#09 恵まれたる者には義務の履行を
†
あれから三週間が経っても、館の中はまだまだ慌ただしさが抜けない。中央の自宅の使用人に連絡を入れ、貸家から運んできたイズラハ達の私物と家具の類が大慌てで運び込まれている。慣れない邸宅の中で右往左往する使用人が涙目になりながら走り回っているのを後目に、イズラハとミラは窓際から中庭を見つめる。
「ミラ。リクドウのおじ様からは返事は?」
「未だ何も。留守の可能性もありますので、別に長兄にも手紙を出してはいるのですが、そちらからもまだ何も」
「そうか、郵便にも影響出ているわけね。しまった、やっぱり会社やめるんじゃなかった……伝書鳩を自由に使えてたから麻痺してたわ……」
中央都市フェリクスでは、再発明された”電話”が普及して久しいが、都市間の連絡では魔術的に強化された伝書鳩や、馬車による郵便が主流だ。伝書鳩は高価で、個人が自由に使えるようなものではない。思わぬ形で連盟監察官という立場の恩恵の重みを思い知らされていた。
「ただ、連盟の監察局からは速達緊急の大鷲便でお手紙が来ております。政庁の方が非常にお困りのようでしたが」
「あー」
イズラハはばつの悪そうに頭に手をやる。
「そうね。そっちもそろそろまずいか……ちなみに、あの子の様子はどう?」
二人の視線の先で、ミラに命じられたメニューをこなして少年は崩れ落ちた。
「文字通り、真綿に水を垂らすが如く、です。よほど教育や訓練に飢えていたのでしょう。一を教えて十、とまではいきませんが、五か六は確実に覚えます」
「少し背も伸びた気がするけど」
「はい。早いもので、肉もつき始めています」
庭で死んだように倒れ込む少年の姿を見下ろす。師匠の目が無い中でも、訓練に手を抜く様子は一切ない。根が真面目なのだろう。イズラハにとっては喜ばしいことだ。
「筋肉痛以外にも成長痛と思しき症状が見られましたので、痛み止めといくつかの薬を渡しました。テーピングも教えています」
「さすが、経験者は違うね。でも、あんまり鬼教師やっていると嫌われちゃうかもよ?」
「私の時に比べればまだまだ。毎日泣いていましたから。母と父は私のことを嫌いなのだと思っていました」
警備隊、スコッパー、都市軍、傭兵、あらゆる所にブロムダール家が育てた戦士たちが散らばっている。それらから熱い尊崇を受ける本家の娘に与えられた教育は大変厳しいものだったとイズラハも聞いている。
「ふーん。結構踏み込んだ話もしたらしいじゃない? あなたも気に入っているもんだと思ってたけど」
「まさか。教え子に対してきちんと向き合っているまでです」
「ふーん?」
いつも通り澄ました顔の友の姿に、イズラハは冷ややかな目を向けた。女の勘だが、言葉の割にはずいぶん熱心な気がする。ミラは素知らぬ顔を装ったまま、そっと目線を逸らした。
「まあいいわ。早熟は晩成せず、とも言うけど、あの子がどちらに傾くか、見ものね。賭けでもする?」
「ご冗談を。まだまだ未熟な雛鳥です。測る段階にありません――ただ、このまま私以外に教師役がいないのは問題かと」
「そうね。だからおじさまに誰か門下生の派遣をお願いしたかったのだけれど――」
ミラを師として懐いているところではあるが、いつまでも教育係として張りつけて置くことは出来ない。イズラハの名代としても、補佐官としても、やるべき仕事は多い。
そう、と一息ついて、イズラハは顎に指を当てる。
「少し早いけど、もう何日かしたら、潜ってもらおっか」
「よろしいのですか? 基礎の体力訓練を中心にとのことでしたので、棒振りを少しさせた程度です。武器の相性も見ていません。まだ戦いに出れるレベルでは……」
思いがけぬ主の言葉にミラは驚く。
「あなたなら連れて行けるでしょう? ここは幸いにも医官の腕はまともだし、都市中心洞窟の上層なら魔物の質も低い。小間使いとしてダンジョン自体は慣れている訳だし、実地で学んでいくことも必要よ。私たちだってそうやって来たでしょ」
「それはそうかもしれませんが……」
イズラハの家出に付き合わされ、身分を隠して共にダンジョンに潜った身だ。めきめきと実力をつけ、小娘と侮るスコッパー達をぶちのめし、あまりにもやりすぎた結果、名が売れすぎてしまい、家に連れ戻された過去もある。ミラとて、実地の重要性は身に染みていた。
