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そのまま三十分みっちりとダンスレッスンを受けて――僕はもう汗だくグロッキー状態。いや、貴族の女性って大変!
オズワルドの「よろしいでしょう」の声とともに膝から崩れ落ちて、床に手をついてしまった。
「これ、ホールに膝をつくなど、あってはなりませんよ」
「す……みま、せ……」
ぜーぜーと肩で息をしている状態で、まともに話せない。謝ることすらままならない。
「身体はルクシリアお嬢さまなのですから、本来は軽く一時間以上踊り続けられるはずです」
……マジか。ルクシリアお嬢さま、半端ねぇな……。
「どれだけ余計な力みや無駄な動きが多いかという証明ですよ」
「しょ……精進、いた……し、ます……」
「よいお返事で、大変嬉しいです」
オズワルドさんが「では、次のレッスンで」と優雅に一礼し、ホールを出てゆく。
くっ……。優しくて穏やかでお上品な紳士だけど、ルクシリアお嬢さま愛があるからなのか、レッスンはマジで厳しい……。鬼……。
「大丈夫ですかぁ?」
マリがタオルを差し出してくれる。うっ……。天使……。
「あ、あんまり……大丈夫、じゃ……ない……な……。吐き、そう……」
「冷たいお飲み物と、冷やしたハンカチもお持ちいたしましょうか?」
「あ……お願……」
「いえ、結構です。マリ、ルカにお着換えを。新品の従僕の服を用意しましたので」
僕の言葉を遮って、デリックがきっぱりと言う。おおおおおおい! 鬼っ! ちょっと休憩するぐらい許してくれよ!
っていうか……従僕?
わけがわからずのろのろと顔を上げた僕に、デリックは唇に人差し指を当てて目を細めた。
「働かざる者、食うべからずですよ。ルカ」
◇*◇
「あぁ~! ラク! めっちゃラク! 男物万歳! ズボン万歳!」
「……いつまで言ってるんですか」
バタバタ足を動かして大喜びしている僕に、向かいに座るデリックが呆れたように言う。
あのあと、疲労で吐きそうになっているのにもかかわらず強制的に従僕の服に着替えさせられて、そのまま問答無用で馬車に乗せられて、今はどこかに向かっている最中だ。どこに行くのかって?いや、訊いたけど教えてもらえなかった。ただ、従僕服を着て、長い髪はまとめてキャスケットに収納して男装したってことは、貴族のお嬢さまじゃ行けないようなところ――なんだと思う。
男装……なんだよな? これで男って無理があるだろってぐらい、めちゃくちゃ可愛いけど。
「いや、それぐらいドレスってしんどいんですよ。一度着てみればわかります」
「私が? 冗談は存在だけにしてください」
……どうしても僕の存在を冗談にしたいんだな。
「むしろ、冗談であってほしいよ……」
目が覚めたら、二十一世紀の日本に――水城純也の日常に戻ってないかなって、毎晩思ってる。
小さくため息をついた僕をじっと見つめて、デリックは眉をひそめて唇に指を当てた。
「ルカが本当に、ルクシリアお嬢さまを守るためにその御身体に宿ったのだとして、お嬢さまに迫る危機とはいったいなんだと思いますか?」
「え……? ええと……」
さて、なんて答えるべきか……。ルクシリアは死か破滅を迎える運命なんですって言っても、「なぜあなたにそんなことがわかるんですか?」って言われちゃうよなぁ……。そうなると、もう答えようがない。まさか「ここは乙女ゲームの世界で、ルクシリアはそういう設定のキャラなんです」なんて言うわけにもいかないし……。
「質問を質問で返すようで申し訳ないのですが……王太子殿下は昔からあんなにもイタ……いえ、クズ……いや、愚か……ええと……」
む、難しいな! 不敬にならない言葉で王太子を表現するのは。
「アレな方だったんですか?」
いいや、これで通じるだろう。
「いいえ。傲慢で自分勝手なところはありましたが、あのようなゴミカスではございませんでした。私の知るかぎり、ではありますが」
ぼ、僕はなんとか濁したのに、きっぱりはっきり『ゴミカス』って!
