潮のない海図
瑞帆六の賀来冬至は、冷域九の旧航路を調べるため、海洋観測所の長距離測量器を借りた。水面を測る器械が宇宙航路の役に立つとは、若い研究員には意外だった。
「座標の揺れを見るだけなら、同じです」
賀来は古い標識の軌道を重ねた。問題の宙域には、かつて採掘船が捨てた金属片の集まりがある。現在の航路図には存在しない。航路を短縮できる可能性はあるが、退避艇がそのまま通れる幅はなかった。
霧生四の浅海朔へ送ったのは一本の新しい道ではなく、通ってはいけない場所の輪郭だった。朔から『助かる』と返信が来たあとも、賀来は観測器を止めなかった。
冷域九の工場では、管の修理試験が続いているという。瑞帆六の技師たちは遠隔で金属の膨張率を計算し、採掘場で手に入る合金の一覧を作った。最も優れた材料は現地にない。
結局、性能が少し低くても加工できる材を候補に残した。賀来は海へ出る船を眺める。どれほど精密な海図があっても、船体に穴があれば岸へ戻れない。
観測所の当直室には海図も置いてあった。潮流の読み違いで過去に座礁した漁船の印が残り、誰もそれを消そうとしない。賀来は宙域の図にも同じように事故と不明を分けて印をつけた。若い研究員が、使えない図を送って迷惑にならないかと心配した。賀来は通れないと分かるだけでも航路士の計算は変わると話した。測量を終えた研究員たちは、装置の校正番号を送信記録へ添えた。結果を信じる側が、誤差を確かめられるようにするためだ。
遠い観測灯の写真は不鮮明で、形を拡大するほど輪郭が崩れた。賀来はその画像も消さなかった。使えない資料が後から別の測定と結びつくこともある。翌朝の当直者には、その可能性と限界を同時に伝えた。
彼は旧航路に『未検証』の文字を入れ、次の夜間測定を同僚へ引き継いだ。




