#07 だまらっしゃい
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ついてきて、というイズラハに付き従い、医療棟を後にする。あれよあれよという間に馬車に放り込まれ、座席に座らされた。人生で始めて乗る貴族向けの馬車にユーリが緊張しきっている様を、二人の主従はおかしそうに見遣りながら、馬車は進んでいく。
「ところでそのワンちゃん、なんでユーリ少年に懐いてるの?」
ちょこん、とユーリの膝の上に坐ってくりくりと辺りを見渡す子犬を見ながら、イズラハは尋ねた。
「いや、それがオレにもさっぱり……気づいたら病室にいて。最初は病院か、他の患者の犬なんじゃないかと思ったんですけど、医官の人たちも誰も知らないそうです」
「へえ、じゃあ入院してから出会ったんだ。にしては、ずいぶん懐いてるよね」
イズラハが身を乗り出し、頭を撫でようと手を伸ばすと、さっと逃げるようにユーリの元から飛び降り、対面に坐るミラの膝に移動した。
「わふん」
「おっと」
「ご、ごめんなさい、おまえ、何してんだよ」
ミラは戸惑いながらも、抱えながら背を撫でると、子犬は嬉しそうに身を委ねた。その様子を見つめ、ミラの口元が僅かに緩む。
「どうやら私も懐かれてしまったようです」
「ええ、なんで私だけダメなのー!?」
「イズラハ様の横暴さを感じ取っているのでは。実に賢い子です」
「ひどい! 差別!」
わふん、と満足そうにミラの手に撫でられる犬のふやけた表情からは、微塵も賢さを感じられなかった。どうやらミラの膝の上が気に入ったようだった。スカートとタイツの上をころころと転がるように身をよじる。
「これでも冷え性なんだよ、私。これから寒くなる時期でしょう。わんちゃん抱っこして温まろうと思ったのに」
「火の神の加護を起動すればよろしいのでは?」
「そんなことに使えるわけないでしょ。ところでユーリ少年、この子の名前は?」
「いや、まさかこんな付いてくるとは思ってなくて」
目の前にいる主従が、ユーリから離れない姿を見て、「じゃ、連れてくれば?」「番犬にしましょう」とあっさり受け入れてくれなければ、飼うだなどとまるで想像もしていなかったのだ。名前などユーリの頭の片隅にも無かった。
「そっか、じゃあ名前を決めなきゃね! テディ? アルフィー?」
「安直すぎます。飼い主の品位と教養が問われるでしょう」
「んん、なんかミラ、最近私に厳しくない?」
「ご自身のなさりようを思い返していただければ」
「もう、まだ勝手に決めたこと怒ってるの? ちゃんと相談したじゃない――あ、見えてきたよ」
様々なクランや商会が軒を連ねる商業区を通り抜けていく。多くの人が行きかう緩やかな坂を上り、街区の外れ、最外層に近い開けた土地だ。 イズラハが指さしたのは、二階建ての赤レンガ造りの館に、特徴的な三角屋根の家。貴族の邸宅であろうと思われる建物だったが、ユーリの目から見ても、骨董品というべき古さが滲み出ている。
「えっと……ここが、イズラハ様のお家ですか?」
「そ。買ったの」
あっさりと告げられ、ユーリは言葉を失う。
古ぼけていて苔むしているとはいえ、都市の城壁内に広い庭つきの邸宅を「買った」の一言で済ませられるものは多くない。庭先の灯台を模した彫像だけでユーリの身売り代金何回分の代物なのか、全く検討もつかなかった。
「元々、中央から避暑で訪れる貴族向けのゲストハウスだったらしいんだけど、色々あって使う人がいなくなって、何年もほったらかしにされてたみたい。ちょうど売りに出されてたから買い取った。近所に住んでた親方に頼んで修繕してもらってるけど、まだまだかかりそうだから」
あちこちに建築ギルドの工員たちが歩き回る中を、堂々と、悠然と歩いていく。工員たちは平伏しそうな勢いで頭を下げる。朝のあまりにも破天荒な挨拶で忘れかけていたが、世界でも屈指の名家に生まれた女主人であることをユーリは思い出す。二階に上がり、奥まった部屋の扉を開け放つと、イズラハは腰に手を当てた。
「ここが執務室」
「おお……」
さすがに貴族の邸宅というだけあって、広い書斎だった。調度品はまだまだ埃を被っており、本の類はまばらであるが、執務卓は館の主に相応しい豪壮な風情だ。
