努力アレルギー
僕は努力家だ。僕は大抵のことにおいて、努力を惜しまない。
最近した努力といえば筋トレだ。
血のにじむ努力の末、ベンチプレスで四十キロを三回上げられるようになった。
このすごさがいまいちピンとこない人は、そのまま流してくれて構わない。
どうしても気になる人のために説明すると、男子高校生が五十メートルを七秒後半で走るくらいすごいことだ。
なにはともあれ、僕は偉業を達成した。
この偉業を達成したのは二か月以上前のことで、筋トレを始めてから二週間で達成した。
それから筋トレは一切していない。
僕は努力家だが、飽き性でもあるのだ。
僕が努力の才能を発揮しようとすると、すぐさま飽き性の才能が顔を出し、努力の才能を食い尽くしてしまう。
たぶん、飽き性の才能の好物は努力の才能なんだと思う。
努力をやめたときのあの解放感はくせになる。
おそらく、僕の中の飽き性の才能がおなか一杯になって幸せに満ちているのだ。
努力の才能のことはいまいちわからない。
僕にとってそれは、飽き性の才能の餌でしかないのだ。
努力が嫌いな僕に、努力について教えてくれた人がいる。
彼は僕と違って努力の才能を磨き上げた人だ。
飽き性の才能はこれっぽちも持ち合わせていなかった。
まずは彼が残した日記から彼の人生を振り返ってみようと思う。
彼は明治時代に本物の努力家として生まれた。
努力して努力家になったわけではなく、生まれながらにして努力家だった。
彼はその努力によって、生後七か月からずり這いを始めると、一か月後にはハイハイに入り、一週間後にはつかまり立ちをし、さらに一週間後には独り歩きをして見せた。
彼は大抵のことは、なんでもうまくこなした。
うまくこなせないことは、その努力によってうまくこなせるようにした。
彼が少年だったころ、竹馬に乗れずに馬鹿にされたことがあった。
彼は持ち前の努力によって一週間後には竹馬を人並み以上にうまく乗りこなした。
走ることや、球技、その他もろもろのことは大抵人並み程度にできたし、努力によって人並み以上にした。
彼はそれらで一番にはなれなかった。
竹馬やけん玉、走ること、その他もろもろのことで彼より優れた人間はいた。
だが、そのことはあまり気にならなかった。
彼自身、それらのことにあまり重きを置いていなかった。
なにより、彼らは他人のことにはまったく興味がなさそうだった。
彼らは、ただ楽しそうに走り、竹馬に乗り、けん玉をして、そのついでに賞賛を得ていた。彼のことを馬鹿にしてくることなどなかった。
彼が重きを置いたのは、社会が重きを置いていることだった。
学生のころには、勉学に励むことだった。
彼は遊ぶ暇を惜しんで勉学に励んだ。
ほかの子供たちが遊んでいる間も勉強した。
そのかいあって、優秀な成績をおさめ、高等小学校に進学した。
そこでも優秀な成績をおさめ、中学校に進学した。
彼は中学でも遊ぶ暇を惜しんで勉学に励んだ。
しかし、中学に入ってからの彼の成績は中の下だった。
彼は寝る暇も惜しんで勉学に励むようになった。
これまでの人生を努力によって解決した彼にとって、結果が出ないのであれば、足りないのは努力の量であり、やるべきことは努力だった。
彼の努力の結果として得られたものは、中の中という成績だけだった。
ここでは彼は普通の人間にしかなれなかった。
これは彼が経験する初めての挫折だった。
彼は挫折を味わっても、努力をあきらめることはなかった。
彼はその努力によって、中の中の成績をとり続けた。
中学を卒業すると彼の学問のキャリアは終わった。
成績の問題もあったし、お金の問題もあった。
彼は、中学卒業後に商社に入社した。
彼はそこで、帳簿のつけ方や取引の段取り、荷の流れ、人との約束の重さを学んだ。
彼は持ち前の努力によって、迅速に仕事をこなした。
彼は多くの取引を成立させたが、大きな取引を成立させるのはいつも別の誰かだった。
彼が死に物狂いで成立させた大きな仕事を、別の誰かは散歩に出かけたついでかのように成立させた。
日記にはそれらの事実が淡々と記してあった。
人生を通して努力し続けた彼は、僕たちに遺言を残してくれた。タイトルは彼らしく、『努力』である。
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『努力』
「まだ足りない。
俺の努力が足りなかった。
俺は毎日必死に努力した。
周りのやつがのんきに寝ている間も、俺は必死に努力した。
やるべきことをやってきた。おかれた場所で咲こうと必死にやってきた。
周りのやつらとは違う。
努力できない人間とは違う。
必死に努力したんだ。だが、届かなかった。
俺が信じられなかったのは、俺より努力していない人間が俺よりもはるかに高みにいたことだ。
あいつらは凡人が寝ている時間に寝ていたし、俺が必死に努力している間も、平然と過ごしていた。
ああいうやつらのことを天才というんだろう。
天才でない人間ができることは努力しかないんだ。
人並み以上に努力することでしか、凡人は強くなれない。
俺の努力が足りなかった。
もっとやれたはずだ。
結局俺は自分に甘えてしまった」
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彼は寝る暇を惜しんで仕事をした。
いつもストイックに自分を追い込んだ。
自分にも周りにも厳しい人だった。
彼は起こる問題のほぼすべてを努力によって解決しようとした。
実際、大抵のことは努力で解決できた。