「王太子殿下が問題だと?」
「わかりません……。というか、わかっていることのほうが少ないんです」
わかっていることが少ないうえに、話せることはもっと少ない。
「ただ、王太子殿下と一緒にいた女性が気になったと言うか……」
「はい? ルカは頭がおかしい女性が好みなのですか?」
「はぁ? そういう意味の『気になった』じゃないですよ!」
文脈を読め! ルクシリアお嬢さまに迫る危機の話をしてただろーが!
「あの頭が弱そうな女性に何ができるとも思えませんが……。ええと、彼女はたしか……」
クロ―トが顎に指を当てて考える。え? 嘘だろ? お前。
「……リディアって呼ばれていましたね」
「ああ、そうでしたね。そう、たしかリディア……」
助け舟を出してやるも、それ以上は出てこなかったのか、そのまま沈黙してしまう。――おい、覚えておいてやれよ。お前、一応攻略対象だろうが。
「セネット男爵令嬢ですよ。リディア・ラ・セネット」
「ああ! そうでしたそうでした」
まったく興味なさそうに頷いて、デリックがパチパチと手を叩く。
「勉強の成果が出ていますね。男爵家の令嬢まで覚えているとは」
覚えているのは、そのせいじゃないけどな。
彼女こそが、この乙女ゲーム『黎明のアストリア』のヒロインだからだ。
身長は150cm、小柄で細身、かなり華奢なタイプ。胸もかなりささやか。チョコレート色の柔らかそうなストレートヘアに、同じくチョコレート色の零れそうな大きな瞳。
設定上の性格は、明るく素直で清らか。純真無垢、天真爛漫、素朴で飾らない心優しい女の子だ。まったくそんなようには見えなかったけれど。
前にも言ったけど、『黎明のアストリア』は、平凡な男爵令嬢のヒロインが社交界でさまざまなイケメンたちと出会い、恋をすることで、内なる聖なる力が目覚め――その後は攻略対象によって違うけれど、だいたい世界や国を救い、多くの人々に愛されて幸せに暮らすという内容だ。
ゲーム自体はプレイしていないから、年齢的にゲームがはじまっていることはわかるけど、今はどの段階なのか、ルクシリアの破滅までどのぐらいの猶予があるかなどはまったくわからない。
だから、僕にできることは、基本的には味方に引き入れたデリック以外の攻略対象とヒロインを避けて避けて避けまくることなんだけど――あれだけアレな人たちだとそれも少し不安だな……。アレな人っていろいろと斜め上過ぎて、ザ・普通の人な僕の想像が及ばないところがあるから。
先が不安過ぎてため息をついていると、馬車が止まった。
「さ、着きましたよ」
「え?」
馬車を降りると、そこは活気のある賑やかな街だった。
視線を巡らせると、遠くに大きな船が見える。そして――潮の香り。
「港町……ですか?」
「ええ。貿易会社や卸売業者が多数あります。一つずつ回りますよ」
「ええと……なにをするつもりなのか訊いても?」
「良いお茶を仕入れようと思っています」
思ってもみなかった言葉に、僕はパチパチと目を瞬いた。
「お茶を?」
「ええ、緑茶に紅茶……ほかにもいろいろとあるそうですね? それらを仕入れます」
あ……なるほど。それで僕を連れてきたのか。目利きをさせるために。
「わかりました。お茶の用途を教えてもらえますか?」
「用途……ですか?」
「ええ、ざっくりで構いません。お茶にもいろいろあるので、選ぶ基準がほしいんです」
たとえば、夫人たちのお茶会で甘いものと一緒に供される紅茶と、スモーキングルームで紳士がハムやナッツをつまみに飲むそれとでは、選ぶ茶葉は違う。
誰が、どんなシーンで飲むかは大事だし、さらに言えば、アイスで飲むのかホットで飲むのか、それだけでも変わってくるから。
僕がそう言うと、デリックは歩き出しながら、人差し指を唇に当てた。
「この国で、お茶を好んで飲む人間はほとんどいません。いえ、むしろいないと言っても過言ではありませんね。好んで飲まれるのは基本的にコーヒーとショコラです。そんな中、美味しいお茶が供されるパーティーやサロンが開かれたら……それは話題になると思いませんか?」




