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気にしていませんって……その言い方だと『デリックは失礼をしたけど気にしていません』って意味にしか聞こえないんだけど? 違うだろ? デリックはなにも悪いことしてないじゃないか。意味不明なことを抜かしてるヤツに『なにを言ってるんだ』って顔しただけだ。
「お前は優しいな、リディア」
王太子が熱のこもった眼差しでヒロインを見つめて、ひどく大切そうにその華奢な肩を抱く。
お、おいおい、王太子! お前の婚約者はまだルクシリアのはずだろ? そのルクシリアに仕える者の前でそんなことしていいのかよ?
しかも、ルクシリアはラヴァリエ公爵令嬢。
ラヴァリエ公爵家といえば、王ですら無視できない力を持った家門なんだろ? だからこそお前の後ろ盾になってるわけで。自分を支持・支援してくれてるラヴァリエ公爵家に後ろ足で砂掛けるような真似をしていいのかよ? いいわけないよな? 不誠実にもほどがある。
王太子っていったって、なにをしても許されるわけじゃないはずだろ?
「リディアに免じて許してやろう! アレには反省を促しておけ! いいな!」
王太子はそれだけ言うと、ヒロインの肩を抱いて出て行った。胸を張って、肩で風を切るように、颯爽と。――いや、なんなんだよ? その自信。そして、ルクシリアになにを反省しろって? ルクシリアはなにも悪いことしてないだろ。むしろお前が自分の行動を省みろよ。
め、めちゃくちゃだなぁ……。なんだったんだ……。
「……王太子ってあんなクソでしたっけ?」
ポカーンとしていると、デリックが唖然とした様子でオズワルドさんを見る。
「これ、なんてこと言うのです。お口が悪いですよ」
「いや、でも思いませんでしたか?」
「…………」
――思ったんだ。
いや、実際、王太子もヒロインも相当ひどい態度だったと思うよ。今すぐ、あんな王太子なんかやめとけってルクシリアを説得したいし、婚約者がいるってわかってて王太子にベタベタして、さらにデリック相手に意味不明な妄言を吐き散らかしていたヒロインには、それじゃ虐められても(ルクシリアの行いが本当に虐めだったとして)文句言えねーだろって言ってやりたいもんな。
王太子もヒロインも、今すぐ礼儀と常識を学んで来い。話はそれからだ。
「さて、そろそろレッスンのお時間ですね」
オズワルドさんがすこぶるスマートに話題を変えつつ、懐中時計を確認する。
「さ、ルカ。覗いているのはわかっていますよ。出ておいでなさい」
う。
「覗きなんてお行儀が悪いですよ」
「すみません……」
「ホールに移動する前に、まずは復習をいたしましょう。私を王太子殿下だと思って、ご挨拶を」
え? 王太子殿下だって思ったら、礼を尽くす気なんて失せるんだけど……。
しかし、そんな口答えは許されない。僕は玄関ホールへと降りていって、オズワルドさんの前に立った。
「王国の若き太陽にご挨拶申し上げます」
指先まで気遣いながらドレスをつまんで軽く持ち上げつつ、片足を斜め後ろの内側へと引いて、優雅にお辞儀をする。
よし! 角度もいい。ドレスの裾の揺れも完璧。これは文句のつけようがないだろう!
――って、僕は思ったんだけど……。
「ふむ、よいですね。八十七点といったところでしょうか。合格です」
オズワルドさんが言うことには、まだ九十点にも届いていないらしい。――マジか。厳しい。
チラッとデリックを見ると、彼は冷たく僕を見下ろして「まだ頭の中でいちいち確認をしながらおっかなびっくりやっているのが丸わかりです。公爵令嬢の所作ではありませんよ」と言う。
し、仕方ないだろぉ!? 実際、教わったことを確認しながらやってんだから!