よっこいせ、と椅子に腰を下ろすと、イズラハは顔の前で手のひらを組む。
「社長とかいったけど、実は私そもそもそんなにお金持ってないんだよね。ついこの前まで一社員だったし」
「はあ」
ユーリからすると貴族の邸宅を即金で買い上げられるのは、十分に大金持ちの部類だった。
「ん? 一社員、だった?」
「うん、お手紙送ってね、辞めたんだよ。やめますって」
「ええ? それで辞められるんですか、連盟の監察官って」
「まあ色々言ってくるかもしれないけど、そこは大丈夫。ユーリ君は心配しないでいいよ」
事も無げに言い放つイズラハの姿に、ユーリは呆れる。田舎の農民でも知っている大財閥である。連盟なくして文明なし、輪転の音こそ進歩なり――彼らダーリントン鉄道連盟の自負は、過大ではあっても過少ではない。そんな立場を投げ捨てるとは。勘当された変わり者という世評は、どうやら正しいようだった。
「あそこの中じゃ何も出来ないし、何も初められない。中央はがんじがらめの規制と、私の血が邪魔をする。元々始めるなら地方にしようと思ってたし、準備もしてたのよ。という訳で、私たちはここアージェントを起点に、会社を始めます」
イズラハは立ち上がり、壁にかけられた大きな地図を指さす。年代物の古い地図のようだったが、北部全土が詳しく描かれている。
「名前は、もう決めてあるの。アルカディア北部商会。昔の言葉で、理想郷って意味。世界を変えようなんてバカみたいな夢を掲げてるからね。苦情は受け付けません。社長である私が決めました」
むん、と得意げに胸を張られても、従者であるユーリに拒否権はない。はあ、とただ頷くのみだった。
「む。そのつまんない反応禁止――まあいい、話を戻すわ。会社の話ね。ここを買ったのは事務所にする為。商業区の端っこでちょっと不便だけど、周囲に人が少なくて、ある程度の広さがある。君もそうだけど、住み込みで働く人はもっと増えていく予定だから」
「でも、商会って、何をする商会なんですか?」
その言葉を聞くと、我が意を得たりとイズラハは頷いた。
「よくぞ聞いてくれました――と、その前に整理しなきゃね。
私たちの当面の目的は、三つ。
一つは、”ダンジョン依存をやめる為の道筋を作ること”。その為には、エネルギー、食糧生産、対竜・魔物技術の開発と普及が必要。要は技術分野における革命ね。これは協力者の当てがあって、もうこっちに呼んでるから」
ユーリは目を白黒させた。
何だかとんでもないことを、さらっと語られたような気がする。
あまりにも話の規模が大きすぎて想像もつかない。イズラハはそんなユーリの様子を気にせず話を続ける。
「二つ、これが北部に会社を建てる一番の理由だけど、”北部で起こっている異常の原因調査”。最近の異常は、全て北部から始まっている。地震の頻発、北部森林の大火事、極めつけは変異型ダンジョンの連鎖顕現。ここはいま、明らかに何かがおかしい。君も気づいていると思うけど」
「はい、明らかにここ何年かはおかしいことばっかりだって」
これはユーリにも体感で理解できた。不運と呼ぶにはあまりにも重なりすぎている。
「渦中にいるアージェント都市が弱っちゃっているのも、商業権と市民権を他の街と比べたら二束三文で私みたいな外の人間に売り渡すのも、全部そういうこと。これに対処できなかったら未来どころの話しじゃない」
この邸宅に来るまでの間も、戸の閉まっている店が幾つもあった。今でこそ外からの救援によって人の数は多く見えるが、アージェントはずっと不景気のただ中にいる。都市政庁への不満を漏らす人々も、確実に増えいていた。
「その為には、いま北部で起こっている異常の原因を調べなきゃいけない。中央は西と東がどっちもごたごたしていてから、北部に本腰を入れる余力はない。
私たちが、ここで始める必要がある。商人か、スコッパー、どちらかの身分で北部の都市やダンジョンを回れる都市移動権が必要で、情報を集めることが必要ってわけ――そして、三つめ。これが一番大事」
ただならぬイズラハの気配に、ごくり、と喉がなる。
「お金がない。自宅兼事務所のここを買い取ったりして、私のなけなしの貯金はもうすぽーんと飛んでっちゃったから。私はスポンサー探しと商いの準備、君は訓練をしながら日銭稼ぎに行ってもらいます。働かざるもの食うべからず、よ」
