#06 あなた、わたしと契約しなさい
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気づけば、自然と城壁の上に足が伸びていた。
ダンジョンへと続く大穴を囲って建てられたアージェント城塞都市は、北部平原の中央を通るレーナ川にほど近い丘陵に聳える。城塞の上より高い建物は、物見の尖塔と都市庁舎以外に無い。平民が登れる最も高い場所が、城壁の上だった。
スコッパーズギルド近くの階段から上ると、区を分割するための放射状に伸びる内壁の上に登れる。そこを辿って歩けば、すぐに都市の最外壁だった。
レーナ川を挟んで西側の対岸、街道が伸びていく向こうには、山と森を縫うように開墾された農村地域が見える。ユーリにとっては遠い故郷の影だが、家族が暮らす村はさらにその向こうで、とてもアージェントから見通せるような場所では無い。
(遠いな)
見ればそんな思いだけが胸によぎるから、城塞の上に登ることは避けてきたのに。夕暮れを照り返す大河の向こう、街道をゆっくりと馬車が向かっていく。
先ほどの青年のうなだれる姿を思い出す。怒鳴り散らされたことへのわだかまりは無い。何処かへ消えた。だが、自分の心の中に深い棘が刺さっていて、それを取り除くにはしばしの時間が必要だった。
「返せ、か……」
膝を抱える。短い夏の終わり、初秋の空気が混じる風は少しだけ肌寒い。
そこに、石畳を叩く靴音が耳に響いた。
「少年」
「あなたは……」
ユーリは驚いて振り返る。そこには、彼を救い上げた女性、イズラハ・新城・カリギリーの姿があった。
「また会えてよかった。私のことは覚えてる?」
赤みがかかった長い髪が、風によって巻きあがる。穏やかな笑みを浮かべた様子は若く活発な貴族の令嬢と言った風で、あの猛々しい炎の光景とはかけ離れていた。それでも、恩人の顔を忘れるはずもない。近づいてくる女性の姿に、ユーリは立ち上がって頭を下げた。
「え、ええ、勿論です。えっと、イズラハ、様、ですよね? 助けてくださって、本当にありがとうございました」
「覚えていてくれてよかった。ユーリ少年」
「はい……あの、どうしてここに? あの従者の方、ミラさんからは、だいぶお忙しいって」
「ちょうどね、スコッパーズギルドにいたんだ。今後の相談事があってね。それで、さっきの騒ぎ。ちょっとだけ、見てたから」
ユーリの戸惑いをよそに、女性はそっと城壁に腰かける。
「何を見てたの?」
「故郷を、見てました」
「故郷?」
ユーリは夕陽に照らされる光景を指指した。
「川向うの街道を西に馬車で三、四日。山を越えた向こうの小さな村です」
「そう。帰りたい?」
「帰れません……オレは次男だし。帰っても、家の邪魔になるだけですから」
貧しい農家に、次男の居場所はない。土地を継ぐことも出来ず、財産は全て家の長である長男のもの。いずれ、奉公か出稼ぎか、新たな開拓地に応募して土地を手に入れる夢を見るか。いずれにせよ、家を離れなければならないのが常である。
「売られたの?」
「いえ、自分で。そうじゃ無いと、冬を越せなかったので」
身売りで故郷を離れた次男坊や三男坊が、家に帰るというのは、厄介者になるということだ。それだけは嫌で、嫌で、仕方がなかったから、ユーリは先に自分で自分を人買いに売った。
「そっか……家族は、恋しい?」
「……ええ。そうですね、会いたくないのかといったら、嘘になりますけど。元気にしていると手紙だけはもらってますから」
「そう、いいご家族なのね」
ユーリは家族の顔を思い出す。
妹は大きくなっただろうか。父の病は多少良くなったと、年に二度の手紙で知らされてはいたが、兄と姉は元気にしているだろうか。帰ることなど出来ない身では想像する他ない。
夕陽を横顔に浴びながら、イズラハは口を開く。
「私はね、ちょっとだけ、家が苦手でね。特に母親と姉とはね、反りが合わなくって。それが原因で親戚ともあんまり。おじいちゃんだけが味方だったんだけどね。おととし亡くなっちゃって」
少からず衝撃的な話だった。ユーリでさえ知る名家、この世に十しかいない、生ける預言者の一族、火守のカリギリー。戸惑うほどに明け透けに語られた内情は、本来たかだか貧民の小僧に語ってよいものでは無い。
「それは……その、お父さんは?」
「昔、戦争で死んじゃったんだって。私は顔も覚えて無いから。そんな人いたんだって感じ。写真の中の人だよ」
「……すいません」
