第1章婚約破棄は突然に──解放の叫び(エレナ視点)
はじめまして、iory です。
優しい恋とモフモフの癒しを描いた物語です。
ゆっくり楽しんでいただけましたら嬉しいです。
(全6話・執筆済み・随時更新します)
◆ 婚約破棄の宣告
「エレナ!よく聞くがいい!おまえとの婚約を破棄する!
理由はおまえが冷徹でまともに笑顔すらできず
可愛げの欠片もない女だからだ。
女性として欠陥品であるおまえは
この国の王太子妃にはふさわしくない!
だからわたしは決めた!おまえに代わって
このフランソワ・アルアーノ男爵令嬢をわたしの
婚約者とすることを!よいな?」
◆ 会場の反応とフランソワ男爵令嬢の泣き芝居
それはわたくしにとってまさしく
青天の霹靂でございました。
国中の貴族はもちろんのこと
諸外国の要人を招いた宴の席でしたわ。
わたくしの婚約者で、この国の第一王子。
フレデリク・マキシミリア様が声高に叫ばれたのです。
フレデリク様の隣にはかねてから噂のあった男爵令嬢。
フランソワ・アルアーノ様が
瞳を潤ませて、哀れむように
わたくしをじっと見つめておりましたわ。
まるで甘い砂糖菓子のような
お顔立ちをされておりますの。
柔らかそうな栗色の長い髪の毛。
小柄な体型も相俟って、男性からすれば
さぞかし庇護欲を掻き立てられる存在でしょう。
フレデリク様にお付き合いされている方がいらっしゃる
ということは、存じておりましたわ。
その数が複数であるということも。
ですが、どなたを選ばれたとしても。
せいぜい側室止まりだろうと思っておりましたの。
存外、本気の恋だったようですわ。
「あの…こんなことになってしまって、本当にごめんなさい。
でも、私たちは深く愛し合っているの。
やっと巡り会えた運命の恋なの!
罰なら私が受けます!どうか許してぇ!」
◆ エレナの心の変化
そう言ってフランソワ男爵令嬢は声を上げて
泣き始めてしまいました。
あら、まあ。
なんということでしょう。
男爵令嬢とはいえ、貴族令嬢に
あるまじき言葉使いです。
その上『うえーん』と泣きじゃくる姿は、
駄々をこねる5歳児のよう。
この方を王太子妃にされるとは…。
この国の未来が本気で心配になりますわ。
ですがフレデリク様から見れば、無邪気で
可愛い女性なのでしょうね。
「ああ、泣かないでおくれ。フランソワ。大丈夫だ。
誰も愛し合う私たちを引き裂く事などできないのだから」
デレデレとだらしないお顔で
フランソワ男爵令嬢の涙をハンカチで
お拭きになるお姿は、誠に滑稽でございました。
わたくしは一体何を見せられているのでしょうか?
そう思っているのはわたくしだけではなく、
会場におられる皆様も同じ思いのようでしたわ。
静まり返った会場の空気が、ゾッとするほど
冷ややかな事に気付いていないのは
燃え上がっているお二人だけでした。
◆ エレナの過去──妃教育と孤独
わたくしの名前はエレナ・ジョルモア侯爵令嬢。
生まれた時から、18年間。
王太子であるフレデリク様の許嫁として、
厳しい妃教育にも耐えてまいりました。
貴族学園を卒業してからは、本来ならばフレデリク様が
するはずの政務まで、わたくしが引き受けてまいりました。
ですが、肝心のフレデリク様はわたくしが懸命に政務を
こなし、周囲からわたくしに対する信頼が増すごとに、
心が離れていくのが分かりました。
自分よりも能力の高い女性を疎むのは、
弱い男性のさがなのでしょう。
ですがわたくしにはどうする事も
できませんでした。
泣いたところでフレデリク様の心を
得られない事は分かっておりましたし、日々の政務は
待ってくれませんもの。
そういうわたくしの考え方が、
フレデリク様からすると、冷徹で可愛げなく
見えたのかもしれません。
付き合いこそ長くても、本音でぶつかって
許し合えるような信頼関係を築いて
こなかったのですから、仕方のないことです。
わたくしとフレデリク様は心を伴わぬ
名ばかりの婚約者でした。
いつしかわたくしは笑顔を忘れて
忙しい政務に追われるだけの日々を過ごしておりました。
唯一の安らぎは、わたくしの部屋にこっそり集めた
柔らかな毛並みをした犬のぬいぐるみを抱きしめながら
顔をうずめて、モフモフを堪能する事でした。
いつか本物の犬や猫を飼ってモフモフしてみたい。
などと甘い妄想にふける事もございましたが、
わたくしの立場上、それは叶わぬ夢だと…。
最後には諦めておりました。
一度だけ、『犬や猫を飼ってみたいわ』
と家庭教師に打ち明けた事がありましたけれど、
王太子妃から獣の匂いがするなどあってはなりません。
先生からそう厳しく言われてしまいましたの。
それはもう、落ち込みましたわ。
確かにこの国では生き物を飼う貴族は
少ないのが現実なのです。
厳しい妃教育で何よりも堪えた出来事でしたわ。
我慢。努力。諦め。
王太子妃教育でわたくしが学んだ
立派な妃となるための3原則。
己の幸せを望んではならない。
夫である王太子を支えて
国民の為に生きること。
それがわたくしの義務だと。
わたくしはそう教えられてまいりました。
◆ 解放の叫び
国王陛下が離席されているタイミングでの婚約破棄でした。
おそらく王家の決定ではなくフレデリク様の独断なのでしょう。
後で問題になるのは間違いございません。
ですが、もはや手遅れですわ。
王太子であるフレデリク様が、公の場所
で宣言されたお言葉は、強力な決定権を持ちます。
二度と覆すことなどできないのです。
国の法に疎いフレデリク様は、ご存じ
ないかもしれませんが。
わたくしといえば、驚いてはおりますが…。
生憎、涙など一滴も出てきませんの。
それどころか今まで感じたことがない程に、
胸が高鳴り始めておりました。
もしかしてわたくしは…。
フレデリク様と結婚しなくてもよいのかしら?