だが、それにしても早い。せめてもう何週間か訓練を、と思っていたが、主にその気は無いようだった。
「何度か連れて行って、問題なさそうなら一人で潜らせて慣れさせましょう。私の補佐は一旦大丈夫。一度、中央に顔を出してくる。変なの送られてきても困るし」
癖の強い同僚達と陰険な上司の顔を思い出し、イズラハは顔を顰める。わざわざコストのかかる大鷲便での召還命令だ。次は人をやるぞという遠回しな脅しに近い。
「ユーリ少年が一人で潜れるようになったら、あなたもアルゲンに直接行ってくれる? アルゲン線も復旧したって話だから、列車が使えるし。話も早いでしょう?」
「少し心配ですが……」
「運が強い子だし、大丈夫。それに――」
イズラハは強い意思を込めて、傍らのミラの目を見据えた。
「私と契約したからには、楽な道はない。恵まれたるものには義務の履行を。それが対価なのだから」
「……御心のままに」
とぼけた風を装っていても、この主人の本質は炎の権化なのだ。魂の中には烈火が踊り、周囲に安楽を許さない。
カリギリーの家を追われながらも、カリギリーの姓までも取り上げられることはなかった。それは、この齢二十そこそこの末娘が、古き契約の血を強く引く者であると認めている証左だ。
ミラは主に頭を垂れた。
†
次の日。
数日前から、毎朝恒例の走り込みはユーリ一人の自主練となっていた。日々走れるようになっていく上達を感じながら、息を切らせて中庭に戻ると、そこには師の姿があった。
「今日の訓練から、木剣を使って私と打ち合ってもらいます」
そう言ってユーリに手渡されたのは、両刃の細身剣を模した木剣である。重みはあるが、普段振らされている鉄棒と比べればどうということもない。
一方、ミラは刀と呼ばれる片刃の剣を模したものを持ち、互いに正対した。
「本来はまだ先の予定だったのですが、事情が変わりました。武器の適正はひとまず置いておいて、まずは剣の扱いを覚えてもらいます。故郷で多少学んだことがあるのでしたね?」
「はい、村の狩人に少しだけ教えてもらいました」
農民といえど、このご時世、武装していなければ身を守ることは出来ない。魔獣はダンジョンだけでなく、山や森にも潜んでいる。農作業の際中や、食料を求めて降りてくるのを撃退するため、大人も子供も関係なく、多少の武器の扱いは教えられるのが常だった。
「よろしい。では、どこからでもかかってきなさい」
「はい!」
威勢よく返事はしたものの、何しろ三年近くも剣での立ち合いなどやったことがない。いささか悩みながら、上段に振りかぶった剣を振り降ろす。
「遅い」
「っ!?」
受けたと思った瞬間、魔法のような手さばきで木剣を巻き取られる。その勢いにつられて毬のように地面に転がされてしまった。
「もう一度」
「は、はい――やあっ!」
「下手」
気合を込めて打ちかかっても、あっさりと剣を払われ、再び地面に転がされる。
何度繰り返しても、どのように剣を振っても、子供のようにあしらわれ、打たれ、転がされる。一方で、ミラは最初に立った場所からほとんど動いていない。
ミラは肩で息をするユーリの鼻先に切っ先を付きつけた。
「あなたは、身体を筋力で動かそうとしている。だから疲労も早いし、動作の起こりも見えやすい。最も重要なのは、重心の位置です。自分が行きたい側と反対側に身体の重心が残っているのでは、常に動き出しが一歩遅れる。近接戦では致命的な遅さです」
「はい...!」
「いいでしょう。もう一度」
飲み込みは早い。学んだことをすぐ実践で確かめようとする意欲もある。だが、それらの資質が評価されるのは、当然ながら訓練という限られた場だけのこと。ミラには目の前にいる少年に、戦闘という行為自体の危険性を理解させる必要があった。
「せい!」
「遅い」
軽く弾かれた剣。弾いて、薙いだ木刀が燕のように鋭くもう一度自分に打ちかかろうとすると見て、これを防ごうと、ユーリは高めに防御の構えをとるが――。
「阿呆」
「フェイント...!?」
電光石火の勢いで軌道を変えた木刀が、ユーリの大腿を軽く撫でるように打つ。手加減されたのであろう打擲でも骨に響くような痛みに飛び上がり、ユーリはその場でうずくまった。
「油断している。弛んでいる。魔物が小細工を弄さないとでも?」