「謝らないでよ。顔も覚えてない人のことで、君が謝る必要なんかないよ。ごめんね、いきなり変な話しちゃって」
あっけらかんと気にしていない、と笑う女性の姿に、繋ぐ言葉を失う。どうやら、あまり貴族的ではない変わった人らしい、とユーリは何とか納得するも、語り合うような言葉がある訳もない。
しばらくの沈黙の後、イズラハは口を開いた。
「君は、これからどうするの?」
「オレはスコッパーの小間使いの為に雇われた雑人ですから。主人の元に戻ります」
病院の医官からはあと二、三日ほど入院していくようにと命じられていた。ケガもさることながら、身体を酷使しすぎたせいで弱っているのだという。金にがめつい人飼いの顔など見たくはなかったが、身元保証人である人飼いがいなければ、ダンジョンに潜ることも出来ない。ユーリに帰る以外の道は無かった。
「小間使い、か。君は、スコッパーになりたいの?」
「……いつか、そうなれればいいと思ってました。でも、今の稼ぎとオレの腕じゃ、とても」
スコッパーになる為に必要なのは腕っぷしだ。人死にが少なからず起こるスコッパーは常に人手が足りない。希望する者にはギルドは常に門戸を開いており、スコッパーとなることは出来る。だが、採掘であっても戦闘であっても、屈強な大人の身体と腕があれば潜り抜けられるものの、田舎から出てきた子供が何の技術もツテも無くなれるほど、甘いものでもない。
「悪いとは思ったんだけど、君のこと、実はちょっとだけ調べさせてもらったんだ。どういう子を救い出したのか、どうしても知りたくて……キミを買った人飼い、亡くなったよ」
「……は?」
思わぬ言葉に、ユーリは耳を疑う。
今、なんと言った?
「殺されたんだよ。元々、クランのふりをした商人が寒村から人を集めてギルドに送り込む商売はね、裏に怖い人たちがいる場合も多いんだ。まともな人なら手を出さない。奴隷商売に近いことだから」
イズラハは淡々と語る。
その内容は事実だ。館に出入りする人相の悪い男達と、へこへこと腰を折る人買いの姿を思い出す。
「今回の騒ぎで、あなたの主人の下にいた人たちも、いっぱい死んだ。これからの稼ぎを担保に危ない賭けをしてたみたいでね。お金もって逃げようとしたところを、危ないお兄さん達にばさっとやられちゃったみたい。昨日の朝、堀に死体が浮いてたのを衛兵が確認してる」
死んだ、のか。
あの金の亡者がいなくなったのかと思うと、不思議な気持ちだった。仕事の上がりを持っていく以外の繋がりは無い。情けなどかけられたこともない。館にはスコッパーとなった先輩たちが住まい、ユーリのような小僧は街の安下宿での生活だ。
あまりにも多く、己の周りの者たちが死んで、変わっていく。目が回るようだった。
「君が雇われていた人飼いのクランは、誰もいなくなってこれで解散。キミは、自由になったよ」
「自由……?」
知っている言葉だ。少なからず求めていたものでもある。いつかは手に入れるものだと。だが、己に関わる言葉だとは、とても思えなかった。
「その、いきなりすぎて、頭が追いつかなくて」
「無理もないよ」
風に髪をたなびかせながら、女性は急ぐ様子もなく、ただ夕陽を見つめている。
「ダンジョンに潜って、全滅して、助けられて、慰められて、なじられて」
上手く口が回らず、胸の内に湧いて出た言葉をそのまま零す。あまりにも多くのことが短い間で起こりすぎていた。
「自由ってのはね、つまりはやりたいこと、だよ。難しく考える必要なんかない」
やりたいこと。
視線を向けた先には、山脈と、それより遥か先には海があるのだという。ここからは見えないけれど。周囲を囲む山が途切れる空白があり、その向こうには海という大きな大きな池があると教わった。見たこともない、いまは何も見えない空白に、目が引き付けられる。
「ずっと、ここではないどこかへ行きたいと思ってました」
空白を見つめてどれくらい経ったのか、ユーリはぽつりと漏らした。
不思議だった。ミラに対してもそうだったが、言葉が素直に口をついて出る。人恋しさが故か、穏やかな夕陽がそうさせるのか。
率直に何でも語ってくれる彼女に対して、取り繕った言葉は無意味なようにユーリには思えた。
「ここではないどこかへ……なんて、バカみたいですよね。自分で自分を売っておきながら、まだ何年もたってないのに。根性がなくて呆れ返っちゃうんですよ、自分でも」
イズラハは少年の方に顔を向け、何をするでもなく、ただ静かに話を聞いている。
