1-3
「気分転換にしても……お茶をですか? お薬ですよ? 美味しいものではないのに……」
いや、お茶は美味しいよ?
あ……。でも、そっか。お茶の美味しさを知らない人に、美味しく淹れられるわけないよな。
「あの……よかったら、そのお茶を見せてくれないかな?」
「えっ? え、ええ……。それは構いませんけれど……。じゃあ、すぐにお持ちいたしますね」
マリが戸惑いがちに頷く。僕は首を横に振って、立ち上がった。
「いや、僕……じゃない。わたくしも一緒に行くよ……行きます」
「えっ!?」
いや、だって、どうせ僕が淹れるなら、茶葉を部屋まで持ってきてもらうより、僕がキッチンへ行くほうが効率的じゃないか。二度手間にならなくて済む。
「で、ですが、お茶は……」
「うん、キッチンかな? パントリーかな? 一緒に行くよ」
「ええっ!? お、お嬢さまが、キッチンにですか!? お嬢さまが!?」
マリが今度こそ信じられないとばかりに目を剥く。
あ、そうか。この時代のお嬢さまって、キッチンに出入りしたりしないっけ。
「まぁ、そういう気分のときもあるんだよ……あるのよ」
……お嬢さまぶりっこって難しい。いや、物理的に難しいだけじゃなくて、なんと言うか……精神にクるな、これ。いったいなにしてんだって、めちゃくちゃ落ち込む……。
こんなんでこれからやっていけるのかと不安に苛まれながら、戸惑っている様子のマリとともにパントリーへ行く。
「デリックさぁん」
ドアを開けて中を覗くと、燕尾服姿の執事が振り返る。
鋭い漆黒の瞳が印象的な美形だった。漆黒のアシンメトリーの髪。背は185cmぐらいかな? スタイルは抜群。一目で鍛え抜かれているのがわかるのに、物腰はあくまでも優雅。仕草は優美。気品溢れるといった感じで、とても絵になる。
なのに、なんだろう? この目つきの悪さ。いや、悪いっていうか……ヤバい。尋常じゃない。え? なにこの人。執事じゃないの? 殺人鬼かなにか?
って言うか、この顔……それにデリックって名前も、覚えがあるぞ。
僕は彼を見つめたまま少し考えて、ポンと手を打った。そうだ! この人、攻略対象だ!
デリックと名乗り、ラヴァリエ家で執事をしているけれど、それは世を忍ぶ仮の姿。本当の名はディートハルト・シグ・ヴァルディ。二十年前に何者かに一家惨殺されたヴァルディ侯爵家の生き残りで、国家に弓引く者を人知れず始末する暗殺者だ。
家族全員殺されてから裏社会で生きてきた彼は、人の醜さを凝縮したようなものをたくさん見てきたからか、性格が黒の上に黒を塗りたくったような、『腹黒』を超えた『腹闇』で、誰にも心を開かないって設定だったはずだ。
しかし、ヒロインだけが唯一の例外で、彼の本心に触れられた――っていう。
「……なにかご用でしょうか?」
デリックが殺人鬼候の温度のない無表情で僕を見る。怖……。嘘だろ? 忍んでねぇじゃん! 暗殺者丸出しじゃん! もう少し執事らしくしようぜ。やる気あんのかよ!
「お、お茶を見せてほしいんだけど……」
「お茶……ですか?」
怪訝そうに、面倒臭そうに眉を寄せたものの、奥からガラスのキャニスターを持ってくる。いや、もう少し頑張れ。そこで面倒臭そうにするとか、まったく執事に擬態できてないから!