しかもこれはフレデリク様からの婚約破棄。
我が家におとがめなどございませんわよね。
心の中で歓喜のファンファーレが鳴り響きました。
冷静さを装ったわたくしの見た目からは、
皆様想像すらできないでしょう。
この瞬間のわたくしが、込み上げる喜びを必死に隠しながら
興奮にうち震えている事など。
ありがたいことに、フレデリク様自ら
わたくしを手放してくださった。
生まれて初めて、わたくしはフレデリク様に感謝致しました。
ええ、生まれて初めてですわ。
もう、我慢しなくて良いのですわね。
わたくしには実は、必死に抑え込まなければならない
切実な思いがありましたの。
決して表に出してはならない。
書き物にする事はおろか、寝言で呟く事すら許されない。
まさしく国家機密とも呼べる重大な『思い』です。
わたくしはそれをお墓まで抱えて持っていく覚悟でしたけれど、
もうその必要はなくなりました。
初めて味わう解放感がわたくしの常識を
小気味よく壊してくれましたわ。
今ならばわたくし、少々大胆な事でも
できそうな気がいたしますのよ。
そうですわ!
せっかくですもの。
今ここで、解放してもよろしいですわね。
王太子妃という身分は常に命を狙われるもの。
いざという時に助けを求められるように
大きな声を張り上げる必要がございますの。
その為に声帯と肺活量も鍛えておりましたから
大きな声を出すことにはちょっぴり自信が
ございますのよ。
まさか、この言葉に使うとは思ってもおりませんでしたが。
わたくしは大きく息を吸い込みました。
「わたくし、実は…フレデリク様のことが…ずっとずっと…大っ嫌いでしたわ!」
窓ガラスを震わすほど力強い声でしたわ。
わたくしの魂の叫びに、会場中が
しん、と静まり返りました。
◆ フレデリクの狼狽と周囲の反応
数秒後その中にぷっ、と吹き出す方々が
ちらほらと現れ始めました。
言ってしまいました。
とうとう、言ってしまいましたわ!
信じられないとばかりに口をポカンと開けて、
あっけにとられていたフレデリク様のお顔が
みるみるうちに怒りに歪んでいきます。
フレデリク様という方は…王太子という
地位に甘んじて、努力もせず、面倒な政務は
全てわたくしに押し付けておりましたわ。
隣国との関係にも疎く、大国に囲まれている我が国の
立ち位置すら理解しておられない。
外交は苦手な割に女性との交流はお盛んな婚約者。
わたくしは聖母ではございませんの。
フレデリク様の母でもありません。
これで好きになれというのがそもそも無理なお話です。
「う、嘘を付くな!おまえがわたしに惚れていたことは分かっている!」
まあ。
どうやら壮大な勘違いをされていたようですわね。
とんでもない自惚れ野郎でございました。
この方を嫌いな理由がまた一つ増えましたわ。
「残念です。先程のわたくしの真実の声が
フレデリク様には聞こえてなかったのですね。
もう一度大きな声でお伝えした方がよろしいかしら?」
務めて冷静にそう言い放つと、フレデリク様は
慌てて首を横に振りました。
「いや、それはもういい、もう言わなくていいから…」
周囲を見回しながら慌てて
ごにょごにょと小声で呟くフレデリク様。
鼻を突くほどの小物臭が漂っておられました。
お隣に立っているフランソワ様ですら、まるで物を見る目で
フレデリク様を見ておりましたわ。
ほんの一瞬でしたが、わたくしは見逃しませんのよ。
このお二人もそう長くは持たなそうですわ。
そんな予感が胸を過りました。
◆ 婚約破棄の受諾
「婚約破棄、了解いたしました。フランソワ様と末永くお幸せに」
わたくしは表情を崩さぬまま、お手本のように美しい
カーテシーで一礼すると、足早にその場から離れました。
お二人とも苦々しい、実に良い表情をされておりましたわ。
あぁ…なんて清々しいのでしょう。
足取りが羽のように軽いのです。
さあ、することが山のようにありますわ!
まずは、お父様に婚約破棄のご報告です。
フレデリク様のお気持ちが変わらないうちに
全ての関係者にご報告しなくては。
◆ 自由の実感とモフモフへの渇望
それから、それから…。
あの可愛い子の飼い主が見つかるまで…。
屋敷で預かることにしようかしら。
モフモフしたいですわ。
死ぬほどモフモフ致しますわ!
もう、王太子妃になる事もありませんもの。
匂いがついても一向に構いません。
ああ、本当にわたくし、自由なのですね!
気が焦って早歩きになってしまいます。
いけませんわね。
侯爵令嬢たるものいつでも優雅でいなければ。
◆ ルイス第二王子との再会
はたと気がついて周りを見回しますと、驚いたことに
わたくしが歩く先に道が出来ておりました。
どうやら会場におられる皆様が自発的におどきになって
道を開けてくださったようです。
ありがたいお心遣いに感謝しながら意気揚々と
前に進んで行くと、目の前にひとりの男性が立っておりました。
『まあ…ルイス第二王子ではございませんの…』
わたくしは立ち止まり、小さく呟きました。
婚約破棄される二時間程前のこと。
庭園を歩いていた時に、わたくしが心を交わしたお方でしたの。
大国、ギルモア帝国の第二王子。
ルイス・ジュリーク様でした。