「それでも、ずっと考えてました。あの空の向こうには何があるんだろう? あの山の向こうには、何があるんだろう? きっと、オレは故郷に帰りたいんじゃなくて、いつもどこかに行きたいだけなんです。行って、知って、確かめたい。色んな不思議を。でも、どうしようもなく力が無くて、オレは、ただダンジョンに飲まれて、何も……」
不意に、隣に佇む女性の従者に、悔やむな、と止められた事を思い出した。急に恥ずかしさが募り、少年はとりとめのない言葉を引っ込めた。
「ここではないどこかへ...か」
「ごめんなさい。お貴族様に、こんなガキの、くだらない話をしてしまって」
頭を下げるも、彼女はユーリの方を見ていなかった。何かに思いを馳せるように、遠くを見つめていた。
「そっか、そうなんだね……」
「イズラハ、様?」
「――よし、決めた」
「あ、危ないですよ!」
女性はそのしなやかな体躯を翻し、城壁の上に立った。悪戯っぽい笑みを浮かべながら、まるでこの世の全ては自分のものともいうような尊大さで、慌てる少年に向かって言い放つ。
「ユーリ少年。あなた、私と契約しなさい」
「はい?」
手が差し伸べられる。あの時と同じように。
「契約よ、私の仲間になるって契約」
「そんな、また、いきなり!?」
「言っておくけど、これは金持ちの道楽でもないし、哀れみでもない。むしろその逆」
傲岸不遜に、イズラハは言い放つ。
「私は、自分の手駒が欲しい。私が欲しいのは、私のいうことをきく奴隷じゃない。私と同じ道を歩む人が欲しい」
差し伸べた手を引っ込め、何かを握りつぶすように拳を閉じる。
「私はね、今のこの世界が嫌い。ダンジョンを忌み嫌いながら、私たちはどこまでもダンジョンから得られる資源に依存してる。ダンジョンを鉱山にする為の吸魔石なんて代物が当たり前に使われ、ダンジョンを間引きする為に毎年大勢のスコッパーたちが命を落とす」
それはそうだ、考えるまでもない当たり前の事実だとユーリは思った。
いま眼下に見える都市の明かりも、魔石によるもの。
第五元素を用い、導き、伝え、活かす。
今の人間の生活を支える技術の殆どは、ダンジョンからしか得られない魔性の鉱物の存在から派生したものだ。農村部の子供でさえ習う常識だった。だからスコッパーという職があり、人は糧を得ている。危険であったのだとしても、魔鉱石を手に入れるためには必要な事だった。
「預言者の末裔とかいう家も、都市の王様たちも、みんな諦めてる。ダンジョンの発生は、予測できない。小さいうちに止めることは出来ても、無くせはしない。人間が住める土地はどんどん狭くなっていく。そのうち食糧を作る土地が足りなくなれば、後は人間同士の内戦を始めるしかなくなる」
それは絶望的で悲観的な未来の予測。その全てを理解はできないまでも、不思議とその光景は事実であろうとユーリにも思えた。
「これは人類の統治者なんて言われてる人たちの共通認識なんだ。いつか大地はダンジョンの穴ボコだらけになって、この世界は魔物のものになるんだって」
ぎり、とイズラハは歯を食いしばる。見えぬ何かに怒るように、両の拳が握りしめられる。
「ふざけるな」
茫洋とどこかに向けられていた目が不意に向けられ、ユーリは背筋が痺れる。燃えるような瞳だった。力強く、怒りを湛え、理不尽に抗う覚悟が炎を上げていた。
「人間はそんなものじゃない。私が生まれ変わらせる。焼けた大地に氷を捧げ、凍える森に火を灯すような。人の力はそんなことだって出来るんだって。人も、世界も、まだ穴倉如きに喰われるような弱いものじゃ無いって、私が証明してみせる。
だから、人が欲しい。自分だけじゃない、自分以外の誰かの為に戦える人が。死の間際でも足掻く、強さを持つ人が」
生ける炎のようだった。ユーリよりも頭一つ大きい、しかし決して大きくはない華奢なその身体に、いったいどれだけの熱量が詰め込まれているのだろう。どれだけの思いと、悲嘆を見つめて燃やされた炎なのだろう。ユーリには想像も出来なかった。
だが、彼女の語るそれは、震えるほどに美しいと思えた。
「君には、運がある。君がきっと私をここに呼び寄せたんだ。だから、君を、君の未来を買う。その代わり、私はあなたに力を得る機会を与える。あなたがそれを望む限り。私と同じ、夢見るどこかへ走り続ける限り」
イズラハは紺色の外套を翻し、少年に向かって再び手を差し伸べる。
「ユーリ少年。君は、どうする」