「わ、技とか、ひっかけとか、使うんですか、魔物でも?」
「無論。彼らはあの強靭な肉体を持ちながら、私達のような二本づつの手足を持つものとは全く異なる術理の技を使うし、ひっかけもしてくる」
打ち据えられた足を抱えながら、ユーリはぜえぜえと肩で息をする。ミラはその鼻先に木刀を突きつけながら、冷徹に弟子の顔を見下ろす。
「覚えておきなさい。あなたが故郷で相手していたのは、ちょっとばかり荒々しいだけの獣だ。最も厄介な魔物は、人に近い。人に近い魔物は、必ずダンジョンから生まれる。人に近い魔物に対して油断など許されない。生き残りたいなら、即時即殺こそが最適解。決して気を緩めないことです」
そこまで言い切って、ミラは立ち上がった。
ダンジョンというのはそもそもが異世界にあったもの。そこに住んでいた知性あるもの達が、人に仇なす呪いに囚われて攻撃してきている、というのが神々からの教えだと伝えられている。故に厄介な魔物というのは、人と同程度の知恵持つものである。
「敵は目の前にいて、打ち倒さなければ生き残れない」
片手に木剣を持ちながら、彼女は悠々と片手で誘いかける。痛む体を引きずりながら、ユーリは再び向かい合った。
「死ぬ気でかかってきなさい。死にたくないのであれば」
ミラの氷を削った彫像のような眼差しの奥に、ユーリは情と呼ぶべきものを感じた。錯覚かもしれないが、死なせたくない、と言われたようにすら思えた。痛みはあれど、そんな師匠に教わることがうれしくて、ユーリは再び剣を構えた。
「はい、お願いします、師匠!」
その日、ユーリは数えきれないほど打ちのめされ、地面に転がされ、気を失ったところで訓練は終了となった。
†
数日が経ち、ユーリは走り込み以外の訓練メニューも、自主練をして過ごす時間が増えていった。
師からの教えを受けられる時間が減ることに、聊かの寂しさを感じる。だが、ミラとてユーリにばかり構ってはいられないのだろう。イズラハに伴って外出をする姿を見送る機会の方が増えていた。
「百二十六、百二十七、百二十八……!」
素振りをする度に、振り上げた鉄棒の重さに背中からつんのめりそうになる。前に勢いをつけて振り降ろす際には、手からすっぽ抜けそうになる。精一杯、身体を無駄にぶれさせないよう、腹に力を込めて振り続ける。
「精が出るな、坊」
「親方、おはようございます」
「親方はよせ。もう息子に譲ったんだ。ドランでいい」
声をかけてきたのは、建築ギルドの元親方のドランだった。屋敷の修繕全般を請け負った男は、家がすぐ近所ということもあり、夫婦共々通いで何くれとなく家のことを手伝ってくれている。外出が多く、館の中で顔を合わせることの少ない主人よりも、ユーリにとっては身近な存在だった。
「また棒振りか」
「はい。師匠からの宿題ですから」
「手ぇ見せてみろ……おお、だいぶ皮が厚くなってるな」
「最初は皮が剥けて泣きそうなくらい痛かったんですけど、師匠がくれた薬草入りの軟膏のおかげで助かりました」
「全身包帯だらけのミイラ男になってるから大丈夫かと思ったがよ。その軟膏と、若いからか? 治りも早そうだな」
ユーリは頷く。皮が割けて酷い状態になった傷も、翌日には薄皮どころか、ちゃんと固い皮が再生しているのには驚いた。他にも師は様々な飲み薬を与えてくれるが、何が入った代物なのかは、恐ろしくて聞けていない。
「スコッパーになるんだろ? 人間、身体が丈夫ならなんでも出来る。良いことだ」
老いたとはいえど丸太も抱えられる隆々とした筋肉を見せつけられて、ユーリは笑う。どこか厭世的な雰囲気が漂っていたデーン爺とは異なるものの、世話焼きなところはよく似ている。よそ者には厳しいが、情に厚い。典型的な北部人だった。
「来たばっかりの時よりマシになったようだが、細っこいからなぁ、坊主は。男はやっぱり、ガチっとした身体で、どんとしてるのが良い。戦士は食わねど高鼾ってな」
「高鼾って何ですか?」
「ありゃ、高鼾で合ってるんだっけか...じい様がよく言ってた口癖なんだが...まあ、そりゃあれよ、強い戦士はどこでも寝れるってやつよ」
「はあ、そんなもんですか」
「そうよ。どーんとしてる男は安く見られんから、周りのほうがあいつは大したもんだと認めてくれるようになるってことよ」
「どーん...」