彼は逸材だった。
彼は逸材として生まれ、秀才として死んだ。天才にはなれなかった。
少なくとも自分のことを天才だとは思っていなかった。
彼は自分のことを凡人だと思っていたけれど、凡人からすると彼は天才で、天才からすると凡人だった。
彼は、自分が一段ずつ必死に階段を上っているときに、エスカレーターに乗れるような人間のことを天才といったのだと思う。
必死に階段を駆け上がってもエスカレーターを駆け上がる人間には勝てない。
短期的には勝てても階段が長ければ長いほど、差は縮まり、やがて追い越される。
階段を上り続ければその分、足は重くなる。
関係ないのだけれど、彼が最初に喋った言葉は、パパでもママでもなく、努力だったのではないかと思う。
それも、どりょく、どおく、など赤ちゃん訛りはなかったはずだ。
どりょくの文字から連想されるひらがなのような丸みも持ち合わせていない、紛れもなく努力を連想させる音だったはずだ。
丸みも訛りもなく、角張った強い音だったに違いない。
僕は努力で解決したことなど、人生で一個もない。
もしかすると、解決した問題が何一つないかもしれない。
大抵、問題から目を逸らすか、別の問題にすり替えることでどうにかこうにか今まで生きてきた。
そんな僕は、努力という言葉を聞くとアレルギー反応を起こしてしまう。
努力するのも難しいが、今となってはその単語を聞くだけで具合が悪くなる。少し言い過ぎたかもしれない。
いずれにせよ、僕は努力などできない。
僕には階段を上り続ける脚力もなければ、エスカレーターを使える資格もない。
もちろんエレベーターなんて持ってのほかだ。
彼は才能のない人間には努力しかないといった。
僕には階段を上る才能はない。
一生懸命、階段を上ったところで何ができるというのだろう。
そもそも、階段を上った先には何があるのだろうか?
ちゃんと出口はあるのだろうか?
出口があったとして、そこは僕が向かいたい場所なのだろうか。
だけど、階段の下で立ち止まっているわけにもいかない。
僕にはわからない、努力すればすべてがわかるのだろうか。
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『資格を持たぬもの』
「目の前にはとてつもない広さの階段が続いている。
階段はまるでコース分けのように、透明なガラス板で仕切られている。
はるか遠くの壁際にはエスカレーターのようなものが見える。
あまりの長さにどこまで続いているのかわからない。
男が一人、その階段の前に立っている。
男が立っているコースでは、大勢の人々が次々に階段を上っていく。
男はエスカレーターに乗るか、もう少し人が少ない場所から上りはじめようと、階段の前で立ちすくんでいた。
そのとき、後ろから誰かに背中を押された。
男は転がるようにして一歩目を踏み出し、押された勢いで二段目、三段目へと足を進める。
振り向くと、無数の人たちが階段に向かって歩いていた。
男はその流れに飲まれ、階段を上り始める。
一歩、また一歩と着実に階段を上っていく。
何人かを追い越し、何人かに追い越される。
隣のレーンでは、ものすごい速さで駆け上がっていく人が見える。
少し遠くにはエスカレーターがあり、数人の人がそこに乗るのが見えた。
男もそちらへ移動しようとしたが、人の波に押し返されてしまう。
あきらめて、再び歩き始める。
しばらく階段を上り続けたあと、少し先の方で人だまりが裂けている場所が見えた。
まるで砂漠のオアシスのようなその場所をめがけて、男は早足になる。
あそこでいったん休憩しようと心に決め、それだけを頼りに疲れた体に鞭を打つ。
そして人だまりが裂けている空間まで上り、その場所の事実を知る。
そこには人が横たわっていた。
顔は青白く変色して、目はうつろに開かれている。
口を少し開けては閉じ、何かをつぶやいているようにも見える。
男は恐怖におののき、立ちすくむ。
その間にも人々は次々に前へ進んでいく。
後ろから押され、前に倒れ込みそうになる。
とっさに片足を前に出して踏みとどまろうとしたが、踏み出した足は倒れている人を踏みつけていた。
男はバランスを崩し、前に倒れ込んだ。四つん這いの状態から膝を立て、後ろを振り返る。
その人と目が合う。
首は力を失い、あおむけになった状態で頭だけがこちらに向けられている。何の生気も感じられない虚ろな目が、こちらを見ている。
男は恐ろしくなり、一刻も早くその場から立ち去ろうと、一心不乱に階段を上り続ける。
先ほどの出来事が脳内で何度もフラッシュバックする。
頭から降り払おうとしても、あの青白い顔と虚ろな目がどんどん鮮明になっていく。
階段に躓き、転びそうになり、意識の世界から現実に戻ってくる。
一瞬でも先ほどの出来事を忘れられたことに満足する間もなく、無意識のうちに階段を上ろうとする。
しかし、足が動かない。
疲れ切ったという感じではなかった。
ただ、目の前に見えない壁があり、そこが行き止まりであるかのようだった。
何度足を上げようとしても、一歩を踏み出せない。
どこか違う方向へ行こうとしても、人の波に押し返され、戻ることも進むこともできなくなる。
男はやがて立っていることもままならなくなり、その場に座り込む。
あの青白い顔が脳裏に浮かぶ。
膝を抱え、その場にうずくまる。
堅い地面の感触が臀部に伝わる。
その中で、男は思った。
俺は何のためにここまで来たんだ?
その答えが出ないまま、意識はだんだんと薄れていった」




