#08 私が望むのは、ただ北部の安寧のみ
†
じんわりと嫌な汗が背中を伝うのを、イズラハは感じていた。
スコッパーズギルドのアージェント支部長室。衰えたりといえど、歴史の古いダンジョン内包型都市であるアージェントのかつての権勢を誇るように、数々の遺物が展示されている。それ自体も訪問者を圧倒する風情はある。
「先日のご協力に改めて感謝申し上げたい、イズラハ殿」
「お顔をお上げください、支部長。私もスコッパーとしてギルドに学ばせていただいた身です。かつての同胞達と北部の人々の為、当然の役目を果たしたまでです」
ギルド支部長のユルマン・ヘルストレームは、四十代とは思えぬほど白髪混じりの頭を下げた。この数日間、激務に追われていたのだろう。目の下の隈はひどく、まるで幽鬼のような風体だった。
こちらは少々不気味なだけで、圧と呼べるものは感じない。
問題は――。
「私の功など些細なもの。何よりも、ムラクモ殿が西から戻って来られて良かった。あの数のオークを、この短期間で押し込めてダンジョンを攻略しきったのは、"北部の守り人"たるムラクモ殿のお力あってのことですから」
「……」
冷房が効いているのではないかと思うほどの威圧感を放つのは、部屋の主が頭を下げる横で静かに立っている男の存在だった。
話の水を向けても、ぴくりとも動じない。それまで丁寧に外向きの顔を見せていたイズラハも、流石に頬が引きつる。
ムラクモ。性は不明。
”北の守り人”と名高い、疑いようもない北部スコッパーズギルドの最高戦力。
北部にたった二人しかいない金葉樹のスコッパーとして活動する男の功績は、語るまでもないとまで言われる。轟き渡る武名の一方で無口という風評を耳にしてはいたものの、ここまで超然とした人となりだとは想像だにしなかった。
「西部から馬を潰して一騎駆けで駆けつけ、瞬く間にオークの大群を相手取って大立ち回りとは、さすが、ギルドの誇る”金葉樹”。誉れ高いお方ですね」
「……」
(これは……だめだ。話通じない)
イズラハは内心で呟く。ミラを連れてくるべきだった。腕の立つ彼女がいれば、ここまで一方的に気圧されることはなかった筈だった。己で言いつけておきながら、師匠として彼女を独占する少年を少しだけ恨んだ。
男は、直立不動のまま、瞑目したまま表情筋をぴくりとも動かさない。背中には鉄塊と見まがうかのような大剣を下げ、組んだ腕は丸太のように太い。存在そのものが立つ巌のようだった。
「この度は不幸にも多くの犠牲者が出てしまいましたが、ムラクモ殿のような戦士がいれば、アージェント支部はきっとかつての勢いを取り戻されるでしょう。人々の暮らし向きもきっと良くなると、私は確信しております」
「人々の安寧を憂う姿、さすがは”火守のカリギリー”のご一族ですな」
「いえ……あくまで私個人として、北部の苦しみを分かち合えればと思っている次第です」
勘当されている、という話はわざと公言している為、支部長も把握している筈だが、家の都合で介入したと思われては敵わない。個人の行いである、と強調して語るイズラハだったが、その目を伺うようにして、ユルマンは言葉を紡いだ。
「なるほど……しかし、聊か腑に落ちない点もある」
「……何がでしょう?」
わざわざ呼びつけられて感謝の言葉を告げてはい終わり、とはいかないと思っていたが、ようやく本題に映るようだった。イズラハは自然と身構える。
「定期監査の時期でも無く、何故そもそもこのアージェントに向かわれていたので?」
「社命で、政庁府にお届けする特殊荷物の護衛任務でした」
「監察官は多忙な身と伺っております。大陸中に散らばり、多くの任務をこなしておられると」
「稀にあることではあります。ただ、その内容については無論、社の機密事項でありますし、私自身、上司からは何も説明を受けておりませんでした。更に申し上げれば、その多忙であることにいささかならずくたびれまして、先日退職を願い出たところです」
こればかりは、嘘偽りのない事実だ。
監察局は鉄道運行や不動産、工業・農業・流通・装備開発といった各部門とは直接関わらない独立した組織である。しかし、その機動性と独立性の代償として押し付けられたのが、”政治的荷物または人物”の護衛業務である。本部長か、社長か、はたまた更にその上か――いずれかの指示による”特荷”の配送を押し付けられる。頻度は多くないが、当たったものは己の運を恨むしかないと同輩たちは噂をしていた。