ユーリはしげしげと己の身体を見下ろす。細い。どーんのかけらも無い。今までと比べれば太くなってきた気もするが、かりんちょりんである。背も低い。雑人たちの中でもよくチビとからかわれたものだ。
そんなユーリの様子を見て、ドランはかっかと笑った。
「いずれ体はデカくなる。あまり気にせんこっちゃ。ちょびっと背も伸びてきたようだしな」
確かに、人との目線の高さが近づいてきているように感じてはいる。大きくなれと口に食べ物をぱんぱんに詰め込まれるのは、少しばかり拷問か?と思わないではないが、飢えと寒さに震えて生きる必要は無くなった。安下宿の冬の隙間風をいかにしてやり過ごすかを考えていたのが遠い昔のようだった。師から教わった成長痛という身体の節々の痛みは困りものだったが、痛みの分だけ身体が育つのだと思えば、耐えることが出来た。
「ドランさんはこれからちっちゃくなる一方ですもんね」
ごちんと脳天に拳が落ち、ユーリは痛みでしゃがみこんだ。
「いってぇ……!」
「バカいえ、まだ齢六十よ。腰が曲がりきるには早いわ」
どうにも老人の前では口が緩んでしまう癖があり、ユーリはこうしていつも頭にげんこつを食らう。
「まあ、背も伸びきってねえ、毛も生えきってねえガキをスコッパーとして育てようなんて、阿漕な真似をさせるとは思うがな。お貴族様ってのはそういう遊びもなさるもんだ」
「オレにとっては遊びじゃありません。本気ですから」
ユーリは頭をさすりながら、ドランを睨みつける。遊びなどと言われてはたまったものではない。もう己の無力に悩むのは嫌だ。
「そうかい……っと、そうだった。頼まれてた犬小屋だがよ、うちの工場から持ってきたぜ」
「ほんとですか! ほんと、すいません、あいつのせいで余計な手間を……」
さすがに貴族の館で犬を飼う以上、便はその辺でしてそのまんま、という訳にもいかない。寝る時はいつの間にかユーリの懐に入り込んでいるから、寝床は常に毛だらけだった。どうにか出来まいか、と主人達に相談したところ、ドランがあっさりと請け負ってくれたのだった。
「なに、元々他のお貴族様向けに作って、いきなり注文が無くなってな。支払いも渋るもんで処分に困ってたのよ。ウチの庭にずっと置いとくわけにもいかんしな。裏手の方だ、ついてきな」
ドランに案内され、木立に囲まれて周囲から隠されている館の裏手のほうに回る。
そこには小屋があった。犬小屋ではない。ほぼ小屋だった。
「デカすぎでは……?」
「元々、虎みたいなでかい犬だったらしくてな? 本当にいいのか、ちょうどさっきカリギリー様が通りがかったんでな、聞いてみたんだがよ。”いいんじゃない?”ってあっさり言われたもんでなぁ……」
「イズラハ様はおおざっぱだなぁ……」
中を除くと、真新しい木の匂いのするがらんとした板張りの空間に、ちょこんと置かれた犬用のおまると水瓶、餌皿、小山のように盛られた敷き藁が隅っこにちゃんと置かれている。
「お前、ここでいいのかほんとに?」
「わふん」
白い子犬は自分用のスペースだとわかっているのか、早速敷き藁の上に転がり、己の領土であると主張するかのように鳴いた。
「まあ、金はもらっちゃいるし、犬っこが気に入ったんなら、いいんじゃねえか? 物置にもなるだろ。ただ、躾はちゃんとしろよ?」
「はい、そこはもちろん」
「わふーん」
気の抜けるあほっぽい顔だが、飼い主に似てか――とユーリは信じたかったが――物覚えは悪くない。屋敷内でうんちとおしっこを禁じたら、ちゃんと守ったところを見るに、躾は大丈夫だと信じることは出来た。
そこに、外から大きな声がかかった。
「あんた! ユーリの坊ちゃん! なに犬と遊んで油うってんだい! 昼飯だよ!」
「でっけえ声出さなくても聞こえてるよ! さっさと行くぞ、坊」
「はい」
小屋の外から響いた声は、ドランの妻であるモランのものだった。広い邸宅に関わらず、一人しか使用人がいないのを見かねて、食事の準備をしてくれていたのだった。彼ら夫婦の手伝いが無ければ、今頃ゆでたイモだらけになっていただろう。おせっかいな隣人に恵まれたのは幸いだった。
「良かったな、お前にも家が出来て」
「わふん」
白い子犬はユーリに向かって一声だけ吠えた。
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