実に生々しい話だった。緊張が抜け、ユーリは尋ねる。
「商いというのは、何かを仕入れて売る、ってことですか?」
「そ。私と協力者は、まあ、実家の関係もあって、旧時代の遺物に関しては知識があるし、目利きも効く。売り先の心当たりもある。訳も分からずただの鉄くずや、骨董品として出されているものでも、私からすれば宝の山なのよ」
早速仕入れてきたのか、謎の鉄板らしきものをひらひらとかざす。ユーリには何の価値があるのかさっぱりわからない代物だったが、彼女がそういうならば金になる代物なのだろう。
「仕事柄、あっちこっち地方の都市を回ってきたけど、北部はまだ手がついていない。競争も少なく、開業に対する規制も少ない。落ち目の街だからね、ちょこっとお金積めば大丈夫だったけど、他ではそうはいかない。商売敵が増えても気にしないなんて事はないし、中央からの干渉も強い。ごたごたしているおかげで、外から人が入ってきても気にする人は少ない。これが、ここで商会を始める理由でもあるのよ」
「なるほど、行き当たりばったりじゃなかったんですね」
「あのね、君は私のことどう思ってるのかな。これでも恩人のはずなんですけど」
イズラハは目を細める。
「なんか色々と急だったので、てっきり思い付きなのかと」
「まあ、君の私に対する思い込みは、後できっちり修正するとして――で、君にはダンジョンに潜ってもらいます」
それはそうだろう、とユーリは頷いた。自分に出来ることはたかが知れている。骨董品集めよりは自然な成り行きだと思った。
「でも、オレ、小間使いしかやったことないので、稼ぎといっても大した金額になりませんが...」
「言ったでしょ、訓練してもらうって。もちろん小間使いはやめてもらってスコッパーとして自立してもらう。そこはウチのプロ中のプロがいるから大丈夫。みっちりしごいてもらいなさい」
イズラハが示した指の方向を剥くと、後ろに佇んでいたミラが静かに頭を下げる。
「え、ミラさんがですか?」
「彼女、元々”銀”のスコッパーだから」
「銀!?」
七つの位階に分かれるスコッパーの中でも、第二等・白銀花といえば、間違いなくトップクラスのスコッパーだ。普通のスコッパーなら、何十年も修行して、運よく生き残れてようやくたどり着けるかどうか。どうみても二十代の前半にしか見えない若い女性が、その華奢な身体で手に入れられる称号では無い。
「北部アルゲン戦士団の指南役の娘を舐めるなって話。彼女、これでも神童って呼ばれてたんだから」
「昔の話です。ユーリさん、元々は私が各地を回って情報を集めてくる予定だったのです。ただ、あなたがその任を担ってくれるのであれば、私は別の仕事をすることが出来る。これは、役割分担です」
「そういうこと。責任重大よ?」
イズラハは悪戯っぽく微笑んだ。
「私たち三人じゃ大したことはできない。まだまだ仲間が必要。のんびりはしてられないけど、焦らずやるのよ、少しづつね。私たちの仕事は楽じゃないけど。事業が軌道に乗れば、お給金だっていっぱい出せる。ユーリくんも故郷から家族を呼んで養えるかもしれない。頑張って稼ぎましょう」
「――はい。よろしく、お願いします」
新たな己の雇用主に、ユーリは期待と不安を胸に頭を下げた。
アルカディア北部商会、最初の社内会議はそうして終わりを告げた。
†
イズラハの執務室を辞して、ミラに連れられながら中庭に向かう。
まだ芝刈りも出来ていない青草が茂る中だが、訓練をする上では十分な広さがある。屋敷の修繕にかかる工員たちの邪魔にならない場所にいくと、ミラは腰に手を当ててユーリと向き合った。
「正直、私は反対です。小間使いの子供を買い上げて、スコッパーに仕立て上げようなどと、迂遠も甚だしい青田買いです。何より、あなたのためにも。お嬢様がなさろうとしていることは、きっと多くのものを敵に回します。生半可なものは命を失う」
ミラは居住まいを正し、ユーリの目を確りと見据えた。
「見定めさてもらいます。あなたが本当に、投資に見合う価値があるのか」
「あの、オレ、がんばります! よろしくお願いします、師匠!」
「がんばる?」
瞬間、ユーリの視界は反転した。
ミラは振り向くと足払いをかけ、崩れた上体を掴み背負い投げされ、地面に叩きつけられる。