今回の件についていえば、上司でさえ、この”特荷”の中身を知らされていたのかすら疑わしかった。大いに疑わしい、疑わしいが――監察官といえど”特荷”の中身を許可なく開けたとあらば、己と親しい者達の命をチップに火遊びをすることになりかねない。
「ほう! なんと、監察官の職を辞されるとは!」
「ええ、いざ訪れてみると、レーナ川の水と空気が肌に合うようです。ぜひこの街に居を構えたいと。それで別宅を購入し、しばらく旧時代の遺物の貿易商など始めようかと。何かとスコッパーズギルドにはお世話になることも多くなるでしょう。今後とも支部長とは昵懇にお付き合いさせていただければと思っております」
大仰に驚いてみせる中年男に対し、イズラハは殊更にお愛想を振りまいた。
この程度の情報、とっくに掴んでいるだろうに、狸め。いや、痩身痩躯の風情からすれば狐の類か。内心で吐き捨てる。
「……なるほど、そうでしたか。ふむ」
男は口をつぐみ、じっと何事かを考え出す。何かに踏ん切りがついたのか、支部長は謹厳に閉じていた足を肩幅ほどに広げ、半身を乗り出すように尋ねた。
「イズラハ殿。あなたは変わり者と聞く。私の話もご理解いただけるものと期待して、少しばかり、率直に腹を割ってお話したい」
白目が目立つ眼をぎょろりと光らせ、支部長は語りだした。
「この街を取り巻く環境は、年々悪くなる一方です。魔鉱石の産出量は減り、しかし魔物の数は減らず。先日のダンジョンアドベントでは多くのスコッパーが死んだ。余裕は無いという現場の意見を無視し、このムラクモを含めた多くの精鋭達を、都市からの強い要請で西部に送った為です。彼らが西に行かず、最初から突入していれば、これほど死者は増えなかった」
「……」
それは事が起こった当初から、イズラハも感じていた疑問であり、アージェントで接してきた人々全てが語ることだった。政庁に対する不満は強い。執政官の奥方の故郷である西部が揉めているからといって貴重な精鋭を送り込み、肝心のお膝元を疎かにしたのは、明らかなアージェント都市政庁の失策だった。
「今に始まったことではありません。近年、アージェント都市の管理区域では魔獣被害が多く、都市連合会議でも名指しで糾弾される始末……この際、はっきり申し上げましょう。ギネア執政官は老い、既に政への興味を失っておられる。それに阿る連盟支局の怠慢も酷いものです。自分たちを職業人ではなく政治家か何かだとでも思っているようだ」
先日、執政官に着荷の報告の為の謁見を願い出た際に、けんもほろろに断られたぞんざいな扱いを思い出す。監察官という存在を疎んでのことかと思っていたが、支部長の話しぶりからようやく合点がいった。
「私としては、監察官として貴殿が支局に大ナタをふるってくださるのを期待していたのですが」
「監察官とはいえ、支部の行い全てに口と手を突っ込むことは許されておりません。よく勘違いをされますが、あの職責は、警察や憲兵とは異なるものです。そもそもが監査の任を追った状態でなければ動けません」
何の命令も無しに、社内で堂々と警察のように聞き込みや尋問などしていては、逆に処罰されてしまう。あくまで監査の命を受けた状態で、内部告発や、明確な証拠があった場合に処罰を加える防性の組織といっていい。場合によっては本部長クラスを処断する権限さえ与えられているとはいえ、それは有事に限定してのことだ。ここまで支部長が強く断言するということは、少なからぬ証拠はあると思えたが、イズラハは既にその職を辞した身であり、何も出来ることは無い。
あからさまに政庁と連盟支局を敵視する支部長に、イズラハも少し踏む込んで応じた。
「支部長は、私に何を期待しておいでなのでしょう? カリギリーの娘としての振る舞いであれば、勘当されている私にそんな権限はありません。監察官の職も辞したばかりですし、守秘義務を破るつもりも毛頭ございません」
「私が望むのは、ただ北部の安寧のみ。人と街を守るつもりのない政府と、それに協力する阿諛追従の輩に肥え太られては困ると思っているだけのことです」
「それは……」
危うい。