「こちらが一番質が良いものです」
僕はそれを受け取って、目を見開いた。
あれ? 意外……。緑茶だ……。あ、そっか。ヨーロッパでも最初に中国から輸入していたのは緑茶だったっけ。
キャニスターの蓋を開け、香りを確認する。
うん、爽やかないい香りだ。状態は申し分ない。変な薬品が使われてることもなさそうだ。
お茶に薬品? って思うかもしれないけど、普通にありえるんだよ。これがまた。
そのころのお茶は関税などのさまざまな理由からやたらめったら高かったせいもあって、木屑や正体不明の謎の植物なんかを混ぜた粗悪品もかなり出回っていて――そしてそういった粗悪品には茶葉の色や淹れたときの水色を綺麗な緑色にするために着色料が使われていることもあったんだ。
ちなみに、当時の緑の着色料って毒性が強いものが多かったから、飲んだら体調を崩すだけじゃ済まないことも。輸入するのが緑茶から紅茶に変わっていったのも、そういう事情もあったとか。
正直、ここは異世界だし、乙女ゲームだしで、そんな歴史が反映されているとは思わないけれど、それでもこの世界が十九世紀半ばから末あたりのヨーロッパをモデルとしている以上、用心するに越したことはない。
「これが一番質が良いもの? ってことは、ほかにもあるってこと?」
「ございますが……」
「全部見せてくれる?」
デリックがやれやれといった様子で息をついて、再び奥へ入ってゆく。……よくもまぁ、そんな態度で公爵家の執事を名乗ってるな。
「こちらになります」
デリックがキャニスターをテーブルに並べる。僕が持っている緑茶も合わせて、全部で四つ。
「あ、紅茶もある」
緑茶が二つ、紅茶らしき茶葉が二つ。僕は片方を手に取った。
ああ、でも、これはたしかにあまり質がよくないな。そもそも茶葉の大きさが全然揃ってない。
香りも確認してみたけれど、見事に飛んでしまっている。もしかして、結構古いのかな?
じゃあ、緑茶を使うか。
僕はグルリとパントリー内を見回した。
「ドライミントがあるな……」
質はかなりよさそうだな。――よし、緑茶ベースのフレーバーティーを作ろう。
僕は最初に出てきた一番質のいい緑茶のキャニスターを手に、デリックを見た。
「あの、ドライフルーツってありますか?」
あるよな? 昨日、ドライフルーツを使ったケーキがお茶請けで出たもんな?
「ございますが……」
「レモンピールかオレンジピールがあったら、ください。あと蜂蜜も」
「はぁ……」
「そして、マリ。珈琲用で構わないからポットと、三分以上しっかりと沸かしたお湯を用意して」
マリが「はぁい!」と元気よく返事をして、パントリーを出てゆく。
僕の前にミントとレモンピールと蜂蜜を並べたデリックは「沸騰した湯ですか?」と眉を寄せた。
「……なるほど、そういうことですか。粗相をしたのは誰です?」
「へ?」
粗相? え? 僕、今、そんな話してたっけ?
「えっと……? なんのことですか?」
「粗相をした者におしおきをするために所望されたのでしょう? 粗相をしたのは誰ですか?」
「おしおき……? えっ!? まさか、沸騰したお湯を!?」
粗相した者におしおきとしてぶっかけるために欲しがったとか思ってんの!? いやいやいや! 発想、怖ぁっ!
僕はぶんぶんと激しく首を横に振った。
「ふ、普通、誰かにかけるために沸騰したお湯を頼んだりしないと思うんですけど……」
「たしかに普通はそうですね? ですが以前、実際になさったじゃないですか」
……嘘だろ? マジか、ルクシリアさま。品行方正、清廉潔白、謹厳実直はどこいったんだ。
「ないないない! ないですから! 誰かにぶっかけるために沸騰した湯を頼んだりしませんし、そんなレベルの罰を受けなきゃいけないような粗相をした人間もいませんよ! だいたい、ドライフルーツと蜂蜜も一緒に頼んだじゃないですか!」
お茶も! ミントもだ! おしおきで熱湯をぶっかけるのに、それらはいらないだろ?
「たしかにそうですね。では、いったいなにをなさるつもりなのですか?」
いや、だから……。
「お茶を飲むためですけど」
「はい!?」
デリックが目をひん剥く。なんだよ? その『信じられない』って顔は! 『粗相をした人間にかける』よりも、よっぽど普通の答えだろうが!




