ひと晩の修理代
霧生四の市場では、工具一本の値段が三日前から倍になっていた。整備に使う小さな絶縁レンチだ。市場監督官の村瀬晴臣が店主に理由を聞くと、次の輸送便がいつ来るか分からないと答えた。
「売れるときに売らないと、うちも閉まります」
店主はそう言った。晴臣は売値を下げるよう命じなかった。店に残る在庫も少なく、仕入れ先が失われていることは事実だった。
代わりに、港の共有工具庫を夜間だけ開ける案を持ちかけた。借りた工具は翌朝返す。返却がなければ次の修理班が困るため、借用票は必要になる。
工具庫の職員は仕事が増えると反対した。晴臣は市場の若者を手伝いに誘い、夜間の受け渡しを二人で行うようにした。最初の客は船を直す民間技師だった。彼はレンチを借り、夜明け前に返してきた。
店主は市場の戸を閉めながら、その話を聞いた。
「借りられるなら、買わない人が増えますね」
「必要な人が直せれば、あなたの仕入れ船も戻ってくるかもしれません」
初めて借りた人の返却が済むと、工具庫の主任は棚に『貸出可』の札を一枚増やした。晴臣はその字を確かめた。
工具の借用票には、故障時の責任をどうするかという欄がなかった。最初の技師は借りるのをためらい、晴臣も無理に勧められなかった。工具庫の主任と相談し、通常使用による摩耗と故意の破損を分ける規則を一枚にまとめた。その紙ができてから、受付に人が並び始めた。小さな制度にも、初めて使う人が安心できる説明が要る。晴臣は夜明けの棚に戻った工具を数えてから、市場の門を開けた。
晴臣は答えた。利益の計算は簡単には合わない。それでも一つの工具が、何人もの手を渡って働く夜が始まった。