ずいぶんと急進的で、クーデターを企図しているとも取られかねない言葉だった。
思ったよりも血が熱い男のようだ、とイズラハは目の前の人物評を見直す。ダンジョンは都市が管理し、ギルドに委託する。そういった関係の中で”実際的”な人物が多いのがギルド長という職種である中で、珍しいといえる清廉さを持った男だった。
自然と力が入っていた掌を開き、イズラハは目の前の男を見据えた。
「私は、アージェントという街に縁を感じて移住してきたばかりの、何の力もないただのよそ者です。支部長が期待されておられるような、政治的な力はございません」
支部長の顔が曇り、目が僅かに細められる。
政治的暗闘には手を貸さない。これだけは明言しておく必要があった。支部長の怒りは北部の民衆を代表した正当な怒りだろうとは思えたが、幾ら何でも初対面の女に明け透けに本音を話しすぎている。
それだけ事態は深刻ということだろうが、拙速に過ぎる。政治の世界で長生き出来るタイプではない。彼の求めにそのまま応じるという事は、出来たばかりの家と社員を失いかねない、危険な賭けだった。
「ただ、支部長の熱い志は、よくわかりました。北部は鷲が少ないと聞き及びます。大鷲族の友もこの街に住まわせていただきますから、航空偵察の必要などあれば、ご協力できることもあるでしょう」
あくまで個人として、ギルドに対しての協力は可能である、と伝えておく。イズラハの本音としても、苦境にあるギルドに何らかの手助けはしたいという気持ちはある。政治に巻き込まれない範疇であれば、協力を惜しむつもりはなかった。
苦虫をかみ潰すように顔をしかめた後、支部長は口を開いた。
「今はそれでも結構。航空偵察のお申し出も、是非にお願いしたい。しかし、忘れないでいただきたい。私は北部を東部の二の舞にするつもりはありません。北部人は忍耐強いが、座して死を待つ訳ではないのです」
「無論、連盟とてそうです。北部を見捨てはしません……元社員の身ですが、そう信じております」
「その言葉が、ぜひ全ての社員の方々の総意であることを望みます」
皮肉げに放たれた言葉に、イズラハは返す言葉を持たなかった。
前のめりになっていた身体を戻すと、先ほどまでの話はなかったかのような態度で、支部長は話を締めくくる。
「またいずれお目にかかる機会もあるでしょう。イズラハ殿、どうかご壮健で」
「ありがとうございます。支部長こそ、あまり休まれていないご様子。どうかまず御身の身体をお労りください」
「……お心遣い、感謝申し上げる」
「……」
この街での生活は、少しばかり刺激的なものになるかもしれない。そんな予感を感じていた。
最後まで何も語ろうとしない武人の重圧を感じながら、イズラハは支部長室を辞した。
†
職員に案内され、客人は去っていく。
坐る男は、己の傍らに控えさせた武人に尋ねた。
「どう見る?」
「無害であろう。嘘はない。こちらの事情に巻き込んでくれるなということだ。あの知恵者の指し金でもなければ、母親の飼い犬でもない」
「そうか。世評の通り、姉とは違うのならば、それでいい」
小さく息をつく男を、武人は窘めた。
「だが、油断なさらぬことだ。アレは、”火”の気配が特別強い。本人の意思に関わらず、厄介事は寄ってくる」
「止められるか?」
「”現身”でなければ問題なく。リクドウの娘がいても同じこと。だが――」
「用心に越したことはない、か」
男は立ち上がり、窓際に歩み寄った。
都市を見下ろす視線の先には、駅舎がある。警戒解除に伴って北部本線の運行が再開し、ちょうど到着した列車から、乗客が降車していく。
「まもなく二次遠征だ。世話をかけるが、頼む」
「承知した」
疲労に霞む目を揉みつつ、男は気を張った。
男はまだ倒れるわけにはいかなかった。
気に食わない生意気な若手も、家族を魔物に喰われてから厭世的に斧を振るっていた先達も、皆、穴倉に飲まれた。精鋭ではなかったかもしれない。士気も高くなかったかもしれない。
だが、あたら失われてよい命ではなかった。
少なくとも意味を与えてやりたかった。
それだけが、男が死んでいった人々の墓前に添えられる、唯一の花だと信じていた。
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