身体はルクシリアのもの。無意識下では、彼女のクセも出しているそうだけど、それでも中身はやっぱりアラサー男性。意識してルクシリアの『淑女としてのふるまい』ができるわけがない。
だけど、実際それでは困る。ルクシリアの中にアラサー男性がいるなんて、ほかの人にバレるわけにはいかないからな。
――ってことで、実は、デリックとマリに話した翌日、彼らの判断でオズワルドさんには事情をすべて話して協力してもらうことになったんだ。
テーブルマナーにかんしては、まったく問題なし。でもそれだけだ。それ以外の『淑女としてのふるまい』は全滅。僕は歩き方からなっていないそうだ。そりゃそうだよ。ドレスに踵の高い靴で歩いたことなんかないし。
まぁ、そういった事情で、僕は今、オズワルドさんとデリックから、急ピッチで『淑女としてのふるまい』を叩きこまれているところなんだ。これが難しい難しい。
叩きこまれているのは仕草やふるまいだけじゃない。知識もだ。貴族の、そして社交界のルール、マナー、ルクシリアの人間関係、覚えておくべき関係の深い貴族、さらにはこの国の一般常識、歴史、現在の世界情勢まで。おかげで頭がパンパンだ。
ルクシリアの中の僕――水城純也について知っているのは、この三人だけ。オズワルドさんとデリック、そしてマリ。
公爵と公爵夫人――つまりルクシリアの両親を含む屋敷の者たちの認識では、事故後の記憶の混乱がまだ続いていることになっている。
厳しい緘口令を敷いているので、屋敷外にはルクシリアの様子は漏れていないそう。
これについては、少しホッとした。僕がルクシリアの評判を落とすわけにはいかないし。
あ、ちなみに、オズワルドさんにはもちろん、デリックとマリにも、僕の年齢は言ってない。
いや、言えないって。さすがに。言ったが最後、マジで殺されると思う。身体がルクシリアであろうとも。そんな辱めを受けるぐらいなら死んだほうがマシなはずですって言って。
「ふむ、歩く姿勢もだいぶよくなってきましたね」
ホールのドアを開けたオズワルドさんが、僕を見て微笑む。
「ダンスもその調子でお願いいたしますよ」
「う……。はい……」
「まずはカドリールからおさらいいたしましょう」
オズワルドさんがパンと手を打つ。と同時に、デリックがひどく優雅な仕草で片手を差し出す。
僕は内心ため息をつきながら、その手に自分のそれを重ねた。
「今日こそは、足を踏まないでくださいね」
「……努力はする」
「……そろそろ、精神だけにダメージを与える方法を考えなくてはいけませんね」
「絶対にしない! 大丈夫だ! 僕を信じてくれ!」
僕はやればできる子だから!
「はい、1、2――……」
デリックのドスのきいた脅しに震えながら、オズワルドさんが刻むアナムに合わせて必死に足を動かす。
ああ! ドレスってマジで重いっ! そして邪魔っ!
踵の高い靴も動きづらいったら! どうせ足はしっかり隠すもの。靴先がチラッと見えるぐらいなんだから、動きやすいペタンコ靴でもいいじゃないか!
「――はい、カドリールは合格です。次はワルツを」
う。
「ワルツがなぁ……。密着度が高いのが本当に……」
するりと腰に回された大きな手に、ため息をついてしまう。
「お互いさまでしょう。俺だって嫌ですよ」
「いや、そっちはまだいいんじゃないですか? ルクシリアお嬢さまは稀に見る美人なわけで。むしろ役得って言うか……」
その言葉に、デリックが馬鹿を言うなとばかりに吐き捨てる。
「はぁ? 冗談は存在だけにしてくださいよ。美しくてなめらかな手触りの最高級ビロード生地のクッションでも、中に詰まっているのが汚物だとわかってて、誰が喜々として抱き締めるんです?貴様にはそういった性癖があるのかもしれませんが、俺は違います」
ぐうの根も出ないほどのド正論だけど……汚物はひどくない? 傷つくんだけど。
そして、僕にもそんな性癖はない。――悪かった。役得だなんて言って。
「これ、ツラくて仕方がないという顔をしない」
オズワルドさんがめっとばかりに顔をしかめる。
「常に微笑みを絶やしてはいけません。あなたは今、ルクシリアお嬢さまなのですから、誰もが見惚れる花であることを心がけてください」
……今まさに汚物扱いされた人間に、無理をおっしゃる。
「はい、もう一度いきますよ。1、2、3――……」