「な――」
流れるような動きで何の心構えもなく投げられ、半端な受け身しか取れず、衝撃で息が詰まる。口をぱくぱくとさせる事しかできないユーリを、ミラは無情に見下ろした。
「がんばるのは当然です。口だけならどうとでも言える。己の覚悟は、己の行いを以て証明なさい」
怜悧な顔を少しも崩すことなくミラは言い放ち、ユーリはただ頷くことしか出来なかった。
そこから、ユーリにとって地獄の日々が始まった。
ある日の朝。
「体力づくりは足が基本。心臓が張り裂けるまで走りなさい」
「はっ、はぃ!」
早朝の冷えた空気の中、汗だくのユーリに対して、彼女は汗ひとつかかず、結い上げた薄い金の髪は少しも乱れることは無い。上体をぶらすことなく滑らかに城壁の上を走っていく。軽く流す程度といった風情の師の後ろを、ユーリは全力で腕を振りながらついていく。
「足運びが悪い。バタバタと足の裏をつけず、姿勢を正し、ちゃんと地面を蹴るように足を運びなさい」
「ま、待ってください、師匠、ペ、ペースが」
「返事は?」
「は、はい!」
「返事が遅い。三周追加」
「ひぃっ!」
ある日の昼。
「食べることも訓練です。吐くことは許しません。麦の一粒一粒を噛み締めて飲み込み、血肉としなさい」
「ミ、ミラさん、も、もう入らな」
「だまらっしゃい。子供と戦士は食べるのも仕事です。あなたは両方なのですから食べる量も二倍です」
「そ、そんな無茶苦茶な...!がふっ」
たっぷりの麦粥に塩抜きされたハムに、雑多な野菜を煮込んだスープ。今までを考えればご馳走とよべるものであったが、はち切れそうな腹に押し込まれるそれはまるで拷問だった。空いた口には強引に匙が突っ込まれる。
ある日の夕べ。
中庭に連れ出されたユーリに、ミラが手渡したのはただの鉄棒だった。
「武芸百般を学べ、とまでは言いません。おいおい、武器の適正は見ていくつもりですが、まずは棒振り千回」
「ミラさん、もう腕が」
剣でもなんでもない、ユーリのサイズに誂えたかのようなサイズの鉄棒だが、重い。スコッパー向けのスコップのような携行しやすい金属ではない。ただ重くすることだけを求めたような重さだった。
上段に構えて振り降ろすたび、全身が悲鳴を上げる。思わず漏らした泣き言を??り飛ばすように、ミラはぴしゃりと長い指揮棒で震える足を打った。
「だまらっしゃい。穴掘りや荷物持ちでは稼げない。成り上がるなら武器を持つしかないのです。食べた分は働きで返してもらいます」
「食べたというか突っ込まれたような――」
「師に対して返す言葉は”はい”か、”はい”のみです」
「ひぃっ!」
今度は尻を打たれ、ユーリは泣きながら腕を振り上げた。館の修繕の為に出入りする工員たちが帰っていく中、怪訝そうにこちらを伺う視線が痛かった。
ある日の夜。
「まずは礼儀作法。次に座学です。農村向け学校の初等教育で満足しているようでは、都市の海千山千の商人、貴族たちを相手には出来ません」
「……」
「誰が寝ていいといいましたか」
「ひぃっ!」
あまりの眠気に耐えきれず、傾きかけた頭を長い指揮棒がぽこんと打つ。いつの間にか取り出した眼鏡を身に着け、教師に変身したミラに生徒を甘やかす気は一切無いようだった。
「お嬢様はとんでもない不良娘、カリギリーの恥と中央では噂され社交界から追放、ついには実のお母上から勘当されたじゃじゃ馬娘といえど、カリギリーの末席。従者の恥は主の恥です。相応しい知性と品格が求められるのです」
「めちゃくちゃ悪口ですけど...」
「だまらっしゃい。主の現在地を後輩に正しく伝えるのも側仕えの義務。口よりも手を動かしなさい
「はいぃ!」
ミラの教えは丁寧だが、徹底的だった。一時が万事に容赦が無い。頭を下げる角度、手の運び方に至るまで、細部に渡って指摘が入り、叩きこまれる。全身筋肉痛で震える身体を誤魔化しながら、何とかユーリは食らいつこうと歯を食いしばる。
「この場合は右手ではなく左手だと教えたでしょう」
「ひぃっ!」
夜も更けてきたところでようやく退出を許され、与えられた下男向けの私室に何とか帰りつくと、泥に沈むように眠りに落ちる。
故郷の夢は見なかった。
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