「オレは……」
言葉に詰まる。今の自分が、大きな岐路にいるのだということはわかる。その重みを感じながら、身体が熱い。頬が熱い。まるで小鳥が親鳥を始めて見つけたかのように、彼女から目が離せない。
「オレは、力が欲しいです。どんな縛りがあっても、それを食いちぎって飛び立てる、あなたのような力が」
ユーリは一言一言、慎重に言葉を紡ぐ。
この、おそらくは世を覆す傑物であるのだろう女性に対して何を言えばいいのか、何の自信もない。
「でも、一つだけ教えてください、イズラハ様。どうしてオレなんですか? あなた程の人が、そんなに明け透けに語ってくれるんでしょうか? オレは英雄なんかじゃない。ただの貧民のガキです」
「さっきも言ったとおりだよ……あの時は、自信がなかった。いま、私の中で納得が出来た。私はきっと、君と会う為にここに来た」
「オレに……?」
深い青の瞳がユーリの姿を射抜く。
「火の神の預言を受けた一族の失敗作である私に、預言を受けられるほどの信仰心はない。それでも、あの日、私には予感があった。北に行って何かを探すこと。絶対にそうしなければならない、と。会って、話して分かった。それは君だったんだ」
何度強く語られても、ユーリには彼女の中の確信は理解できない。神がかりの言葉には理由も背景もない。ただ信じる、という一念だけがそこにはあった。他者を説き伏せるような理は何も無い。
だが、彼女の言葉には嘘はなかった。圧倒され、恐怖すら覚えるほどに。それでも、誠心は伝わった。だからユーリは、例え自分が徒手空拳で向かい合おうと思った。彼女の中で燃える炎の嵐に。
「そう言ってくれるあなたに、オレに何が出来るのか、全くわかりません……でも、あなたの夢は、キレイだと思いました」
焼けた森に、氷を捧げ。
凍える森に、火を灯す。
そんな矛盾したことだって出来る、と彼女は無邪気に信じたのだ。この世の不正を憎み、人間の知恵と力はそんなものだって乗り越えられる、と。
「綺麗なだけじゃないよ。きっと、その何百倍もの汚いものを見ることになる」
どこか遠くを見つめるようにイズラハは言う。
それはきっと、目の前にいる少年に掛けられた言葉ではなかった。自分が歩むのであろう未来にかける戒めだった。
彼女の炎は、きっと多くのものを灰にする。
焼いて、焦がして、辺りには死が生まれる。
それでも、と少年は思った。
畑に灰が撒かれるように。
生まれるものも、あるのだろう。
「そう、かもしれません。でも、その夢についていけば、きっとオレはこの街の隅っこで死ぬことはないーーーーここではないどこかへ、きっと行ける」
ためらいながら、頭を下げた。
何か大きなものが動いた、そんな確信があった。
「こちらこそ、お願いします。オレを、買ってください」
不思議と、心は静かだった。
しばしの沈黙の後、ふっと唐突にイズラハは笑った。
「……弟が欲しかったんだ。ほんとは」
「え?」
あまりにも唐突な言葉に、ユーリは何の反応もできない。
イズラハはまるで悪戯がバレた子供のように照れ笑いをしながら、城壁の上からひょいと飛び降りる。
楽しげな様子はそのまま。少しだけ表情を引き締めて、少年に向かい合い、再度、手が差し伸べられた。
「改めて。私はイズラハ・新城・カリギリー。少しだけ恵まれた家に生まれたけど、まだ何者でもない、ただの人。どうかあなたに、私の協力者として、私の手を取ってほしい」
自分の芝居がかった振る舞いにおかしみを感じているのか、楽しそうに笑いかけてくる彼女の姿を見て、自然と口が動いていた。
「僕はユーリ。ただのユーリです。何も持ってない、ただの子供。今は。いつか、あなたの力になります」
雲に隠れていた夕焼けの光が差し込む。
頑是無い子供達を照らすように。
ゆっくりと繋がれた二つの手は、火傷しそうなほどの熱を帯びていた。
†
三日後。
医官に退院を告げられたユーリが身支度をしていると、突然扉が開け放たれた。
「会社を立ち上げます! よってお金がない! 社員第一号くん! しばらくビンボー生活だからよろしくね!」
金髪を結い上げた見覚えのある女性が頭を抱える隣で、部屋に飛び込んできた社長を名乗る女は声高に叫んだ。
ユーリは少しだけ昨日の契約を後悔した。
アルカディア北部商会 北部第二都市アージェントにて設立。
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