや習慣は違ったが、窓の外を眺める時間だけは不思議と重なっていた。




